とある音大生の女の子が知らない世界に放り出されるお話
第1章 狭間で揺れ動くは儚き花
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土方と銀時はギャーギャーと騒ぎながら来た道を全速力で戻っていた。
「お前乗せてやるとか言って全く逆方向に行くたぁいい性格してんな土方くんよォ!!」
「あ゛ぁ!?オメーがこっちだって言ったんだろうが!俺は言われた通り運転してただけだぞ!!責任押し付けてんじゃねえこの野郎!!」
「ヤメロ言うな!直感が外れて死ぬ程恥ずかしいんだよ俺は!!神楽たちより先に見つけねえと俺の面子が丸潰れだわ!早く戻ってくれぇえ…!」
「イヤ、そもそもお前の面子なんてあってねえようなもんだから気にすんな。」
銀時が助手席で頭を抱えて叫んでいるのをチラリと見た土方は煙を吐いて視線を逸らした。そしてこのままじゃ居心地が悪いからと、なんとなく銀時に話しかける。
「…オメーは来る者拒まず去る者追わずのスタンスだと思ってたがな。どうやらそうでもないらしい。」
「そら間違っちゃいねえけどよぉ。」
銀時は項垂れていた頭を上げて窓の外を見た。
「伊織はどうも、放っておけねーっつうか…」
アイツは本当にここに存在しているのか。不意にそんな疑問が思い浮かぶことがある。
幼子のように自分たちに着いて回る彼女は時折何かを悟ったかのように距離を取る。そんな時は決まって瞳の奥に物悲しげな陰りが見え隠れするのだ。
目を離してしまえば、手を離してしまえば、目の前から消え去ってしまいそうで。慌てて存在を確かめるかのように触れれば、一瞬驚いた表情になるが、不器用にへにゃっと笑ってこちらを見つめ返してくる。
そんな彼女を見ていると、一人にしてはいけないと己の直感が告げる気がする。
「どうせ手放すんなら、心の底から幸せそうに笑ってるとこを見送ってやりてえだけさ。」
「…お前神崎に惚れてんのか?」
「あ?そりゃ、純朴で可愛いしぃ?健気で慎ましやかだしぃ?薄汚えかぶき町じゃあ類を見ねえくらい良い女だぞ。可愛げのねえ女ばかり見てきた俺にとっちゃアイツはまさしく野に咲く一輪の花なんだよ。」
うんうんと頷きながら顎を撫でる銀時に若干イラァッとしながら横目で見る。
さっきまでの真剣な雰囲気がぶち壊しじゃないか。
野暮なことを聞いてしまったか、と一瞬申し訳なく思ったが、銀時のロクでもない様に罪悪感を抱くことが馬鹿馬鹿しくなった。
それから二人の間に会話はなく、激しい雨音と雷の音が車内を包み込んだ。そんな中、彼らの元に一本の無線が入る。
『副長!!伊織ちゃんらしき人が見つかりうわぁ?!』
『…い!…絡なんて……ヨ!』
『ちょ……いで…!!』
「オイィイイ!!!見つかっちゃったじゃん!!どうしてくれんだよコノヤロー!!!!」
「うっせ!!!黙りやがれ!!オイ山崎!お前ら今どこら辺にいる?!」
山崎が報告する声とともに神楽たちが騒ぐ音が聞こえノイズやら物音がガサガサと響き、間も無く無線が途切れた。土方は「せめて何処にいるのかぐらい教えろや!」と無線機を元の位置に叩きつけ、急いで車を走らせる。
銀時は両手で顔を覆って再び項垂れたのだった。
*
山崎たちは人気の無い道をパトカーで移動しながら注意深く辺りを見渡していた。大雨で視界は悪く、薄暗い道を照らすのはパトカーのヘッドライトとたまに落ちる雷だけだ。
不意にピカッと空が光り、神楽はハッと目を見開いた。
「今向こうのガードレール近くに何か見えたアル!!」
「うわ!?ちょっと危ないから掴みかからないでぇ!」
「おいジミーもっと速く運転しろヨ!絶対あそこにいたの伊織ちゃんネ!!」
神楽は山崎に掴みかかり、道の先を指差した。神楽の言葉に新八たちも目を凝らすと、確かに遠くに見える緩やかなカーブを描く道沿いのガードレール側に人影のようなものが見えた。
「あれはやっぱり…!」
「伊織ちゃんアル!!ジミー車止めるヨロシ!!」
「進めって言ったり止めろって言ったりさぁ!とりあえず副長たちに連絡入れるから待って!」
山崎は少し減速しながら無線機を手に取り、土方たちのパトカーにつなげた。
「副長!!伊織ちゃんらしき人が見つかりうわぁ?!」
「おい!連絡なんて後にしろヨ!!」
「ちょっと神楽ちゃん!そんな暴れないでグハッ!!」
神楽は運転席ごと山崎を絞めにかかり、早く止めろとせがむ。新八はその二次被害を食らった。無線は途切れ、山崎は泡を吹きそうになりながらもなんとか車を止める。神楽は真っ先に車から飛び出した。
「うえ、ゲホッ…し、新八くん、後ろに傘とタオル置いてるから…とってもらえる?」
「は、はい…」
新八は神楽に蹴られた腹をさすりながら山崎と総悟に傘を手渡し、自身も傘とタオルを持って急いで車から降りた。
「伊織ちゃん!伊織ちゃんしっかりするアル!!」
神楽は道端に座り込んでいた伊織の肩を揺さぶって、あまりの冷たさに驚いた。何時間も歩き続けた彼女の身体は氷のように冷たく、ワンピースはびしょ濡れで体に張り付いている。
「真冬の悪天候の時になんつー格好してるんでさァ。身体の線が丸わかりじゃあありやせんか。」
「呑気なこと言ってる場合じゃ無いですよ隊長!確実に低体温症になっちゃってますって!」
「伊織さん!大丈夫ですか?!」
新八は伊織をタオルで覆って神楽とともに呼び掛ける。
「あぁ、二人ともあまり揺さぶらないで!
…伊織ちゃん、大丈夫?俺たちのこと、わかる?」
「……ん」
伊織の口が微かに動いて、神楽たちは耳をすました。
伊織は震える手で山崎の隊服を掴み、縋り付くように身を寄せる。
「え、ち、ちょ、伊織ちゃん?」
山崎に縋り付いてしゃくり声をあげる伊織は「お父さん、お父さん」と小さくつぶやいている。
山崎は戸惑いながらも伊織を控えめに抱きしめて頭を撫でた。
「オイオイどういう状況コレ?何、なんでジミーと伊織が抱き合ってる訳?」
神楽たちが振り向くと、そこには銀時と土方が立っていた。
「銀ちゃん!遅いアル!!なんで私たちより先に行ったくせに遅れてるアルか?!おかげで銀ちゃんの役目ジミーに取られてるネ!」
「ウルセー!!どんだけ道あると思ってんだ!?俺だってなあ!真っ先に駆けつけて…
「ちょっと二人とも!ふざけてる場合じゃ無いでしょうがあああ!!」
ギャアギャアと騒ぐ万事屋を他所に、土方は総悟に歩み寄った。
「総悟」
「伊織さん意識が混濁してるようでさァ。ありゃはやくあっためねえと危ねえですぜィ。」
「そうか。オイ山崎、神崎連れてさっさと屯所に戻るぞ!」
「は、はい!」
山崎は抱きつく伊織をゆっくりと持ち上げてパトカーへと歩き出した。
「おいチャイナ娘!伊織の衣服を脱がせろ。」
神楽は土方の指示を聞いてうわぁ…と引いた表情をする。なに変態発言してんだコノヤローとでも言いたげである。
「神楽ちゃん、濡れた服のままだと体温が奪われちゃうからだよ。少しでも温めないと。」
「だからってこんな男共の中で伊織ちゃん真っ裸にするアルか?」
神楽の発言に土方たちはピシリと固まった。非常事態だから致し方ないことではあるが、男たちの頭の中を一瞬邪な思考が駆け巡る。
それを感じ取ったのか、神楽はゴミを見るような目で銀時たちを睨んだ。
「…お前ら今絶対変なこと考えてたネ。」
「ななななにを言ってるんだ神楽ぁ!?俺は別に何もいやらしいことは考えてねえぞ!!」
「き、緊急事態ですからね!しょうがないよ神楽ちゃん!」
「そうでさァ。それに土方さんはすでに伊織さんの裸体に近い姿を見てるから今更だぜィ。」
「バッカお前!!!!なにバラしてんだ!?大体それはお前も山崎もだったろうが!!!」
土方は総悟の胸ぐらを掴んで揺さぶる。ギクリと肩を揺らした山崎を銀時は引き留めた。
「オイオイ聞き捨てならねえなぁ?どういうこったジミーよお!!」
「不可抗力!不可抗力ですよ旦那ぁ!」
「何が不可抗力だ!俺だって伊織の身体見たことねえんだぞ!?なんで一つ屋根の下で暮らしてる俺とTo LOVEる的な展開がなくてお前らポリ公が先にTo LOVEってんだ殺すぞオイ!!?」
「銀さんクソ野郎じゃないですか。何さらっと自分の願望言ってるんですか…。」
「っていうかちゃんと毛布積んであるので流石に裸のままにはさせませんよ!!?」
土方を掴み上げて総悟に番傘を突きつけた神楽が殺気立った顔で振り向く。その様子はまさに般若の如し。
「それを先に言えヨこの変態!!」
「だからお前はいつまで経ってもジミーなんだよ!!」
神楽はズカズカと山崎に近づき、伊織を奪い取ると銀時たちに睨みを利かせた。
「…少しでも中覗いたらドタマブチ抜くアル。絶対見んじゃねーぞ。」
そう言い残してドアを荒々しく閉めた。
銀時たちは互いに小突きあってパトカーに背を向けた。
「で、お前らいつ伊織チャンの裸体を見たって?」
銀時がポツリとこぼした一言に山崎は咳き込む。
「だっから!!あれは本当に不可抗力だったんですって!!それに裸じゃないです!バスタオル巻いてましたから!!」
「よーし歯ぁ食いしばれ。今すぐ忘れさせてやらぁ!そしてその記憶を俺に寄越せ。」
「旦那ぁ、自分が見れなかったからってそりゃねえや。今回ばかりは勘弁してくだせェ。」
「アン!?なんか言ったかコンニャロー!!」
「お前つくづく腐り果てた野郎だな…。こんなクズ野郎のとこで暮らしてる神崎が不憫に思えてくるわ。」
「何言ってんですかィ土方さん。あの時のこと無かったことにしようとしたアンタだって人のこと言えねえだろうが。このド変態ニコチンマヨラーがぁ。」
「何だと総悟ぉぉ!お前だって自分のこと棚に上げてんじゃねえぞ!自分だけ覚えてようとした癖によお!!」
銀時は山崎を羽交い締めにしてタコ殴りにしようとするし、土方と総悟は取っ組み合いをおっぱじめようとしていて、新八はゲンナリと息を吐いた。どいつもこいつも結局男のサガには逆らえないようだ。
不毛な争いに巻き込まれないように銀時たちから一歩離れて神楽が出てくるのを待った。
「オイ変態共」
いつの間にかパトカーから神楽が顔を出して銀時たちをジトリと睨んでいた。
「ちゃんと伊織ちゃん毛布に包んだアル。」
「お、おう。じゃあ屯所に戻るからお前らも早く乗れ。」
「万事屋じゃないアルか?」
「こっからだと屯所の方が近い。とにかく処置を急がねえと悪化する一方だ。」
銀時は総悟の肩をぽんっと叩き、目で土方と乗ってきた方のパトカーに乗るよう促し、神楽と伊織がいる後部座席のドアを開けた。
「おら神楽詰めろ。そして伊織寄越せ。」
「この神楽様の目の黒い内は伊織ちゃんにセクハラなんてさせないアル。とっとと向こうのパトカー乗れヨ。」
「バーカ違えよ。んな状況でセクハラなんざしねえって。」
「さっき伊織ちゃんの裸想像したヤツの言うことなんて信じられないネ。」
「だー!!誓う!誓うから!!やらしいことはしねえって!!
とにかく少しでも早く伊織の体あっためる為だからな!!?」
神楽は強引に乗り込んできた銀時を見て眉間にシワを寄せたが、渋々銀時に伊織を渡した。銀時が伊織を抱き寄せれば彼女の身体はすっぽりと収まる。
新八は助手席に座って心配そうに伊織を見つめている。山崎はミラー越しに伊織を見て、ゆっくりと車を動かし始めた。
「伊織ちゃん、さっきジミーのことパピーと勘違いしてたアル。」
「それで抱きついてたんか?」
「はい。やっぱり家族が恋しいんでしょうか。銀さん、僕たちはやく伊織さんの家を見つけてあげるべき、ですよね…。」
さよならするには情が湧き過ぎてしまった。ほんの少しだけ帰らないで欲しいと考えている自分がいるのだ。新八は浮かない顔をしている。
「最近じゃ全然帰り道なんて調べようとしなかったですし…」
「俺ぁ一応調べてたがなあ…」
「えっ?そうなんですか?」
「何か分かったアルか?銀ちゃんはもう伊織ちゃんの家、分かるアルか?!」
新八と神楽はまさか銀時が調べていたとは思わず、ギョッとした。
「分かってたらこんなに探し回らねーよ。」
銀時はハァとため息をついて伊織を抱え直す。
「お妙んとこで飲んだ日の帰りに伊織が住所教えてくれたんだがさっぱり出てこねーの。」
「出てこないってどういうことですか?」
「言葉のまんま。そんな場所、つーか土地名?があるのかすら分からねえ。」
「旦那、それって酔ってたから間違っただけとかじゃないんですか?」
「それも考えられなくはねえが…」
「もしあれなら屯所に戻ったら調べてみましょうか?何か分かるかもしれないですし。」
山崎が協力的な態度を見せると、銀時は気の抜ける返事をした。
もしこれで何か手がかりを掴めたら万々歳だ。しかし、銀時とて適当に調べていたわけではない。あらゆる手段で調べ尽くしたがどこにもそれらしい場所はないのだ。
「なあ、○○川って知ってっか?」
「聞いたことないですね。」
「俺も。少なくとも江戸にはそんな川ないと思いますよ。」
「それも伊織ちゃんが言ってたアルか?」
「おう。その川の近くに家があるんだと。んで、全国の川の名前調べ尽くしたけどさっぱり出てこなかった。」
「じゃあやっぱり伊織さんは違う星から来たんでしょうか。いや、でも天人じゃないって言ってましたもんね…」
「けど伊織ちゃんは生まれから育ちに至るまでチリひとつ情報が出てこなかったよ。名前だって旦那たちが呼んでいるのを聞いてようやく分かったくらいだ。
どんな人間も生きていれば必ず何らかの形跡は残るはずなのにね。」
結局彼らの疑問は何ひとつ解消されず、不完全燃焼のまま話は途切れた。
あまりの歯切れの悪さに妙な雰囲気が漂う。
警察と万事屋がどれだけ調べ尽くしてもなにもわからないなんて怪しいを通り越して不思議すぎる。あらゆる可能性を考えてみるも、銀時の軽い頭ではなにも予測立てることができない。
あー、やべーよ。考え過ぎて頭痛くなってくるわ。
頭の奥がズキズキと痛み出した気がして銀時は思考を放棄し、腕の中にいる伊織を温めることに専念しよう、と切り替えた。
それから数分経って彼らは屯所へとたどり着いた。
「旦那、着きましたよ。多分局長が部屋を用意してると思うので先に行っててください。」
「おう、すまねえな。行くぞ、神楽、新八」
ゆっくりと減速した車は真選組屯所の門の前に止まり、山崎は先に伊織を連れていくよう促す。
雨で濡れないように急いで屯所内に入ると、すでに総悟と土方が近藤の元で待ち構えていて、彼らはすぐに部屋に通された。神楽は布団に寝かされた伊織を見てようやくホッと息をついた。
銀時は青白い顔をした伊織の頬を撫ぜる。
「ったくよぉ…あんなとこまで歩くなんてお転婆にも程があんぞ、伊織。」
人差し指でツンッと伊織の額を小突いて銀時は立ち上がった。
「神楽、新八。伊織のこと看といてくれ。俺はちょっくらジミーと調べものしてくるわ。」
「わかりました。」
障子が閉まる音を後ろ手に聞きながら、神楽たちは伊織に近寄る。
「…新八、私伊織ちゃんの家が見つからなければ良いのに、って思っちゃったヨ。最低アル…。」
「僕もだよ。最初は伊織さんのこと、ちゃんと家に送り返してあげるんだって思ってたのにいつの間にか伊織さんが万事屋で、かぶき町でもっとのびのびと過ごせるようになんやかんやしてたし…。」
神楽は片手を布団の中に潜り込ませてちょこんと伊織の指を握った。
「伊織ちゃんには、万事屋じゃない、帰る場所がある。」
「そうだね。」
「じゃあ、万事屋銀ちゃんの名にかけて、伊織ちゃんのお家、見つけてあげないといけないアルな…。」
「そう、だね。」
神楽は総悟の言葉を思い出し、目を固く閉じて息を吐いた。
「いやアルなぁ…」
神楽がポツリと溢した言葉に新八は同調することも、否定することもできなかった。
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大切だから手放したくない。けど、大切なら手放さないといけない。
「お前乗せてやるとか言って全く逆方向に行くたぁいい性格してんな土方くんよォ!!」
「あ゛ぁ!?オメーがこっちだって言ったんだろうが!俺は言われた通り運転してただけだぞ!!責任押し付けてんじゃねえこの野郎!!」
「ヤメロ言うな!直感が外れて死ぬ程恥ずかしいんだよ俺は!!神楽たちより先に見つけねえと俺の面子が丸潰れだわ!早く戻ってくれぇえ…!」
「イヤ、そもそもお前の面子なんてあってねえようなもんだから気にすんな。」
銀時が助手席で頭を抱えて叫んでいるのをチラリと見た土方は煙を吐いて視線を逸らした。そしてこのままじゃ居心地が悪いからと、なんとなく銀時に話しかける。
「…オメーは来る者拒まず去る者追わずのスタンスだと思ってたがな。どうやらそうでもないらしい。」
「そら間違っちゃいねえけどよぉ。」
銀時は項垂れていた頭を上げて窓の外を見た。
「伊織はどうも、放っておけねーっつうか…」
アイツは本当にここに存在しているのか。不意にそんな疑問が思い浮かぶことがある。
幼子のように自分たちに着いて回る彼女は時折何かを悟ったかのように距離を取る。そんな時は決まって瞳の奥に物悲しげな陰りが見え隠れするのだ。
目を離してしまえば、手を離してしまえば、目の前から消え去ってしまいそうで。慌てて存在を確かめるかのように触れれば、一瞬驚いた表情になるが、不器用にへにゃっと笑ってこちらを見つめ返してくる。
そんな彼女を見ていると、一人にしてはいけないと己の直感が告げる気がする。
「どうせ手放すんなら、心の底から幸せそうに笑ってるとこを見送ってやりてえだけさ。」
「…お前神崎に惚れてんのか?」
「あ?そりゃ、純朴で可愛いしぃ?健気で慎ましやかだしぃ?薄汚えかぶき町じゃあ類を見ねえくらい良い女だぞ。可愛げのねえ女ばかり見てきた俺にとっちゃアイツはまさしく野に咲く一輪の花なんだよ。」
うんうんと頷きながら顎を撫でる銀時に若干イラァッとしながら横目で見る。
さっきまでの真剣な雰囲気がぶち壊しじゃないか。
野暮なことを聞いてしまったか、と一瞬申し訳なく思ったが、銀時のロクでもない様に罪悪感を抱くことが馬鹿馬鹿しくなった。
それから二人の間に会話はなく、激しい雨音と雷の音が車内を包み込んだ。そんな中、彼らの元に一本の無線が入る。
『副長!!伊織ちゃんらしき人が見つかりうわぁ?!』
『…い!…絡なんて……ヨ!』
『ちょ……いで…!!』
「オイィイイ!!!見つかっちゃったじゃん!!どうしてくれんだよコノヤロー!!!!」
「うっせ!!!黙りやがれ!!オイ山崎!お前ら今どこら辺にいる?!」
山崎が報告する声とともに神楽たちが騒ぐ音が聞こえノイズやら物音がガサガサと響き、間も無く無線が途切れた。土方は「せめて何処にいるのかぐらい教えろや!」と無線機を元の位置に叩きつけ、急いで車を走らせる。
銀時は両手で顔を覆って再び項垂れたのだった。
*
山崎たちは人気の無い道をパトカーで移動しながら注意深く辺りを見渡していた。大雨で視界は悪く、薄暗い道を照らすのはパトカーのヘッドライトとたまに落ちる雷だけだ。
不意にピカッと空が光り、神楽はハッと目を見開いた。
「今向こうのガードレール近くに何か見えたアル!!」
「うわ!?ちょっと危ないから掴みかからないでぇ!」
「おいジミーもっと速く運転しろヨ!絶対あそこにいたの伊織ちゃんネ!!」
神楽は山崎に掴みかかり、道の先を指差した。神楽の言葉に新八たちも目を凝らすと、確かに遠くに見える緩やかなカーブを描く道沿いのガードレール側に人影のようなものが見えた。
「あれはやっぱり…!」
「伊織ちゃんアル!!ジミー車止めるヨロシ!!」
「進めって言ったり止めろって言ったりさぁ!とりあえず副長たちに連絡入れるから待って!」
山崎は少し減速しながら無線機を手に取り、土方たちのパトカーにつなげた。
「副長!!伊織ちゃんらしき人が見つかりうわぁ?!」
「おい!連絡なんて後にしろヨ!!」
「ちょっと神楽ちゃん!そんな暴れないでグハッ!!」
神楽は運転席ごと山崎を絞めにかかり、早く止めろとせがむ。新八はその二次被害を食らった。無線は途切れ、山崎は泡を吹きそうになりながらもなんとか車を止める。神楽は真っ先に車から飛び出した。
「うえ、ゲホッ…し、新八くん、後ろに傘とタオル置いてるから…とってもらえる?」
「は、はい…」
新八は神楽に蹴られた腹をさすりながら山崎と総悟に傘を手渡し、自身も傘とタオルを持って急いで車から降りた。
「伊織ちゃん!伊織ちゃんしっかりするアル!!」
神楽は道端に座り込んでいた伊織の肩を揺さぶって、あまりの冷たさに驚いた。何時間も歩き続けた彼女の身体は氷のように冷たく、ワンピースはびしょ濡れで体に張り付いている。
「真冬の悪天候の時になんつー格好してるんでさァ。身体の線が丸わかりじゃあありやせんか。」
「呑気なこと言ってる場合じゃ無いですよ隊長!確実に低体温症になっちゃってますって!」
「伊織さん!大丈夫ですか?!」
新八は伊織をタオルで覆って神楽とともに呼び掛ける。
「あぁ、二人ともあまり揺さぶらないで!
…伊織ちゃん、大丈夫?俺たちのこと、わかる?」
「……ん」
伊織の口が微かに動いて、神楽たちは耳をすました。
伊織は震える手で山崎の隊服を掴み、縋り付くように身を寄せる。
「え、ち、ちょ、伊織ちゃん?」
山崎に縋り付いてしゃくり声をあげる伊織は「お父さん、お父さん」と小さくつぶやいている。
山崎は戸惑いながらも伊織を控えめに抱きしめて頭を撫でた。
「オイオイどういう状況コレ?何、なんでジミーと伊織が抱き合ってる訳?」
神楽たちが振り向くと、そこには銀時と土方が立っていた。
「銀ちゃん!遅いアル!!なんで私たちより先に行ったくせに遅れてるアルか?!おかげで銀ちゃんの役目ジミーに取られてるネ!」
「ウルセー!!どんだけ道あると思ってんだ!?俺だってなあ!真っ先に駆けつけて…
「ちょっと二人とも!ふざけてる場合じゃ無いでしょうがあああ!!」
ギャアギャアと騒ぐ万事屋を他所に、土方は総悟に歩み寄った。
「総悟」
「伊織さん意識が混濁してるようでさァ。ありゃはやくあっためねえと危ねえですぜィ。」
「そうか。オイ山崎、神崎連れてさっさと屯所に戻るぞ!」
「は、はい!」
山崎は抱きつく伊織をゆっくりと持ち上げてパトカーへと歩き出した。
「おいチャイナ娘!伊織の衣服を脱がせろ。」
神楽は土方の指示を聞いてうわぁ…と引いた表情をする。なに変態発言してんだコノヤローとでも言いたげである。
「神楽ちゃん、濡れた服のままだと体温が奪われちゃうからだよ。少しでも温めないと。」
「だからってこんな男共の中で伊織ちゃん真っ裸にするアルか?」
神楽の発言に土方たちはピシリと固まった。非常事態だから致し方ないことではあるが、男たちの頭の中を一瞬邪な思考が駆け巡る。
それを感じ取ったのか、神楽はゴミを見るような目で銀時たちを睨んだ。
「…お前ら今絶対変なこと考えてたネ。」
「ななななにを言ってるんだ神楽ぁ!?俺は別に何もいやらしいことは考えてねえぞ!!」
「き、緊急事態ですからね!しょうがないよ神楽ちゃん!」
「そうでさァ。それに土方さんはすでに伊織さんの裸体に近い姿を見てるから今更だぜィ。」
「バッカお前!!!!なにバラしてんだ!?大体それはお前も山崎もだったろうが!!!」
土方は総悟の胸ぐらを掴んで揺さぶる。ギクリと肩を揺らした山崎を銀時は引き留めた。
「オイオイ聞き捨てならねえなぁ?どういうこったジミーよお!!」
「不可抗力!不可抗力ですよ旦那ぁ!」
「何が不可抗力だ!俺だって伊織の身体見たことねえんだぞ!?なんで一つ屋根の下で暮らしてる俺とTo LOVEる的な展開がなくてお前らポリ公が先にTo LOVEってんだ殺すぞオイ!!?」
「銀さんクソ野郎じゃないですか。何さらっと自分の願望言ってるんですか…。」
「っていうかちゃんと毛布積んであるので流石に裸のままにはさせませんよ!!?」
土方を掴み上げて総悟に番傘を突きつけた神楽が殺気立った顔で振り向く。その様子はまさに般若の如し。
「それを先に言えヨこの変態!!」
「だからお前はいつまで経ってもジミーなんだよ!!」
神楽はズカズカと山崎に近づき、伊織を奪い取ると銀時たちに睨みを利かせた。
「…少しでも中覗いたらドタマブチ抜くアル。絶対見んじゃねーぞ。」
そう言い残してドアを荒々しく閉めた。
銀時たちは互いに小突きあってパトカーに背を向けた。
「で、お前らいつ伊織チャンの裸体を見たって?」
銀時がポツリとこぼした一言に山崎は咳き込む。
「だっから!!あれは本当に不可抗力だったんですって!!それに裸じゃないです!バスタオル巻いてましたから!!」
「よーし歯ぁ食いしばれ。今すぐ忘れさせてやらぁ!そしてその記憶を俺に寄越せ。」
「旦那ぁ、自分が見れなかったからってそりゃねえや。今回ばかりは勘弁してくだせェ。」
「アン!?なんか言ったかコンニャロー!!」
「お前つくづく腐り果てた野郎だな…。こんなクズ野郎のとこで暮らしてる神崎が不憫に思えてくるわ。」
「何言ってんですかィ土方さん。あの時のこと無かったことにしようとしたアンタだって人のこと言えねえだろうが。このド変態ニコチンマヨラーがぁ。」
「何だと総悟ぉぉ!お前だって自分のこと棚に上げてんじゃねえぞ!自分だけ覚えてようとした癖によお!!」
銀時は山崎を羽交い締めにしてタコ殴りにしようとするし、土方と総悟は取っ組み合いをおっぱじめようとしていて、新八はゲンナリと息を吐いた。どいつもこいつも結局男のサガには逆らえないようだ。
不毛な争いに巻き込まれないように銀時たちから一歩離れて神楽が出てくるのを待った。
「オイ変態共」
いつの間にかパトカーから神楽が顔を出して銀時たちをジトリと睨んでいた。
「ちゃんと伊織ちゃん毛布に包んだアル。」
「お、おう。じゃあ屯所に戻るからお前らも早く乗れ。」
「万事屋じゃないアルか?」
「こっからだと屯所の方が近い。とにかく処置を急がねえと悪化する一方だ。」
銀時は総悟の肩をぽんっと叩き、目で土方と乗ってきた方のパトカーに乗るよう促し、神楽と伊織がいる後部座席のドアを開けた。
「おら神楽詰めろ。そして伊織寄越せ。」
「この神楽様の目の黒い内は伊織ちゃんにセクハラなんてさせないアル。とっとと向こうのパトカー乗れヨ。」
「バーカ違えよ。んな状況でセクハラなんざしねえって。」
「さっき伊織ちゃんの裸想像したヤツの言うことなんて信じられないネ。」
「だー!!誓う!誓うから!!やらしいことはしねえって!!
とにかく少しでも早く伊織の体あっためる為だからな!!?」
神楽は強引に乗り込んできた銀時を見て眉間にシワを寄せたが、渋々銀時に伊織を渡した。銀時が伊織を抱き寄せれば彼女の身体はすっぽりと収まる。
新八は助手席に座って心配そうに伊織を見つめている。山崎はミラー越しに伊織を見て、ゆっくりと車を動かし始めた。
「伊織ちゃん、さっきジミーのことパピーと勘違いしてたアル。」
「それで抱きついてたんか?」
「はい。やっぱり家族が恋しいんでしょうか。銀さん、僕たちはやく伊織さんの家を見つけてあげるべき、ですよね…。」
さよならするには情が湧き過ぎてしまった。ほんの少しだけ帰らないで欲しいと考えている自分がいるのだ。新八は浮かない顔をしている。
「最近じゃ全然帰り道なんて調べようとしなかったですし…」
「俺ぁ一応調べてたがなあ…」
「えっ?そうなんですか?」
「何か分かったアルか?銀ちゃんはもう伊織ちゃんの家、分かるアルか?!」
新八と神楽はまさか銀時が調べていたとは思わず、ギョッとした。
「分かってたらこんなに探し回らねーよ。」
銀時はハァとため息をついて伊織を抱え直す。
「お妙んとこで飲んだ日の帰りに伊織が住所教えてくれたんだがさっぱり出てこねーの。」
「出てこないってどういうことですか?」
「言葉のまんま。そんな場所、つーか土地名?があるのかすら分からねえ。」
「旦那、それって酔ってたから間違っただけとかじゃないんですか?」
「それも考えられなくはねえが…」
「もしあれなら屯所に戻ったら調べてみましょうか?何か分かるかもしれないですし。」
山崎が協力的な態度を見せると、銀時は気の抜ける返事をした。
もしこれで何か手がかりを掴めたら万々歳だ。しかし、銀時とて適当に調べていたわけではない。あらゆる手段で調べ尽くしたがどこにもそれらしい場所はないのだ。
「なあ、○○川って知ってっか?」
「聞いたことないですね。」
「俺も。少なくとも江戸にはそんな川ないと思いますよ。」
「それも伊織ちゃんが言ってたアルか?」
「おう。その川の近くに家があるんだと。んで、全国の川の名前調べ尽くしたけどさっぱり出てこなかった。」
「じゃあやっぱり伊織さんは違う星から来たんでしょうか。いや、でも天人じゃないって言ってましたもんね…」
「けど伊織ちゃんは生まれから育ちに至るまでチリひとつ情報が出てこなかったよ。名前だって旦那たちが呼んでいるのを聞いてようやく分かったくらいだ。
どんな人間も生きていれば必ず何らかの形跡は残るはずなのにね。」
結局彼らの疑問は何ひとつ解消されず、不完全燃焼のまま話は途切れた。
あまりの歯切れの悪さに妙な雰囲気が漂う。
警察と万事屋がどれだけ調べ尽くしてもなにもわからないなんて怪しいを通り越して不思議すぎる。あらゆる可能性を考えてみるも、銀時の軽い頭ではなにも予測立てることができない。
あー、やべーよ。考え過ぎて頭痛くなってくるわ。
頭の奥がズキズキと痛み出した気がして銀時は思考を放棄し、腕の中にいる伊織を温めることに専念しよう、と切り替えた。
それから数分経って彼らは屯所へとたどり着いた。
「旦那、着きましたよ。多分局長が部屋を用意してると思うので先に行っててください。」
「おう、すまねえな。行くぞ、神楽、新八」
ゆっくりと減速した車は真選組屯所の門の前に止まり、山崎は先に伊織を連れていくよう促す。
雨で濡れないように急いで屯所内に入ると、すでに総悟と土方が近藤の元で待ち構えていて、彼らはすぐに部屋に通された。神楽は布団に寝かされた伊織を見てようやくホッと息をついた。
銀時は青白い顔をした伊織の頬を撫ぜる。
「ったくよぉ…あんなとこまで歩くなんてお転婆にも程があんぞ、伊織。」
人差し指でツンッと伊織の額を小突いて銀時は立ち上がった。
「神楽、新八。伊織のこと看といてくれ。俺はちょっくらジミーと調べものしてくるわ。」
「わかりました。」
障子が閉まる音を後ろ手に聞きながら、神楽たちは伊織に近寄る。
「…新八、私伊織ちゃんの家が見つからなければ良いのに、って思っちゃったヨ。最低アル…。」
「僕もだよ。最初は伊織さんのこと、ちゃんと家に送り返してあげるんだって思ってたのにいつの間にか伊織さんが万事屋で、かぶき町でもっとのびのびと過ごせるようになんやかんやしてたし…。」
神楽は片手を布団の中に潜り込ませてちょこんと伊織の指を握った。
「伊織ちゃんには、万事屋じゃない、帰る場所がある。」
「そうだね。」
「じゃあ、万事屋銀ちゃんの名にかけて、伊織ちゃんのお家、見つけてあげないといけないアルな…。」
「そう、だね。」
神楽は総悟の言葉を思い出し、目を固く閉じて息を吐いた。
「いやアルなぁ…」
神楽がポツリと溢した言葉に新八は同調することも、否定することもできなかった。
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大切だから手放したくない。けど、大切なら手放さないといけない。