とある音大生の女の子が知らない世界に放り出されるお話
第1章 狭間で揺れ動くは儚き花
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浪士たちとの睨み合いが続くこと数十分。
「どうするんですかィ、土方さん」
総悟がチラリと土方を見遣る。土方の眉間には深いシワが刻まれていた。
「チッ…埒があかねえ!こうなったらバズーカでも撃ち込んで
「な!?駄目ですよ!もしそれが伊織ちゃんに当たりでもしたらどうするんですか?!」
あたふたしながら山崎が止めると、土方は眉を吊り上げて「だったらオメーが代案出せコノヤロー!!!」と掴みかかる。
彼らがゴタついていると、工場の横に隣接するトタンの大倉庫からガシャーンと何かが崩れるような物音が響いた。
何だ!?と振り向いて刀に手を掛ける。
ギギギと重苦しい音を立てて少しだけ開いた扉から小さい人影が飛び出すと、すぐにその扉は閉まった。
「え!?」
「お、オイ!!アイツらに浪士どもを近づけさせるなあああ!!!」
山崎は目を見開き、土方は狼狽えながらも工場の入り口付近にいる敵が近づいて来るのを払うように指示を出す。
こちらに駆け寄ってくる人影とは、敬介と優子だったのだ。
敬介は真選組の隊士たちを見るとパァッと目を輝かせて叫ぶ。
「黒い服のお兄ちゃんみーっけた!!」
山崎に抱きつく二人に神楽たちが駆け寄ると、敬介と優子は慌てたように山崎の背に隠れた。
「ちょ、二人ともどうしたの?っていうか何で二人だけここに?」
「おいガキンチョ!伊織ちゃんは何処にいるアルか?!」
「オレたち伊織と約束したの!!黒い服のお兄ちゃんたち以外に見つかっちゃダメだって!!だから来ないでよお!!」
敬介が優子を守るように抱きしめる。それを見た新八は神楽の肩を掴んで後ろに引き寄せた。
近藤が二人に近づいて視線を合わせるようにしゃがみ込む。
「敬介君、優子ちゃん、伊織さんはなんて言ってたのかお兄さんたちに教えてくれないか?」
「えぇ…おじさんはお兄ちゃんじゃなくてゴリラでしょ?山崎になら教えてあげてもいいよ。」
敬介が顔を顰めて辛辣な言葉を投げかける。子供の純粋な指摘に近藤はグッと胸を抑え、地面に手をつく。ダメージは絶大なようだ。
そして年端もいかぬ子供に呼び捨てにされた山崎もこめかみあたりがピクピクと動いている。フゥゥと息を吐いてにこりと笑い、二人に問いかけた。
「で、伊織ちゃんは何て言ってたの?」
「んっとね、隠れ鬼をしてるから、シーだよって。」
敬介は口に人差し指を当てて口を噤む。
隠れ鬼?と頭にハテナを浮かべる山崎たち。
「それで、部屋から出て隠れながらあそこまで行ったの。そしたらそこに鬼さんがいたから、伊織が鬼さんを引きつけてるうちに外に出て黒い服のお兄ちゃんたちのところに行くんだよって言ってた。」
「どういうことだぁ?こいつら自分が拐われてたことに気付いていないのか?」
「もしかしたら伊織さん、子供に危険な状況を伝えてパニックにならないようにあえて言葉を濁したんじゃ…」
「それじゃあ鬼を引きつけるって、まさか伊織ちゃん!」
新八たちは二人が出てきた倉庫を見て身の毛がよだった。
「…そ、それとね、お母様を鬼さんから迎えに行かなきゃって言ってたよ。」
敬介の横でモジモジとしていた優子がポツリとこぼした言葉に全員が固まる。
「どういうことだ。柏木みつは神崎たちを拐った張本人だぞ。」
「何か事情があったのか?クソッ!状況がハッキリしねえな!!」
「にしたって伊織さんだけで浪士共から人一人奪還するなんていくら何でも無謀でさァ。下手したら殺されちまうぞ。」
「チッ!おいお前ら!ガキ共はパトカーにでも乗せとけ。真選組以外は誰もそいつらに近寄らせるな。警護をつけろ!」
「わかりました!」
数名の隊士が二人を連れてパトカーへと向かったその時。
「おや、パトカーが道を塞いでいると思えば真選組の皆さんじゃありませんか。」
隙間を縫って現れたのは見廻組局長の佐々木異三郎と副長の今井信女だった。
「まったくこれでは見廻組の隊士達がここに来るのにも一苦労ですよ…。警察としての役目を果たさないのであればさっさとこの邪魔なものをどけてくれませんかね。見たところ攘夷浪士は見張りぐらいしか捕まえていないじゃ無いですか。」
「ふざけるな!!中にはまだ人質がいるんだ!お前らが今踏み込めば乱闘に巻き込まれるだろうが!!」
「子供は助けたのでしょう?先ほどそちらで見かけましたよ。」
「まだ女性が一人残っています!
今回ばかりはここを通すわけにはいきません!オレの時と違って中にいるのはか弱い一般人ですから!!」
鉄之助が異三郎の前に立ちはだかり両手を広げる。
「オイ万事屋、早く行け。見廻組は俺たち真選組が引き止める。…アイツを頼む。」
土方はすれ違いざまに小さな声で謝った。
「行くぞ新八、神楽!!」
銀時達三人は駆け出した。
その後ろ姿を見て異三郎はため息を溢す。
「また坂田さん絡みですか…。まったく彼が関わると碌なことがない。」
「異三郎、どうするの。こいつら斬っていい?」
信女が音を立てて鯉口を切るとそれに反応して総悟が柄を握った。
二人の睨み合いがしばらく続く。そんな中、近藤が口を開いた。
「俺たち真選組の目的はあくまで人質救出。攘夷浪士一斉逮捕の手柄なんてそちらに譲るくらい訳ねえよ。
…それでも突入するつもりか?佐々木殿。」
「はぁ…わかりましたよ。私も無駄な争い事は御免です。その人質とやらが出てくるまでは待ちましょう。」
鉄之助はほっと胸を撫で下ろした。
これで彼女が乱闘に巻き込まれることはない。後は万事屋が…。
祈るように彼らが入っていった廃工場に視線を送った。
「くそ…何で真選組がいるんだ…!?それにガキ共が死んでいないだと?…何をやってるんだ彼女は!このままじゃ僕の計画が…」
ある男は爪を噛んで焦る。みつを唆したその男は血走った目で廃工場を睨んだ。綿密に立てた計画がガラガラと崩れていく音に呻きたくなる衝動を必死に抑えて平静を保つのだった。
*
伊織は子供二人を連れてソロソロと廃工場の中を歩き回った。
一つの大きな階段はおそらく正面の入り口につながっているのだろう。
そう思った伊織は建物の端へと向かう。
みつのおかげで浪士達は殆どいない。廊下の角に差し掛かり、壁に背を預けて息を整える。
落ち着け、落ち着け______
人がいたら、物音を立てずにきた道を戻ればいい。大丈夫、できる。
そろりと曲がり角の先を覗くと、そこには何処か別の建物へと繋がる道があった。工具やら機材やらが積まれて先が見えない。
喉をひくつかせて小さく息を吐く。
いったん優子を降ろして着物の裾を掴み、帯の内側へとねじ込む。少しでも動きやすい格好になるためだ。
そうして準備が整うと、ヒソヒソ声で二人に先に進むと伝えた。
どうにかその道を抜けると、天井が高い倉庫へとつながっていた。コンテナのようなものが乱雑に積まれている。グッと背伸びをして辺りを見回すと、向かって右手の壁から光が漏れているのが見えた。
扉がある!!と安堵のため息をつこうとしたら、奥で誰かが話す声が聞こえて瞬時に緊迫感が舞い戻ってくる。
痛いくらいに心臓が波打ち、伊織はポタリと汗を垂らしてその場に蹲み込んだ。二人を抱きしめて耳を澄ませる。
耳が良くてよかった…。気づかずに扉のところへ駆け寄ってたら今頃…。
会話、してるよね。多分二人。方向的に扉のすぐ近く。
出口はすぐそこ。全力で走れば振り切れる気がする。
でも、みつさんは?私、このまま外に出ていいの?
一緒に出るって約束したじゃない。でも、私なんかが行って助けられるかな…。真選組の方々に頼んで、………
伊織は数秒目を瞑って息を整え、目を開くと二人に笑いかけた。
さらに抱き寄せて二人の耳元で囁く。
「よく聞いてね。私がそこにいる鬼さん達を引きつけるうちに二人はあの光が漏れているところからお外に出るの。分かった?」
「伊織はどうするの?」
「私は、……二人のお母さんを迎えにいかないとね。だから、二人だけで黒い服のお兄さん達のところに行くのよ。」
二人がコクリと頷いたのを見て伊織は微笑んだ。
そして立ち上がってコンテナの隙間から倉庫の様子を窺う。
扉よりもっと奥の壁側に二人の男。道は先ほど通ってきたこの通路の他ない。扉まではコンテナが壁になるから物音を立てなければ見つからないだろう。
問題はその出る瞬間だ。建物の年季の入り具合からして確実に音が鳴るはず。そこで気づかれて捕まったら全てがおじゃんだ。あの二人が近づけないように、そして子供に視線がいかないようにするには…
両手で心臓を押さえ込むように胸に手を当てる。喉はカラカラ、冷や汗は垂れるし震えなんて止まる気配がない。
ホロリと溢れた涙を慌てて拭って無理やり笑顔を作った。
「私が扉を開けたら全力で走るのよ。絶対に手を離しちゃダメ。二人で行くこと。」
そう言って二人を扉のところまで連れていく。ずっと外を見ている浪士達はまだこちらの存在に気付いていない。
ブルブルと震える手を扉のつまみに当てる。
3、2、1
ギギギと錆び付いた引き戸をこじ開けて二人の背中を押した。
音に気づいた浪士が立ち上がってこちらへと向かってくる。すぐさま扉を閉めてコンテナの上に積んであった機材を通路に落とすと伊織は全力で逃げた。
「お、おい!今ガキが!」「もう間に合わねーよ!あの女を追うぞ!!逃すな!!」
捕まったら殺されるという恐怖が付き纏い、何度も足を縺れさせながら狭い通路を走り抜ける。
小柄な伊織にとってはスルスルと進めたが、二人の男は荒々しく積荷をなぎ倒していてなかなか先まで辿りつかない。その様子を見て好機とばかりに伊織は再び走り出した。
途中、剥き出しの鉄骨や壊れた棚にぶつかって着物が破けたり傷ができるが、伊織はボロボロと涙を流して震える口を噤む。耳を澄ましてみつの居場所を探していると、上の階からザワザワと音が聞こえる。
階段を見つけて駆け上がろうとした時、ピタリと動きが止まった。緊張や恐怖で足がすくんで動かなくなってしまったのだ。
やっぱり、もう、戻ろう。私なんかじゃ、みつさんを助けられない…。
傷は痛いし、心臓も痛い。胃だってキリキリ痛むし。
手すりを掴んでいた手から力が抜ける。
手足の指は震えすぎて今はビリビリと痺れを感じる。
一人になった途端に自分にはもう振り絞る勇気なんてこれっぽっちも残っていないことに気付いて虚無感に襲われた。
頭の中は空っぽ。
___________それでも、伊織の足は一歩一歩階段を登っていた。
徐々に足取りは軽くなっていき、階段を登り終えると音のする方へと駆け出す。怖い、死にたくない、助けて欲しい、なんて思いはすでに頭の中になく、ただ体の動くままに行動した。
バタンと扉を開けると、中にいた人々は一斉にこちらを振り返る。そんな視線をものともせず、伊織はそのうち一人、みつの元へと一目散に駆け寄って手を取り、すぐに走り出した。
呆気にとられて動きを止めていた浪士達が一斉に襲いかかってくる。
一番近くにいた男がみつに向かって真剣を振りかざすのを捉えた伊織は彼女の腕を引っ掴んで自分の位置とすり替えた。
ザシュッと肩から甲冑骨辺りの肌を引き裂かれる感触にカハッと空気を吐き出して倒れそうになったところをみつが引っ張って何とか持ち堪えた。
「ばか!!!アンタなんで逃げてないのよ?!」
みつは走りながら伊織に向かって怒鳴るが、伊織は何も答えずにひた走る。
そして階段の手前で振り返って、壁に立てかけてあった鉄パイプの束を向かってくる浪士達の方向へと押しやった。
それなりに長さのあるパイプは激しい音を立てて地面へと転がる。浪士たちの足止めにはなったものの、そのうちの数本は押しきれなかった数本がこちら側へと倒れてきて、伊織が庇うように差し出した腕と頭に直撃した。
グワングワンと揺れ動く視界に耐えながら、ようやく声を絞り出す。
「み、つさ…一緒に、こ、ここから、出ましょう。」
「何やってんのよ!!せっかく時間を稼いだのに、どうして…どうしてこんなところにいるのよぉ!!」
耐えきれなくなったみつがポタポタと涙を流して俯く。
そんなみつの手をもう一度握り直していつものように微笑むと、伊織は階段を降り始めた。
「走れ、ますか?」
「…うん。」
背中が、熱い。裂傷はまるで燃えているのかと思うほど熱く、初めての激しい痛みに涙が溢れる。
あと一階分、降りたら、外に出られる。はやく、はやく、はやく。
そんな思いも虚しく、伊織とみつの前に現れたのは倉庫にいた二人組の男たち。慌てて引き返すも、上の階から降りてきた男たちが行く手を阻む。
間に合わなかった…
上から迫りくる刃がスローモーションのように見える。
伊織の瞳から一粒の涙が滴り落ちた。
瞬間、誰かの手が伊織の視界を覆い隠し、華奢なその身体を抱きとめた。
カシャンと刀が地面に落ちる音、人間が倒れ伏す音、ざわめく人の声。
たくさんの音がざわざわと耳に入ってくるが、その全てをかき消すかのように一人の男の声が伊織の鼓膜を震わせた。
「…よくがんばったな、伊織。もう大丈夫だ。」
「…さ、かた、さん」
ワナワナと口が震え、これでもかというほど涙が洪水のように溢れた。
銀時は軽々と伊織を抱えて攘夷浪士どもを片腕のみで蹴散らしていく。
そのうち向かってくる者がいなくなると、手すりを掴んで下に向かって叫んだ。
「新八!神楽!!伊織は見つけたからとっととずらかるぞ!!」
「んで、アンタが例の誘拐犯?」
「…そうよ。殺るなら、一思いにやって。」
「事情は知らねーが伊織が命掛けて守ったんだ。お前もついて来い。」
そう言って背を向けた銀時にみつは唖然としたが、彼の背中越しに伊織の姿を見て大人しく着いて行った。
1階に辿り着くと新八と神楽が銀時の元へ駆け寄ってきて、伊織の傷を見て息を飲む。
「伊織ちゃん…!!」
「伊織さん!」
「かぐら、ちゃんに、…しんぱちくん。どうしてみんな、ここに…?」
「んなもん決まってんだろ。助けに来たんだよ、伊織をな。」
「そっかぁ…」と小さく呟き、伊織は瞳を閉じて涙をハラハラと流した。
伊織たちが外へ出たのと同時に見廻組の隊士たちが入れ替わるように建物の中へと入って行った。
近藤率いる真選組は伊織の元へと集まり、安否を確認する。
「伊織ちゃん!!」
「止血急げ!それと救急車呼べ!」
銀時たちに支えられて肩と頭をタオルで抑えられ、伊織は為すがままに身を任せる。
ボーッと視線をみつに移すと、彼女は土方や総悟、そして白い隊服を着た女性に刀を突き付けられていた。
「待って!!!」
伊織が震える手を伸ばして制止する。
「ちが、う。みつさんは、悪くない…。だから、お願い…!!傷つけないで…!」
涙を落としながら、掠れた声でやめてと呟く。
銀時の着流をくしゃりと掴んで立ち上がると、よろよろとみつを刀から遠ざけた。
「お腹には、子供が、いるの…!みつさんは、ただ、」
「もういいよ伊織さん。ありがとう、庇ってくれて。」
みつは優しく伊織の手を振り解いて土方たちと向き合う。
「見廻組でも、真選組でも、どちらでもいいです。
私は敬介と優子と伊織さんを誘拐して殺そうとしました。
なので、…逮捕、してください。」
「ここは見廻組が引き受けましょう。柏木悟に関する一連の案件は私たち見廻組の管轄ですので。」
そう言うと、異三郎は手錠を取り出してみつの両手にそれを掛けた。
連れて行かれる前にみつは「ちょっと待ってください」と異三郎を止め、伊織の方を振り向くと彼女のもとに歩み寄り、怪我をしていない方の肩に顔を埋めた。
「伊織さん、本当にありがとう。こんな怪我までして、私と敬介と優子を守ってくれて。私、きっと悟さんに捨てられちゃうけど、この子のためにも、絶対に罪を償って生きるわ。
あなたのおかげで私は母親に戻れたよ。本当に、感謝しても、しきれない…!!」
じんわりと肩の着物が温かくなっていくのを感じた伊織はそっとみつを抱きしめた。
「みつさん。私、またあなたと」
伊織は言いとどまってみつを突き放した。突然のことにみつはバランスを崩して尻餅をつく。
そして『バン!』と銃声が鳴り響き、伊織の身体が後ろへと傾いた。
誰かが名前を呼んでいる。
お腹が痛い。
何かがこみ上げて来る。
お願い、誰か。彼を、みつさんを唆した彼を捕まえて。
そう思いながら伊織はゆっくりとまぶたを閉じたのだった。
______________
自分にできることは、やり尽くしたから。
「どうするんですかィ、土方さん」
総悟がチラリと土方を見遣る。土方の眉間には深いシワが刻まれていた。
「チッ…埒があかねえ!こうなったらバズーカでも撃ち込んで
「な!?駄目ですよ!もしそれが伊織ちゃんに当たりでもしたらどうするんですか?!」
あたふたしながら山崎が止めると、土方は眉を吊り上げて「だったらオメーが代案出せコノヤロー!!!」と掴みかかる。
彼らがゴタついていると、工場の横に隣接するトタンの大倉庫からガシャーンと何かが崩れるような物音が響いた。
何だ!?と振り向いて刀に手を掛ける。
ギギギと重苦しい音を立てて少しだけ開いた扉から小さい人影が飛び出すと、すぐにその扉は閉まった。
「え!?」
「お、オイ!!アイツらに浪士どもを近づけさせるなあああ!!!」
山崎は目を見開き、土方は狼狽えながらも工場の入り口付近にいる敵が近づいて来るのを払うように指示を出す。
こちらに駆け寄ってくる人影とは、敬介と優子だったのだ。
敬介は真選組の隊士たちを見るとパァッと目を輝かせて叫ぶ。
「黒い服のお兄ちゃんみーっけた!!」
山崎に抱きつく二人に神楽たちが駆け寄ると、敬介と優子は慌てたように山崎の背に隠れた。
「ちょ、二人ともどうしたの?っていうか何で二人だけここに?」
「おいガキンチョ!伊織ちゃんは何処にいるアルか?!」
「オレたち伊織と約束したの!!黒い服のお兄ちゃんたち以外に見つかっちゃダメだって!!だから来ないでよお!!」
敬介が優子を守るように抱きしめる。それを見た新八は神楽の肩を掴んで後ろに引き寄せた。
近藤が二人に近づいて視線を合わせるようにしゃがみ込む。
「敬介君、優子ちゃん、伊織さんはなんて言ってたのかお兄さんたちに教えてくれないか?」
「えぇ…おじさんはお兄ちゃんじゃなくてゴリラでしょ?山崎になら教えてあげてもいいよ。」
敬介が顔を顰めて辛辣な言葉を投げかける。子供の純粋な指摘に近藤はグッと胸を抑え、地面に手をつく。ダメージは絶大なようだ。
そして年端もいかぬ子供に呼び捨てにされた山崎もこめかみあたりがピクピクと動いている。フゥゥと息を吐いてにこりと笑い、二人に問いかけた。
「で、伊織ちゃんは何て言ってたの?」
「んっとね、隠れ鬼をしてるから、シーだよって。」
敬介は口に人差し指を当てて口を噤む。
隠れ鬼?と頭にハテナを浮かべる山崎たち。
「それで、部屋から出て隠れながらあそこまで行ったの。そしたらそこに鬼さんがいたから、伊織が鬼さんを引きつけてるうちに外に出て黒い服のお兄ちゃんたちのところに行くんだよって言ってた。」
「どういうことだぁ?こいつら自分が拐われてたことに気付いていないのか?」
「もしかしたら伊織さん、子供に危険な状況を伝えてパニックにならないようにあえて言葉を濁したんじゃ…」
「それじゃあ鬼を引きつけるって、まさか伊織ちゃん!」
新八たちは二人が出てきた倉庫を見て身の毛がよだった。
「…そ、それとね、お母様を鬼さんから迎えに行かなきゃって言ってたよ。」
敬介の横でモジモジとしていた優子がポツリとこぼした言葉に全員が固まる。
「どういうことだ。柏木みつは神崎たちを拐った張本人だぞ。」
「何か事情があったのか?クソッ!状況がハッキリしねえな!!」
「にしたって伊織さんだけで浪士共から人一人奪還するなんていくら何でも無謀でさァ。下手したら殺されちまうぞ。」
「チッ!おいお前ら!ガキ共はパトカーにでも乗せとけ。真選組以外は誰もそいつらに近寄らせるな。警護をつけろ!」
「わかりました!」
数名の隊士が二人を連れてパトカーへと向かったその時。
「おや、パトカーが道を塞いでいると思えば真選組の皆さんじゃありませんか。」
隙間を縫って現れたのは見廻組局長の佐々木異三郎と副長の今井信女だった。
「まったくこれでは見廻組の隊士達がここに来るのにも一苦労ですよ…。警察としての役目を果たさないのであればさっさとこの邪魔なものをどけてくれませんかね。見たところ攘夷浪士は見張りぐらいしか捕まえていないじゃ無いですか。」
「ふざけるな!!中にはまだ人質がいるんだ!お前らが今踏み込めば乱闘に巻き込まれるだろうが!!」
「子供は助けたのでしょう?先ほどそちらで見かけましたよ。」
「まだ女性が一人残っています!
今回ばかりはここを通すわけにはいきません!オレの時と違って中にいるのはか弱い一般人ですから!!」
鉄之助が異三郎の前に立ちはだかり両手を広げる。
「オイ万事屋、早く行け。見廻組は俺たち真選組が引き止める。…アイツを頼む。」
土方はすれ違いざまに小さな声で謝った。
「行くぞ新八、神楽!!」
銀時達三人は駆け出した。
その後ろ姿を見て異三郎はため息を溢す。
「また坂田さん絡みですか…。まったく彼が関わると碌なことがない。」
「異三郎、どうするの。こいつら斬っていい?」
信女が音を立てて鯉口を切るとそれに反応して総悟が柄を握った。
二人の睨み合いがしばらく続く。そんな中、近藤が口を開いた。
「俺たち真選組の目的はあくまで人質救出。攘夷浪士一斉逮捕の手柄なんてそちらに譲るくらい訳ねえよ。
…それでも突入するつもりか?佐々木殿。」
「はぁ…わかりましたよ。私も無駄な争い事は御免です。その人質とやらが出てくるまでは待ちましょう。」
鉄之助はほっと胸を撫で下ろした。
これで彼女が乱闘に巻き込まれることはない。後は万事屋が…。
祈るように彼らが入っていった廃工場に視線を送った。
「くそ…何で真選組がいるんだ…!?それにガキ共が死んでいないだと?…何をやってるんだ彼女は!このままじゃ僕の計画が…」
ある男は爪を噛んで焦る。みつを唆したその男は血走った目で廃工場を睨んだ。綿密に立てた計画がガラガラと崩れていく音に呻きたくなる衝動を必死に抑えて平静を保つのだった。
*
伊織は子供二人を連れてソロソロと廃工場の中を歩き回った。
一つの大きな階段はおそらく正面の入り口につながっているのだろう。
そう思った伊織は建物の端へと向かう。
みつのおかげで浪士達は殆どいない。廊下の角に差し掛かり、壁に背を預けて息を整える。
落ち着け、落ち着け______
人がいたら、物音を立てずにきた道を戻ればいい。大丈夫、できる。
そろりと曲がり角の先を覗くと、そこには何処か別の建物へと繋がる道があった。工具やら機材やらが積まれて先が見えない。
喉をひくつかせて小さく息を吐く。
いったん優子を降ろして着物の裾を掴み、帯の内側へとねじ込む。少しでも動きやすい格好になるためだ。
そうして準備が整うと、ヒソヒソ声で二人に先に進むと伝えた。
どうにかその道を抜けると、天井が高い倉庫へとつながっていた。コンテナのようなものが乱雑に積まれている。グッと背伸びをして辺りを見回すと、向かって右手の壁から光が漏れているのが見えた。
扉がある!!と安堵のため息をつこうとしたら、奥で誰かが話す声が聞こえて瞬時に緊迫感が舞い戻ってくる。
痛いくらいに心臓が波打ち、伊織はポタリと汗を垂らしてその場に蹲み込んだ。二人を抱きしめて耳を澄ませる。
耳が良くてよかった…。気づかずに扉のところへ駆け寄ってたら今頃…。
会話、してるよね。多分二人。方向的に扉のすぐ近く。
出口はすぐそこ。全力で走れば振り切れる気がする。
でも、みつさんは?私、このまま外に出ていいの?
一緒に出るって約束したじゃない。でも、私なんかが行って助けられるかな…。真選組の方々に頼んで、………
伊織は数秒目を瞑って息を整え、目を開くと二人に笑いかけた。
さらに抱き寄せて二人の耳元で囁く。
「よく聞いてね。私がそこにいる鬼さん達を引きつけるうちに二人はあの光が漏れているところからお外に出るの。分かった?」
「伊織はどうするの?」
「私は、……二人のお母さんを迎えにいかないとね。だから、二人だけで黒い服のお兄さん達のところに行くのよ。」
二人がコクリと頷いたのを見て伊織は微笑んだ。
そして立ち上がってコンテナの隙間から倉庫の様子を窺う。
扉よりもっと奥の壁側に二人の男。道は先ほど通ってきたこの通路の他ない。扉まではコンテナが壁になるから物音を立てなければ見つからないだろう。
問題はその出る瞬間だ。建物の年季の入り具合からして確実に音が鳴るはず。そこで気づかれて捕まったら全てがおじゃんだ。あの二人が近づけないように、そして子供に視線がいかないようにするには…
両手で心臓を押さえ込むように胸に手を当てる。喉はカラカラ、冷や汗は垂れるし震えなんて止まる気配がない。
ホロリと溢れた涙を慌てて拭って無理やり笑顔を作った。
「私が扉を開けたら全力で走るのよ。絶対に手を離しちゃダメ。二人で行くこと。」
そう言って二人を扉のところまで連れていく。ずっと外を見ている浪士達はまだこちらの存在に気付いていない。
ブルブルと震える手を扉のつまみに当てる。
3、2、1
ギギギと錆び付いた引き戸をこじ開けて二人の背中を押した。
音に気づいた浪士が立ち上がってこちらへと向かってくる。すぐさま扉を閉めてコンテナの上に積んであった機材を通路に落とすと伊織は全力で逃げた。
「お、おい!今ガキが!」「もう間に合わねーよ!あの女を追うぞ!!逃すな!!」
捕まったら殺されるという恐怖が付き纏い、何度も足を縺れさせながら狭い通路を走り抜ける。
小柄な伊織にとってはスルスルと進めたが、二人の男は荒々しく積荷をなぎ倒していてなかなか先まで辿りつかない。その様子を見て好機とばかりに伊織は再び走り出した。
途中、剥き出しの鉄骨や壊れた棚にぶつかって着物が破けたり傷ができるが、伊織はボロボロと涙を流して震える口を噤む。耳を澄ましてみつの居場所を探していると、上の階からザワザワと音が聞こえる。
階段を見つけて駆け上がろうとした時、ピタリと動きが止まった。緊張や恐怖で足がすくんで動かなくなってしまったのだ。
やっぱり、もう、戻ろう。私なんかじゃ、みつさんを助けられない…。
傷は痛いし、心臓も痛い。胃だってキリキリ痛むし。
手すりを掴んでいた手から力が抜ける。
手足の指は震えすぎて今はビリビリと痺れを感じる。
一人になった途端に自分にはもう振り絞る勇気なんてこれっぽっちも残っていないことに気付いて虚無感に襲われた。
頭の中は空っぽ。
___________それでも、伊織の足は一歩一歩階段を登っていた。
徐々に足取りは軽くなっていき、階段を登り終えると音のする方へと駆け出す。怖い、死にたくない、助けて欲しい、なんて思いはすでに頭の中になく、ただ体の動くままに行動した。
バタンと扉を開けると、中にいた人々は一斉にこちらを振り返る。そんな視線をものともせず、伊織はそのうち一人、みつの元へと一目散に駆け寄って手を取り、すぐに走り出した。
呆気にとられて動きを止めていた浪士達が一斉に襲いかかってくる。
一番近くにいた男がみつに向かって真剣を振りかざすのを捉えた伊織は彼女の腕を引っ掴んで自分の位置とすり替えた。
ザシュッと肩から甲冑骨辺りの肌を引き裂かれる感触にカハッと空気を吐き出して倒れそうになったところをみつが引っ張って何とか持ち堪えた。
「ばか!!!アンタなんで逃げてないのよ?!」
みつは走りながら伊織に向かって怒鳴るが、伊織は何も答えずにひた走る。
そして階段の手前で振り返って、壁に立てかけてあった鉄パイプの束を向かってくる浪士達の方向へと押しやった。
それなりに長さのあるパイプは激しい音を立てて地面へと転がる。浪士たちの足止めにはなったものの、そのうちの数本は押しきれなかった数本がこちら側へと倒れてきて、伊織が庇うように差し出した腕と頭に直撃した。
グワングワンと揺れ動く視界に耐えながら、ようやく声を絞り出す。
「み、つさ…一緒に、こ、ここから、出ましょう。」
「何やってんのよ!!せっかく時間を稼いだのに、どうして…どうしてこんなところにいるのよぉ!!」
耐えきれなくなったみつがポタポタと涙を流して俯く。
そんなみつの手をもう一度握り直していつものように微笑むと、伊織は階段を降り始めた。
「走れ、ますか?」
「…うん。」
背中が、熱い。裂傷はまるで燃えているのかと思うほど熱く、初めての激しい痛みに涙が溢れる。
あと一階分、降りたら、外に出られる。はやく、はやく、はやく。
そんな思いも虚しく、伊織とみつの前に現れたのは倉庫にいた二人組の男たち。慌てて引き返すも、上の階から降りてきた男たちが行く手を阻む。
間に合わなかった…
上から迫りくる刃がスローモーションのように見える。
伊織の瞳から一粒の涙が滴り落ちた。
瞬間、誰かの手が伊織の視界を覆い隠し、華奢なその身体を抱きとめた。
カシャンと刀が地面に落ちる音、人間が倒れ伏す音、ざわめく人の声。
たくさんの音がざわざわと耳に入ってくるが、その全てをかき消すかのように一人の男の声が伊織の鼓膜を震わせた。
「…よくがんばったな、伊織。もう大丈夫だ。」
「…さ、かた、さん」
ワナワナと口が震え、これでもかというほど涙が洪水のように溢れた。
銀時は軽々と伊織を抱えて攘夷浪士どもを片腕のみで蹴散らしていく。
そのうち向かってくる者がいなくなると、手すりを掴んで下に向かって叫んだ。
「新八!神楽!!伊織は見つけたからとっととずらかるぞ!!」
「んで、アンタが例の誘拐犯?」
「…そうよ。殺るなら、一思いにやって。」
「事情は知らねーが伊織が命掛けて守ったんだ。お前もついて来い。」
そう言って背を向けた銀時にみつは唖然としたが、彼の背中越しに伊織の姿を見て大人しく着いて行った。
1階に辿り着くと新八と神楽が銀時の元へ駆け寄ってきて、伊織の傷を見て息を飲む。
「伊織ちゃん…!!」
「伊織さん!」
「かぐら、ちゃんに、…しんぱちくん。どうしてみんな、ここに…?」
「んなもん決まってんだろ。助けに来たんだよ、伊織をな。」
「そっかぁ…」と小さく呟き、伊織は瞳を閉じて涙をハラハラと流した。
伊織たちが外へ出たのと同時に見廻組の隊士たちが入れ替わるように建物の中へと入って行った。
近藤率いる真選組は伊織の元へと集まり、安否を確認する。
「伊織ちゃん!!」
「止血急げ!それと救急車呼べ!」
銀時たちに支えられて肩と頭をタオルで抑えられ、伊織は為すがままに身を任せる。
ボーッと視線をみつに移すと、彼女は土方や総悟、そして白い隊服を着た女性に刀を突き付けられていた。
「待って!!!」
伊織が震える手を伸ばして制止する。
「ちが、う。みつさんは、悪くない…。だから、お願い…!!傷つけないで…!」
涙を落としながら、掠れた声でやめてと呟く。
銀時の着流をくしゃりと掴んで立ち上がると、よろよろとみつを刀から遠ざけた。
「お腹には、子供が、いるの…!みつさんは、ただ、」
「もういいよ伊織さん。ありがとう、庇ってくれて。」
みつは優しく伊織の手を振り解いて土方たちと向き合う。
「見廻組でも、真選組でも、どちらでもいいです。
私は敬介と優子と伊織さんを誘拐して殺そうとしました。
なので、…逮捕、してください。」
「ここは見廻組が引き受けましょう。柏木悟に関する一連の案件は私たち見廻組の管轄ですので。」
そう言うと、異三郎は手錠を取り出してみつの両手にそれを掛けた。
連れて行かれる前にみつは「ちょっと待ってください」と異三郎を止め、伊織の方を振り向くと彼女のもとに歩み寄り、怪我をしていない方の肩に顔を埋めた。
「伊織さん、本当にありがとう。こんな怪我までして、私と敬介と優子を守ってくれて。私、きっと悟さんに捨てられちゃうけど、この子のためにも、絶対に罪を償って生きるわ。
あなたのおかげで私は母親に戻れたよ。本当に、感謝しても、しきれない…!!」
じんわりと肩の着物が温かくなっていくのを感じた伊織はそっとみつを抱きしめた。
「みつさん。私、またあなたと」
伊織は言いとどまってみつを突き放した。突然のことにみつはバランスを崩して尻餅をつく。
そして『バン!』と銃声が鳴り響き、伊織の身体が後ろへと傾いた。
誰かが名前を呼んでいる。
お腹が痛い。
何かがこみ上げて来る。
お願い、誰か。彼を、みつさんを唆した彼を捕まえて。
そう思いながら伊織はゆっくりとまぶたを閉じたのだった。
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自分にできることは、やり尽くしたから。