とある音大生の女の子が知らない世界に放り出されるお話
第1章 狭間で揺れ動くは儚き花
お名前は
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「銀ちゃん…伊織ちゃん助かるヨネ…?」
「大丈夫だ。お前が信じてやらないで誰が信じるんだよ。新八もんな暗い顔すんじゃねーよ。」
「そ、うですよね…。助かりますよね。」
土方と山崎、近藤と総悟は銀時たちの会話を静かに聞いていた。
彼らが今いる場所は大江戸病院の手術室前。
手術室の扉が開いて何度か看護師と思わしき人が出入りを繰り返す。長い時間が過ぎて手術中のランプが消えた。
中から医者が出てきたところを神楽がとっ捕まえて話を聞く。
「伊織ちゃんは大丈夫アルか?!」
「え、えぇ。出血が多かった背中の裂傷と脇腹の銃創も奇跡的に致命傷には至りませんでした。もし少しでも処置が遅かったら出血多量で危険なところでしたがね。
でも大丈夫。容態は安定していますよ。」
医者の言葉に彼らは深いため息をついた。
神楽はヘタリと椅子に座り込んで脱力している。
「それで、ご家族の方はどちらに?今回の手術についてと術後の説明をしたいのですが…」
「家族は私たちアル!!」
「え?ですがあなた方は「ゴチャゴチャうっせえなぁ!家族って言ったら家族アル!とっとと連れてけヨヤブ医者ぁ!!」
「な!?ヤブ??!!」
神楽は医者の尻をゲシゲシと蹴って進ませる。万事屋の三人は別の部屋へと移動した。
山崎はそれを見送ってズルズルと壁に背を預けて蹲み込んだ。
「助かって、本当に良かった……。」
ちょうどその時土方の携帯に着信が入り、彼は数分相手と話し合った後、静かに切った。
「例の男、白状したらしい。」
例の男、と言うのは伊織を撃った犯人のことである。
彼は見廻組の一隊士だった。彼はあの廃工場にいた秦野一派を、そしてみつを陰で操っていた真の黒幕で、脅迫文を送りつけた一派のうちの攘夷浪士を逮捕し、尋問を担当した。
みつが子供を拐って殺している間にさも犯人達から秦野一派の拠点を聞き出したかのようにタイミングを見計らって報告し、一斉検挙に乗り出して攘夷浪士を纏めて叩くつもりだったようだ。
彼が攘夷浪士とつながりを持って操れたのは、穏健派の時の頭を全員の前で殺した時に支配したかららしい。気性の荒い連中だけが残り、頭のいないそいつらを適当な捨て手駒として今回の事件の主犯とした。
彼の目的は柏木みつただ一人である。彼にとって彼女の存在は唯一無二であり、一眼見た時になんとしてでも手に入れたい魅力があったとか。
そのためにはみつの夫である柏木悟や子供の敬介達が邪魔だ。
全てを殺して彼女だけを手に入れるのも悪くないが、どうせなら彼女が柏木悟に絶望されて見放された時の反応を見てみたい。
彼女は泣くのだろうか、それとも笑うのだろうか。どちらでもいい。
あぁ!子供を殺す時に彼女はどんな顔をして殺すんだろうか!!
知りたい!!絶望に打ちひしがれる彼女の姿はさぞ美しいんだろう!!
そういう彼の狂気的な思考が今回の全ての事件を引き起こしたのだ。
彼のねじ曲がった性癖は分厚い化けの皮で覆われており、今回の案件にさほど重要性を感じていなかった異三郎はそれを見抜けなかった。
「あんなモブ顔でもサイコパスな一面持ってるとは世の中侮れねえもんでさァ。」
「オメーみてえに顔面整っててもクソドSの奴だっているんだ。そう言う奴がいたっておかしくねーよ。」
「なんでィ土方コノヤロー、やんのかぁ」
「ちょっとアンタらなにこんなところで言い合ってるんですか…」
彼らが言い争っていると、処置を終えた伊織が手術室から出てきた。ストレッチャーに乗せられた彼女には、白くて細い体には不釣り合いの包帯がぐるぐると巻かれている。
「伊織さん、すまねえなぁ…。本当に、よく頑張ったよ。」
*
_______……
「あら、神崎さん、目が覚めましたか?」
声がした方に視線だけを向けると、看護師らしき人が点滴のパックをスタンドに掛けていた。
身体が思うように動かなく、起き上がろうと腹に力を入れたら激痛が走り、じわりと涙が滲んできた。
「あぁダメよ!傷が開いちゃうからあんまり動かないでくださいね。」
「っ!…はっ………う、う゛ぁ…」
こくこくと頷いて痛みに耐える。あまりに悶えていたため、看護師さんが背中を摩ってくれた。
暫くして落ち着きを取り戻すと、看護師が採血をしながら伊織が寝ていた時のことを教えてくれた。
「もう大変だったのよ。5日間くらい炎症期で高熱が続いてたんだけど、万事屋さん達が面会謝絶だって言ってるのに全く帰らないの!ほとんど付きっきりで看病してたわ。あと、真選組の方も何度か顔を見に来ていたわね。」
「そうなんですね…。」
「ロビーのとこで寝てるからこれが終わったら呼んでくるわ。まったくいつでもお騒がせな人達なんだから。あ、体温測って。」
「いつでも?」
「そう、万事屋さんや真選組はよく怪我するからねえ。貴女よりももっととんでもない怪我こさえて担ぎ込まれたのにすーぐけろっとした顔で退院するのよ。」
とんでもない怪我…
やっぱり、私が知らないだけで彼らは危ない仕事だってやっているんだ。
そういえば坂田さん、私のこと抱えながら男の人達をやっつけてたんだよね?
なんか…本当に、全然、違うや。私の知ってる世界と、全然違う。
こういうことが日常茶飯事だなんて、もう小説や映画の中みたいじゃないか。そんなことを考えていると、ピピピと体温計が音を鳴らす。
「どれどれ。35度4分…だいぶ低いわね。傷以外にどこか痛むところはある?」
「頭痛が、少し…」
「頭痛、っと。とりあえず今は温かくしとくこと。10時ごろになったら色々検査するからそれまでは寝てて下さいね。」
そう言うと、看護師は布団を掛けなおして部屋から出て行った。
扉が閉まる音を聞きながら天井をぼんやりと眺める。
一瞬だけ元の世界かもなんて期待したけど、そんなはずないか…。
ていうか、傷痛い…。なんだこれ、めちゃくちゃ痛いぞ…。あ、涙出てきそう。
心の中でイタタタ…と叫びながら目を瞑ると目尻から涙がこぼれた。息を吸うと脇腹の傷が痛むし、身をよじろうとすると背中の傷が痛む。
身体が動かないように慎重に息を吸って少しずつ吐く。
みつさん、無事だったかな。
敬介くんと優子ちゃんはちゃんとお家に帰れたかな。
逮捕…赤ちゃんはちゃんと産めるよね?みつさんの夫はいつか子供を抱けるのかな。
「伊織ちゃああああああん!!!!!」
ガラリとドアが開いて神楽が物凄いスピードで迫ってくる。
飛びついて来ようとした瞬間、神楽は銀時と新八によって押さえつけられた。
「馬鹿かオメー!!伊織は怪我してんだぞ!?」
「そのまま突っ込んだら伊織さん死んじゃうでしょーが!!」
「離せヨ!!力加減くらいできるアル!!ぬおおお!!!」
「お、おい。伊織泣いちまったじゃねーか!!」
銀時の言葉に神楽と新八が伊織の方を向くと、彼女はポロポロと涙を流していた。
「ど、どうしたアルか?伊織ちゃん、怪我が痛いの?」
「う、ううん。違うの。か、神楽ちゃんたちの顔を見たら…安心、しちゃって……。」
伊織は震える手で涙を拭った。手に巻かれた包帯がじんわりと濡れていく。
銀時は伊織の頭を撫でた。
「お前またそんなに泣いてっと干からびちまうぞ。」
三人の優しげな表情を見て伊織の目からは涙が咳を切ったかのように溢れ出してくる。
「そ、そうだ。あの、みつさんって…」
「あのなあ。テメェはテメェの怪我の心配をしろっつーの、このお人好しが!…あの女は無事だ。ついでに腹ん中のガキもな。」
「そう、なんですね。…よかったぁ……」
グスグスと泣いていると、再び扉が開く音が聞こえた。
入って来たのは土方達、真選組だ。
「オイなに勝手に入ってきてるアルか?誰も許可してないネ。」
神楽は彼らの顔を見た途端に不機嫌になり、つっけんどんな態度で接する。心なしか、銀時と新八も雰囲気が少しだけ冷たくなった気がする。
彼らの変わりように戸惑っていると、近藤が伊織のベッドの側まで近寄ってきてバッと頭を下げた。
「すまねえ、伊織さん。こんな危険な目に合わせた上に怪我までさせちまった。」
「フンッ!謝って済むなら警察はいらないアル。」
「医者の話によりゃあ傷は完全には消えないだとよ。オメーらは伊織の傷一つねえ綺麗な身体を汚したんだ。市民一人守れねえで何が警察だ、情けねえ。」
銀時の言葉に山崎は息を飲み、ふらりと前に出て口を開いた。
「伊織ちゃん、本当にごめん。俺があの日、手伝ってくれなんて頼まなければ…」
「いや、泊まり込みで世話を頼んだ俺の責任だ。神崎、すまねえ。」
三者三様に頭を下げられ、伊織は慌てて「頭を上げて下さい」と声をかけるも。彼らはじっと動かない。
伊織は身体を起こそうとベッドの縁に手をついて力を入れた。ブルブルと腕は震えるし、脇腹の傷が痛み、それだけで疲労感がどっと湧いてくる。
息を吸い込み、思い切り力を込めて起き上がる。鈍痛に顔をしかめ、ふらりと倒れ込みそうになったところを新八に支えられた。
「っ……!ふ、…」
「伊織さん!大丈夫ですか?!」
「…う、うん…ごめんね、し、新八くん…」
しばらく新八にもたれかかって息を整え、痛みが収まるともう一度近藤達に視線を送った。
「お願いします、頭を上げて下さい。」
近藤達がようやく頭を上げて伊織を見ると、彼女は困ったような笑みを浮かべていた。
「あの、みなさんが謝る必要なんて、ありません。だ、だって、警察の大事なお仕事に安易に首を突っ込んだ自分にも、責任がありますから…
むしろ、私の方こそ、ごめんなさい。こんな傷、皆さんからしたら大したことないですよね…。ことを大袈裟にしてしまって、本当に申し訳ないです…。」
伊織が脇腹の傷をさすりながら笑っていると、銀時が大きなため息をついた。
「ハァ…普段戦い慣れてる俺らからしたら確かによくある傷かもしれねえ。けど伊織は違うだろ。
町歩くだけでもビクビクしてたお前があんなクソみてえな連中の中に放り込まれて刀振り回されて追いかけられた挙句に、出たら出たで今度は見廻組の野郎が発砲してきたんだ。ほんでもってオメーはその怪我で5日間も高熱でうなされてた。
大袈裟なんかじゃねえ。お前にとっても、俺たちにとっても一大事だったんだ。」
「伊織ちゃん、ごめんね。怖かったよね、痛かったよね…。すぐに助けに行けなくて、本当にごめん…!!」
山崎は伊織の痛々しい姿に耐えきれなくなって再び頭を下げた。今回の一件で人一倍責任を感じているのだ。
あの時泣きついていなければ、あの日一緒に玄関まで行っていれば、もっと早くに助けにいけたら…
彼の頭の中はたくさんの後悔で埋め尽くされていた。
山崎の姿を見て近藤と土方は俯いた。彼らもまた、同じである。
ポタリ
神楽達の慌てた声を聞いて山崎達は伊織を見ると、彼女は俯いて静かに涙を流していた。
「…こ、怖かったです。すごく、すごく、怖かった…!」
伊織の身体はあの日の恐怖を思い出して震えだす。
山崎はその様子を見て唇を噛み締めた。
「…でも、生まれて初めて、…皆さんからしたらちっぽけにも程があるかもしれないけど、文字通り命をかけて、敬介くんと優子ちゃんと、みつさんを連れ出したんです。」
「私、少しでも、…皆さんのお役に、たてましたか?」
「ああ。お前は俺たちの代わりにガキ供を守った。それだけじゃねえ。そいつらの母親さえ救ったんだ。
十分すぎるくらい、役に立ったさ。」
伊織は顔をあげ、涙で頬を濡らし、目と鼻を真っ赤にして笑った。
「えへへ、じゃあこの傷は…勲章、ですね。」
山崎はぽかんとした顔で伊織を見る。
「伊織ちゃんは、怒ってないの?」
「え?なんで私が怒るんですか?」
山崎の言葉に次は伊織が首を傾げた。
「だって、面倒ごとを押し付けて、その上怖い思いまでさせたんだよ?どう考えても俺らに非があるじゃないか。」
「えぇ、と、でも、二人のお世話に関しては山崎さんにも手伝ってもらってそこまで大変じゃなかったし、怪我をしたのは、自分がへなちょこだったからなので、皆さんに悪いところなんて…。」
伊織はうーんと腕を組んで考える。
「でも俺、一発ぐらい殴られないと気が済まないよ…。」
「伊織、遠慮せずに怒ったっていいんだぞ。この役立たずのポリ公どもめ!ってなぁ。」
「そうアル!一発と言わずに何発でも殴ってやるヨロシ!」
「山崎さんだけじゃありませんよ。ここには真選組局長、副長のお二人もいますからね。」
銀時達はさあ怒れ!さあ殴れ!と三人を伊織の目の前に差し出してきた。
山崎は殴られる覚悟がもうできているのか、殴りやすいように片膝をついて伊織のことを見つめている。
「い、いや、そんな失礼なことしませんよ!な、殴るだなんてそんな…!」
「なんだ?拳が使えねえってんなら俺の木刀貸すぞ。ほれ。」
銀時はぽんっと伊織の手に木刀を持たせる。
「ももも、もっと大変じゃないですか!こ、こんな凶器で、ひ、人なんて、殴れませんよお!」
「大丈夫ですよ。伊織さんぐらいの力なら多分痛くも痒くもありませんって。」
「おい新八ぃ。痛くも痒くもなかったら意味ねえじゃねえか。」
「伊織ちゃん、男の急所でも狙えばいいアル。とりあえずこのゴリラでお手本見せるネ。」
伊織のことを置いてきぼりにして神楽達は話を進めていく。
神楽は番傘を手に取って近藤の制止の声も聞かずに彼の股間目掛けてそれを振り下ろした。
伊織は顔を青ざめさせて目を瞑る。ドゴォッと床が割れる音がした後、そっと目を開けると、近藤はどうにか神楽の一発を避けていた。
「おいなに避けてるアルか。○玉の一つや二つ差し出すくらいの覚悟も出来てないなら出直してこいヨ。」
「いやいやいや!2つ差し出したら終わるから!俺の男としての尊厳が失われるから!!!」
銀時と新八は彼らから目を逸らして自分のそれを守るように手をかざしている。
神楽は土方と目が合うと、次はお前だとでもいうかのように番傘を構えた。
「だ、ダメだよ神楽ちゃん!!ストップ!ストップ!」
伊織はベッドから身を乗り出して土方を庇ったが、突然動いたことで背中の傷がビキリと痛み、寝たきりの身体ではバランスを保てず崩れるように床へ顔面ダイブをかましそうになる。
「お、おい!大丈夫か?!」
間一髪、土方が伊織の身体を受け止めた。腕の中でプルプルと痛みに耐えている伊織をそっとベッドの上に戻して様子を窺う。
「す、すみません…。もう、大丈夫です。」
「えと、どうしよう…。どうしても、私がな、殴るとか、しないといけないんでしょうか…?」
一息ついたところで伊織は苦笑を浮かべながら問うた。
「それくらいやってやらないと割りに合わないアル!伊織ちゃんがやらないなら私がやってやるネ!!」
「ま、まって。分かった。わ、私がやるから、そそ、それはおろしてね、神楽ちゃん。」
伊織は神楽を宥めて咳払いをする。ただし一人だけだ、と宣言すると、真っ先に山崎が名乗り出てきた。
神楽達が見守る中、山崎と対峙する。なんでこんなことになったんだ…!と心の中で泣き叫ぶが、神楽達の気を収めるために意を決して両手を構えた。
「ほ、ホントにいきますよ……っっ、ご、ごめんなさい…!」
山崎は振りかざされる手を見て、目を瞑って次の衝撃を待つ。
ぱちん、なんて音は似合わない。伊織は山崎の頬をむにゅっと両手で挟んだ。
山崎は目をパチクリとさせて戸惑っている。
「はい、おしまい、です。」
「へ?」
「山崎さん。もう私のことで気に病まないでくださいね。」
「…ふぁい。」
優しすぎか!!!!
彼らの心の叫びは完全一致。
神楽達にとっては不完全燃焼もいいところだが、伊織の顔を見て何か言いかけそうになった口を閉じる。
こうして真選組の謝罪騒動は幕を閉じたのだった。ちなみに壊した床については看護師からくどくどと説教をされたが、神楽は素知らぬ顔で全ての責任を真選組に押し付けた。
_______________
本当に、怒ってなんかいないよ。
「大丈夫だ。お前が信じてやらないで誰が信じるんだよ。新八もんな暗い顔すんじゃねーよ。」
「そ、うですよね…。助かりますよね。」
土方と山崎、近藤と総悟は銀時たちの会話を静かに聞いていた。
彼らが今いる場所は大江戸病院の手術室前。
手術室の扉が開いて何度か看護師と思わしき人が出入りを繰り返す。長い時間が過ぎて手術中のランプが消えた。
中から医者が出てきたところを神楽がとっ捕まえて話を聞く。
「伊織ちゃんは大丈夫アルか?!」
「え、えぇ。出血が多かった背中の裂傷と脇腹の銃創も奇跡的に致命傷には至りませんでした。もし少しでも処置が遅かったら出血多量で危険なところでしたがね。
でも大丈夫。容態は安定していますよ。」
医者の言葉に彼らは深いため息をついた。
神楽はヘタリと椅子に座り込んで脱力している。
「それで、ご家族の方はどちらに?今回の手術についてと術後の説明をしたいのですが…」
「家族は私たちアル!!」
「え?ですがあなた方は「ゴチャゴチャうっせえなぁ!家族って言ったら家族アル!とっとと連れてけヨヤブ医者ぁ!!」
「な!?ヤブ??!!」
神楽は医者の尻をゲシゲシと蹴って進ませる。万事屋の三人は別の部屋へと移動した。
山崎はそれを見送ってズルズルと壁に背を預けて蹲み込んだ。
「助かって、本当に良かった……。」
ちょうどその時土方の携帯に着信が入り、彼は数分相手と話し合った後、静かに切った。
「例の男、白状したらしい。」
例の男、と言うのは伊織を撃った犯人のことである。
彼は見廻組の一隊士だった。彼はあの廃工場にいた秦野一派を、そしてみつを陰で操っていた真の黒幕で、脅迫文を送りつけた一派のうちの攘夷浪士を逮捕し、尋問を担当した。
みつが子供を拐って殺している間にさも犯人達から秦野一派の拠点を聞き出したかのようにタイミングを見計らって報告し、一斉検挙に乗り出して攘夷浪士を纏めて叩くつもりだったようだ。
彼が攘夷浪士とつながりを持って操れたのは、穏健派の時の頭を全員の前で殺した時に支配したかららしい。気性の荒い連中だけが残り、頭のいないそいつらを適当な捨て手駒として今回の事件の主犯とした。
彼の目的は柏木みつただ一人である。彼にとって彼女の存在は唯一無二であり、一眼見た時になんとしてでも手に入れたい魅力があったとか。
そのためにはみつの夫である柏木悟や子供の敬介達が邪魔だ。
全てを殺して彼女だけを手に入れるのも悪くないが、どうせなら彼女が柏木悟に絶望されて見放された時の反応を見てみたい。
彼女は泣くのだろうか、それとも笑うのだろうか。どちらでもいい。
あぁ!子供を殺す時に彼女はどんな顔をして殺すんだろうか!!
知りたい!!絶望に打ちひしがれる彼女の姿はさぞ美しいんだろう!!
そういう彼の狂気的な思考が今回の全ての事件を引き起こしたのだ。
彼のねじ曲がった性癖は分厚い化けの皮で覆われており、今回の案件にさほど重要性を感じていなかった異三郎はそれを見抜けなかった。
「あんなモブ顔でもサイコパスな一面持ってるとは世の中侮れねえもんでさァ。」
「オメーみてえに顔面整っててもクソドSの奴だっているんだ。そう言う奴がいたっておかしくねーよ。」
「なんでィ土方コノヤロー、やんのかぁ」
「ちょっとアンタらなにこんなところで言い合ってるんですか…」
彼らが言い争っていると、処置を終えた伊織が手術室から出てきた。ストレッチャーに乗せられた彼女には、白くて細い体には不釣り合いの包帯がぐるぐると巻かれている。
「伊織さん、すまねえなぁ…。本当に、よく頑張ったよ。」
*
_______……
「あら、神崎さん、目が覚めましたか?」
声がした方に視線だけを向けると、看護師らしき人が点滴のパックをスタンドに掛けていた。
身体が思うように動かなく、起き上がろうと腹に力を入れたら激痛が走り、じわりと涙が滲んできた。
「あぁダメよ!傷が開いちゃうからあんまり動かないでくださいね。」
「っ!…はっ………う、う゛ぁ…」
こくこくと頷いて痛みに耐える。あまりに悶えていたため、看護師さんが背中を摩ってくれた。
暫くして落ち着きを取り戻すと、看護師が採血をしながら伊織が寝ていた時のことを教えてくれた。
「もう大変だったのよ。5日間くらい炎症期で高熱が続いてたんだけど、万事屋さん達が面会謝絶だって言ってるのに全く帰らないの!ほとんど付きっきりで看病してたわ。あと、真選組の方も何度か顔を見に来ていたわね。」
「そうなんですね…。」
「ロビーのとこで寝てるからこれが終わったら呼んでくるわ。まったくいつでもお騒がせな人達なんだから。あ、体温測って。」
「いつでも?」
「そう、万事屋さんや真選組はよく怪我するからねえ。貴女よりももっととんでもない怪我こさえて担ぎ込まれたのにすーぐけろっとした顔で退院するのよ。」
とんでもない怪我…
やっぱり、私が知らないだけで彼らは危ない仕事だってやっているんだ。
そういえば坂田さん、私のこと抱えながら男の人達をやっつけてたんだよね?
なんか…本当に、全然、違うや。私の知ってる世界と、全然違う。
こういうことが日常茶飯事だなんて、もう小説や映画の中みたいじゃないか。そんなことを考えていると、ピピピと体温計が音を鳴らす。
「どれどれ。35度4分…だいぶ低いわね。傷以外にどこか痛むところはある?」
「頭痛が、少し…」
「頭痛、っと。とりあえず今は温かくしとくこと。10時ごろになったら色々検査するからそれまでは寝てて下さいね。」
そう言うと、看護師は布団を掛けなおして部屋から出て行った。
扉が閉まる音を聞きながら天井をぼんやりと眺める。
一瞬だけ元の世界かもなんて期待したけど、そんなはずないか…。
ていうか、傷痛い…。なんだこれ、めちゃくちゃ痛いぞ…。あ、涙出てきそう。
心の中でイタタタ…と叫びながら目を瞑ると目尻から涙がこぼれた。息を吸うと脇腹の傷が痛むし、身をよじろうとすると背中の傷が痛む。
身体が動かないように慎重に息を吸って少しずつ吐く。
みつさん、無事だったかな。
敬介くんと優子ちゃんはちゃんとお家に帰れたかな。
逮捕…赤ちゃんはちゃんと産めるよね?みつさんの夫はいつか子供を抱けるのかな。
「伊織ちゃああああああん!!!!!」
ガラリとドアが開いて神楽が物凄いスピードで迫ってくる。
飛びついて来ようとした瞬間、神楽は銀時と新八によって押さえつけられた。
「馬鹿かオメー!!伊織は怪我してんだぞ!?」
「そのまま突っ込んだら伊織さん死んじゃうでしょーが!!」
「離せヨ!!力加減くらいできるアル!!ぬおおお!!!」
「お、おい。伊織泣いちまったじゃねーか!!」
銀時の言葉に神楽と新八が伊織の方を向くと、彼女はポロポロと涙を流していた。
「ど、どうしたアルか?伊織ちゃん、怪我が痛いの?」
「う、ううん。違うの。か、神楽ちゃんたちの顔を見たら…安心、しちゃって……。」
伊織は震える手で涙を拭った。手に巻かれた包帯がじんわりと濡れていく。
銀時は伊織の頭を撫でた。
「お前またそんなに泣いてっと干からびちまうぞ。」
三人の優しげな表情を見て伊織の目からは涙が咳を切ったかのように溢れ出してくる。
「そ、そうだ。あの、みつさんって…」
「あのなあ。テメェはテメェの怪我の心配をしろっつーの、このお人好しが!…あの女は無事だ。ついでに腹ん中のガキもな。」
「そう、なんですね。…よかったぁ……」
グスグスと泣いていると、再び扉が開く音が聞こえた。
入って来たのは土方達、真選組だ。
「オイなに勝手に入ってきてるアルか?誰も許可してないネ。」
神楽は彼らの顔を見た途端に不機嫌になり、つっけんどんな態度で接する。心なしか、銀時と新八も雰囲気が少しだけ冷たくなった気がする。
彼らの変わりように戸惑っていると、近藤が伊織のベッドの側まで近寄ってきてバッと頭を下げた。
「すまねえ、伊織さん。こんな危険な目に合わせた上に怪我までさせちまった。」
「フンッ!謝って済むなら警察はいらないアル。」
「医者の話によりゃあ傷は完全には消えないだとよ。オメーらは伊織の傷一つねえ綺麗な身体を汚したんだ。市民一人守れねえで何が警察だ、情けねえ。」
銀時の言葉に山崎は息を飲み、ふらりと前に出て口を開いた。
「伊織ちゃん、本当にごめん。俺があの日、手伝ってくれなんて頼まなければ…」
「いや、泊まり込みで世話を頼んだ俺の責任だ。神崎、すまねえ。」
三者三様に頭を下げられ、伊織は慌てて「頭を上げて下さい」と声をかけるも。彼らはじっと動かない。
伊織は身体を起こそうとベッドの縁に手をついて力を入れた。ブルブルと腕は震えるし、脇腹の傷が痛み、それだけで疲労感がどっと湧いてくる。
息を吸い込み、思い切り力を込めて起き上がる。鈍痛に顔をしかめ、ふらりと倒れ込みそうになったところを新八に支えられた。
「っ……!ふ、…」
「伊織さん!大丈夫ですか?!」
「…う、うん…ごめんね、し、新八くん…」
しばらく新八にもたれかかって息を整え、痛みが収まるともう一度近藤達に視線を送った。
「お願いします、頭を上げて下さい。」
近藤達がようやく頭を上げて伊織を見ると、彼女は困ったような笑みを浮かべていた。
「あの、みなさんが謝る必要なんて、ありません。だ、だって、警察の大事なお仕事に安易に首を突っ込んだ自分にも、責任がありますから…
むしろ、私の方こそ、ごめんなさい。こんな傷、皆さんからしたら大したことないですよね…。ことを大袈裟にしてしまって、本当に申し訳ないです…。」
伊織が脇腹の傷をさすりながら笑っていると、銀時が大きなため息をついた。
「ハァ…普段戦い慣れてる俺らからしたら確かによくある傷かもしれねえ。けど伊織は違うだろ。
町歩くだけでもビクビクしてたお前があんなクソみてえな連中の中に放り込まれて刀振り回されて追いかけられた挙句に、出たら出たで今度は見廻組の野郎が発砲してきたんだ。ほんでもってオメーはその怪我で5日間も高熱でうなされてた。
大袈裟なんかじゃねえ。お前にとっても、俺たちにとっても一大事だったんだ。」
「伊織ちゃん、ごめんね。怖かったよね、痛かったよね…。すぐに助けに行けなくて、本当にごめん…!!」
山崎は伊織の痛々しい姿に耐えきれなくなって再び頭を下げた。今回の一件で人一倍責任を感じているのだ。
あの時泣きついていなければ、あの日一緒に玄関まで行っていれば、もっと早くに助けにいけたら…
彼の頭の中はたくさんの後悔で埋め尽くされていた。
山崎の姿を見て近藤と土方は俯いた。彼らもまた、同じである。
ポタリ
神楽達の慌てた声を聞いて山崎達は伊織を見ると、彼女は俯いて静かに涙を流していた。
「…こ、怖かったです。すごく、すごく、怖かった…!」
伊織の身体はあの日の恐怖を思い出して震えだす。
山崎はその様子を見て唇を噛み締めた。
「…でも、生まれて初めて、…皆さんからしたらちっぽけにも程があるかもしれないけど、文字通り命をかけて、敬介くんと優子ちゃんと、みつさんを連れ出したんです。」
「私、少しでも、…皆さんのお役に、たてましたか?」
「ああ。お前は俺たちの代わりにガキ供を守った。それだけじゃねえ。そいつらの母親さえ救ったんだ。
十分すぎるくらい、役に立ったさ。」
伊織は顔をあげ、涙で頬を濡らし、目と鼻を真っ赤にして笑った。
「えへへ、じゃあこの傷は…勲章、ですね。」
山崎はぽかんとした顔で伊織を見る。
「伊織ちゃんは、怒ってないの?」
「え?なんで私が怒るんですか?」
山崎の言葉に次は伊織が首を傾げた。
「だって、面倒ごとを押し付けて、その上怖い思いまでさせたんだよ?どう考えても俺らに非があるじゃないか。」
「えぇ、と、でも、二人のお世話に関しては山崎さんにも手伝ってもらってそこまで大変じゃなかったし、怪我をしたのは、自分がへなちょこだったからなので、皆さんに悪いところなんて…。」
伊織はうーんと腕を組んで考える。
「でも俺、一発ぐらい殴られないと気が済まないよ…。」
「伊織、遠慮せずに怒ったっていいんだぞ。この役立たずのポリ公どもめ!ってなぁ。」
「そうアル!一発と言わずに何発でも殴ってやるヨロシ!」
「山崎さんだけじゃありませんよ。ここには真選組局長、副長のお二人もいますからね。」
銀時達はさあ怒れ!さあ殴れ!と三人を伊織の目の前に差し出してきた。
山崎は殴られる覚悟がもうできているのか、殴りやすいように片膝をついて伊織のことを見つめている。
「い、いや、そんな失礼なことしませんよ!な、殴るだなんてそんな…!」
「なんだ?拳が使えねえってんなら俺の木刀貸すぞ。ほれ。」
銀時はぽんっと伊織の手に木刀を持たせる。
「ももも、もっと大変じゃないですか!こ、こんな凶器で、ひ、人なんて、殴れませんよお!」
「大丈夫ですよ。伊織さんぐらいの力なら多分痛くも痒くもありませんって。」
「おい新八ぃ。痛くも痒くもなかったら意味ねえじゃねえか。」
「伊織ちゃん、男の急所でも狙えばいいアル。とりあえずこのゴリラでお手本見せるネ。」
伊織のことを置いてきぼりにして神楽達は話を進めていく。
神楽は番傘を手に取って近藤の制止の声も聞かずに彼の股間目掛けてそれを振り下ろした。
伊織は顔を青ざめさせて目を瞑る。ドゴォッと床が割れる音がした後、そっと目を開けると、近藤はどうにか神楽の一発を避けていた。
「おいなに避けてるアルか。○玉の一つや二つ差し出すくらいの覚悟も出来てないなら出直してこいヨ。」
「いやいやいや!2つ差し出したら終わるから!俺の男としての尊厳が失われるから!!!」
銀時と新八は彼らから目を逸らして自分のそれを守るように手をかざしている。
神楽は土方と目が合うと、次はお前だとでもいうかのように番傘を構えた。
「だ、ダメだよ神楽ちゃん!!ストップ!ストップ!」
伊織はベッドから身を乗り出して土方を庇ったが、突然動いたことで背中の傷がビキリと痛み、寝たきりの身体ではバランスを保てず崩れるように床へ顔面ダイブをかましそうになる。
「お、おい!大丈夫か?!」
間一髪、土方が伊織の身体を受け止めた。腕の中でプルプルと痛みに耐えている伊織をそっとベッドの上に戻して様子を窺う。
「す、すみません…。もう、大丈夫です。」
「えと、どうしよう…。どうしても、私がな、殴るとか、しないといけないんでしょうか…?」
一息ついたところで伊織は苦笑を浮かべながら問うた。
「それくらいやってやらないと割りに合わないアル!伊織ちゃんがやらないなら私がやってやるネ!!」
「ま、まって。分かった。わ、私がやるから、そそ、それはおろしてね、神楽ちゃん。」
伊織は神楽を宥めて咳払いをする。ただし一人だけだ、と宣言すると、真っ先に山崎が名乗り出てきた。
神楽達が見守る中、山崎と対峙する。なんでこんなことになったんだ…!と心の中で泣き叫ぶが、神楽達の気を収めるために意を決して両手を構えた。
「ほ、ホントにいきますよ……っっ、ご、ごめんなさい…!」
山崎は振りかざされる手を見て、目を瞑って次の衝撃を待つ。
ぱちん、なんて音は似合わない。伊織は山崎の頬をむにゅっと両手で挟んだ。
山崎は目をパチクリとさせて戸惑っている。
「はい、おしまい、です。」
「へ?」
「山崎さん。もう私のことで気に病まないでくださいね。」
「…ふぁい。」
優しすぎか!!!!
彼らの心の叫びは完全一致。
神楽達にとっては不完全燃焼もいいところだが、伊織の顔を見て何か言いかけそうになった口を閉じる。
こうして真選組の謝罪騒動は幕を閉じたのだった。ちなみに壊した床については看護師からくどくどと説教をされたが、神楽は素知らぬ顔で全ての責任を真選組に押し付けた。
_______________
本当に、怒ってなんかいないよ。