とある音大生の女の子が知らない世界に放り出されるお話
第1章 狭間で揺れ動くは儚き花
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これは…一件落着、ということでいいのかな?今まで溜め込んできたことも話せたようだし。
山崎は伊織のグスグスと泣く声を聞いてよく泣く子だ、と苦笑を零しつつもホッと胸を撫で下ろした。
伊織がいなくなったと聞いた時は肝が冷えたし、見つけた時もびっくりするくらい冷たくてこのまま死んでしまうんじゃないかと縁起でもないことが頭をよぎったのだ。
でも、まさか日本は日本でも、違う日本から来たなんて。思いもしなかった。そりゃあいくら調べたって伊織ちゃんの情報が出てこないわけだ。
所作を見たり、会話をすることで彼女は品行方正な人物だとはっきり分かった。言葉の端々から相当聡明なんだと感じ取れるのだ。それなのにたまに子供でもわかるような常識に驚いたり、世間の流行りや情勢に疎い。
不思議だな、と思ってた理由がまさか考えもしなかった根底にあったとは。
色々と聞いてみたいことがたくさんあるけど…そろそろタオルでも持っていってあげよう。このままじゃ旦那の着物が水浸しになってしまいそうだ。
そう思い、前もって準備していたタオルを手に取り万事屋の三人に囲まれている伊織の元へと近寄った。トントンと控えめに銀時の肩を叩き、振り返った彼にタオルを差し出そうとして山崎はピシリと固まる。
「だ、旦那…あの、鼻血、出てるんですけど……」
「あ?」
山崎がダラダラと汗を流しながら銀時の鼻から流れ落ちる赤を指摘する。土方たちもそれを見て「うげっ!!?」と顔を引き攣らせた。
「お、オイ、お前…」
「イヤ、実はさっきから柔らかい二つのナニカが押し付けられてるような気がしてるんだけど…」
銀時は「あーコレってなんだっけ…」と悩ましげに首を傾げながら伊織の身体をさらに抱き寄せて密着させる。
どこか生き生きとした目つきの銀時に、山崎たちは雷に打たれたかの衝撃を受ける。手からはタオルが滑り落ちた。
顔面蒼白の土方は銀時の着物を掴んでいた伊織の手がブルブルと震え出したのを見てさらに顔を青ざめさせる。
だ、だ、旦那〜〜〜〜〜!!!!!????
アンタ何こんな状況でムラムラしてんだよおおおお!!!!
流石の伊織ちゃんでも黙ってないよ!!!これ絶対鉄拳飛んでくるでしょ?!!!
重い重い沈黙が彼らを包み込む中、「あ」とか「う」とか、母音だけしか発さない伊織の腕は段々と朱に染まっていき、放心状態で動くことができないのか、着物から手を離して当てもなく彷徨っている。
「…伊織って細い割には意外と「ホアタァァァアアア!!!!」
神楽は光の速さで銀時を投げ飛ばし、伊織を布団で覆い隠した。空を舞った銀時は部屋の障子を突き破り、廊下で伸びている。
立ち上がった神楽と新八はひたひたと銀時に近づいていくと、馬乗りになって殴り始めた。
「こんのクソ天パぁああああああ!!!さりげなくセクハラしてんじゃねえヨ!!!お前絶対狙って抱きしめただろ!!!」
「いつからだ!?いつから鼻血出してた!?アンタ本っ当に最低だよ!」
「ちょ、待て!マジで狙ってたわけじゃねえから!いや、だって押し付けてきたの伊織だか
「言い訳してんじゃねーぞ変態エロ親父がああああ!!!」
「問答無用で死刑アル!!!死ねええええ!!!!」
「うぎゃああああ!!!」と銀時の断末魔が響き渡る中、山崎はオロオロと伊織をチラ見していた。顔は全く見えないが、布団が微かに震えている。
『細い割には意外と』の続きが手にとるようにわかる。つまりそういうことだったのだろう。
山崎は『俺だって押しつけられてえよ!!』と心の中で床を殴りつけた。が、いかんいかんと頭を振って邪念を振り払い落ちてしまったタオルを拾い上げる。その時、布団の中からグスッと鼻を啜る音がして冷や汗がたらりと背中を伝った。
セクハラ被害を受けたのはゴリラを投げ飛ばせる豪腕な女性でも、ウチの一番隊隊長とデスマッチを繰り広げられる少女でもない。怒りという感情を持ち合わせているのか疑いたくなるほど優しすぎる女性なのだ。
「ドンマイドンマイ!!とりあえず旦那にビンタでもグーパンチでもかましちゃえよ!」なんて言えるはずがない。
なんとフォローを入れたらいいのかわからず、「ふ、副長ぉおおお!!」と心の中で助けを求めて振り返ったが、彼は忽然と姿を消していた。
え、副長もしかして逃げた!?逃げたの!?ちょっと!!!
ストーカーゴリラも腹黒ドS男もまともに慰められるわけないじゃん!!副長だけが頼みの綱なのに!!
焦る山崎を他所に、総悟は伊織の前にしゃがみ込み、近藤はその横に中腰になって伊織を慰めていた。
「まあ元気だしなせェ、伊織さん。旦那はクソ野郎だからこれからは貞操奪われねえように気をつけた方がいいですぜィ。なんなら俺がマンツーマンで稽古つけてやりやしょうか?」
「伊織さん!もしあれなら万事屋を現行犯逮捕してやりますよ!あんな変態に慈悲なんて必要ないですって!」
稽古ってなんだよ!二人っきりで何教えるつもりなんだよ!
ていうか局長も人のこと言えねえだろうが!日々女の尻追っかけてる変態が自分のこと棚にあげてるんじゃねえええ!!!
突っ込みたい気持ちをグッと抑えて山崎もフォローに入る。
「あ、あの伊織ちゃんは、怒ってもいいと思うよ…。そのぉ、お、お、押し付けちゃったとはいえ…ね。」
「山崎言い方が童貞くせぇぞ。お前今想像したんだろ。」
「し、ししししてませんよ!!!何言ってるんですか隊長!!」
「じゃあなんで吃ってんだよ。ハァ…これだからザキは…安心してくだせェ、伊織さん。ここにいる変態どもは土方諸共俺が葬り去ってやりまさァ。」
「オイ、さりげなく俺を巻き込んでんじゃねーぞ。」
いつの間にか部屋に戻ってきていた土方が総悟の頭をゴンっと殴った。総悟は頭をさすりながらジロリと土方を睨むが、土方はそれに目もくれず伊織に話しかける。
「神崎、アイツの処分は後でいくらでも考えてやる。
だからその、まぁ、とにかく服を着てくれるか…。俺ので悪りぃが…。」
コクリと頷いた伊織にホッとして土方は持ってきた着物を彼女の前に置く。
総悟たちを引き連れて部屋の外に出ようと踏み出した時、ズボンの裾をクイッと引かれた。なんかやっちまったか…?と思いながら振り返ると、真っ赤な顔と腕が布団から飛び出していた。潤んだ瞳や少し乱れた髪も相舞ってやけに扇情的な伊織に思わずゴクリと喉を鳴らしてしまう。
「あ、あの…」
「な、なんだ。」
「ひ、土方さんたちにも、こんな迷惑かけてしまって…ごめんなさい…。」
しゅんとして謝る伊織に土方は言葉を探して首の裏を掻く。
そして伊織の前に屈み、ガシガシと頭を撫でた。
「家出娘を探すのもお巡りさんの仕事だから気にすんな。
…なんつうかよぉ、オメーはもっとこう…我儘になってもいいと思うぞ。テメェが思ってる迷惑ってのは俺らからしたら屁でもねえようなことばっかだからな。」
伊織が返事をする前に今度こそ、と部屋を出る。未だに銀時をめっためたにしている神楽に声を掛けて伊織の側にいるよう顎で促すと、神楽は銀時にぺっと唾を吐き掛けて障子を叩きつけるように閉めた。
床で伸びている銀時を見てハァとため息をつく。
新八も土方たちの横に並んでメガネを押し上げると、ゴミを見るような目つきで銀時を見下した。
「これで伊織さんが万事屋に帰んないって言ったら銀さんのせいですからね…」
「ははっ、もしそう言ったなら俺たちで面倒みてやるから心配しなくてもいいですぜィ。いやぁ、これから旦那がどんな仕打ちを受けるのか楽しみでさァ。」
総悟はカラカラと楽しげな笑い声を立てる。
銀時は鼻血を拭って「あ゛ー」とおっさんくさい声を出した。
「ほんっとになんであそこで鼻血なんか出すかなあ!!しかもさりげなく密着して!!!もう絶対銀さん嫌われましたよ。」
「嫌われたな。」
「嫌われてますね。」
「嫌われてるだろうな。」
「違いねェや。」
「オイオイ、みんなして銀さんのこといじめないでくれよ。
大体想像してみ?てめえらがあの状況で俺の立場にいたら興奮せずにいられるかよ。あれは多分…あと一歩Dに届かねえしィイダダダ!!ちょ、ふむのヤメロ!!!??」
「手ワキワキさせんのやめてください。てかマジでいっぺん死ね。」
押し付けられたモノを思い出すように空中で両手をにぎにぎする銀時を蔑むように、というか蔑みながら新八は顔面を踏みつけた。
山崎は銀時のリアルな物言いにマジで最低だ、と引きながらもほんの少しだけ想像してしまい、伊織に対して物凄い罪悪感を抱いた。
アンタのせいで伊織ちゃんのバストサイズここにいる男共が知っちゃったじゃないか…っていうかなんで押し付けられただけで分かるんだ!!マジで変態だよ旦那!!!
と、またも心の中でツッコミを入れる。
「イッテェよ新八ぃ!!ジミーなんて顔赤くしてんじゃねーか!オメーらも涼しい顔して絶対想像してるんだろ!!っていうかゴリラに至っては手ワキワキさせてるし!!」
「バッカ!違ぇよ!これはもしお妙さんにそれくらいの乳がついてたらどんな感じか妄想してるだけだ!!断じて伊織さんの乳のデカさは気にしてないぞ!」
「ふざけんな!そのおっぱいの大きさをイメージしてる時点で伊織のおっぱいのこと考えてるのと同義だっつーの!
やっぱりお前らは想像するのナシな!伊織のおっぱいから夢と希望をもらうのは俺だけで十分だ。それにお前らだって一回ポロリを見てるんだしおあいこみてえなもんだろ。」
ムクリと起き上がって訳のわからん主張をする銀時に呆れ果てた土方は煙草を吸いながら反論した。
「オイ連呼するな変態野郎。あと俺は想像なんかしてねェ。」
「近藤さん、僕の姉上で変な妄想するのやめてください。」
「旦那ぁ、ポロリじゃねえよ。ちゃんと前隠してましたぜィ。そこんとこしっかり区別してもらわないと困りまさァ。」
「もうその話題から離れましょうよ…っていうかコレ絶対聞こえてますって…!!俺ら全員嫌われますよ!?」
こんなんじゃいつチャイナさんか伊織ちゃんの拳が飛んできてもおかしくない、とハラハラしながら猥談を強制終了させた。
デリカシーって言葉知ってる?と問いただしたくなるくらいのクソさである。本当にこのまま伊織ちゃんを万事屋に帰してもいいのだろうか。こんなドスケベ変態野郎の元で暮らしてても大丈夫なのだろうか、と先行きに不安を感じる。
『しっかりするアル伊織ちゃんー!』
障子の向こうから神楽の声がして山崎たちは耳をすました。
『な、なん、なんで私のババ、バストサイズ…あぁぁあああ……も、いっそ、ころ、殺ひてくだひゃ…!!』
『わ、分かったアル!殺してきたらいいアルな。とりあえず銀ちゃんから殺ってくる!』
『いいい、行かないで神楽ちゃん!側にいてよぅ!
それ、に、死にたいのは、わ、わ、私、の方、だからぁ…うぁあああ…』
『ダメアル!伊織ちゃん死のうとしちゃダメアルーーーー!!!』
上擦った小さな声で嘆く伊織を必死に止める神楽はてんやわんやだ。山崎たちはジトッと銀時を見つめてため息をついた。
「あーあ。旦那、やっちまいましたねィ。」
「え、何コレ。ガチでヤバい感じ?」
「逆に大丈夫だと思ってたんですか…。」
「どう考えたってテメェへの信頼は地に落ちただろうがよ。」
漸くことの重大さに気がついた銀時はだんだん焦り始め、ブツブツと何かをつぶやいている。そしてあろうことか、「責任を取らせてくれ!!」なんて叫びながらターンと障子を開け放って中に押し入ろうとした。が、すんでのところで土方たちが着物を引っ張り、部屋の中はなんとも言えない気まずい雰囲気で包まれる。
銀時を拘束する男共は、神楽に抱きついている伊織と対峙する。
「…レディが着替えてる部屋にノックも無しに入ってくるとはいい度胸アルなぁ変態共。」
「いや、でももう着替え終わって…
「屁理屈言うんじゃねーぞ変態ストーカーゴリラ。お前さっきの会話姉御にバラしても良いアルか?」
「も、ももも、申し訳ございませぇん!!それだけはご勘弁を!!」
パキパキと指を鳴らしながら殺気を漂わせる神楽に、近藤は思わず土下座で平謝りする。
伊織はリンゴのように真っ赤になった顔をふいっと逸らして襟元の布を手繰り寄せた。土方の着物は伊織が着るとあまりにも大きく、帯できつく縛ってはいるものの何かの拍子に簡単にはだけてしまいそうなのだ。
あぁ、駄目だよ旦那…絶対もう口聞いてくれないよコレ…
とんだ巻き添え食らっちゃったじゃんか…
山崎は『もう2度と私の前に現れないで。口も聞かないでちょうだい。』と冷たい目で蔑まれる未来を想像して絶望した。
拘束を解かれた銀時は無様にもベシャリと畳の上に転がり、神楽と新八に足蹴にされている。
「さっさと謝れヨ変態野郎!!」
「言っときますけど謝っただけで許されると思わないでくださいよ!!」
「あ、ちょ、イテ、イダァ!?お前ら足どけろよ!コレじゃあ謝るもんも謝れねーっての!!」
最後に尻を蹴られた銀時はイテテと摩りながら土下座の体勢を取った。
「なぁ伊織…その、悪かった。」
「……」
「…伊織ちゃーん?あのう、こっちを向いて欲しいんですが…」
「……」
「え、マジで嫌われた感じ?ちょ、伊織サァン!ほんっとすんませんっしたぁ!!」
あらゆる方向から覗き込んでくる銀時に対抗して伊織は着物の裾で顔を覆い隠して目を合わせないように顔を背けた。
「伊織〜〜〜…」と情けない声で許しを乞う銀時をみて誰かが「自業自得だバカ」と呟くが、銀時は伊織に嫌われまいと必死で聞こえていないようだ。
しばらくしてやっと伊織が腕を下ろし、銀時の前に向き直る。
とうとうあの伊織が怒るぞ…と部屋中に緊張感が走った。
「さ、坂、田、さんの………」
「…えっ、ち……」
ペチン、と銀時のおでこに弱っちいデコピンをかます伊織。
顔、というかもう全身が茹で上がった伊織は今度こそうずくまって顔を隠した。髪の毛の隙間から覗く首と耳はコレでもかと言うほど真っ赤に染まっている。
銀時は目を閉じてゆっくりと深呼吸を一つした。
「…伊織、『銀時さん』もしくは『銀さん』でもうワンテイグボァアアああ!!!???」
「よーし伊織ちゃん、万事屋に帰るアルよー。」
銀時の頭に踵落としをお見舞いした神楽は彼の身体を踏んづけて伊織に近寄ると、ヒョイっと抱えて踵を返した。
「オイ変態警察、とっとと万事屋まで車回すヨロシ。」
「待で…俺をおいでぐづもりが……」
「腐れ天パは雨で頭冷やして帰って来いヨ。」
「えぇ、それがお似合いです。そして当分伊織さんには近づかないでください。」
冷ややかに吐き捨てた神楽と新八はスタスタと玄関へ歩いて行く。山崎は慌てて二人を追いかけて去っていった。
屍と成り果てた銀時に近づいた沖田は携帯でパシャリと写真を撮って保存する。
「旦那、また鼻血出てますぜィ。」
「バッキャロー。コレぁ神楽の奴がだな…」
「どうやら伊織さんの渾身の一撃は旦那にとっちゃただのご褒美でしかなかったようでさァ。」
「いや、まさかあの伊織から『エッチ』なんて言葉が聞けるとは…
なぁ総悟くん、オメーそれで録音してた?」
「残念ながら自前の耳にしか録音されてねえです。」
「クッソー…もっかい言ってくんねえかなあ!!!」
不毛な会話に青筋を立てた土方は銀時に蹴りを入れる。
「とっとと出て行きやがれド変態のド屑野郎。」
「つくづく伊織さんは甘いなあ。ハッハッハッ!!」
銀時は厄介払いされ、一人寂しく玄関へと向かった。ブーツを履きながら土砂降りの雨を見てゲンナリとため息をつく。
「傘の一つや二つ貸してくれたって良いだろうが…」なんて文句を言いながらそそくさと門のところまで走っていく。
苦い顔で空を見上げていると、門の隅にいつも神楽が使っている番傘がポツンと立てかけてあるのを見つけた。
「結局濡れずに済むじゃねーか…。」
__________________
寒くなったり暑くなったり、それはそれは大変な日。
山崎は伊織のグスグスと泣く声を聞いてよく泣く子だ、と苦笑を零しつつもホッと胸を撫で下ろした。
伊織がいなくなったと聞いた時は肝が冷えたし、見つけた時もびっくりするくらい冷たくてこのまま死んでしまうんじゃないかと縁起でもないことが頭をよぎったのだ。
でも、まさか日本は日本でも、違う日本から来たなんて。思いもしなかった。そりゃあいくら調べたって伊織ちゃんの情報が出てこないわけだ。
所作を見たり、会話をすることで彼女は品行方正な人物だとはっきり分かった。言葉の端々から相当聡明なんだと感じ取れるのだ。それなのにたまに子供でもわかるような常識に驚いたり、世間の流行りや情勢に疎い。
不思議だな、と思ってた理由がまさか考えもしなかった根底にあったとは。
色々と聞いてみたいことがたくさんあるけど…そろそろタオルでも持っていってあげよう。このままじゃ旦那の着物が水浸しになってしまいそうだ。
そう思い、前もって準備していたタオルを手に取り万事屋の三人に囲まれている伊織の元へと近寄った。トントンと控えめに銀時の肩を叩き、振り返った彼にタオルを差し出そうとして山崎はピシリと固まる。
「だ、旦那…あの、鼻血、出てるんですけど……」
「あ?」
山崎がダラダラと汗を流しながら銀時の鼻から流れ落ちる赤を指摘する。土方たちもそれを見て「うげっ!!?」と顔を引き攣らせた。
「お、オイ、お前…」
「イヤ、実はさっきから柔らかい二つのナニカが押し付けられてるような気がしてるんだけど…」
銀時は「あーコレってなんだっけ…」と悩ましげに首を傾げながら伊織の身体をさらに抱き寄せて密着させる。
どこか生き生きとした目つきの銀時に、山崎たちは雷に打たれたかの衝撃を受ける。手からはタオルが滑り落ちた。
顔面蒼白の土方は銀時の着物を掴んでいた伊織の手がブルブルと震え出したのを見てさらに顔を青ざめさせる。
だ、だ、旦那〜〜〜〜〜!!!!!????
アンタ何こんな状況でムラムラしてんだよおおおお!!!!
流石の伊織ちゃんでも黙ってないよ!!!これ絶対鉄拳飛んでくるでしょ?!!!
重い重い沈黙が彼らを包み込む中、「あ」とか「う」とか、母音だけしか発さない伊織の腕は段々と朱に染まっていき、放心状態で動くことができないのか、着物から手を離して当てもなく彷徨っている。
「…伊織って細い割には意外と「ホアタァァァアアア!!!!」
神楽は光の速さで銀時を投げ飛ばし、伊織を布団で覆い隠した。空を舞った銀時は部屋の障子を突き破り、廊下で伸びている。
立ち上がった神楽と新八はひたひたと銀時に近づいていくと、馬乗りになって殴り始めた。
「こんのクソ天パぁああああああ!!!さりげなくセクハラしてんじゃねえヨ!!!お前絶対狙って抱きしめただろ!!!」
「いつからだ!?いつから鼻血出してた!?アンタ本っ当に最低だよ!」
「ちょ、待て!マジで狙ってたわけじゃねえから!いや、だって押し付けてきたの伊織だか
「言い訳してんじゃねーぞ変態エロ親父がああああ!!!」
「問答無用で死刑アル!!!死ねええええ!!!!」
「うぎゃああああ!!!」と銀時の断末魔が響き渡る中、山崎はオロオロと伊織をチラ見していた。顔は全く見えないが、布団が微かに震えている。
『細い割には意外と』の続きが手にとるようにわかる。つまりそういうことだったのだろう。
山崎は『俺だって押しつけられてえよ!!』と心の中で床を殴りつけた。が、いかんいかんと頭を振って邪念を振り払い落ちてしまったタオルを拾い上げる。その時、布団の中からグスッと鼻を啜る音がして冷や汗がたらりと背中を伝った。
セクハラ被害を受けたのはゴリラを投げ飛ばせる豪腕な女性でも、ウチの一番隊隊長とデスマッチを繰り広げられる少女でもない。怒りという感情を持ち合わせているのか疑いたくなるほど優しすぎる女性なのだ。
「ドンマイドンマイ!!とりあえず旦那にビンタでもグーパンチでもかましちゃえよ!」なんて言えるはずがない。
なんとフォローを入れたらいいのかわからず、「ふ、副長ぉおおお!!」と心の中で助けを求めて振り返ったが、彼は忽然と姿を消していた。
え、副長もしかして逃げた!?逃げたの!?ちょっと!!!
ストーカーゴリラも腹黒ドS男もまともに慰められるわけないじゃん!!副長だけが頼みの綱なのに!!
焦る山崎を他所に、総悟は伊織の前にしゃがみ込み、近藤はその横に中腰になって伊織を慰めていた。
「まあ元気だしなせェ、伊織さん。旦那はクソ野郎だからこれからは貞操奪われねえように気をつけた方がいいですぜィ。なんなら俺がマンツーマンで稽古つけてやりやしょうか?」
「伊織さん!もしあれなら万事屋を現行犯逮捕してやりますよ!あんな変態に慈悲なんて必要ないですって!」
稽古ってなんだよ!二人っきりで何教えるつもりなんだよ!
ていうか局長も人のこと言えねえだろうが!日々女の尻追っかけてる変態が自分のこと棚にあげてるんじゃねえええ!!!
突っ込みたい気持ちをグッと抑えて山崎もフォローに入る。
「あ、あの伊織ちゃんは、怒ってもいいと思うよ…。そのぉ、お、お、押し付けちゃったとはいえ…ね。」
「山崎言い方が童貞くせぇぞ。お前今想像したんだろ。」
「し、ししししてませんよ!!!何言ってるんですか隊長!!」
「じゃあなんで吃ってんだよ。ハァ…これだからザキは…安心してくだせェ、伊織さん。ここにいる変態どもは土方諸共俺が葬り去ってやりまさァ。」
「オイ、さりげなく俺を巻き込んでんじゃねーぞ。」
いつの間にか部屋に戻ってきていた土方が総悟の頭をゴンっと殴った。総悟は頭をさすりながらジロリと土方を睨むが、土方はそれに目もくれず伊織に話しかける。
「神崎、アイツの処分は後でいくらでも考えてやる。
だからその、まぁ、とにかく服を着てくれるか…。俺ので悪りぃが…。」
コクリと頷いた伊織にホッとして土方は持ってきた着物を彼女の前に置く。
総悟たちを引き連れて部屋の外に出ようと踏み出した時、ズボンの裾をクイッと引かれた。なんかやっちまったか…?と思いながら振り返ると、真っ赤な顔と腕が布団から飛び出していた。潤んだ瞳や少し乱れた髪も相舞ってやけに扇情的な伊織に思わずゴクリと喉を鳴らしてしまう。
「あ、あの…」
「な、なんだ。」
「ひ、土方さんたちにも、こんな迷惑かけてしまって…ごめんなさい…。」
しゅんとして謝る伊織に土方は言葉を探して首の裏を掻く。
そして伊織の前に屈み、ガシガシと頭を撫でた。
「家出娘を探すのもお巡りさんの仕事だから気にすんな。
…なんつうかよぉ、オメーはもっとこう…我儘になってもいいと思うぞ。テメェが思ってる迷惑ってのは俺らからしたら屁でもねえようなことばっかだからな。」
伊織が返事をする前に今度こそ、と部屋を出る。未だに銀時をめっためたにしている神楽に声を掛けて伊織の側にいるよう顎で促すと、神楽は銀時にぺっと唾を吐き掛けて障子を叩きつけるように閉めた。
床で伸びている銀時を見てハァとため息をつく。
新八も土方たちの横に並んでメガネを押し上げると、ゴミを見るような目つきで銀時を見下した。
「これで伊織さんが万事屋に帰んないって言ったら銀さんのせいですからね…」
「ははっ、もしそう言ったなら俺たちで面倒みてやるから心配しなくてもいいですぜィ。いやぁ、これから旦那がどんな仕打ちを受けるのか楽しみでさァ。」
総悟はカラカラと楽しげな笑い声を立てる。
銀時は鼻血を拭って「あ゛ー」とおっさんくさい声を出した。
「ほんっとになんであそこで鼻血なんか出すかなあ!!しかもさりげなく密着して!!!もう絶対銀さん嫌われましたよ。」
「嫌われたな。」
「嫌われてますね。」
「嫌われてるだろうな。」
「違いねェや。」
「オイオイ、みんなして銀さんのこといじめないでくれよ。
大体想像してみ?てめえらがあの状況で俺の立場にいたら興奮せずにいられるかよ。あれは多分…あと一歩Dに届かねえしィイダダダ!!ちょ、ふむのヤメロ!!!??」
「手ワキワキさせんのやめてください。てかマジでいっぺん死ね。」
押し付けられたモノを思い出すように空中で両手をにぎにぎする銀時を蔑むように、というか蔑みながら新八は顔面を踏みつけた。
山崎は銀時のリアルな物言いにマジで最低だ、と引きながらもほんの少しだけ想像してしまい、伊織に対して物凄い罪悪感を抱いた。
アンタのせいで伊織ちゃんのバストサイズここにいる男共が知っちゃったじゃないか…っていうかなんで押し付けられただけで分かるんだ!!マジで変態だよ旦那!!!
と、またも心の中でツッコミを入れる。
「イッテェよ新八ぃ!!ジミーなんて顔赤くしてんじゃねーか!オメーらも涼しい顔して絶対想像してるんだろ!!っていうかゴリラに至っては手ワキワキさせてるし!!」
「バッカ!違ぇよ!これはもしお妙さんにそれくらいの乳がついてたらどんな感じか妄想してるだけだ!!断じて伊織さんの乳のデカさは気にしてないぞ!」
「ふざけんな!そのおっぱいの大きさをイメージしてる時点で伊織のおっぱいのこと考えてるのと同義だっつーの!
やっぱりお前らは想像するのナシな!伊織のおっぱいから夢と希望をもらうのは俺だけで十分だ。それにお前らだって一回ポロリを見てるんだしおあいこみてえなもんだろ。」
ムクリと起き上がって訳のわからん主張をする銀時に呆れ果てた土方は煙草を吸いながら反論した。
「オイ連呼するな変態野郎。あと俺は想像なんかしてねェ。」
「近藤さん、僕の姉上で変な妄想するのやめてください。」
「旦那ぁ、ポロリじゃねえよ。ちゃんと前隠してましたぜィ。そこんとこしっかり区別してもらわないと困りまさァ。」
「もうその話題から離れましょうよ…っていうかコレ絶対聞こえてますって…!!俺ら全員嫌われますよ!?」
こんなんじゃいつチャイナさんか伊織ちゃんの拳が飛んできてもおかしくない、とハラハラしながら猥談を強制終了させた。
デリカシーって言葉知ってる?と問いただしたくなるくらいのクソさである。本当にこのまま伊織ちゃんを万事屋に帰してもいいのだろうか。こんなドスケベ変態野郎の元で暮らしてても大丈夫なのだろうか、と先行きに不安を感じる。
『しっかりするアル伊織ちゃんー!』
障子の向こうから神楽の声がして山崎たちは耳をすました。
『な、なん、なんで私のババ、バストサイズ…あぁぁあああ……も、いっそ、ころ、殺ひてくだひゃ…!!』
『わ、分かったアル!殺してきたらいいアルな。とりあえず銀ちゃんから殺ってくる!』
『いいい、行かないで神楽ちゃん!側にいてよぅ!
それ、に、死にたいのは、わ、わ、私、の方、だからぁ…うぁあああ…』
『ダメアル!伊織ちゃん死のうとしちゃダメアルーーーー!!!』
上擦った小さな声で嘆く伊織を必死に止める神楽はてんやわんやだ。山崎たちはジトッと銀時を見つめてため息をついた。
「あーあ。旦那、やっちまいましたねィ。」
「え、何コレ。ガチでヤバい感じ?」
「逆に大丈夫だと思ってたんですか…。」
「どう考えたってテメェへの信頼は地に落ちただろうがよ。」
漸くことの重大さに気がついた銀時はだんだん焦り始め、ブツブツと何かをつぶやいている。そしてあろうことか、「責任を取らせてくれ!!」なんて叫びながらターンと障子を開け放って中に押し入ろうとした。が、すんでのところで土方たちが着物を引っ張り、部屋の中はなんとも言えない気まずい雰囲気で包まれる。
銀時を拘束する男共は、神楽に抱きついている伊織と対峙する。
「…レディが着替えてる部屋にノックも無しに入ってくるとはいい度胸アルなぁ変態共。」
「いや、でももう着替え終わって…
「屁理屈言うんじゃねーぞ変態ストーカーゴリラ。お前さっきの会話姉御にバラしても良いアルか?」
「も、ももも、申し訳ございませぇん!!それだけはご勘弁を!!」
パキパキと指を鳴らしながら殺気を漂わせる神楽に、近藤は思わず土下座で平謝りする。
伊織はリンゴのように真っ赤になった顔をふいっと逸らして襟元の布を手繰り寄せた。土方の着物は伊織が着るとあまりにも大きく、帯できつく縛ってはいるものの何かの拍子に簡単にはだけてしまいそうなのだ。
あぁ、駄目だよ旦那…絶対もう口聞いてくれないよコレ…
とんだ巻き添え食らっちゃったじゃんか…
山崎は『もう2度と私の前に現れないで。口も聞かないでちょうだい。』と冷たい目で蔑まれる未来を想像して絶望した。
拘束を解かれた銀時は無様にもベシャリと畳の上に転がり、神楽と新八に足蹴にされている。
「さっさと謝れヨ変態野郎!!」
「言っときますけど謝っただけで許されると思わないでくださいよ!!」
「あ、ちょ、イテ、イダァ!?お前ら足どけろよ!コレじゃあ謝るもんも謝れねーっての!!」
最後に尻を蹴られた銀時はイテテと摩りながら土下座の体勢を取った。
「なぁ伊織…その、悪かった。」
「……」
「…伊織ちゃーん?あのう、こっちを向いて欲しいんですが…」
「……」
「え、マジで嫌われた感じ?ちょ、伊織サァン!ほんっとすんませんっしたぁ!!」
あらゆる方向から覗き込んでくる銀時に対抗して伊織は着物の裾で顔を覆い隠して目を合わせないように顔を背けた。
「伊織〜〜〜…」と情けない声で許しを乞う銀時をみて誰かが「自業自得だバカ」と呟くが、銀時は伊織に嫌われまいと必死で聞こえていないようだ。
しばらくしてやっと伊織が腕を下ろし、銀時の前に向き直る。
とうとうあの伊織が怒るぞ…と部屋中に緊張感が走った。
「さ、坂、田、さんの………」
「…えっ、ち……」
ペチン、と銀時のおでこに弱っちいデコピンをかます伊織。
顔、というかもう全身が茹で上がった伊織は今度こそうずくまって顔を隠した。髪の毛の隙間から覗く首と耳はコレでもかと言うほど真っ赤に染まっている。
銀時は目を閉じてゆっくりと深呼吸を一つした。
「…伊織、『銀時さん』もしくは『銀さん』でもうワンテイグボァアアああ!!!???」
「よーし伊織ちゃん、万事屋に帰るアルよー。」
銀時の頭に踵落としをお見舞いした神楽は彼の身体を踏んづけて伊織に近寄ると、ヒョイっと抱えて踵を返した。
「オイ変態警察、とっとと万事屋まで車回すヨロシ。」
「待で…俺をおいでぐづもりが……」
「腐れ天パは雨で頭冷やして帰って来いヨ。」
「えぇ、それがお似合いです。そして当分伊織さんには近づかないでください。」
冷ややかに吐き捨てた神楽と新八はスタスタと玄関へ歩いて行く。山崎は慌てて二人を追いかけて去っていった。
屍と成り果てた銀時に近づいた沖田は携帯でパシャリと写真を撮って保存する。
「旦那、また鼻血出てますぜィ。」
「バッキャロー。コレぁ神楽の奴がだな…」
「どうやら伊織さんの渾身の一撃は旦那にとっちゃただのご褒美でしかなかったようでさァ。」
「いや、まさかあの伊織から『エッチ』なんて言葉が聞けるとは…
なぁ総悟くん、オメーそれで録音してた?」
「残念ながら自前の耳にしか録音されてねえです。」
「クッソー…もっかい言ってくんねえかなあ!!!」
不毛な会話に青筋を立てた土方は銀時に蹴りを入れる。
「とっとと出て行きやがれド変態のド屑野郎。」
「つくづく伊織さんは甘いなあ。ハッハッハッ!!」
銀時は厄介払いされ、一人寂しく玄関へと向かった。ブーツを履きながら土砂降りの雨を見てゲンナリとため息をつく。
「傘の一つや二つ貸してくれたって良いだろうが…」なんて文句を言いながらそそくさと門のところまで走っていく。
苦い顔で空を見上げていると、門の隅にいつも神楽が使っている番傘がポツンと立てかけてあるのを見つけた。
「結局濡れずに済むじゃねーか…。」
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寒くなったり暑くなったり、それはそれは大変な日。