とある音大生の女の子が知らない世界に放り出されるお話
第1章 狭間で揺れ動くは儚き花
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神楽と新八、そして伊織だけだった部屋にはいつの間にか近藤や土方、総悟が集まっていた。
皆、運び込まれた頃よりかは幾分か顔色が良くなっていることに安堵して息をついている。しかし、良くなっているとはいえ、まだ万全の体調ではないのは確かだ。
未だ目覚めない伊織を見て神楽は何度目かもわからないため息を吐いた。
不意に障子が開く音がして振り向くと、銀時と山崎が浮かない顔つきで部屋へと入ってくる。
土方が「何か分かったか。」と二人に問うと、山崎は頭を横に振った。
銀時は神楽たちの近くにドカリと腰をおろして伊織の頬を撫で、するりと首筋に手を当てた。
「ちったぁ良くなったか…」
パトカーの中で抱え込んでいた時の氷のような冷たさはないが、自分の手のひらの熱がじわじわと奪われていくのを感じる。
彼女の細い首は片手だけでも簡単に折ることができそうで、銀時は改めて伊織の弱々しさを痛感した。
*
既視感を感じて目を開けると、目の前には闇が広がっていた。
またいつもの夢か…と少しうんざりする。何故こうも夢を見るようになったのか。夢でくらい幸せな気持ちにさせてくれ、と思いながら視線を落とした。
「辛い?」
辛くないはずがないだろう。
分かりきったことを聞かないでくれ、と思わず顔を顰める。顔を上げると、目の前に立っていたのは自分自身だった。
動揺して後ずさると、もう一人の自分は薄ら笑いを浮かべて距離が離れてしまわないように一歩、一歩とこちらへ歩み寄ってくる。
「ねえ、辛い?」
もう一度同じことを問われ。伊織はムッとしながら言い返した。
「…辛くないわけがないじゃない。」
「そうだよね。辛いよね。貴女、いつもどこか苦しそうだもの。」
「なんでそんな他人事みたいに言うの?貴女は私でしょ。」
もう一人の自分はクスクスと笑いながらワンピースの裾を翻す。伊織の周りをクルクルと回り、跳ねたりしている。
自分を客観的に見ることの違和感が拭えず、伊織は項垂れてため息をついた。すると、もう一人の自分が笑みを浮かべたまま伊織の顎を掬って目を覗き込んできた。
「ふふふ。戸惑ってる。」
「…だって私はそんなんじゃないもの。貴女誰?本当に私?」
「さぁ?貴女かもしれないし、貴女じゃないかもね。でも別に誰だって良いでしょ?だってこれは夢なんだから。」
深く考えようとするほど頭が重くなってくる。伊織は面倒臭くなって思考を放棄した。
自分であって自分でないような誰かと会話をするのは少々息が詰まるが、心臓を握りつぶされるかのような悪夢よりかはマシだ。
早く終わらないだろうか、と頭の片隅で考えながら目の前の自分と向き合った。
「ねえ、帰りたい?」
「帰りたい。…帰りたいよ。」
寂しさを感じた伊織は膝を抱えて蹲る。
「いつ帰れるんだろうね。」
もう一人の自分は伊織を後ろから抱きしめて耳元で囁いた。
「でもさ、帰れたとしてここで過ごした時間はどう影響すると思う?あの日、あの時に戻れるの?確証はある?
同じだけ時間が経ってたら行方不明扱いなのかな。もしかしたら死んだことになってるかも。
それ以上に時間が経ってたら?お父さんもお母さんも死んでるかもね。お家だってなくなってるかも。」
「やめて…」
「じゃあ、もしこのまま帰れなかったら?
いつまで坂田さんたちは面倒見てくれるんだろう。
彼らに放り出されたら一人ぼっちだよ。この間みたいに危険なことだってきっと巻き込まれるんだろうね。痛い思いもたくさんするんだろうなあ。」
「やめてったら!!」
自分に回された腕を払おうともがいたら、一層強く抱きしめられる。
じわりと涙が滲み出て、伊織は早く目覚めてくれ、と切に願った。
クスクスと笑い声が響いてもう一人の自分が目を合わせてくる。
「馬鹿な子。なんでこんな事しちゃったの?帰れるはずがないってわかってたはずなのに。貴女このまま死んじゃうかもしれないよ。」
「だって、もう、皆んなに迷惑かけたくなかった…」
「嘘。本当はそれだけじゃないでしょ。」
「一人になるのが怖いくせにどうして自分から離れようとするの。」
目を逸らす伊織の首を掴んで強制的に視線をかち合わせる。
伊織は息苦しくなり、生理的な涙をポロポロと流してもう一人の自分を見つめる。
「そ、…れはっ……」
途端にもう一人の自分が形を崩してドロドロとへばりついてきた。
重く絡み付くナニか。足元を見ればすでに膝まで闇が飲み込んでいる。伊織は声にならない悲鳴をあげてそれを振り払おうとするが、腕や胴、首を締め付けてきてズルズルと先の見えない闇へと引き込まれていく。
「カハっっ…!!?」
口を開くと、闇が水のようにゴボッと流れてきて、伊織は溺れるかのように闇の中へと吸い込まれた。
*
しばらく伊織の寝顔を眺めていると、ツゥっと涙が一筋、彼女の頬を伝った。
伊織はほんの少し眉を顰め、布団の中でモゾモゾと動いている。苦しそうに寝返りを打ったことで布団がずれ、華奢な肩がむき出しになった。
なんか見えそうで見えねえのが、その、うん、…エロいな。
いやいやいや!!俺はエロ親父か!!早く布団元に戻してやれよ!震えてんだろうが!!
つーか、これって布団捲れば見えちゃうってことだよな?あー、やべーよコレ。なにこれ試されてる感じ?銀さんこのまま布団の中にダイブしちゃうよ?人肌で温めてやるよ?
なんてふしだらな事を考えている男がここに。
銀時はゴクリと喉を鳴らしてそろりと布団に手を伸ばす。
すると、伊織が小さく呻き声をあげて肩を震わせた。
「伊織ちゃん?」
神楽が心配そうに伊織の顔を覗き込む。目にかかった前髪をそっと払うと、硬く閉じた瞳からは止めどなく涙が流れ出ていた。
伊織は枕に顔を埋め、浅い呼吸を繰り返しながら唸る。
銀時たちの背後では土方たちが腰を浮かせて伊織の状態を見極めている。
「ぎ、銀さん!これ大丈夫なんですか?!」
新八が銀時の腕を揺さぶりながら伊織を見つめる。
苦しげに喘ぐ伊織の身体がビクビクと痙攣し出す。流石にまずいと思い、伊織の肩を掴んで強めに揺すった。
「オイ伊織!起きろ!!!」
「伊織!!」
「…っっ!!」
一際大きく呼びかけたところでようやく伊織が目を覚ました。小さく開かれた口からはひゅうひゅうと息を吸い込む音が聞こえる。
伊織が不意に布団に手をついて上半身を少し持ち上げたことで布団がずりおち、真っ白でほっそりとした背中があらわになる。
伊織のそんな玉肌にそぐわない傷痕が右肩の甲冑骨あたりに一筋。あれから数週間経ったが傷はくっきりと残っていて、周りの肌も赤黒く染まっている。
銀時の背中越しにそれを初めて目視した山崎たちは苦い表情を浮かべた。
銀時があらためて声を掛けようとした時、伊織は苦しげに右肩に手をかけて傷の近くの皮膚をガリリと引っ掻いた。傷の痛みをどうにかして逃したいのか肌に爪を立てたままうずくまっている。
「伊織、傷になっちまうからやめろ。」
銀時は手を被せてそれを制止した。すると、伊織の身体がビクッと震え、恐る恐る視線を上げる。
「…はぁ、…っっ、さかたさん…」
「おう。身体、大丈夫か」
「な、んでぇ……」
銀時の周りに集まった神楽たちや土方たちを見て伊織はしゃくりあげて泣き伏した。
嗚咽を漏らしながら泣きじゃくる伊織の頭を撫でながら銀時は語りかける。
「伊織、俺たちもお前を家に帰してやりたい気持ちは山々だがまだ分かりそうにねえんだわ。もうちと時間はかかるかもしれねえが絶対に見つけてやる。だからそれまでは万事屋にいろ。
お前のことだから俺たちにこれ以上迷惑かけたくなくて〜とか思ってあんな書き置き残して出てったんだろ?」
「僕たち、何度も言ってますが伊織さんのこと迷惑なんて思った事、一度だってないですよ。だから万事屋に帰ってきてください、伊織さん。それで一緒に探しましょう。伊織さんの帰る場所を。どんな場所でも、どんなに時間がかかっても絶対に見つけますから!」
「…っっ、…ひっ、く…帰る、方法がっ、あるのか…何にも、わからないんです…」
「…それってどういうことアルか?」
銀時たちは伊織の言葉に首をかしげた。
『方法』とはどういうことなのか。
伊織は布団を握りしめてのそりと起き上がり、ぽつぽつと話し出す。
自分は確かに地球の、日本という場所で生まれて育ったこと。しかしそこには天人も宇宙船も存在せず、生活や常識に明らかに大きなズレがあること。
「こ、の町を、初めて見た時からっ、本当は、分かってたんです…!
馬鹿げてるって、頭がおかしいって、思われるかもしれなくて、ずっと言えなかった…!私がいた場所は、絶対にここじゃ、ないって…」
まさかそんな事がありえるのか、と銀時たちは耳を疑った。しかし、思い返してみれば確かに至る所に違和感はあったのだ。
真選組が伊織の過去をどれだけ洗っても、銀時が伊織の家をどれだけ探しても見つかるはずがない。根本から違うなど到底思いもしなかった。
彼女のどことなく漂う異質性はそこにあったのかと腑に落ちる。
「たくさん調べても、考えても、全然わからなくて…
このまま、ずっと坂田さんたちに、め、迷惑、掛け続けるなんて、耐えきれないっ…!!」
「それに、私の知ってる、当たり前の日常が…どんどん塗り替えられていくのが、怖い…!この町に、生活に、馴染んでいくほど、…っ、自分が今まで、ど、どんな風に暮らしてたか、分かんなくなっていくの…」
「もう、どうしたらいいかっ…分かんない…!!全然、分かんないよぉ…!」
伊織は顔を覆ってた手を太ももの上に落として弱々しく握りしめた
。涙が頬を伝ってはポトポトと布団の上にシミを作っていく。
しんと静まり返った部屋には伊織の泣き声が響き、神楽たちは沈痛な表情を浮かべた。
そんな中、銀時が「よっこいせ」と掛け布団ごと伊織を抱き寄せた。突然の出来事に驚いたのか、伊織の泣き声はピタリと止む。銀時の胸に顔を押し付けていることでじわじわと涙が着物を濡らしていく。
いけない、と思って離れようとするが、優しく頭を押さえつけられた。そのまま子供をあやすように背中をさすり、ぽんぽんと頭を撫でつつ銀時は話し出す。
「お前はよく頑張ったよ。なーんも知らねえ世界で今まで必死こいてやってきたってことだろ?自分のことで一杯一杯なはずなのにガキと女も守ったんだ。めちゃくちゃ凄ェじゃねえか。」
「頑張ってない…全然、自分一人で、何も出来てないです…。…っ、役に立てるように、頑張るって言ったのにっ…!!」
伊織はぐりぐりと頭を押し付けながら蚊の鳴くような声で銀時に反論する。
銀時はあまりの自己評価の低さに呆れ、思わずフハッと吹き出した。
「何言ってんだ。ここにいる奴らも、ここにいねえ伊織を知ってる奴らも皆思ってんぞ。
大体1ヶ月近く万事屋にいたのに俺オメーがだらけてんの見たことねえし。」
「そうアル!それに伊織ちゃんそんな辛い状況だったのに誰にも八つ当たりもしないでいっつもニコニコして皆に優しくしてたネ。それって誰にでもできることじゃないヨ。」
「でも、怪我してから、い、今までみたいに上手くいかない…!
普通のことでも、急に、こ、怖くなって…頭では、分かってるのに、体が言うこと聞かないの…!!
看護師さんが、坂田さんたちは私の怪我なんかより、もっとひどい怪我することあるって言ってて、それなのに、私、こんなのでもすごく怖くて、痛くて、苦しかった…!」
「当たり前だ。戦い方も知らねえヤツが殺されかけて普通でいられるもんか。」
「ちょ、トシィ!言い方言い方!!」
「ほんと分かってねえな。安心してくだせェ伊織さん。こんな心無いド屑は俺が抹殺しときまさァ。というわけで俺に百回刺されて死ね土方コノヤロー。」
「オイそれお前の願望だろうが!!」
刀を抜こうとする総悟を慌てて山崎が止めにかかり、いがみ合う二人を山崎と近藤が「ステイステイ!!」と落ち着かせる。
「伊織さん、怖いとか、辛いとか、苦しいことって他人と比べる必要ないですよ。
僕たち、それこそ銀さんとかは数多もの戦いを潜り抜けてきてるからちょっとやそっとじゃ動じずにいられるんです。自分よりひどい怪我した人がこうしてピンピンしてるからって負い目を感じちゃダメです。
死ぬかもしれないってとっても怖い思いをしたんだ。ふと思い出して怖くなるのも無理ないです!
伊織さんの怪我は大怪我だ。跡だって残ってしまう。痛いのも苦しいのも、隠さないでいいんです。誰もそれくらい我慢しろなんて言いませんから。」
「お、俺が言いたかったことはそういうことだぞ。」
「言葉が足りなさすぎです副長!」
「伊織、オメーはもっと思ったこと口にしていいんだ。失礼かも、とか迷惑かも、とか遠慮するんじゃねえ。」
「ほら、なんか言いたいことねーのか?」と諭すと、伊織は咽びながらゆっくりと銀時の背中に手を回し、控えめに着物を掴んだ。
スンッと鼻を啜って消え入りそうな声で話し出すのを、銀時たちは耳を澄ませて聞き取る。
「わ、私っ、もう、あんな怖い、思い、し、したく、ないっ…!!
痛いのは、ヤダ…!刀とか、血とか、みたくないよぉ…!!」
「あぁ。」と背中をさすってやると、伊織はますます強く銀時の着物を掴んでグッと抱きついた。
「…ほんとは、まだ、こ、ここにっ、いたい…!
だって、だって、…ほ、放り出されたら、一人になっちゃう…!かぶき町以外、知らないの!頼れる人も、さ、坂田さんたちしか、いないっ!
一人ぼっちは、やだぁ…!」
「ったく、そう思ってんなら逃げ出すんじゃねーっつの。」
銀時の言葉に伊織はとうとう堪えきれなくなったのか子供のように泣き声をあげて泣き出した。
神楽と新八は目尻に溜まった涙をぐいっと拭って二人に近づくと、銀時と同じように伊織の背中を撫でて笑いかけた。
土方たちもいくらかほっとした顔つきで彼らを見守っている。
「伊織はずっと頑張りすぎて疲れてんだ。それもクッタクタになぁ。
だから一旦息抜け。腹一杯飯食べてよく寝て、そんで元気になったらごちゃごちゃ考えるのやめて頭空っぽにして自分がどうしてえのか考えろ。」
銀時はもう離さないでと言わんばかりに抱きついてくる伊織に答えるかのように抱きしめる手に力を込めた。
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一人じゃないよ、と差し出された手はたくさんあった。