とある音大生の女の子が知らない世界に放り出されるお話
第1章 狭間で揺れ動くは儚き花
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日が暮れると新八は夕飯の支度を始め、伊織は手伝いを申し出たが彼は怪我を理由にやんわりと断った。
「今日は疲れているでしょうしゆっくりしていてください。」
ご飯が出来上がると神楽と銀時は競い合うようにものすごいスピードで食べ始めた。伊織は目の前に置かれた湯気を立てるお味噌汁を一口飲み込むといろんな感情が押し寄せてきて、お椀を持つ手にポタリと涙がこぼれ落ちた。
「伊織ちゃん泣いてるアルか?
銀ちゃんそのおかず伊織ちゃんにあげろヨ。」
「人の飯まで掻っ攫ってるお前がやれよ!お前のせいでこちとら白米をおかずに白米食べる羽目になりそうなんだぞ!!」
「ちょっと食事の時くらい静かにしてくださいよ…」
何か言わなきゃ、と涙を拭い息を吸い込むが、少しも収まる気配が無い。声を上げて泣きたくなる衝動をぐっと押さえ込んでいると、ポンと頭を撫でられた。大きくて少しゴツゴツした掌からはじんわりと熱が伝わってくる。
「とりあえず今はあったかい飯食って風呂入って寝ろ。ずっと肩に力入ったままじゃ疲れも取れねーよ。色々考えんのは今は無しだ。」
「…っ、ふっ…。」
伊織はコクリと頷き鼻を啜った。
結局あまり食事が喉を通らず、大半が神楽の胃の中に吸収されることとなった。申し訳なさそうな表情の伊織に新八は大丈夫ですよ、と声を掛ける。
「じゃあそろそろ僕は帰りますね。
伊織さん、明日の朝また来ますのでゆっくり休んでください。」
「は、はい。今日は色々とありがとうございました。」
新八は銀時に一言二言お小言を言うと万事屋を後にした。
伊織は知り合ったばかりの人の家に泊まることが初めてだからか、そわそわとしている。
「あー…とりあえず、風呂、入ってきたら?」
「えっ、いや、私は最後で大丈夫です!!」
「伊織ちゃん一緒に入ろうヨ!」
「で、でも…」
「神楽もそう言ってるし、な。あんまり長風呂はすんなよ。傷が開いちまうから。」
伊織は手を振り遠慮するものの、神楽がグイグイと引っ張り風呂場まで連行するものだから言われるがままに風呂に入ることになった。
「伊織ちゃん私とそんなに身長変わらないからパジャマはこれ着てネ!」
差し出されたのは神楽のパジャマ。下着類は先ほど買ってきてくれたものの中に入っていた。
神楽はウキウキとした様子で服を脱ぎ始めている。一方伊織は神楽の人当たりの良さに気押されながら視線を落とす。元々人付き合いが苦手な伊織にとって、誰かと一緒にお風呂に入るというのは少々難易度が高いものである。
しかしお世話になる分際でつべこべ言ってられない、と決心し、ワンピースに手をかけた。
からりと音を立てて戸を開けると暖かい湯気が体全体を包み込む。
他人の風呂場の匂いが鼻腔いっぱいに広がり、ドギマギする。
洗いっこするアル!と楽しげな神楽に伊織は頬を真っ赤にしながら頷いた。なかなか恥ずかしさが抜けきらないまま神楽の言う通りに互いに髪や体を洗い、ようやく二人は湯船につかった。
恥ずかしさを隠すように伊織は口元までお湯に浸かる。
「傷、やっぱり痛むアルか?」
「い、いえ…!ちょっとお湯が染みるくらいで、全然大丈夫です、」
「伊織ちゃん、そんな緊張しないでヨ。私もっと仲良くなりたいアル!」
神楽はガバッと伊織に抱きつき擦り寄る。
「ひえ、は、はひ…わ、私、も、仲良く、なりたい、です」
「きゃっほーい!じゃあじゃあ、明日は私がかぶき町を案内するアル〜!!!」
風呂から上がった後は神楽が楽しげにかぶき町について語り尽くした。知らないことばかりで伊織はへえ、そうなんだ!知らなかった!と驚くばかりだった。
なかなか話題が尽きず、延々と喋り続ける神楽を銀時は小突いて早く寝るように急かした。
誰がどこで寝るか一悶着あったが、結局神楽はいつも通り押し入れ、銀時はソファ、そして伊織が銀時が普段使っている布団で寝るという結果に落ち着いた。
明かりも消え静まりかえった部屋の中、伊織は一向に寝付くことができずにいた。体はもちろん疲れているが、急激な変化に頭が追いつかず先の不安ばかりが募る。
のそりと起き上がり、窓に近寄った。ひんやりとした空気が伝わってくる。
昨日の月はどんな形だったけ…。そんなことを考えながらかぶき町を照らす三日月を眺めていた。
これが夢なら寝て起きた時、自分はどこにいるんだろう。あの河川敷?それとも自分の部屋?どこでもいい、とにかく見慣れた風景が目の前に広がっていてくれ。
淡い期待を抱きつつギュッと目を瞑ってみるも、睡魔は襲ってこず、いつの間にか時計の針は6時を指していた。
「朝、なっちゃった…。はぁ…。」
重いため息をつきながら布団を丁寧に畳み、枕元に置いていた着替えを手にとった。着物、帯、帯締め、それに長襦袢やら何やら。着物の着付けなどやったことがなく、どれから手につけたらいいのかさっぱりわからない。神楽ちゃんに着付けてもらおうか、と押入れに視線を移したが、起きてくる様子も無く、一旦着物は置いて昨日のワンピースに着替えることにした。
ふすまを音を立てないようにゆっくりと開け、洗面台に向かう。
ふとソファで寝ている銀時をチラリとみたらすやすやと寝ていたが、時折身震いをしていた。真夜中から朝にかけては日中よりも冷え込んでいる。伊織は本当に申し訳ないことをしてしまった、と頭を抱えた。使わせていただいた掛け布団をそっと銀時に掛ける。
顔を洗った後、ワンピースに着替えると丸出しの二の腕に鳥肌が立った。急いで羽織を肩に掛け腕をさする。鏡を見て寝癖がないかチェックして洗面所から出た。
居間に戻り、布団の横にちょこんと正座する。
押入れとソファを交互に見て伊織は再び頭を抱えた。
二人は何時に起きるのか聞いとくべきだった…!!
朝ごはん、作るべきかな?いやいや、他人が勝手に冷蔵庫の中覗くなんて失礼すぎるよね…。ど、どうしよう、本当に何したらいいんだ?!
腕を組みながらうんうんと考えるもふたりが起きる気配は全くない。それから一時間半ほど悩み続けていると、玄関の戸がカラリと開く音がした。
「おはようございまーす」と聴き慣れた声と共に新八が居間に入って来る。伊織はふすまから顔を覗かせ、「志村くん…!おはようございます」と小さく呟いた。
「伊織さん!おはようございます。
って、その格好、寒くないですか?昨日渡した着物、遠慮せずに着てくださいね。」
「あの、着方が分からなくて…」
着物を手に取った伊織に新八は少し驚く。
「あぁあ!そんな申し訳なさそうな顔しないでください!大丈夫ですよ。
神楽ちゃんもいいけど、多分お登勢さんの方がしっかり着付けてくれると思うので下に行きましょうか。」
二人は万事屋を出て下にあるスナックへ向かう。
新八は戸を軽くノックし、お登勢さーん!と呼び掛けた。
「なんだい、こんな朝っぱらから。」
「おはようございます。ちょっと頼みたいことがあって。
伊織さんの着付けを手伝ってくれませんか?」
「あぁ、アンタが昨日言ってた子かい?」
お登勢が伊織に目をやると、伊織は慌てて頭を下げ、「神崎伊織です。よろしくお願いします」とお辞儀をした。
お登勢は着いてきな、と言うとすぐに背を向けて中に入って行く。
「じゃあ僕は朝ごはん用意してくるので着替え終わったらまた上に来てくださいね。」
「は、はい。何から何まで本当にありがとうございます。」
伊織はペコリと頭を下げるとお登勢の後を追った。
新八は万事屋に戻ると、「おい新八」とソファから声を掛けられた。
「銀さん、おはようございます。今日は仕事ないのにこんな時間に起きるなんて珍しいですね。」
銀時はあくびをしながらうるせー、と言い返し、伊織の様子を尋ねた。
「あぁ。伊織さんなら着付けを教わりにお登勢さんのところに行ったんですよ。あと銀さんのことソファに寝かせてしまって申し訳ないって言ってました。」
銀時は掛け布団を眺めながらマジかぁ、と呟く。
「じゃ、僕は朝食の準備するので神楽ちゃん起こしてきてくださいね。あと伊織さんが来る前に身だしなみちゃんと整えてくださいよ!」
新八は足早に台所に向かった。
一方その頃、伊織はスナックへ初めて足を踏み入れていた。
店内にはたくさんのお酒が並んでいて、時代劇に出てきそうな味のある飲み屋という感じだ。
うわあ!なんだか時代劇で出てきそうなお店だ!と感心しながらキョロキョロと店内を見渡していると奥からこっちだよ、と声を掛けられた。
「まずはそれ脱いでこれ着な。」
「はい」
お登勢は時折説明をいれながら黙々と着付けをしていく。
伊織はその様子を目に焼き付けながら言われたことを頭の中でメモしていったが、帯を締めるときはカエルが潰されるような声を出してお登勢に笑われたのだった。
「朝早くから押しかけてしまってすみません。それに着物もこんな立派なものを…」
「アンタ本当にここらじゃ見かけないくらい礼儀正しい子だね。
まったく、あいつらに爪の垢を煎じて飲ませたいくらいだ。」
お登勢は万事屋の愚痴をポツポツと溢すと煙草を口にくわえて火をつけた。
少しの間談笑していると、上からドタドタと音がして、お登勢はハァとため息をつく。
「どうやら騒がしい奴らが起きたようだね。あぁ、うるさいったらありゃしない。」
伊織は苦笑いを浮かべながらドンドンと響く騒音をお登勢とともに聞く。
「引き止めて悪かったね。アンタが聞き上手なもんだから思わず喋りすぎてしまったよ。」
「いえいえ、色々聞けて楽しかったです。」
「着付け、慣れるまではうちに来な。さっきの様子じゃあまだ一人ではできなさそうだからね。」
「…!ありがとうございます。じゃあ、また明日の朝、よろしくお願いします。」
伊織はスナックを出る時も改めてお礼を述べ、万事屋へ向かった。
階段を上り切り、戸の前で固まる。
戸に手をかけ、インターホンに手をかけ、右手がウロウロと彷徨っているのだ。なかなか決められずに悩んでいると、ドタドタと音がした後突然戸が開き、神楽と定春が突進してきた。
「伊織ちゃーーーーん!」
伊織は当然二人の体重を支え切れるはずもなく、ドシャっと押しつぶされた。
神楽はギュウッと力一杯抱きしめ、定春はペロペロと顔を舐めてくる。朝起きたら伊織がいなかったから帰ってしまったのかと思ったらしい。
いよいよ息が苦しくなり、力なく神楽の背をポンポンと叩いていると銀時と新八が慌てて駆け寄ってきた。
「おい神楽に定春ぅ!!離れろこんにゃろ!!!」
「いやアルー!!!絶対離さないネ!もうどこにも行かせないアル!!!」
「いや、神楽ちゃん!別の意味で逝っちゃうから!!伊織さん逝きかけてるからぁぁ!!ほらとりあえず離れて!!!」
「ぐ、ぐるじ…」
年下の少女に抱きしめられてるとは思えないほどの馬鹿力で絞めかかる神楽に目を白黒させていると、不意に圧迫感から解放される。ブハッと息を吸うが、慣れない着物ですでに胴体を締め付けられている伊織は思わずむせた。
新八が伊織の背をさすり、銀時は神楽を叱りつける。
それから神楽は食事中もベッタリと伊織にくっつき、後片付けも伊織がやるなら、と隣にピタリと張り付いて手伝った。
新八と銀時はその様子を見て訝しげに眉を潜めると耳打ちした。
「なんかやたらと張り付いてますね。何かあったんですか?」
「完全に懐いたな。風呂場でもスゲーはしゃいでたし昨日の夜もずっとひっついてやがった。」
二人は伊織が嫌がっていたら離れさせようと様子を窺っていたが、特に嫌がる様子はなく、ぎこちないながらも笑みを浮かべて神楽と接している伊織を見てほっと一息ついた。
「神楽ちゃん、袖に泡がついちゃういそうだよ。」
「わ、ほんとアル。」
「ちょっと待ってね。」
伊織が神楽のパジャマの袖を丁寧にまくると、神楽は嬉しそうに伊織に笑いかけた。
神楽にとって伊織は今まであったことのないタイプの年上の女性であり、無条件に甘えたくなるような、優しげな雰囲気を醸し出していたのだ。
「伊織さんって、なんか不思議な方ですよね。一緒にいて心地が良いっていうか。優しい人なんだろうな、っていうのが雰囲気でわかる感じで。」
「なんだぁ?ぱっつぁん惚れたのか。」
「違いますよ…。そういうのじゃないです!僕はお通ちゃん一筋ですから!!!」
それから後片付けが終わると銀時は何をするわけでもなくソファに座ってジャンプを眺める。
お仕事の邪魔になるかな、と思い口を噤んだままでいると唐突に神楽が言葉を発した。
「伊織ちゃん、外に行こーヨ。私がかぶき町案内してあげるネ!」
伊織は戸惑い、銀時の方をチラチラと見ながら「でもお仕事の邪魔になるんじゃ…」と呟いた。
「どうせ今日も依頼なんか来ないアル。ねぇ銀ちゃん、行っても良いでしょ?」
「神楽ぁ、いつも依頼がねぇみたいな言い方するんじゃありません。
今日は、ないの。今日は!な。珍しく今日はねぇの。」
「言い訳がましいですよ銀さん。とりあえず神楽ちゃんだけだと不安なので僕もついていきます。」
結局外に出る体で話が進み、銀時は万事屋に残り、他はかぶき町を歩き回るということになった。
神楽と新八、そして定春はさっさと玄関に向かったが、伊織は銀時にご迷惑をおかけしてすみません、と頭を下げた。
「ま今日依頼がねぇのは事実だし構いやしねーよ。ほれ、ガキ共が呼んでんぞ。行ってこい行ってこい。」
銀時はソファにゴロリと寝転び、手をヒラヒラさせてさっさと行くように促した。
「伊織さん、実は姉上から草鞋じゃ歩きづらいだろうからってもう履かなくなった草履を持っていくように言われたんです。サイズ合いますか?履いてみてください。」
新八が差し出してきたのは鼻緒がふかっとしていて足裏にあたる部分も布で覆われた一般的な草履だった。
「わぁ、ありがとうございます。サイズも全然問題ないです。
本当に頂いても良いんですか?」
「はい!捨てるよりも誰かに使われたほうが良いって言っていたので是非履いてください。」
「まだアルか〜?」
「ハイハイ、今行くから!」
外に出ると早朝より太陽が上り、少し肌寒い空気にポカポカとした陽気が心地良い。
伊織はスゥッと息を吸い込み、よしっと気合を入れて二人と一匹の後をついて行った。
______________________
優しい人たちとの朝はドタバタと騒がしかったけど、こんな朝も悪くないかもしれない。
「今日は疲れているでしょうしゆっくりしていてください。」
ご飯が出来上がると神楽と銀時は競い合うようにものすごいスピードで食べ始めた。伊織は目の前に置かれた湯気を立てるお味噌汁を一口飲み込むといろんな感情が押し寄せてきて、お椀を持つ手にポタリと涙がこぼれ落ちた。
「伊織ちゃん泣いてるアルか?
銀ちゃんそのおかず伊織ちゃんにあげろヨ。」
「人の飯まで掻っ攫ってるお前がやれよ!お前のせいでこちとら白米をおかずに白米食べる羽目になりそうなんだぞ!!」
「ちょっと食事の時くらい静かにしてくださいよ…」
何か言わなきゃ、と涙を拭い息を吸い込むが、少しも収まる気配が無い。声を上げて泣きたくなる衝動をぐっと押さえ込んでいると、ポンと頭を撫でられた。大きくて少しゴツゴツした掌からはじんわりと熱が伝わってくる。
「とりあえず今はあったかい飯食って風呂入って寝ろ。ずっと肩に力入ったままじゃ疲れも取れねーよ。色々考えんのは今は無しだ。」
「…っ、ふっ…。」
伊織はコクリと頷き鼻を啜った。
結局あまり食事が喉を通らず、大半が神楽の胃の中に吸収されることとなった。申し訳なさそうな表情の伊織に新八は大丈夫ですよ、と声を掛ける。
「じゃあそろそろ僕は帰りますね。
伊織さん、明日の朝また来ますのでゆっくり休んでください。」
「は、はい。今日は色々とありがとうございました。」
新八は銀時に一言二言お小言を言うと万事屋を後にした。
伊織は知り合ったばかりの人の家に泊まることが初めてだからか、そわそわとしている。
「あー…とりあえず、風呂、入ってきたら?」
「えっ、いや、私は最後で大丈夫です!!」
「伊織ちゃん一緒に入ろうヨ!」
「で、でも…」
「神楽もそう言ってるし、な。あんまり長風呂はすんなよ。傷が開いちまうから。」
伊織は手を振り遠慮するものの、神楽がグイグイと引っ張り風呂場まで連行するものだから言われるがままに風呂に入ることになった。
「伊織ちゃん私とそんなに身長変わらないからパジャマはこれ着てネ!」
差し出されたのは神楽のパジャマ。下着類は先ほど買ってきてくれたものの中に入っていた。
神楽はウキウキとした様子で服を脱ぎ始めている。一方伊織は神楽の人当たりの良さに気押されながら視線を落とす。元々人付き合いが苦手な伊織にとって、誰かと一緒にお風呂に入るというのは少々難易度が高いものである。
しかしお世話になる分際でつべこべ言ってられない、と決心し、ワンピースに手をかけた。
からりと音を立てて戸を開けると暖かい湯気が体全体を包み込む。
他人の風呂場の匂いが鼻腔いっぱいに広がり、ドギマギする。
洗いっこするアル!と楽しげな神楽に伊織は頬を真っ赤にしながら頷いた。なかなか恥ずかしさが抜けきらないまま神楽の言う通りに互いに髪や体を洗い、ようやく二人は湯船につかった。
恥ずかしさを隠すように伊織は口元までお湯に浸かる。
「傷、やっぱり痛むアルか?」
「い、いえ…!ちょっとお湯が染みるくらいで、全然大丈夫です、」
「伊織ちゃん、そんな緊張しないでヨ。私もっと仲良くなりたいアル!」
神楽はガバッと伊織に抱きつき擦り寄る。
「ひえ、は、はひ…わ、私、も、仲良く、なりたい、です」
「きゃっほーい!じゃあじゃあ、明日は私がかぶき町を案内するアル〜!!!」
風呂から上がった後は神楽が楽しげにかぶき町について語り尽くした。知らないことばかりで伊織はへえ、そうなんだ!知らなかった!と驚くばかりだった。
なかなか話題が尽きず、延々と喋り続ける神楽を銀時は小突いて早く寝るように急かした。
誰がどこで寝るか一悶着あったが、結局神楽はいつも通り押し入れ、銀時はソファ、そして伊織が銀時が普段使っている布団で寝るという結果に落ち着いた。
明かりも消え静まりかえった部屋の中、伊織は一向に寝付くことができずにいた。体はもちろん疲れているが、急激な変化に頭が追いつかず先の不安ばかりが募る。
のそりと起き上がり、窓に近寄った。ひんやりとした空気が伝わってくる。
昨日の月はどんな形だったけ…。そんなことを考えながらかぶき町を照らす三日月を眺めていた。
これが夢なら寝て起きた時、自分はどこにいるんだろう。あの河川敷?それとも自分の部屋?どこでもいい、とにかく見慣れた風景が目の前に広がっていてくれ。
淡い期待を抱きつつギュッと目を瞑ってみるも、睡魔は襲ってこず、いつの間にか時計の針は6時を指していた。
「朝、なっちゃった…。はぁ…。」
重いため息をつきながら布団を丁寧に畳み、枕元に置いていた着替えを手にとった。着物、帯、帯締め、それに長襦袢やら何やら。着物の着付けなどやったことがなく、どれから手につけたらいいのかさっぱりわからない。神楽ちゃんに着付けてもらおうか、と押入れに視線を移したが、起きてくる様子も無く、一旦着物は置いて昨日のワンピースに着替えることにした。
ふすまを音を立てないようにゆっくりと開け、洗面台に向かう。
ふとソファで寝ている銀時をチラリとみたらすやすやと寝ていたが、時折身震いをしていた。真夜中から朝にかけては日中よりも冷え込んでいる。伊織は本当に申し訳ないことをしてしまった、と頭を抱えた。使わせていただいた掛け布団をそっと銀時に掛ける。
顔を洗った後、ワンピースに着替えると丸出しの二の腕に鳥肌が立った。急いで羽織を肩に掛け腕をさする。鏡を見て寝癖がないかチェックして洗面所から出た。
居間に戻り、布団の横にちょこんと正座する。
押入れとソファを交互に見て伊織は再び頭を抱えた。
二人は何時に起きるのか聞いとくべきだった…!!
朝ごはん、作るべきかな?いやいや、他人が勝手に冷蔵庫の中覗くなんて失礼すぎるよね…。ど、どうしよう、本当に何したらいいんだ?!
腕を組みながらうんうんと考えるもふたりが起きる気配は全くない。それから一時間半ほど悩み続けていると、玄関の戸がカラリと開く音がした。
「おはようございまーす」と聴き慣れた声と共に新八が居間に入って来る。伊織はふすまから顔を覗かせ、「志村くん…!おはようございます」と小さく呟いた。
「伊織さん!おはようございます。
って、その格好、寒くないですか?昨日渡した着物、遠慮せずに着てくださいね。」
「あの、着方が分からなくて…」
着物を手に取った伊織に新八は少し驚く。
「あぁあ!そんな申し訳なさそうな顔しないでください!大丈夫ですよ。
神楽ちゃんもいいけど、多分お登勢さんの方がしっかり着付けてくれると思うので下に行きましょうか。」
二人は万事屋を出て下にあるスナックへ向かう。
新八は戸を軽くノックし、お登勢さーん!と呼び掛けた。
「なんだい、こんな朝っぱらから。」
「おはようございます。ちょっと頼みたいことがあって。
伊織さんの着付けを手伝ってくれませんか?」
「あぁ、アンタが昨日言ってた子かい?」
お登勢が伊織に目をやると、伊織は慌てて頭を下げ、「神崎伊織です。よろしくお願いします」とお辞儀をした。
お登勢は着いてきな、と言うとすぐに背を向けて中に入って行く。
「じゃあ僕は朝ごはん用意してくるので着替え終わったらまた上に来てくださいね。」
「は、はい。何から何まで本当にありがとうございます。」
伊織はペコリと頭を下げるとお登勢の後を追った。
新八は万事屋に戻ると、「おい新八」とソファから声を掛けられた。
「銀さん、おはようございます。今日は仕事ないのにこんな時間に起きるなんて珍しいですね。」
銀時はあくびをしながらうるせー、と言い返し、伊織の様子を尋ねた。
「あぁ。伊織さんなら着付けを教わりにお登勢さんのところに行ったんですよ。あと銀さんのことソファに寝かせてしまって申し訳ないって言ってました。」
銀時は掛け布団を眺めながらマジかぁ、と呟く。
「じゃ、僕は朝食の準備するので神楽ちゃん起こしてきてくださいね。あと伊織さんが来る前に身だしなみちゃんと整えてくださいよ!」
新八は足早に台所に向かった。
一方その頃、伊織はスナックへ初めて足を踏み入れていた。
店内にはたくさんのお酒が並んでいて、時代劇に出てきそうな味のある飲み屋という感じだ。
うわあ!なんだか時代劇で出てきそうなお店だ!と感心しながらキョロキョロと店内を見渡していると奥からこっちだよ、と声を掛けられた。
「まずはそれ脱いでこれ着な。」
「はい」
お登勢は時折説明をいれながら黙々と着付けをしていく。
伊織はその様子を目に焼き付けながら言われたことを頭の中でメモしていったが、帯を締めるときはカエルが潰されるような声を出してお登勢に笑われたのだった。
「朝早くから押しかけてしまってすみません。それに着物もこんな立派なものを…」
「アンタ本当にここらじゃ見かけないくらい礼儀正しい子だね。
まったく、あいつらに爪の垢を煎じて飲ませたいくらいだ。」
お登勢は万事屋の愚痴をポツポツと溢すと煙草を口にくわえて火をつけた。
少しの間談笑していると、上からドタドタと音がして、お登勢はハァとため息をつく。
「どうやら騒がしい奴らが起きたようだね。あぁ、うるさいったらありゃしない。」
伊織は苦笑いを浮かべながらドンドンと響く騒音をお登勢とともに聞く。
「引き止めて悪かったね。アンタが聞き上手なもんだから思わず喋りすぎてしまったよ。」
「いえいえ、色々聞けて楽しかったです。」
「着付け、慣れるまではうちに来な。さっきの様子じゃあまだ一人ではできなさそうだからね。」
「…!ありがとうございます。じゃあ、また明日の朝、よろしくお願いします。」
伊織はスナックを出る時も改めてお礼を述べ、万事屋へ向かった。
階段を上り切り、戸の前で固まる。
戸に手をかけ、インターホンに手をかけ、右手がウロウロと彷徨っているのだ。なかなか決められずに悩んでいると、ドタドタと音がした後突然戸が開き、神楽と定春が突進してきた。
「伊織ちゃーーーーん!」
伊織は当然二人の体重を支え切れるはずもなく、ドシャっと押しつぶされた。
神楽はギュウッと力一杯抱きしめ、定春はペロペロと顔を舐めてくる。朝起きたら伊織がいなかったから帰ってしまったのかと思ったらしい。
いよいよ息が苦しくなり、力なく神楽の背をポンポンと叩いていると銀時と新八が慌てて駆け寄ってきた。
「おい神楽に定春ぅ!!離れろこんにゃろ!!!」
「いやアルー!!!絶対離さないネ!もうどこにも行かせないアル!!!」
「いや、神楽ちゃん!別の意味で逝っちゃうから!!伊織さん逝きかけてるからぁぁ!!ほらとりあえず離れて!!!」
「ぐ、ぐるじ…」
年下の少女に抱きしめられてるとは思えないほどの馬鹿力で絞めかかる神楽に目を白黒させていると、不意に圧迫感から解放される。ブハッと息を吸うが、慣れない着物ですでに胴体を締め付けられている伊織は思わずむせた。
新八が伊織の背をさすり、銀時は神楽を叱りつける。
それから神楽は食事中もベッタリと伊織にくっつき、後片付けも伊織がやるなら、と隣にピタリと張り付いて手伝った。
新八と銀時はその様子を見て訝しげに眉を潜めると耳打ちした。
「なんかやたらと張り付いてますね。何かあったんですか?」
「完全に懐いたな。風呂場でもスゲーはしゃいでたし昨日の夜もずっとひっついてやがった。」
二人は伊織が嫌がっていたら離れさせようと様子を窺っていたが、特に嫌がる様子はなく、ぎこちないながらも笑みを浮かべて神楽と接している伊織を見てほっと一息ついた。
「神楽ちゃん、袖に泡がついちゃういそうだよ。」
「わ、ほんとアル。」
「ちょっと待ってね。」
伊織が神楽のパジャマの袖を丁寧にまくると、神楽は嬉しそうに伊織に笑いかけた。
神楽にとって伊織は今まであったことのないタイプの年上の女性であり、無条件に甘えたくなるような、優しげな雰囲気を醸し出していたのだ。
「伊織さんって、なんか不思議な方ですよね。一緒にいて心地が良いっていうか。優しい人なんだろうな、っていうのが雰囲気でわかる感じで。」
「なんだぁ?ぱっつぁん惚れたのか。」
「違いますよ…。そういうのじゃないです!僕はお通ちゃん一筋ですから!!!」
それから後片付けが終わると銀時は何をするわけでもなくソファに座ってジャンプを眺める。
お仕事の邪魔になるかな、と思い口を噤んだままでいると唐突に神楽が言葉を発した。
「伊織ちゃん、外に行こーヨ。私がかぶき町案内してあげるネ!」
伊織は戸惑い、銀時の方をチラチラと見ながら「でもお仕事の邪魔になるんじゃ…」と呟いた。
「どうせ今日も依頼なんか来ないアル。ねぇ銀ちゃん、行っても良いでしょ?」
「神楽ぁ、いつも依頼がねぇみたいな言い方するんじゃありません。
今日は、ないの。今日は!な。珍しく今日はねぇの。」
「言い訳がましいですよ銀さん。とりあえず神楽ちゃんだけだと不安なので僕もついていきます。」
結局外に出る体で話が進み、銀時は万事屋に残り、他はかぶき町を歩き回るということになった。
神楽と新八、そして定春はさっさと玄関に向かったが、伊織は銀時にご迷惑をおかけしてすみません、と頭を下げた。
「ま今日依頼がねぇのは事実だし構いやしねーよ。ほれ、ガキ共が呼んでんぞ。行ってこい行ってこい。」
銀時はソファにゴロリと寝転び、手をヒラヒラさせてさっさと行くように促した。
「伊織さん、実は姉上から草鞋じゃ歩きづらいだろうからってもう履かなくなった草履を持っていくように言われたんです。サイズ合いますか?履いてみてください。」
新八が差し出してきたのは鼻緒がふかっとしていて足裏にあたる部分も布で覆われた一般的な草履だった。
「わぁ、ありがとうございます。サイズも全然問題ないです。
本当に頂いても良いんですか?」
「はい!捨てるよりも誰かに使われたほうが良いって言っていたので是非履いてください。」
「まだアルか〜?」
「ハイハイ、今行くから!」
外に出ると早朝より太陽が上り、少し肌寒い空気にポカポカとした陽気が心地良い。
伊織はスゥッと息を吸い込み、よしっと気合を入れて二人と一匹の後をついて行った。
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優しい人たちとの朝はドタバタと騒がしかったけど、こんな朝も悪くないかもしれない。