とある音大生の女の子が知らない世界に放り出されるお話
第2章 心乱す花嵐、春の湊
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「なあ銀さぁん…最近可愛い嬢ちゃん連れてんだろ。なんてったっけ…あ〜…」
「あ?伊織のことか?」
「そう!その子その子!」
燗酒をちまちまと煽りながら空に指を漂わせる長谷川はそれだ!とばかりに銀時を指さした。
へらへらと笑っていた彼は突然ぐっと目頭を押さえて感極まったような声を出す。
「俺…俺ァ年甲斐もなく感動したんだよ…
銀さん、あの子のこと、大切にしてやれよぉ…!」
なんのことだ?っていうか長谷川さんってアイツと面識あったのか?と首を傾げる銀時をよそに長谷川は喋り出した。
「この間…あぁ〜と…そう!年明ける前のよぉ、いつだったかおたくのチャイナ娘と定春くんと一緒に俺ん家に来たわけ。」
「は?!長谷川さんの家!?」
銀時はとろりと半分閉じかけていた目をかっぴらく。
「ま、お嬢ちゃん達は俺のダンボールハウスには気づいていなかったけどなぁ!アハハ!」
「んだよ…公園のことか…紛らわしい言い方すんじゃねェよ!!」
再び笑い上戸になったのか、長谷川は銀時の背をバシバシと叩きながら愉快な笑い声をあげている。
長谷川の話を端的にまとめると、伊織は神楽と定春の散歩に行ったあの日、”頑張る宣言”をしたらしい。
「今までも何度かあのお嬢ちゃんを見かけたことはあったんだけどよぉ…やっぱあの日は…グスッ…心の底から感動したんだよ!
なんなんだよ銀さん!あの子!万事屋、っていうかかぶき町にはもったいないくらい良い子じゃねえか!!」
「何気俺たちのことdisってんだろォ長谷川さん」
「んなこたぁねーって!ただ俺はあのお嬢ちゃんに幸せになってほしいだけなんだ〜!」
おーいおいと泣きながら机を叩く長谷川を横目に見ながら銀時はおちょこの中身を一気に飲み干した。
酒臭い息をついてカウンターに突っ伏す。
「…最近さぁ、アイツ漸くよく笑うようになったんだよ…なんかこう、心の底から?っつーか、表情が一段と柔っこくなってよォ…
あ、そうそう、あと距離がさぁ、半歩、半歩分近くなったわ。分かる?いや、これマジでスゲェことだかんな?伊織の方から距離縮めてきたんだぜ?
……ハァ…そうかぁ…そんなこと言ってたんかぁ…だから…」
「オイオイ銀さん、まさかアレか?そのお嬢ちゃんにほの字か?」
ニヤニヤと見つめてくる居酒屋の親父と長谷川を適当にかわしつつ身支度をし始めた。
「兄ちゃん、その愛しの嬢ちゃんのところに帰ってやんのかい?」
「『愛しの』ってやめろよ。別にアイツはそういうのじゃねーから!」
「ッカァ〜!!!焼けるねぇ!!仕方ねェな銀さん!今日はそのお嬢ちゃんに免じて俺が奢ってやんよ!」
「マジでか!?あんがとよ、長谷川さぁん!」
こうして銀時は薄っぺらい財布を出すことなく居酒屋を後にした。
上機嫌にふんふんと鼻歌を歌いながら千鳥足で万事屋への道を歩いて行く。途中、吐きそうになって電柱に手をついたりしたが、なんとか家へと辿り着いた銀時はそこそこの深夜だというのに大きな音を立てて戸を開けると舌足らずな口調で自身の帰宅を知らせた。
「たでぇま〜!オーイ、銀さんのおかえりだぞ〜」
玄関に寝転がってブーツを脱ぎ散らかしていると、パタパタと小さな足音が近寄ってくる。
「坂田さん、お帰りなさい。」
「伊織だけかよコノヤロー!!オイ神楽ぁ!お前もお出迎えぐれぇしろよなぁ!」
ブツクサと文句を垂れていると、居間から『銀ちゃんうっさい!!今ドラマ良いところなんだから静かにするヨロシ!!』と神楽の甲高い声が飛んできた。
伊織が苦笑いを浮かべながら銀時の肩を優しく叩く。
「坂田さん、坂田さん。玄関で寝ると風邪ひいちゃいますよ。」
「おぅ…」
「えーっと、…あの、坂田さーん?お、起きてくださーい。」
「ンァー…起きてるってェ………」
銀時は伊織の言うことを右から左に聞き流して本格的に眠りにつこうとしている。
「ま、待って、坂田さん。寝るならお布団いきましょ?」
伊織は半分意識が飛んでいる銀時をどうにか抱き起こして肩を支えた。
酔いと寒さで赤くなった頬や、しょぼしょぼと閉じそうな目を見てクスリと笑みが溢れる。普段の飄々とした雰囲気はどこへやら、今は幼い子供のようだ。
「坂田さん、立てますか?」
耳元で語りかけると、ゆっくりと銀時が顔を上げる。
「…なぁ、俺、それヤダ。」
「えっ?」
伊織は主語のない銀時の言葉にどういうことだろう…?と小首を傾げた。
眉間に皺を寄せてズイッと顔を近づけてきた銀時に驚いて身体を退け反らせる。しかし、肩に回されていた銀時の腕がいつの間にやら腰に添えられていて伊織の動きはあっけなく封じ込められた。
「あ、あの、坂田さん、よ、酔って、ますね…?」
「…名前で呼べよ。」
「そっ、れは、…う、……あの、」
ジリジリと迫ってくる銀時の顔をなんとか静止させようと両手でガードすると、生暖かい息が吹きかかって余計に体が強張ってしまった。
腰に添えられた手のひらに力が込められるのを感じて伊織はギュッと目を閉じる。
「…新八と神楽ばっかりズリぃだろぉ……俺だって、俺だってなぁ…!」
鼻を啜る音がしてそろりと銀時の顔を見ると、大量の涙を流して泣いている。
感情の起伏が激しいよ坂田さん…!とオロオロしながら彼の涙を袖で拭った。
「なか、泣かないで、坂田さん。」
「大体なあ!!俺ァ苗字で呼ばれんの慣れてねェんだよぉ!」
「えと、そうなんですね…」
「そのうち言い出そうと思ってたのにお前がいつまで経っても俺に懐かねぇからぁ!言うタイミング逃すし!!」
「あの、それは…すみません…」
べそべそ泣きながら本音なのかうわ言なのかよくわからない言葉を綴る銀時に気圧されながら返事をする。
この場を収めるにはどうしたらいいのか、悩んだ末に伊織は口を開いた。
「えぇと、じゃあ、ぎ、銀、時、さん、って呼んだらいいですか…?」
「…もっかい」
「ぎん、銀時、さん」
銀時は緊張や恥ずかしさで吃ってしまう伊織に「もう一回」と何度もせがむ。酔っ払いの銀時よりも頬を真っ赤に染めて何度も彼の名前を呼ばされる伊織は「もう勘弁してください……」とその場に縮こまった。
「なぁ、あと一回、あと一回で良いからさ。」
「うぅ……っ、、銀時さん…」
「ハハッ、んだよ…言えんじゃねーか……」
「あっ、ちょ、ねね、寝ないでください!さか、ぎ、銀時さんっ」
満足げな顔でくずおれた銀時を慌てて支える。
そんな中、居間につながる引き戸がからりと開いた。
「伊織ちゃん、もうドラマ終わっちゃったア……銀ちゃん…なに伊織ちゃんを襲ってるアルか……こんのド腐れ天パァァ!!」
「ままま待って神楽ちゃん!強く揺すったら、さ、ぎ、銀時さん、吐いちゃうから…!」
ドラマもエンディングに差し掛かったというのになかなか玄関から戻ってこない伊織の様子を見に来た神楽は、彼女に寄りかかって寝息を立てる銀時を目にする。
伊織は胸ぐらを鷲掴み、ぶん殴ってやろうと息巻く神楽を必死に止める。流石にゲロの処理はごめん被るのか、神楽は殴ろうとしていた拳を緩めてそのまま寝室へと引きずっていった。
胸を撫で下ろした伊織はパタパタと顔を扇いで熱を冷ますと「酒臭いアル!!!」と叫ぶ神楽の元へ急足で向かったのだった。
*
ジリリリリリ……
朝を知らせるアラームの音に顔を顰めた銀時は億劫そうに布団の中から手を出してそれを乱暴に止めた。
ガンガンと痛む頭を押さえて芋虫のように布団に包まる。
飲み過ぎて頭イテェ…
二度寝しようと目を閉じた矢先新八の声が襖越しに聞こえてきたが、構わず無視して意識を飛ばした。
「……ちょっと銀さん!!!今日は午前中に一件依頼入ってるんですからとっとと起きてくださいよ!!」
スパンッと襖が開いて布団をひっぺがされる。突然冷気に晒され全身に鳥肌が立った。
「ぱっつぁん…俺二日酔いだからパス……」
「何言ってんですか!ホラ、起きて早く朝ごはん食べて下さい!!」
「あ゛ー…二日酔いの頭に響くから叫ぶんじゃねェよ…」
眉を顰めてのそりと起き上がった銀時は大きなため息をつく。居間のソファにたどり着くと重い身体をドカッとソファに預けた。
「銀時さん、おはようございます。」
「…はよ。」
「二日酔い辛そうですね。お水どうぞ。」
「おう、あんがと。」
あららと微笑む伊織からグラスを受け取って一気に飲み干す。
「…ふふっ、銀時さん、寝癖がついてますよ。」
「んあ?どこ?」
「ここです」と言って伊織は銀時の跳ねた髪の毛を手櫛で整える。頭を撫でるような手付きがあまりにも優しくてまたウトウトと眠気が襲ってきた。
あー、このまま寝ちまいてェ…気ぃ抜いたらマジで秒で眠れるわ。
そんなことを考えながら目を瞑っていたが、伊織の手が頭から離れた。名残惜しくなって薄く目を開くと声をかけられる。
「はい、もう大丈夫ですよ。」
「ん……」
礼を言おうとする前に銀時の布団を片した新八が伊織に話しかけた。
「伊織さん、そろそろ寺子屋に行く時間じゃないですか?」
「わ、ホントだ。早く行かなくちゃ。」
「今日は誰も着いていかなくていいアルか?」
「うん、たまさんが朝から買い出しに行くみたいで。途中まで一緒に行くから大丈夫だよ。」
「気をつけて下さいね。」
「いってらっしゃいヨ〜」
「はい、行ってきます。銀時さん達もお気を付けて。」
いつもより少しだけ時間が押している伊織は早足で玄関へと去って行った。
ひらひらと手を振って見送った後、銀時はテーブルに置かれた味噌汁を手にとった。
「銀さん、伊織さんから話聞きましたよ。いい大人なくせして仲間外れが寂しかったなんて。…銀さんもまだまだお子ちゃまですね。」
「やっぱり私が言ってた通りアル。寂しかったんでちゅねえよちよ〜ち」
新八と神楽がプススと笑いながら馬鹿にしてくる。カチンときて銀時は箸を握りしめた。
「ガキが二日酔いになってたまるかってんだ…つーかお前らさっきから何のこと言ってんだよ!?」
「またまた〜。さも当然のように話してたくせに。」
「話だァ?」
味噌汁を啜りながら起きてからの記憶を辿る。
『銀時さん、おはようございます。』
『銀時さん、寝癖がついてますよ。』
『銀時さん達もお気を付けて。』
「………だあっちぃ!!!」
「あぁ!何やってるんですか!!」
銀時はダバダバと味噌汁を溢して、昨日から着替えていない着物がワカメと豆腐まみれになった。新八は銀時の着物は二の次で、ソファにシミができないようにとティッシュを大量に押し当てる。
「銀さん!その着物に溢れた具材落とさないでくださいよ!全くもう…」
「え、チョット待って…俺伊織に何言った…?
ナチュラルすぎてスッゲー普通に返事しちまったんだけど…」
空の器と着物の裾を掴んだまま青ざめた顔で昨晩のことを思い返す。ウチの玄関で靴を脱いだところまではかろうじて思い出せるのだが。
あれ?じゃあなんで俺布団で寝てたんだ…?
「覚えてないアルか?銀ちゃん。
…しょうがないアルなぁ。教えてあげるヨ。
銀ちゃんが昨日飲んだくれて帰ってきたあと伊織ちゃんに泣きついて『俺も名前で呼んでくれよぉぉ!!』って惨めったらしく頼み込んだって伊織ちゃんが言ってたアル。」
「待て待て待て。…マジで?アイツがそんな悪意のある言い方をするくらい俺はウザ絡みしたってか?」
「そうアル!伊織ちゃんは銀ちゃんが全然離してくれなくて正直キモくてウザかったって言ってたネ。」
「………」
終わった…
チーン…と聞こえてきそうなほどに真っ白になった銀時を気の毒に思った新八が思わず口を開いた。
「神楽ちゃん、話盛りすぎだよ…」
「フンっ。昨日伊織ちゃんを困らせた罰アル!!しっかり反省してもらわなくちゃ困るアル!」
「おま…ホントやめろよな…!!心臓ヒュッてなったわ…」
銀時はソファにもたれかかって安堵のため息を溢す。
新八と神楽は銀時が二度寝をしている間に交わした伊織との会話を思い返した。
*
『伊織さん、泣きつかれたからって無理して呼び方を変える必要なんてないですよ。』
『うんうん。伊織ちゃんが銀ちゃんのことどう思ってるかは私知ってるアル。呼び方なんて気にすることないネ。』
『ううん、大丈夫。
…その、は、恥ずかしさはまだ抜けきらないんだけどね、嫌じゃないの。
人見知りな私でも、こんなに銀時さんとの距離を縮められたんだなぁって思えて、何だか嬉しくって。』
『だから、私は銀時さんって呼びたい、な…。
あぁ、でも酔っていたからあれは本心とかじゃないのかな?もし銀時さんが何も覚えてなくて、突然呼び方が変わってたらびっくりするよね?
こ、こういうの、初めてだから分からないわ…真に受けるのはおかしいのかしら…?』
伊織は少し赤くなった頬に手を当ててうーん…と唸っていた。
奥手な彼女が勇気を出して一歩踏み出そうとしているのだ。そんなの応援する他あるまい。二人は顔を見合わせてフッと笑った。
『おかしくなんかないアル!』
『きっと銀さんすごく喜びますよ!』
『そうかなぁ…ど、どうしよう、これからのこと考えるとすごく緊張してきちゃった…』
*
「ま、何はともあれ今更伊織さんに気を遣わせるようなこと言っちゃダメですからね。」
「そうアル。有り難く伊織ちゃんの厚意を受け取るヨロシ。」
「厚意って…いやまあ、アイツがそれでいいってんなら俺も構いやしねェが…」
緩みそうになる口をグッと噛み締めて堪える。新八と神楽に背を向けて台所へと歩き出した銀時の頬はほんの少し赤く染まっていた。
「あ、銀さん、そのまま風呂に直行して下さいね。ただでさえ酒臭いのに味噌汁の匂いと混ざって公害レベルですから。」
「下手したら依頼人がゲロ吐くレベルアル。マジで臭いから近寄らないでヨ。」
「…っお前らマジで伊織の良心を分けてもらえ!!!銀さんチョー傷ついたんですけど!」
「はいはい、そういうの良いから早くして下さいね。」
「軽くあしらうのやめてくんない?!分かってねーだろ?!俺がどれほど傷ついたか!!」
「銀ちゃんしつこい!!」
結局銀時は全く相手にされず、一人台所で着物に張り付いたワカメをいじけた顔で剥がすのだった。
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ほんの少しの変化、自分を変えるための一歩。
「あ?伊織のことか?」
「そう!その子その子!」
燗酒をちまちまと煽りながら空に指を漂わせる長谷川はそれだ!とばかりに銀時を指さした。
へらへらと笑っていた彼は突然ぐっと目頭を押さえて感極まったような声を出す。
「俺…俺ァ年甲斐もなく感動したんだよ…
銀さん、あの子のこと、大切にしてやれよぉ…!」
なんのことだ?っていうか長谷川さんってアイツと面識あったのか?と首を傾げる銀時をよそに長谷川は喋り出した。
「この間…あぁ〜と…そう!年明ける前のよぉ、いつだったかおたくのチャイナ娘と定春くんと一緒に俺ん家に来たわけ。」
「は?!長谷川さんの家!?」
銀時はとろりと半分閉じかけていた目をかっぴらく。
「ま、お嬢ちゃん達は俺のダンボールハウスには気づいていなかったけどなぁ!アハハ!」
「んだよ…公園のことか…紛らわしい言い方すんじゃねェよ!!」
再び笑い上戸になったのか、長谷川は銀時の背をバシバシと叩きながら愉快な笑い声をあげている。
長谷川の話を端的にまとめると、伊織は神楽と定春の散歩に行ったあの日、”頑張る宣言”をしたらしい。
「今までも何度かあのお嬢ちゃんを見かけたことはあったんだけどよぉ…やっぱあの日は…グスッ…心の底から感動したんだよ!
なんなんだよ銀さん!あの子!万事屋、っていうかかぶき町にはもったいないくらい良い子じゃねえか!!」
「何気俺たちのことdisってんだろォ長谷川さん」
「んなこたぁねーって!ただ俺はあのお嬢ちゃんに幸せになってほしいだけなんだ〜!」
おーいおいと泣きながら机を叩く長谷川を横目に見ながら銀時はおちょこの中身を一気に飲み干した。
酒臭い息をついてカウンターに突っ伏す。
「…最近さぁ、アイツ漸くよく笑うようになったんだよ…なんかこう、心の底から?っつーか、表情が一段と柔っこくなってよォ…
あ、そうそう、あと距離がさぁ、半歩、半歩分近くなったわ。分かる?いや、これマジでスゲェことだかんな?伊織の方から距離縮めてきたんだぜ?
……ハァ…そうかぁ…そんなこと言ってたんかぁ…だから…」
「オイオイ銀さん、まさかアレか?そのお嬢ちゃんにほの字か?」
ニヤニヤと見つめてくる居酒屋の親父と長谷川を適当にかわしつつ身支度をし始めた。
「兄ちゃん、その愛しの嬢ちゃんのところに帰ってやんのかい?」
「『愛しの』ってやめろよ。別にアイツはそういうのじゃねーから!」
「ッカァ〜!!!焼けるねぇ!!仕方ねェな銀さん!今日はそのお嬢ちゃんに免じて俺が奢ってやんよ!」
「マジでか!?あんがとよ、長谷川さぁん!」
こうして銀時は薄っぺらい財布を出すことなく居酒屋を後にした。
上機嫌にふんふんと鼻歌を歌いながら千鳥足で万事屋への道を歩いて行く。途中、吐きそうになって電柱に手をついたりしたが、なんとか家へと辿り着いた銀時はそこそこの深夜だというのに大きな音を立てて戸を開けると舌足らずな口調で自身の帰宅を知らせた。
「たでぇま〜!オーイ、銀さんのおかえりだぞ〜」
玄関に寝転がってブーツを脱ぎ散らかしていると、パタパタと小さな足音が近寄ってくる。
「坂田さん、お帰りなさい。」
「伊織だけかよコノヤロー!!オイ神楽ぁ!お前もお出迎えぐれぇしろよなぁ!」
ブツクサと文句を垂れていると、居間から『銀ちゃんうっさい!!今ドラマ良いところなんだから静かにするヨロシ!!』と神楽の甲高い声が飛んできた。
伊織が苦笑いを浮かべながら銀時の肩を優しく叩く。
「坂田さん、坂田さん。玄関で寝ると風邪ひいちゃいますよ。」
「おぅ…」
「えーっと、…あの、坂田さーん?お、起きてくださーい。」
「ンァー…起きてるってェ………」
銀時は伊織の言うことを右から左に聞き流して本格的に眠りにつこうとしている。
「ま、待って、坂田さん。寝るならお布団いきましょ?」
伊織は半分意識が飛んでいる銀時をどうにか抱き起こして肩を支えた。
酔いと寒さで赤くなった頬や、しょぼしょぼと閉じそうな目を見てクスリと笑みが溢れる。普段の飄々とした雰囲気はどこへやら、今は幼い子供のようだ。
「坂田さん、立てますか?」
耳元で語りかけると、ゆっくりと銀時が顔を上げる。
「…なぁ、俺、それヤダ。」
「えっ?」
伊織は主語のない銀時の言葉にどういうことだろう…?と小首を傾げた。
眉間に皺を寄せてズイッと顔を近づけてきた銀時に驚いて身体を退け反らせる。しかし、肩に回されていた銀時の腕がいつの間にやら腰に添えられていて伊織の動きはあっけなく封じ込められた。
「あ、あの、坂田さん、よ、酔って、ますね…?」
「…名前で呼べよ。」
「そっ、れは、…う、……あの、」
ジリジリと迫ってくる銀時の顔をなんとか静止させようと両手でガードすると、生暖かい息が吹きかかって余計に体が強張ってしまった。
腰に添えられた手のひらに力が込められるのを感じて伊織はギュッと目を閉じる。
「…新八と神楽ばっかりズリぃだろぉ……俺だって、俺だってなぁ…!」
鼻を啜る音がしてそろりと銀時の顔を見ると、大量の涙を流して泣いている。
感情の起伏が激しいよ坂田さん…!とオロオロしながら彼の涙を袖で拭った。
「なか、泣かないで、坂田さん。」
「大体なあ!!俺ァ苗字で呼ばれんの慣れてねェんだよぉ!」
「えと、そうなんですね…」
「そのうち言い出そうと思ってたのにお前がいつまで経っても俺に懐かねぇからぁ!言うタイミング逃すし!!」
「あの、それは…すみません…」
べそべそ泣きながら本音なのかうわ言なのかよくわからない言葉を綴る銀時に気圧されながら返事をする。
この場を収めるにはどうしたらいいのか、悩んだ末に伊織は口を開いた。
「えぇと、じゃあ、ぎ、銀、時、さん、って呼んだらいいですか…?」
「…もっかい」
「ぎん、銀時、さん」
銀時は緊張や恥ずかしさで吃ってしまう伊織に「もう一回」と何度もせがむ。酔っ払いの銀時よりも頬を真っ赤に染めて何度も彼の名前を呼ばされる伊織は「もう勘弁してください……」とその場に縮こまった。
「なぁ、あと一回、あと一回で良いからさ。」
「うぅ……っ、、銀時さん…」
「ハハッ、んだよ…言えんじゃねーか……」
「あっ、ちょ、ねね、寝ないでください!さか、ぎ、銀時さんっ」
満足げな顔でくずおれた銀時を慌てて支える。
そんな中、居間につながる引き戸がからりと開いた。
「伊織ちゃん、もうドラマ終わっちゃったア……銀ちゃん…なに伊織ちゃんを襲ってるアルか……こんのド腐れ天パァァ!!」
「ままま待って神楽ちゃん!強く揺すったら、さ、ぎ、銀時さん、吐いちゃうから…!」
ドラマもエンディングに差し掛かったというのになかなか玄関から戻ってこない伊織の様子を見に来た神楽は、彼女に寄りかかって寝息を立てる銀時を目にする。
伊織は胸ぐらを鷲掴み、ぶん殴ってやろうと息巻く神楽を必死に止める。流石にゲロの処理はごめん被るのか、神楽は殴ろうとしていた拳を緩めてそのまま寝室へと引きずっていった。
胸を撫で下ろした伊織はパタパタと顔を扇いで熱を冷ますと「酒臭いアル!!!」と叫ぶ神楽の元へ急足で向かったのだった。
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ジリリリリリ……
朝を知らせるアラームの音に顔を顰めた銀時は億劫そうに布団の中から手を出してそれを乱暴に止めた。
ガンガンと痛む頭を押さえて芋虫のように布団に包まる。
飲み過ぎて頭イテェ…
二度寝しようと目を閉じた矢先新八の声が襖越しに聞こえてきたが、構わず無視して意識を飛ばした。
「……ちょっと銀さん!!!今日は午前中に一件依頼入ってるんですからとっとと起きてくださいよ!!」
スパンッと襖が開いて布団をひっぺがされる。突然冷気に晒され全身に鳥肌が立った。
「ぱっつぁん…俺二日酔いだからパス……」
「何言ってんですか!ホラ、起きて早く朝ごはん食べて下さい!!」
「あ゛ー…二日酔いの頭に響くから叫ぶんじゃねェよ…」
眉を顰めてのそりと起き上がった銀時は大きなため息をつく。居間のソファにたどり着くと重い身体をドカッとソファに預けた。
「銀時さん、おはようございます。」
「…はよ。」
「二日酔い辛そうですね。お水どうぞ。」
「おう、あんがと。」
あららと微笑む伊織からグラスを受け取って一気に飲み干す。
「…ふふっ、銀時さん、寝癖がついてますよ。」
「んあ?どこ?」
「ここです」と言って伊織は銀時の跳ねた髪の毛を手櫛で整える。頭を撫でるような手付きがあまりにも優しくてまたウトウトと眠気が襲ってきた。
あー、このまま寝ちまいてェ…気ぃ抜いたらマジで秒で眠れるわ。
そんなことを考えながら目を瞑っていたが、伊織の手が頭から離れた。名残惜しくなって薄く目を開くと声をかけられる。
「はい、もう大丈夫ですよ。」
「ん……」
礼を言おうとする前に銀時の布団を片した新八が伊織に話しかけた。
「伊織さん、そろそろ寺子屋に行く時間じゃないですか?」
「わ、ホントだ。早く行かなくちゃ。」
「今日は誰も着いていかなくていいアルか?」
「うん、たまさんが朝から買い出しに行くみたいで。途中まで一緒に行くから大丈夫だよ。」
「気をつけて下さいね。」
「いってらっしゃいヨ〜」
「はい、行ってきます。銀時さん達もお気を付けて。」
いつもより少しだけ時間が押している伊織は早足で玄関へと去って行った。
ひらひらと手を振って見送った後、銀時はテーブルに置かれた味噌汁を手にとった。
「銀さん、伊織さんから話聞きましたよ。いい大人なくせして仲間外れが寂しかったなんて。…銀さんもまだまだお子ちゃまですね。」
「やっぱり私が言ってた通りアル。寂しかったんでちゅねえよちよ〜ち」
新八と神楽がプススと笑いながら馬鹿にしてくる。カチンときて銀時は箸を握りしめた。
「ガキが二日酔いになってたまるかってんだ…つーかお前らさっきから何のこと言ってんだよ!?」
「またまた〜。さも当然のように話してたくせに。」
「話だァ?」
味噌汁を啜りながら起きてからの記憶を辿る。
『銀時さん、おはようございます。』
『銀時さん、寝癖がついてますよ。』
『銀時さん達もお気を付けて。』
「………だあっちぃ!!!」
「あぁ!何やってるんですか!!」
銀時はダバダバと味噌汁を溢して、昨日から着替えていない着物がワカメと豆腐まみれになった。新八は銀時の着物は二の次で、ソファにシミができないようにとティッシュを大量に押し当てる。
「銀さん!その着物に溢れた具材落とさないでくださいよ!全くもう…」
「え、チョット待って…俺伊織に何言った…?
ナチュラルすぎてスッゲー普通に返事しちまったんだけど…」
空の器と着物の裾を掴んだまま青ざめた顔で昨晩のことを思い返す。ウチの玄関で靴を脱いだところまではかろうじて思い出せるのだが。
あれ?じゃあなんで俺布団で寝てたんだ…?
「覚えてないアルか?銀ちゃん。
…しょうがないアルなぁ。教えてあげるヨ。
銀ちゃんが昨日飲んだくれて帰ってきたあと伊織ちゃんに泣きついて『俺も名前で呼んでくれよぉぉ!!』って惨めったらしく頼み込んだって伊織ちゃんが言ってたアル。」
「待て待て待て。…マジで?アイツがそんな悪意のある言い方をするくらい俺はウザ絡みしたってか?」
「そうアル!伊織ちゃんは銀ちゃんが全然離してくれなくて正直キモくてウザかったって言ってたネ。」
「………」
終わった…
チーン…と聞こえてきそうなほどに真っ白になった銀時を気の毒に思った新八が思わず口を開いた。
「神楽ちゃん、話盛りすぎだよ…」
「フンっ。昨日伊織ちゃんを困らせた罰アル!!しっかり反省してもらわなくちゃ困るアル!」
「おま…ホントやめろよな…!!心臓ヒュッてなったわ…」
銀時はソファにもたれかかって安堵のため息を溢す。
新八と神楽は銀時が二度寝をしている間に交わした伊織との会話を思い返した。
*
『伊織さん、泣きつかれたからって無理して呼び方を変える必要なんてないですよ。』
『うんうん。伊織ちゃんが銀ちゃんのことどう思ってるかは私知ってるアル。呼び方なんて気にすることないネ。』
『ううん、大丈夫。
…その、は、恥ずかしさはまだ抜けきらないんだけどね、嫌じゃないの。
人見知りな私でも、こんなに銀時さんとの距離を縮められたんだなぁって思えて、何だか嬉しくって。』
『だから、私は銀時さんって呼びたい、な…。
あぁ、でも酔っていたからあれは本心とかじゃないのかな?もし銀時さんが何も覚えてなくて、突然呼び方が変わってたらびっくりするよね?
こ、こういうの、初めてだから分からないわ…真に受けるのはおかしいのかしら…?』
伊織は少し赤くなった頬に手を当ててうーん…と唸っていた。
奥手な彼女が勇気を出して一歩踏み出そうとしているのだ。そんなの応援する他あるまい。二人は顔を見合わせてフッと笑った。
『おかしくなんかないアル!』
『きっと銀さんすごく喜びますよ!』
『そうかなぁ…ど、どうしよう、これからのこと考えるとすごく緊張してきちゃった…』
*
「ま、何はともあれ今更伊織さんに気を遣わせるようなこと言っちゃダメですからね。」
「そうアル。有り難く伊織ちゃんの厚意を受け取るヨロシ。」
「厚意って…いやまあ、アイツがそれでいいってんなら俺も構いやしねェが…」
緩みそうになる口をグッと噛み締めて堪える。新八と神楽に背を向けて台所へと歩き出した銀時の頬はほんの少し赤く染まっていた。
「あ、銀さん、そのまま風呂に直行して下さいね。ただでさえ酒臭いのに味噌汁の匂いと混ざって公害レベルですから。」
「下手したら依頼人がゲロ吐くレベルアル。マジで臭いから近寄らないでヨ。」
「…っお前らマジで伊織の良心を分けてもらえ!!!銀さんチョー傷ついたんですけど!」
「はいはい、そういうの良いから早くして下さいね。」
「軽くあしらうのやめてくんない?!分かってねーだろ?!俺がどれほど傷ついたか!!」
「銀ちゃんしつこい!!」
結局銀時は全く相手にされず、一人台所で着物に張り付いたワカメをいじけた顔で剥がすのだった。
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ほんの少しの変化、自分を変えるための一歩。
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