とある音大生の女の子が知らない世界に放り出されるお話
第1章 狭間で揺れ動くは儚き花
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男はどこかへ向かいながら腕の中で震える少女の様子を伺った。洋装に少しばかり古臭い羽織、そして極めつけは血が滲んだ草履。明らかにちぐはぐな服装で怯えた目をしている。
抱きかかえたときの体つきは柔らかく、武道を嗜む者ではないと確信を得た。思考を巡らすものの、外見しか判断材料のない今、彼女の素性を確定することは出来ない。
「銀時くーん、いますかー?」
目的地に着いたのか、男はインターホンを連打しながら扉に向かって呼びかける。
「オイ、うっせえんだよヅラァ!!!ジャンプの続き読めねぇだろーが!!!!」
「それはすまない。失礼するぞ。」
「オイいいい?!会話が成り立ってないんだけどぉ?!なに自分の家のように上がり込んでんだよオイコラヅラ!」
「ヅラじゃない、桂だ。」
突然の怒鳴り声に伊織は身体をびくつかせ、縮こまった。
「怪我人が怖がっているから静かにしろ。」
「あぁん?怪我人?ここは病院じゃねーんだよ、とっとと帰ぇーれ!」
「まあそう言うな銀時。異様に怯えている女子を放ってはおけんだろう。」
そう言って銀時と呼ばれた男を押し除け家に上がり込む。
「桂さん、エリザベスさんも。今日はなにしに来たんですか?」
「オイヅラァ、今ドラマいいとこなんだから邪魔すんじゃねえヨ。」
伊織は四人が騒ぐ声に酷く萎縮して無意識に桂の襟元を震える手で握り締めた。
桂は伊織の居心地が悪いのかと勘違いをし、しっかりと抱え直す。
伊織を見た三人は足の怪我に気付き、一人は大慌てで救急箱を取りに行き、一人はジトっと桂を睨み、また一人はあっと小さく声を漏らした。
「オイヅラぁ。オマエいたいけな少女になにしたアルか?さっさとその子離せヨ。」
チャイナ服の少女は桂を軽蔑するような目で見る。
桂は誤解だリーダー!と弁解しながら伊織をソファにおろした。エリザベスは手に持っていた羽織を伊織の肩にかける。
伊織は下げていた目線をようやく上げ、恐る恐る周りを見渡す。ガタイのいい男性は二人。そしておそらく年下であろう少年と少女。それにエリザベスと呼ばれた白い何かとじっとこちらを見つめてくるとても大きな犬。
ひゅっと息を呑み、祈るように手を握り締めた。
そんな伊織の元にチャイナ服の少女が駆け寄ってきて、伊織の手をとる。
「大丈夫アル!ここにお姉さんを傷つけるヤツはいないネ!
お姉さん、名前なんて言うアルか?」
「…伊織。神崎伊織です…。」
「伊織ちゃん!
私は神楽!それであっちの駄メガネが新八で、こっちのマダオは銀ちゃん、伊織ちゃんを運んできたヤツはヅラって言うアル。
オイ新八、早く伊織ちゃんの足治せヨ!」
神楽が呼ぶ声にハイハイと返しながら新八はタオルと救急箱を持ってやって来た。
「とりあえず傷口にバイ菌とか入るといけないので濡れたタオルで足を拭きますね。」
新八が伊織の足に触れようとした瞬間、伊織が身体を震わせたのを銀時と桂は見逃さなかった。
「おい神楽。お前がやってやれ。ぱっつぁんみてぇな童貞が女性に触れられる訳ねーだろうが。」
「オイイイ!なに初対面の人にとんでもない事暴露しちゃってるんですかあああ?!!!桂さんも横で頷くのやめろおおお!!!」
新八が突っ込んでいる間に神楽はタオルを引っ掴み、伊織の右足を手にとった。
「……っっっつぅ!!!」
そっとタオルを押し当てただけで、痺れるような痛みが走り、伊織は声を押し殺すように身悶えた。
数回タオルの面を変えて汚れや血を拭き取り、軽く応急処置をする。
「オイオマエら伊織ちゃんの声にムラムラしてんじゃネーヨ。」
神楽は新八、銀時、桂が固まっているのを見て蔑むように睨んだ。
「イヤイヤイヤ神楽ちゃんなに言ってんの?!別に銀さんお嬢さんの声聞いてナニしてるときの声みたいとかそんなことこれっぽっちも思ってないからね!?」
いい終わるや否や、エリザベスがプラカードの角を銀時の頭に振り下ろし、鈍い音を立てて銀時は机に顔面を強打。
冷たい視線が銀時に突き刺さる。
「…あー、そういえばさっき、来たよな?」
銀時は殴られた頭をさすりながら何事もなかったかのように伊織の様子を伺った。
「あ、の…、
「そんなの銀ちゃんが怖かったにきまってるアル!ムラムラしてる死んだ魚の目のマダオが目の前に現れたら逃げたくもなるネ!!!」
「ちょっと待て!最初に会ったときはムラムラしてねーよ!」
「最初『は』って何アルか?やっぱりさっきムラムラしてたんだろこの腐れ天パァァ!!」
「ちょ、まっ!!ギャァアアあああ!!!!」
神楽は銀時に飛びかかりサンドバックのように殴る。
バコッやらバキっやら鈍い音が聞こえてきて伊織は思わず目を閉じ耳を塞いだ。
見かねた新八が二人を止め、落ち着かせる。
「銀ちゃんのせいで伊織ちゃん怖がってるアル!地べた這いつくばって土下座しろヨ!」
「いや殴ってるオメエの方が明らかにヤベェヤツだかんね!?」
「あんたら良い加減にしろよぉぉぉ!!!」
やんややんやと騒ぎ立てる三人を見て桂は呆れたようにため息をついた。
「全く騒がしい奴らだ。これでは伊織殿がいつまで経っても落ち着けんだろう。良い加減にしないか。」
桂の一声により、彼らは渋々と言った感じで言い争いを止める。
銀時はん゛ん゛っ!と咳払いをして伊織に目を向けた。
「えーっと、伊織、サン?
俺ぁ坂田銀時。万事屋をやってんだ。んで、こいつらは従業員。」
「さっき来てたってことは、何か依頼ですか?」
「…え、と。あの、実は、…。」
どこから話せばいいのか、どこまで明かしても大丈夫なのか。
そもそも現状を理解し切れていないのは伊織自身も同じである。なかなか言葉が出て来ず、焦りと緊張で少しずつ息が上がっていく。
「わ、私も、どうしてこうなったのか、わ、わからなくて。
記憶が混乱してるのか気付いたら、ここにいて。でもこんな場所、み、見たことも聞いたことも、ないんです…!」
「ふむ、誘拐や拉致の可能性もあり得るということか。」
「それなら警察に行った方が良かったんじゃ…」
新八がそう言いかけたとき、伊織はばっと顔を上げて首を振った。
「だめ…!絶対にダメです!!だって私、」
__________きっといた世界が違うから。
伊織が突然言い詰まり、顔を真っ青にした。
大通りを何度も歩いて感じた。まるでファンタジーのようだが、ここは自分が生きてきた世界じゃない。
だとしたら、ここには彼女自身を証明するものなど存在しないはず。戸籍ももたない、今まで生きてきた痕跡も何もない正体不明の女が現れたら警察は__________
「税金ドロボーなんざ頼るだけ無駄だ。それにヅラがあいつらのとこにノコノコと行けるわけねーだろうが。」
「確かに…。」
「あぁ。できるなら伊織殿を匿ってやりたいところだが生憎と多忙な身でな。ここは年中暇な奴らの出番だと。」
「オイさりげなくdisってんじゃねーぞヅラ。髪の毛毟り取るぞ。」
「ヅラじゃない桂だ。」
「じゃあ伊織ちゃんここに泊まるアルか?きゃっほーい!!」
伊織は慌てふためき、オロオロとするばかりだ。
「そんな!私今、持ち合わせとかなくて…!申し訳ないです!!」
「でもそんなナリじゃ行く当てもねぇんだろ?事情はわかんねーけど今更放り出したりしねーよ。とりあえずその傷が治るまでは此処にいろ。」
「そういうことだ。伊織殿。泥舟にでも乗ったつもりで安心していれば良い。」
「いや桂さん、それ沈みます。絶対分かってて言ってますよねそれ。」
桂は新八のツッコミを気にすることもなく、「では決まりだ、頼んだぞ銀時」と言ってそそくさと玄関に向かって歩き出す。エリザベスも『お大事に。』と書かれたプラカードを掲げ、伊織に向かって軽く会釈すると桂の後を追った。
「ま、待ってくださっっ!!きゃ…!」
伊織は慌てて桂を引き留めようと怪我を忘れて立ち上がり走り出したが、突然の痛みに顔を歪め、倒れ込みそうになる。すると銀時が咄嗟に腕を掴み伊織の体を引き寄せた。
「あっぶね、大丈夫か?」
「は、はい。すみません…。」
伊織は体勢を立て直すと、桂に向かって深々と頭を下げた。
「桂さん、見ず知らずの私を助けてくださって本当に、本当にありがとうございました。」
桂はふっと笑みを浮かべ、戸に手を掛ける。
「怪我が治る頃にまた伺おう。」
「今日のヅラはカッコつけすぎて気持ち悪いネ。最後のあれ、何アルか?」
神楽は桂たちが出て行った後、辛辣な言葉を投げかけた。
「まあまあ神楽ちゃん、桂さんだってかっこつけたくなる日もたまにはあっていいでしょ。」
そんな二人の会話をぼんやりと聞き流しながら伊織は包帯の巻かれた足を見つめる。
当分の身の安全はおそらく確保された。しかし、怪我が治ったらどうするべきなのか。
頭の中を様々な不安がよぎるが、それらを振り払うかのように深呼吸をして三人に向かい合った。
「私、なんでもします。掃除とか、お料理とか、他のこともなんでも…!
だから、…しばらくの間、どうかよろしくお願いします。」
「え、マジ?なんでも?なんでもしてくれんの?じゃあとりあえず
「銀ちゃん、手ェ出したらその脳天ブチ抜くアルよ。」
「ほんっとサイテーですね銀さん。男の風上にもおけないですよ。」
伊織はあっさりと受け入れられたことに呆気に取られたが、神楽はお構いなしに伊織の手を引いて居間に戻った。
「まだ伊織ちゃんに定春のこと紹介してなかったネ!」
伊織をソファに座らせると、神楽は部屋の隅で静かにしていた大きな白い犬に声をかけた。するとその犬はわん!と一鳴きして二人の元へ近づいてくる。
伊織は立ち上がった定春が予想以上に大きく、襲われやしないかと身を強張らせた。
「大丈夫、定春はお利口さんだから伊織ちゃんのこと噛まないアル。ネッ、定春。」
「わん!」
神楽に擦り寄る定春を見て、伊織はそっと右手を差し出す。定春はフンフンと鼻を寄せた後、ペロリとその手をなめた。
伊織は「ひゃ、」と少し驚いたが、定春は頭をグリグリと押しつけ、伊織にじゃれつく。
「わっ!ふふ、定春くん、ふわふわ。はは!くすぐったい。」
「新八クゥーン、あれセクハラじゃね?舐めまくってるよ?お姉さんの顔ペロペロしてんぞ?」
「銀さんと定春を一緒にしないでください。定春がかわいそうですよ!」
「ケッ!おいぱっつぁん茶ァ淹れろ!3秒以内な!!」
「ちょっと八つ当たりしないでくれません?!そんなすぐ準備できませんから!」
新八はやれやれといった表情で台所へ向かった。
しばらくすると新八が茶を持ってきて伊織に声をかける。
「伊織さん、身体が冷えていると思うのでお茶でもどうぞ。」
「わ、すみません。えっと、」
「あぁ、そういえばまだちゃんと自己紹介してなかったや。僕は志村新八です。よろしくお願いします。」
「志村くん。お茶、ありがとうございます。」
温かいお茶が喉を通り体の内側がじんわりと熱を持つ。ほっと一息をついたところで伊織が話を切り出した。
「…あの、私、この町のことあんまり知らなくて。人間じゃない、ヒト?とか、空を飛んでいるものって…?」
「そいつらは天人。空飛んでんのは宇宙船だ。見たことねーのか?」
「えっ、あ、えぇっと…。と、遠くから来たので、その、珍しいなって。」
「じゃあ伊織ちゃんも私とおんなじで違う星から地球に来たアルか?」
あまんと、宇宙船、違う星。
当たり前のように聴き慣れない言葉がポンポンと飛び出してくる。
「その、あまんと?ではないから、星は越えてないかと…。」
少しずつ体に力が入ってくる。辻褄を合わせるには自分の出自をどう説明したら良いのか。
地球違いなんて馬鹿げたことを言えるわけがない。此処でボロを出して病院や警察にでも連れて行かれたらたまったものじゃない。
どうにか話題を変えられないものかと必死に考える。
あの質問を最初にしたのは失敗だった…。
湯飲みの中の揺れ動く水面を見ながらえぇっと、と口籠る。
そんな伊織を見た銀時は頭を掻きながら神楽と新八に声をかけた。
「神楽、新八。お前ら伊織さんに必要なもんとか下のババアどもに聞いて揃えてこい。」
「何二人きりになろうとしてるアルか。下心丸出しネ。伊織ちゃん言いくるめてしっぽりする気ダロ。」
「違いますぅぅ!!!銀さん断じてそんなことしねーから!!
足怪我してんのに連れ回せねーだろうが!女のお前にしか買えねぇモンとか色々あるだろ。新八は荷物持ちだ。オラ、さっさと行けガキども!」
銀時は財布を新八の手に無理やり持たせ、二人の背を押す。
「定春!伊織ちゃんの貞操を守るアルよー!!」
「わん!」
神楽は背中を押されながらも定春に言いつけた。
二人が出ていくと、やれやれとため息をつきながら銀時はドカリとソファに身を沈め、定春は伊織の隣に座り、ジィッと銀時を見つめる。
「定春ぅ、お前まで俺を疑うわけ?ハァ…、失礼な奴らばっかだな。」
二人と一匹になった室内には沈黙が訪れ、伊織は銀時から目を逸らせずにいた。
気怠げな瞳からは何の意図も読み取れず、緊張の糸が張り詰められる。
そんな中、先に沈黙を破ったのは銀時だった。
天気がいいですね、くらいのたわいもない話をポツポツとする。そしてそんな話題が尽き、また彼らの間には静寂が訪れた。
銀時は気まずさを払拭するように適当に話し出す。
「えーっと、一つ確認しておきたいんだけど、お姉さん犯罪者とかではないよな?追い出さねえとは言ったがさすがに犯罪者は匿えないっつーかなんつーか…。」
「い、いえ!悪いこととかはしてないです!絶対に!!」
伊織は身を乗り出して断言する。銀時はその勢いに少したじろいだ。伊織の目はまっすぐと銀時を捉えていて、嘘をついている様子はない。
「だよな〜、虫も殺せなさそうな顔してるもんな。当たり前ぇか。」
銀時は天井を仰ぎ、腰に手を当てて立ち上がった。
「じゃ、この宿代は身体で払うってことで。よろしく、神崎伊織チャン。」
「何が身体で払えアルかぁあああああああこんのクソ天パぁあああああああああ!!!!!!」
突然扉を突き破る勢いで現れた神楽が助走をつけ銀時に向かって飛び蹴りをお見舞いする。すると銀時はドゴォッと音を立てて頭から壁に突き刺さった。
神楽は伊織にヒシッと抱きつき銀時を睨みつける。
遅れてやってきた新八は神楽たちと銀時を見比べ、ハァとため息をついた。
「銀さんやっぱりセクハラしたんですか?呆れました。」
「いや違うから!!!身体で払えっていうのは働いて払えってことで決してやらしい方じゃねーから!!」
「紛らわしい言い方する銀さんが悪いですよ!」
「問答無用ネ。定春、go」
「わん!」
神楽の掛け声で定春は銀時に駆け寄りバクっと頭を噛む。銀時のくぐもった悲鳴が聴こえ、伊織は思わずヒェ、と声を上げたが神楽と新八は全く意に介さない。
「伊織さん、この気温でワンピース一枚は寒いと思うのでとりあえずお登勢さんから数着着物を借りてきました。今度僕の姉上から着なくなった着物とかももらってきますね。」
「他にも歯ブラシとか色々買ってきたアル!」
「まぁ、こんなに!すみません、わざわざありがとうございます。」
伊織は二人から渡されたものを受け取り、大切そうに抱き抱えた。
「私、たくさんたくさん、働きます。
改めて、これからよろしくお願いします…!」
神楽と新八は互いに顔を見合わせ、ニッと笑いながら元気よく返事をした。
「ちょっと?ねえ何銀さん置いてけぼりのままなわけ?
あいた、痛、イダダダダ!!!!ちょ、いい加減離せ定春!おい!神楽!!!新八ぃ!!!悪かったって!!!」
「謝る相手が違うネ!!」
「わかった、わかったから!!!
伊織サァァアアアン!!変なこと言ってサーセンっしたぁぁああ゛あ゛あ゛!!!」
銀時が血を垂れ流しながら必死に謝る姿を見て伊織は死んじゃう!と血相を変えた。
「ヒィィ!!私全然気にしてないので大丈夫です…!
さだ、定春くん、もう離してあげて!!坂田さんが死んじゃう!!」
「大丈夫アル。しばらくそんまま放っておくネ。」
「だね。伊織さん、お茶淹れ直すので座っててください。」
二人は転げ回っている銀時には目もくれずに背を向けた。
伊織は見ていられず、どうにか助けられないものかと考えたが、ガジガジと噛まれ続ける銀時を見てそっと目を閉じた。
ごめんなさい坂田さん。私じゃとても助けられそうにないです…!!
後ろ髪を引かれる思いで銀時に背を向けた伊織は心の中で『アーメン』と十字架を切る。
結局、銀時が解放されたのはそれから数分後のことだった。
______________________
先の見えない漠然とした不安は消えないまま。
抱きかかえたときの体つきは柔らかく、武道を嗜む者ではないと確信を得た。思考を巡らすものの、外見しか判断材料のない今、彼女の素性を確定することは出来ない。
「銀時くーん、いますかー?」
目的地に着いたのか、男はインターホンを連打しながら扉に向かって呼びかける。
「オイ、うっせえんだよヅラァ!!!ジャンプの続き読めねぇだろーが!!!!」
「それはすまない。失礼するぞ。」
「オイいいい?!会話が成り立ってないんだけどぉ?!なに自分の家のように上がり込んでんだよオイコラヅラ!」
「ヅラじゃない、桂だ。」
突然の怒鳴り声に伊織は身体をびくつかせ、縮こまった。
「怪我人が怖がっているから静かにしろ。」
「あぁん?怪我人?ここは病院じゃねーんだよ、とっとと帰ぇーれ!」
「まあそう言うな銀時。異様に怯えている女子を放ってはおけんだろう。」
そう言って銀時と呼ばれた男を押し除け家に上がり込む。
「桂さん、エリザベスさんも。今日はなにしに来たんですか?」
「オイヅラァ、今ドラマいいとこなんだから邪魔すんじゃねえヨ。」
伊織は四人が騒ぐ声に酷く萎縮して無意識に桂の襟元を震える手で握り締めた。
桂は伊織の居心地が悪いのかと勘違いをし、しっかりと抱え直す。
伊織を見た三人は足の怪我に気付き、一人は大慌てで救急箱を取りに行き、一人はジトっと桂を睨み、また一人はあっと小さく声を漏らした。
「オイヅラぁ。オマエいたいけな少女になにしたアルか?さっさとその子離せヨ。」
チャイナ服の少女は桂を軽蔑するような目で見る。
桂は誤解だリーダー!と弁解しながら伊織をソファにおろした。エリザベスは手に持っていた羽織を伊織の肩にかける。
伊織は下げていた目線をようやく上げ、恐る恐る周りを見渡す。ガタイのいい男性は二人。そしておそらく年下であろう少年と少女。それにエリザベスと呼ばれた白い何かとじっとこちらを見つめてくるとても大きな犬。
ひゅっと息を呑み、祈るように手を握り締めた。
そんな伊織の元にチャイナ服の少女が駆け寄ってきて、伊織の手をとる。
「大丈夫アル!ここにお姉さんを傷つけるヤツはいないネ!
お姉さん、名前なんて言うアルか?」
「…伊織。神崎伊織です…。」
「伊織ちゃん!
私は神楽!それであっちの駄メガネが新八で、こっちのマダオは銀ちゃん、伊織ちゃんを運んできたヤツはヅラって言うアル。
オイ新八、早く伊織ちゃんの足治せヨ!」
神楽が呼ぶ声にハイハイと返しながら新八はタオルと救急箱を持ってやって来た。
「とりあえず傷口にバイ菌とか入るといけないので濡れたタオルで足を拭きますね。」
新八が伊織の足に触れようとした瞬間、伊織が身体を震わせたのを銀時と桂は見逃さなかった。
「おい神楽。お前がやってやれ。ぱっつぁんみてぇな童貞が女性に触れられる訳ねーだろうが。」
「オイイイ!なに初対面の人にとんでもない事暴露しちゃってるんですかあああ?!!!桂さんも横で頷くのやめろおおお!!!」
新八が突っ込んでいる間に神楽はタオルを引っ掴み、伊織の右足を手にとった。
「……っっっつぅ!!!」
そっとタオルを押し当てただけで、痺れるような痛みが走り、伊織は声を押し殺すように身悶えた。
数回タオルの面を変えて汚れや血を拭き取り、軽く応急処置をする。
「オイオマエら伊織ちゃんの声にムラムラしてんじゃネーヨ。」
神楽は新八、銀時、桂が固まっているのを見て蔑むように睨んだ。
「イヤイヤイヤ神楽ちゃんなに言ってんの?!別に銀さんお嬢さんの声聞いてナニしてるときの声みたいとかそんなことこれっぽっちも思ってないからね!?」
いい終わるや否や、エリザベスがプラカードの角を銀時の頭に振り下ろし、鈍い音を立てて銀時は机に顔面を強打。
冷たい視線が銀時に突き刺さる。
「…あー、そういえばさっき、来たよな?」
銀時は殴られた頭をさすりながら何事もなかったかのように伊織の様子を伺った。
「あ、の…、
「そんなの銀ちゃんが怖かったにきまってるアル!ムラムラしてる死んだ魚の目のマダオが目の前に現れたら逃げたくもなるネ!!!」
「ちょっと待て!最初に会ったときはムラムラしてねーよ!」
「最初『は』って何アルか?やっぱりさっきムラムラしてたんだろこの腐れ天パァァ!!」
「ちょ、まっ!!ギャァアアあああ!!!!」
神楽は銀時に飛びかかりサンドバックのように殴る。
バコッやらバキっやら鈍い音が聞こえてきて伊織は思わず目を閉じ耳を塞いだ。
見かねた新八が二人を止め、落ち着かせる。
「銀ちゃんのせいで伊織ちゃん怖がってるアル!地べた這いつくばって土下座しろヨ!」
「いや殴ってるオメエの方が明らかにヤベェヤツだかんね!?」
「あんたら良い加減にしろよぉぉぉ!!!」
やんややんやと騒ぎ立てる三人を見て桂は呆れたようにため息をついた。
「全く騒がしい奴らだ。これでは伊織殿がいつまで経っても落ち着けんだろう。良い加減にしないか。」
桂の一声により、彼らは渋々と言った感じで言い争いを止める。
銀時はん゛ん゛っ!と咳払いをして伊織に目を向けた。
「えーっと、伊織、サン?
俺ぁ坂田銀時。万事屋をやってんだ。んで、こいつらは従業員。」
「さっき来てたってことは、何か依頼ですか?」
「…え、と。あの、実は、…。」
どこから話せばいいのか、どこまで明かしても大丈夫なのか。
そもそも現状を理解し切れていないのは伊織自身も同じである。なかなか言葉が出て来ず、焦りと緊張で少しずつ息が上がっていく。
「わ、私も、どうしてこうなったのか、わ、わからなくて。
記憶が混乱してるのか気付いたら、ここにいて。でもこんな場所、み、見たことも聞いたことも、ないんです…!」
「ふむ、誘拐や拉致の可能性もあり得るということか。」
「それなら警察に行った方が良かったんじゃ…」
新八がそう言いかけたとき、伊織はばっと顔を上げて首を振った。
「だめ…!絶対にダメです!!だって私、」
__________きっといた世界が違うから。
伊織が突然言い詰まり、顔を真っ青にした。
大通りを何度も歩いて感じた。まるでファンタジーのようだが、ここは自分が生きてきた世界じゃない。
だとしたら、ここには彼女自身を証明するものなど存在しないはず。戸籍ももたない、今まで生きてきた痕跡も何もない正体不明の女が現れたら警察は__________
「税金ドロボーなんざ頼るだけ無駄だ。それにヅラがあいつらのとこにノコノコと行けるわけねーだろうが。」
「確かに…。」
「あぁ。できるなら伊織殿を匿ってやりたいところだが生憎と多忙な身でな。ここは年中暇な奴らの出番だと。」
「オイさりげなくdisってんじゃねーぞヅラ。髪の毛毟り取るぞ。」
「ヅラじゃない桂だ。」
「じゃあ伊織ちゃんここに泊まるアルか?きゃっほーい!!」
伊織は慌てふためき、オロオロとするばかりだ。
「そんな!私今、持ち合わせとかなくて…!申し訳ないです!!」
「でもそんなナリじゃ行く当てもねぇんだろ?事情はわかんねーけど今更放り出したりしねーよ。とりあえずその傷が治るまでは此処にいろ。」
「そういうことだ。伊織殿。泥舟にでも乗ったつもりで安心していれば良い。」
「いや桂さん、それ沈みます。絶対分かってて言ってますよねそれ。」
桂は新八のツッコミを気にすることもなく、「では決まりだ、頼んだぞ銀時」と言ってそそくさと玄関に向かって歩き出す。エリザベスも『お大事に。』と書かれたプラカードを掲げ、伊織に向かって軽く会釈すると桂の後を追った。
「ま、待ってくださっっ!!きゃ…!」
伊織は慌てて桂を引き留めようと怪我を忘れて立ち上がり走り出したが、突然の痛みに顔を歪め、倒れ込みそうになる。すると銀時が咄嗟に腕を掴み伊織の体を引き寄せた。
「あっぶね、大丈夫か?」
「は、はい。すみません…。」
伊織は体勢を立て直すと、桂に向かって深々と頭を下げた。
「桂さん、見ず知らずの私を助けてくださって本当に、本当にありがとうございました。」
桂はふっと笑みを浮かべ、戸に手を掛ける。
「怪我が治る頃にまた伺おう。」
「今日のヅラはカッコつけすぎて気持ち悪いネ。最後のあれ、何アルか?」
神楽は桂たちが出て行った後、辛辣な言葉を投げかけた。
「まあまあ神楽ちゃん、桂さんだってかっこつけたくなる日もたまにはあっていいでしょ。」
そんな二人の会話をぼんやりと聞き流しながら伊織は包帯の巻かれた足を見つめる。
当分の身の安全はおそらく確保された。しかし、怪我が治ったらどうするべきなのか。
頭の中を様々な不安がよぎるが、それらを振り払うかのように深呼吸をして三人に向かい合った。
「私、なんでもします。掃除とか、お料理とか、他のこともなんでも…!
だから、…しばらくの間、どうかよろしくお願いします。」
「え、マジ?なんでも?なんでもしてくれんの?じゃあとりあえず
「銀ちゃん、手ェ出したらその脳天ブチ抜くアルよ。」
「ほんっとサイテーですね銀さん。男の風上にもおけないですよ。」
伊織はあっさりと受け入れられたことに呆気に取られたが、神楽はお構いなしに伊織の手を引いて居間に戻った。
「まだ伊織ちゃんに定春のこと紹介してなかったネ!」
伊織をソファに座らせると、神楽は部屋の隅で静かにしていた大きな白い犬に声をかけた。するとその犬はわん!と一鳴きして二人の元へ近づいてくる。
伊織は立ち上がった定春が予想以上に大きく、襲われやしないかと身を強張らせた。
「大丈夫、定春はお利口さんだから伊織ちゃんのこと噛まないアル。ネッ、定春。」
「わん!」
神楽に擦り寄る定春を見て、伊織はそっと右手を差し出す。定春はフンフンと鼻を寄せた後、ペロリとその手をなめた。
伊織は「ひゃ、」と少し驚いたが、定春は頭をグリグリと押しつけ、伊織にじゃれつく。
「わっ!ふふ、定春くん、ふわふわ。はは!くすぐったい。」
「新八クゥーン、あれセクハラじゃね?舐めまくってるよ?お姉さんの顔ペロペロしてんぞ?」
「銀さんと定春を一緒にしないでください。定春がかわいそうですよ!」
「ケッ!おいぱっつぁん茶ァ淹れろ!3秒以内な!!」
「ちょっと八つ当たりしないでくれません?!そんなすぐ準備できませんから!」
新八はやれやれといった表情で台所へ向かった。
しばらくすると新八が茶を持ってきて伊織に声をかける。
「伊織さん、身体が冷えていると思うのでお茶でもどうぞ。」
「わ、すみません。えっと、」
「あぁ、そういえばまだちゃんと自己紹介してなかったや。僕は志村新八です。よろしくお願いします。」
「志村くん。お茶、ありがとうございます。」
温かいお茶が喉を通り体の内側がじんわりと熱を持つ。ほっと一息をついたところで伊織が話を切り出した。
「…あの、私、この町のことあんまり知らなくて。人間じゃない、ヒト?とか、空を飛んでいるものって…?」
「そいつらは天人。空飛んでんのは宇宙船だ。見たことねーのか?」
「えっ、あ、えぇっと…。と、遠くから来たので、その、珍しいなって。」
「じゃあ伊織ちゃんも私とおんなじで違う星から地球に来たアルか?」
あまんと、宇宙船、違う星。
当たり前のように聴き慣れない言葉がポンポンと飛び出してくる。
「その、あまんと?ではないから、星は越えてないかと…。」
少しずつ体に力が入ってくる。辻褄を合わせるには自分の出自をどう説明したら良いのか。
地球違いなんて馬鹿げたことを言えるわけがない。此処でボロを出して病院や警察にでも連れて行かれたらたまったものじゃない。
どうにか話題を変えられないものかと必死に考える。
あの質問を最初にしたのは失敗だった…。
湯飲みの中の揺れ動く水面を見ながらえぇっと、と口籠る。
そんな伊織を見た銀時は頭を掻きながら神楽と新八に声をかけた。
「神楽、新八。お前ら伊織さんに必要なもんとか下のババアどもに聞いて揃えてこい。」
「何二人きりになろうとしてるアルか。下心丸出しネ。伊織ちゃん言いくるめてしっぽりする気ダロ。」
「違いますぅぅ!!!銀さん断じてそんなことしねーから!!
足怪我してんのに連れ回せねーだろうが!女のお前にしか買えねぇモンとか色々あるだろ。新八は荷物持ちだ。オラ、さっさと行けガキども!」
銀時は財布を新八の手に無理やり持たせ、二人の背を押す。
「定春!伊織ちゃんの貞操を守るアルよー!!」
「わん!」
神楽は背中を押されながらも定春に言いつけた。
二人が出ていくと、やれやれとため息をつきながら銀時はドカリとソファに身を沈め、定春は伊織の隣に座り、ジィッと銀時を見つめる。
「定春ぅ、お前まで俺を疑うわけ?ハァ…、失礼な奴らばっかだな。」
二人と一匹になった室内には沈黙が訪れ、伊織は銀時から目を逸らせずにいた。
気怠げな瞳からは何の意図も読み取れず、緊張の糸が張り詰められる。
そんな中、先に沈黙を破ったのは銀時だった。
天気がいいですね、くらいのたわいもない話をポツポツとする。そしてそんな話題が尽き、また彼らの間には静寂が訪れた。
銀時は気まずさを払拭するように適当に話し出す。
「えーっと、一つ確認しておきたいんだけど、お姉さん犯罪者とかではないよな?追い出さねえとは言ったがさすがに犯罪者は匿えないっつーかなんつーか…。」
「い、いえ!悪いこととかはしてないです!絶対に!!」
伊織は身を乗り出して断言する。銀時はその勢いに少したじろいだ。伊織の目はまっすぐと銀時を捉えていて、嘘をついている様子はない。
「だよな〜、虫も殺せなさそうな顔してるもんな。当たり前ぇか。」
銀時は天井を仰ぎ、腰に手を当てて立ち上がった。
「じゃ、この宿代は身体で払うってことで。よろしく、神崎伊織チャン。」
「何が身体で払えアルかぁあああああああこんのクソ天パぁあああああああああ!!!!!!」
突然扉を突き破る勢いで現れた神楽が助走をつけ銀時に向かって飛び蹴りをお見舞いする。すると銀時はドゴォッと音を立てて頭から壁に突き刺さった。
神楽は伊織にヒシッと抱きつき銀時を睨みつける。
遅れてやってきた新八は神楽たちと銀時を見比べ、ハァとため息をついた。
「銀さんやっぱりセクハラしたんですか?呆れました。」
「いや違うから!!!身体で払えっていうのは働いて払えってことで決してやらしい方じゃねーから!!」
「紛らわしい言い方する銀さんが悪いですよ!」
「問答無用ネ。定春、go」
「わん!」
神楽の掛け声で定春は銀時に駆け寄りバクっと頭を噛む。銀時のくぐもった悲鳴が聴こえ、伊織は思わずヒェ、と声を上げたが神楽と新八は全く意に介さない。
「伊織さん、この気温でワンピース一枚は寒いと思うのでとりあえずお登勢さんから数着着物を借りてきました。今度僕の姉上から着なくなった着物とかももらってきますね。」
「他にも歯ブラシとか色々買ってきたアル!」
「まぁ、こんなに!すみません、わざわざありがとうございます。」
伊織は二人から渡されたものを受け取り、大切そうに抱き抱えた。
「私、たくさんたくさん、働きます。
改めて、これからよろしくお願いします…!」
神楽と新八は互いに顔を見合わせ、ニッと笑いながら元気よく返事をした。
「ちょっと?ねえ何銀さん置いてけぼりのままなわけ?
あいた、痛、イダダダダ!!!!ちょ、いい加減離せ定春!おい!神楽!!!新八ぃ!!!悪かったって!!!」
「謝る相手が違うネ!!」
「わかった、わかったから!!!
伊織サァァアアアン!!変なこと言ってサーセンっしたぁぁああ゛あ゛あ゛!!!」
銀時が血を垂れ流しながら必死に謝る姿を見て伊織は死んじゃう!と血相を変えた。
「ヒィィ!!私全然気にしてないので大丈夫です…!
さだ、定春くん、もう離してあげて!!坂田さんが死んじゃう!!」
「大丈夫アル。しばらくそんまま放っておくネ。」
「だね。伊織さん、お茶淹れ直すので座っててください。」
二人は転げ回っている銀時には目もくれずに背を向けた。
伊織は見ていられず、どうにか助けられないものかと考えたが、ガジガジと噛まれ続ける銀時を見てそっと目を閉じた。
ごめんなさい坂田さん。私じゃとても助けられそうにないです…!!
後ろ髪を引かれる思いで銀時に背を向けた伊織は心の中で『アーメン』と十字架を切る。
結局、銀時が解放されたのはそれから数分後のことだった。
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先の見えない漠然とした不安は消えないまま。