とある音大生の女の子が知らない世界に放り出されるお話
第1章 狭間で揺れ動くは儚き花
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「良いですか、くれぐれも…
「だからわーってるって!無理させなきゃ良いんだろ。」
伊織が入院して2週間と少し。今日は退院の日で、銀時は医者から伊織の自宅での過ごし方について長々と説明を受けていた。
耳をほじりながら聞き流す銀時に医者はハァ…とため息をついて頭を抱える。
「あのねえ…良いかい、彼女は君たちとは違うんだ。今までああいう経験や怪我をしたことがない神崎さんにとっては想像を絶するほどの苦痛なんだ。そして同時に心にも深傷を負っている。それは自覚のある部分もあるし、ない部分だってある。
彼女を思うなら、しっかりと寄り添ってあげなさい。親族に会えない以上、本当の家族に代わって彼女を癒してあげられるのは君たちなんだよ。
身も心も元どおりになるにはそれなりの時間がかかる。本気で向き合えないのなら今すぐにでも退院を取り消して私たちが面倒をみますよ。」
医者は真剣な目でそう語る。銀時はパンッと両膝を叩いて立ち上がった。
「一度守るって決めたんだ。今更放り出したりなんかしねーよ。アイツの怪我はどんなに時間がかかっても俺らが治してやるさ。」
「…格好つけてそう言うのは大いに結構。ではしっかりと説明を聞いてもらいますよ。座りなさい。」
「はぁ!?まだあんのかよ!」
「だまらっしゃい!」
そのまま診察室を出て行こうとした銀時の首根っこを掴んで座らせる。
ぶー垂れる銀時をカルテを挟んだバインダーでペシリと叩いて再び話し始めたのだった。
一方その頃、病室では伊織が神楽と新八、そして看護師とともに帰る支度を始めていた。
「身体は冷やしちゃダメよ。家でもちゃんとご飯食べてよく寝ること。」
「はい。今までいろいろお世話してくれて有り難うございました。」
「…んもう!貴女って本当に良い子ね!!」
ペコリと頭を下げた伊織を抱きしめる。数々のモンスターペイシェンツを見てきた看護師にとって、伊織は砂漠の中のオアシスとも言える存在となっていたのだ。
「はぁ…もうちょっといても良いのよ?」
「何言ってるアルか!伊織ちゃんは万事屋に帰るんだよ!とっとと離せヨババア!!」
「なんですって!?私はまだピチピチの三十代前半よ!!」
ガルル…と神楽と看護師は睨み合う。伊織と新八は苦笑しながら二人を見た。
看護師は一つ咳払いをしていつものキリッとした表情に戻る。
「それじゃあ下まで送るわ。」
「あ、僕が荷物持ちますよ。」
「じゃあ私は伊織ちゃんアルな。」
神楽は伊織の手を握って歩き出した。
ロビーに着くと、いつもの2割マシで気怠げな目をした銀時が待っていた。
看護師に改めて挨拶をして外に出る。季節はすっかり冬になって、カラッとした朔風がほんの少し傷に響く。
「神崎」
「あ…土方さん」
入り口付近の柱のそばに立っていた土方がこちらへと歩いてくる。
「あらやだ奥様、V字野郎が花束なんか抱えてらっしゃるわ。」
「まあホント!こんなところでプロポーズでもするつもりかしらぁ。」
銀時と神楽が口元に手を当ててせせら笑うと、土方は青筋を立てて二人を睨みつけた。
「プロポーズなわけあるか!!バカにするのも大概にしろよ!!」
「ちょっと何ぃ?このマヨラーぶちぎれてるんですけどぉ。」
「神楽こわぁい!銀ちゃんとっとと退治してヨ!」
「二人とも煽りすぎですよ…」
新八が呆れながら銀時と神楽を宥める横で、土方は少しぶっきらぼうに花束とドーナツが入った紙箱を差し出した。
「さっき見廻組の奴が来たんだが、これを渡してくれだと。花は、まあ…その、真選組からの退院祝いだ。」
「わぁ…綺麗。ふふ、有り難うございます。」
花束に顔を寄せてスゥッと息を吸うと芳しい花の香りが鼻腔をくすぐる。思わず顔を綻ばせて土方を見遣ると、少し照れ臭そうに目を逸らされた。
「山崎が持って行けって煩くてよ。まぁ、喜んでくれたんなら、よかった。
色々迷惑かけて悪かったな。信用ならねーかもしれねえが、もし何かあったら俺たちを頼ってくれ。」
「伊織ちゃんの寛大さに感謝しろヨ。お前ら真選組はこれから伊織ちゃんの下僕アル!手始めに酢昆布買ってこいって伊織ちゃんが言ってるネ。」
「あ、狡ぃぞ!じゃあ俺はいちご牛乳で。」
「ちょ、銀さんまで!僕はお通ちゃんのCDでお願いします。」
「それ完全にお前らの私欲だろうが!!」
少しでも肖ろうとする三人を無視して伊織の頭をわしゃわしゃと撫でた土方は「じゃあな」と残して足早に去っていった。
銀時はちぇっと舌打ちをして、伊織の持っていた花束と紙箱をかっさらい歩き出す。
「おら!とっとと帰ぇるぞ!!」
伊織はクスクスと笑って神楽と手を繋ぎ直し、後を追う。
久々の外の空気を思う存分堪能しながら帰路に着いた。
*
「…ゼェ……ハァ……」
「お、おい、あんま無理すんなって。」
「だ、だい、ハァ、だいじょうぶです…」
「いや、銀さんには生まれたての小鹿にしか見えねーよ?」
何事もなく万事屋に到着、とはいかず、伊織は道半ばで膝に手をついて肩で息をしていた。
銀時達はオロオロと伊織のことを見守っている。それもそのはず、彼女は入院中にある程度筋力は戻ったものの、それなりに長い道のりを歩けるほどの体力は回復していないのだ。
な、なんて情けないんだ…!ここで屈したらなんか負けな気がする…。
やるのよ私!伊織ならできる!!頑張れ伊織!
「うぅう…自分で、…自分で歩きます…あ、すっごく遅いと思うので、お先に帰っていてください……。」
「こんな状態で放っていけるかっつーの!!オメー今の自分の状態分かって言ってる?!」
「ヒェ…すみません…」
ヒィン…と半泣き状態の伊織に銀時は目も当てられず、強引に彼女の右手を握った。
「あー!何私の役目奪ってるアルか?!」
「ウルセー!ガキは黙ってなさーい!」
「うわ、あれ絶対伊織ちゃんの手握りたかっただけネ。セクハラ!セクハラアル!」
「仕方ないよ神楽ちゃん。銀さん最近伊織さんが家に居なくて寂しかったんだから。」
「おいやめろ!なんか恥ずかしくなってきたじゃねえか!クソッ好き勝手言いやがって!!」
プークスクスと笑う二人に銀時はギャーギャーと口答えをする。伊織はポカンとした表情で銀時を見ていたが、フッと笑って口元を押さえた。
「これぁあれだ、ほら、…エスコートだエスコート!!別にやましい意味なんてないから!全然ないからね!!」
「自分で言ってる時点で怪しいアル。大体銀ちゃんはいつでも伊織ちゃんにムラムラしてるんだから今更言い訳したって遅いネ。」
「してねーよ!!万年発情期は新八だろうが!!」
「な?!完っ全に今のは飛び火ですよ!伊織さんの前だからってカッコつけるのやめたらどうですか?!もう銀さんがどうしようもないマダオだって知られてるんですから!」
「だあああ!!!ウルセー!!!」と叫ぶ銀時。
伊織は頬を染めて照れたようにはにかみながら銀時の手を握り返した。すると銀時はばっとこちらを振り向く。
「…えと、坂田さんの手、借りても良いですか?」
「…おう」
神楽と新八は二人の前をゆっくりと歩いている。
伊織は勢いで大胆なことを言ってしまった…と我に帰って銀時から顔を背けた。
ど、どうしよう。これ、すっごく……恥ずかしぃ…!!
う、わ、わぁ…やっぱり坂田さんの手って男の人の手だ…
あの日、この手で、私のこと守ってくれたんだ。
あの日のことを思い出して一瞬目の前が揺らぐ。
伊織はありがとうの感謝の気持ちを込めてほんの少しだけ力を込めた。
こうして歩くこと数分。ようやく万事屋の看板が見えてきて、伊織は情けない声を出す。
「伊織ちゃん、後ちょっとアル!」
「残すは階段のみですよ!」
「おや、ようやく帰ってきたのかい。」
神楽達の声に気づいてお登勢が店から顔を出す。伊織が挨拶をしているとキャサリンとたまも中から出てきた。
「伊織さん、お怪我の具合はもう大丈夫なんですか?」
「は、はい。激しくは動けないんですが、大分元気になりました…!」
「まったくこんなにやつれちまって…。銀時、ちゃんとこの子の面倒見てやるんだよ。」
「へいへい。」
「デ、何デ二人ハ仲良ク手ナンカ繋イデルンデスカ?」
「あ?見りゃ分かんだろ。伊織がヘロヘロなくせに自分で歩くって言い張るから転ばねえように支えてんの。いやぁ、俺って優しい男だと思わない?」
「な、仲良く……」
ようやく慣れてきたというのに、キャサリンの一言でカァッと赤くなってしまった伊織。
お登勢は「何馬鹿なこと言ってんだい」と銀時の頭を叩いた。
「こいつらだけじゃ頼りないからねえ。何かあったら私達をいつでも呼びな。三人が仕事で出払ってるときはうちで面倒見てやるよ。」
「おう、頼むババア。」
「そ、そんな…留守番くらい一人でできるので、」
「何、私達の話し相手になってもらうだけさ。お前さんは聞き上手だからね。そんな遠慮しないでおくれよ。」
「最近、全然お登勢さん達とお話しできてなかったので…えへへ、嬉しいです。楽しみに、してますね。」
へにゃっと笑った伊織を見てお登勢たちは思わず破顔する。
伊織の頭をひと撫でして店の中へと戻って行った。
「んじゃ、もうひと頑張りするかぁ。」
「う、はい…」
神楽に背中を押され、銀時に腕を引っ張られ、どうにかこうにか階段を上り終えた伊織は、玄関まではほとんど銀時に引っ張ってもらってようやく歩き終えた。
戸を開けるとそこにはブンブンと尻尾を揺らす定春がお座りして待っていた。
「伊織ちゃん、定春はあの日伊織ちゃんのこと見つけてくれたアルよ。」
「そうなの?」
「わん!」
定春は伊織にすり寄って頬を舐める。伊織は目を細めて定春を撫でた。
「…定春くん、本当にありがとうね。」
「わん!」
銀時達は笑みを浮かべて伊織と定春を見つめていたが、伊織が突然定春にもたれかかったままズルズルと床に崩れ落ちた。
慌てて近寄って抱き起こす。
「おい伊織!って…」
「伊織さん、寝てますね。」
「びっくりしたアル…。」
三人は揃って息を吐いた。
銀時は起こさないようにそっと抱き上げてソファに下ろした。新八がブランケットを掛けて顔を覗く。
「伊織さん、疲れちゃったんですかね。」
「にしてもあんなにパタっと気失うように寝るなんてびっくりアル。」
「あー…先生が不眠気味だから寝れるときに寝かせてやれっつってた。ま、そっとしとこうぜ。」
銀時はどかっとソファに座って新八と神楽を呼びつけた。
「いいかお前ら。伊織はまだ傷だって碌に癒えてねえし、精神的にも深傷を負っている。くれぐれも余計なストレスは与えんじゃねーぞ。」
「おぉ。銀ちゃんがまともなこと言ってるアル。」
「ま、全部先生の受け売りだけどな。」
「…最後の一言で全部台無しですよ銀さん。」
新八はゲンナリとした顔で銀時を睨んだが、肝心の彼はどこ吹く風。
二人してため息をつく。
「やっぱり銀ちゃんはただの腐れ天パアルな。」
「ほんっと。このドーナツはもう伊織さんと僕と神楽ちゃんだけで分け合おう。」
「名案ネ!伊織ちゃん早く起きないかな〜!」
「っざけんな!俺にも寄越せぇ!!」
「嫌アル!銀ちゃんには残り香で十分ヨ!」
「オイオイオイそりゃねえよ神楽ちゃん。そもそもそれを運んだのは誰だと思ってるんだ?功労者の俺に残り香だけなんて対価が釣り合わねえだろうが!」
「これを貰ったのは伊織ちゃんで銀ちゃんはただ運んだだけアル。つまり全ての決定権は伊織ちゃんにあるネ!
…伊織ちゃ〜ん、…ふむふむ、なるほど。
銀ちゃん、伊織ちゃんが銀ちゃんにはやらないって言ってるアル。」
「ンなわけねえ!
…伊織ちゃ〜ん、…うんうん、だよなぁ。
おい神楽ぁ!伊織はなあ、運んでくれたお礼に全部俺にやるって言ってるぞ!」
神楽と銀時は伊織の顔に耳を近づけては言い争う。
当の本人は眠りこけているというのに何故か二人は伊織の言葉が聞こえるようだ。
二人のくだらない口論を聞いている新八は頭を抱えてため息をついた。
「いや、アンタら伊織さんを寝かす気ゼロじゃねーか…」
新八の独り言は二人の耳に届かず空に消えた。
喧騒で目覚めた伊織が銀時と神楽に迫られたのはまた別のお話。
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騒がしい団欒は久しぶり。
「だからわーってるって!無理させなきゃ良いんだろ。」
伊織が入院して2週間と少し。今日は退院の日で、銀時は医者から伊織の自宅での過ごし方について長々と説明を受けていた。
耳をほじりながら聞き流す銀時に医者はハァ…とため息をついて頭を抱える。
「あのねえ…良いかい、彼女は君たちとは違うんだ。今までああいう経験や怪我をしたことがない神崎さんにとっては想像を絶するほどの苦痛なんだ。そして同時に心にも深傷を負っている。それは自覚のある部分もあるし、ない部分だってある。
彼女を思うなら、しっかりと寄り添ってあげなさい。親族に会えない以上、本当の家族に代わって彼女を癒してあげられるのは君たちなんだよ。
身も心も元どおりになるにはそれなりの時間がかかる。本気で向き合えないのなら今すぐにでも退院を取り消して私たちが面倒をみますよ。」
医者は真剣な目でそう語る。銀時はパンッと両膝を叩いて立ち上がった。
「一度守るって決めたんだ。今更放り出したりなんかしねーよ。アイツの怪我はどんなに時間がかかっても俺らが治してやるさ。」
「…格好つけてそう言うのは大いに結構。ではしっかりと説明を聞いてもらいますよ。座りなさい。」
「はぁ!?まだあんのかよ!」
「だまらっしゃい!」
そのまま診察室を出て行こうとした銀時の首根っこを掴んで座らせる。
ぶー垂れる銀時をカルテを挟んだバインダーでペシリと叩いて再び話し始めたのだった。
一方その頃、病室では伊織が神楽と新八、そして看護師とともに帰る支度を始めていた。
「身体は冷やしちゃダメよ。家でもちゃんとご飯食べてよく寝ること。」
「はい。今までいろいろお世話してくれて有り難うございました。」
「…んもう!貴女って本当に良い子ね!!」
ペコリと頭を下げた伊織を抱きしめる。数々のモンスターペイシェンツを見てきた看護師にとって、伊織は砂漠の中のオアシスとも言える存在となっていたのだ。
「はぁ…もうちょっといても良いのよ?」
「何言ってるアルか!伊織ちゃんは万事屋に帰るんだよ!とっとと離せヨババア!!」
「なんですって!?私はまだピチピチの三十代前半よ!!」
ガルル…と神楽と看護師は睨み合う。伊織と新八は苦笑しながら二人を見た。
看護師は一つ咳払いをしていつものキリッとした表情に戻る。
「それじゃあ下まで送るわ。」
「あ、僕が荷物持ちますよ。」
「じゃあ私は伊織ちゃんアルな。」
神楽は伊織の手を握って歩き出した。
ロビーに着くと、いつもの2割マシで気怠げな目をした銀時が待っていた。
看護師に改めて挨拶をして外に出る。季節はすっかり冬になって、カラッとした朔風がほんの少し傷に響く。
「神崎」
「あ…土方さん」
入り口付近の柱のそばに立っていた土方がこちらへと歩いてくる。
「あらやだ奥様、V字野郎が花束なんか抱えてらっしゃるわ。」
「まあホント!こんなところでプロポーズでもするつもりかしらぁ。」
銀時と神楽が口元に手を当ててせせら笑うと、土方は青筋を立てて二人を睨みつけた。
「プロポーズなわけあるか!!バカにするのも大概にしろよ!!」
「ちょっと何ぃ?このマヨラーぶちぎれてるんですけどぉ。」
「神楽こわぁい!銀ちゃんとっとと退治してヨ!」
「二人とも煽りすぎですよ…」
新八が呆れながら銀時と神楽を宥める横で、土方は少しぶっきらぼうに花束とドーナツが入った紙箱を差し出した。
「さっき見廻組の奴が来たんだが、これを渡してくれだと。花は、まあ…その、真選組からの退院祝いだ。」
「わぁ…綺麗。ふふ、有り難うございます。」
花束に顔を寄せてスゥッと息を吸うと芳しい花の香りが鼻腔をくすぐる。思わず顔を綻ばせて土方を見遣ると、少し照れ臭そうに目を逸らされた。
「山崎が持って行けって煩くてよ。まぁ、喜んでくれたんなら、よかった。
色々迷惑かけて悪かったな。信用ならねーかもしれねえが、もし何かあったら俺たちを頼ってくれ。」
「伊織ちゃんの寛大さに感謝しろヨ。お前ら真選組はこれから伊織ちゃんの下僕アル!手始めに酢昆布買ってこいって伊織ちゃんが言ってるネ。」
「あ、狡ぃぞ!じゃあ俺はいちご牛乳で。」
「ちょ、銀さんまで!僕はお通ちゃんのCDでお願いします。」
「それ完全にお前らの私欲だろうが!!」
少しでも肖ろうとする三人を無視して伊織の頭をわしゃわしゃと撫でた土方は「じゃあな」と残して足早に去っていった。
銀時はちぇっと舌打ちをして、伊織の持っていた花束と紙箱をかっさらい歩き出す。
「おら!とっとと帰ぇるぞ!!」
伊織はクスクスと笑って神楽と手を繋ぎ直し、後を追う。
久々の外の空気を思う存分堪能しながら帰路に着いた。
*
「…ゼェ……ハァ……」
「お、おい、あんま無理すんなって。」
「だ、だい、ハァ、だいじょうぶです…」
「いや、銀さんには生まれたての小鹿にしか見えねーよ?」
何事もなく万事屋に到着、とはいかず、伊織は道半ばで膝に手をついて肩で息をしていた。
銀時達はオロオロと伊織のことを見守っている。それもそのはず、彼女は入院中にある程度筋力は戻ったものの、それなりに長い道のりを歩けるほどの体力は回復していないのだ。
な、なんて情けないんだ…!ここで屈したらなんか負けな気がする…。
やるのよ私!伊織ならできる!!頑張れ伊織!
「うぅう…自分で、…自分で歩きます…あ、すっごく遅いと思うので、お先に帰っていてください……。」
「こんな状態で放っていけるかっつーの!!オメー今の自分の状態分かって言ってる?!」
「ヒェ…すみません…」
ヒィン…と半泣き状態の伊織に銀時は目も当てられず、強引に彼女の右手を握った。
「あー!何私の役目奪ってるアルか?!」
「ウルセー!ガキは黙ってなさーい!」
「うわ、あれ絶対伊織ちゃんの手握りたかっただけネ。セクハラ!セクハラアル!」
「仕方ないよ神楽ちゃん。銀さん最近伊織さんが家に居なくて寂しかったんだから。」
「おいやめろ!なんか恥ずかしくなってきたじゃねえか!クソッ好き勝手言いやがって!!」
プークスクスと笑う二人に銀時はギャーギャーと口答えをする。伊織はポカンとした表情で銀時を見ていたが、フッと笑って口元を押さえた。
「これぁあれだ、ほら、…エスコートだエスコート!!別にやましい意味なんてないから!全然ないからね!!」
「自分で言ってる時点で怪しいアル。大体銀ちゃんはいつでも伊織ちゃんにムラムラしてるんだから今更言い訳したって遅いネ。」
「してねーよ!!万年発情期は新八だろうが!!」
「な?!完っ全に今のは飛び火ですよ!伊織さんの前だからってカッコつけるのやめたらどうですか?!もう銀さんがどうしようもないマダオだって知られてるんですから!」
「だあああ!!!ウルセー!!!」と叫ぶ銀時。
伊織は頬を染めて照れたようにはにかみながら銀時の手を握り返した。すると銀時はばっとこちらを振り向く。
「…えと、坂田さんの手、借りても良いですか?」
「…おう」
神楽と新八は二人の前をゆっくりと歩いている。
伊織は勢いで大胆なことを言ってしまった…と我に帰って銀時から顔を背けた。
ど、どうしよう。これ、すっごく……恥ずかしぃ…!!
う、わ、わぁ…やっぱり坂田さんの手って男の人の手だ…
あの日、この手で、私のこと守ってくれたんだ。
あの日のことを思い出して一瞬目の前が揺らぐ。
伊織はありがとうの感謝の気持ちを込めてほんの少しだけ力を込めた。
こうして歩くこと数分。ようやく万事屋の看板が見えてきて、伊織は情けない声を出す。
「伊織ちゃん、後ちょっとアル!」
「残すは階段のみですよ!」
「おや、ようやく帰ってきたのかい。」
神楽達の声に気づいてお登勢が店から顔を出す。伊織が挨拶をしているとキャサリンとたまも中から出てきた。
「伊織さん、お怪我の具合はもう大丈夫なんですか?」
「は、はい。激しくは動けないんですが、大分元気になりました…!」
「まったくこんなにやつれちまって…。銀時、ちゃんとこの子の面倒見てやるんだよ。」
「へいへい。」
「デ、何デ二人ハ仲良ク手ナンカ繋イデルンデスカ?」
「あ?見りゃ分かんだろ。伊織がヘロヘロなくせに自分で歩くって言い張るから転ばねえように支えてんの。いやぁ、俺って優しい男だと思わない?」
「な、仲良く……」
ようやく慣れてきたというのに、キャサリンの一言でカァッと赤くなってしまった伊織。
お登勢は「何馬鹿なこと言ってんだい」と銀時の頭を叩いた。
「こいつらだけじゃ頼りないからねえ。何かあったら私達をいつでも呼びな。三人が仕事で出払ってるときはうちで面倒見てやるよ。」
「おう、頼むババア。」
「そ、そんな…留守番くらい一人でできるので、」
「何、私達の話し相手になってもらうだけさ。お前さんは聞き上手だからね。そんな遠慮しないでおくれよ。」
「最近、全然お登勢さん達とお話しできてなかったので…えへへ、嬉しいです。楽しみに、してますね。」
へにゃっと笑った伊織を見てお登勢たちは思わず破顔する。
伊織の頭をひと撫でして店の中へと戻って行った。
「んじゃ、もうひと頑張りするかぁ。」
「う、はい…」
神楽に背中を押され、銀時に腕を引っ張られ、どうにかこうにか階段を上り終えた伊織は、玄関まではほとんど銀時に引っ張ってもらってようやく歩き終えた。
戸を開けるとそこにはブンブンと尻尾を揺らす定春がお座りして待っていた。
「伊織ちゃん、定春はあの日伊織ちゃんのこと見つけてくれたアルよ。」
「そうなの?」
「わん!」
定春は伊織にすり寄って頬を舐める。伊織は目を細めて定春を撫でた。
「…定春くん、本当にありがとうね。」
「わん!」
銀時達は笑みを浮かべて伊織と定春を見つめていたが、伊織が突然定春にもたれかかったままズルズルと床に崩れ落ちた。
慌てて近寄って抱き起こす。
「おい伊織!って…」
「伊織さん、寝てますね。」
「びっくりしたアル…。」
三人は揃って息を吐いた。
銀時は起こさないようにそっと抱き上げてソファに下ろした。新八がブランケットを掛けて顔を覗く。
「伊織さん、疲れちゃったんですかね。」
「にしてもあんなにパタっと気失うように寝るなんてびっくりアル。」
「あー…先生が不眠気味だから寝れるときに寝かせてやれっつってた。ま、そっとしとこうぜ。」
銀時はどかっとソファに座って新八と神楽を呼びつけた。
「いいかお前ら。伊織はまだ傷だって碌に癒えてねえし、精神的にも深傷を負っている。くれぐれも余計なストレスは与えんじゃねーぞ。」
「おぉ。銀ちゃんがまともなこと言ってるアル。」
「ま、全部先生の受け売りだけどな。」
「…最後の一言で全部台無しですよ銀さん。」
新八はゲンナリとした顔で銀時を睨んだが、肝心の彼はどこ吹く風。
二人してため息をつく。
「やっぱり銀ちゃんはただの腐れ天パアルな。」
「ほんっと。このドーナツはもう伊織さんと僕と神楽ちゃんだけで分け合おう。」
「名案ネ!伊織ちゃん早く起きないかな〜!」
「っざけんな!俺にも寄越せぇ!!」
「嫌アル!銀ちゃんには残り香で十分ヨ!」
「オイオイオイそりゃねえよ神楽ちゃん。そもそもそれを運んだのは誰だと思ってるんだ?功労者の俺に残り香だけなんて対価が釣り合わねえだろうが!」
「これを貰ったのは伊織ちゃんで銀ちゃんはただ運んだだけアル。つまり全ての決定権は伊織ちゃんにあるネ!
…伊織ちゃ〜ん、…ふむふむ、なるほど。
銀ちゃん、伊織ちゃんが銀ちゃんにはやらないって言ってるアル。」
「ンなわけねえ!
…伊織ちゃ〜ん、…うんうん、だよなぁ。
おい神楽ぁ!伊織はなあ、運んでくれたお礼に全部俺にやるって言ってるぞ!」
神楽と銀時は伊織の顔に耳を近づけては言い争う。
当の本人は眠りこけているというのに何故か二人は伊織の言葉が聞こえるようだ。
二人のくだらない口論を聞いている新八は頭を抱えてため息をついた。
「いや、アンタら伊織さんを寝かす気ゼロじゃねーか…」
新八の独り言は二人の耳に届かず空に消えた。
喧騒で目覚めた伊織が銀時と神楽に迫られたのはまた別のお話。
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騒がしい団欒は久しぶり。