完璧な花

 表通りを歩いている時に、ふと目についた紫色の花をまじまじと眺めてしまった。真新しい装いの花屋だった。
 特に美しいと思ったわけでも、愛らしいと思ったわけでもない。
 むしろ、五芒星を彷彿とさせる刺々しいシルエットが哀れに思えたものだった。
 せっかく花に生まれたというのに、その姿形では愛されまい。そう思ったのだ。
「その花が気になりますか?」
 思いの外、長いことそうしていたらしい。丸眼鏡の店員が、慇懃な態度で私に声をかける。
「きれいな色ですよね。でも実はこれからが見頃で──」
「結構ですよ。ただ、眺めていたに過ぎませんから」
 セールストークを止める。 しかし、店員も食い下がった。「そう仰らずに」
「オープンしたばかりなんです。貴方は私にとって記念すべき一人目のお客様ですから、よろしければ一輪差し上げますよ」
 店員はそう言って私に花を一輪預けると、満足そうに下がって行った。
 日差しの厳しい初夏のことだった。

            □

 花など育てたことがない。
 どうしたものかと暫く思案したが、とりあえず適当な皿の上にポットのまま置いた。しかし、あまりにも美しさに欠けたので、仕方なく鉢を買いに出かけた。
 部屋の装いと同じ白い鉢。適当に見繕って、これに決めた。
 試しに植え替えると、紫色の花弁が一層間抜けに見えて愉快な程だった。
「プププ、桔梗ったら花なんか育ててやんの!」
 賑やかな声と共に現れた青が揺れる。
 少女は素足のまま花のすぐ傍まで寄ると、花弁を指先で弾いた。
「ブルーベル」
「花なんてすぐ枯れちゃうのに」
「なに、ほんの気まぐれです。それよりブルーベル、女の子があまりずかずかと男の部屋へ入るものではありませんよ」
 諭せば彼女は決まって頬を膨らませる。「にゅう……」
「どーせなら、白い花にすればよかったのに。びゃくらんみたいな白! こーんな部屋で紫なんて全っ然似合わないんだから!」
「ハハン。やはりブルーベルもそう思いますか」
 白い壁、白い床、白いベッド、白い衣服。真6弔花としてミルフィオーレの一員となった時、白蘭様から頂いた全て。この部屋にはそれだけがあった。
 不思議と満足していた。元来こだわりが強いと厄介がられる質であったのに、私物を置きたいだなどと考えたこともなかった。
 この白い部屋が、私の些末な人生における唯一の完璧であると言ってもよかった。
 ゆえに、この不釣り合いな紫を心底軽蔑しなければならなかった。
 それはまるで、白蘭様が創り出す完璧な世界に現れた一点の染みの様にも思えて──私にとっては正にその通りで、今すぐにでも手折ってやろうかという気さえするのだった。
 反対に、ブルーベルはこの花を気に入った様子だった。
 ザコだなんだと暴言を吐くわりにはこまめに水を遣っているらしい。おかげで花はしぶとく咲き続けた。

「GHOST……ですか?」
 雷のマーレリングを持つ真6弔花の存在を知らされたのは、丁度その頃だった。
 感情の読み取れぬ相貌。凡そ人と呼ぶに相応しくないその男を、白蘭様は「パラレルワールドの自分だ」と言った。
「彼には愛すべき才能があることがわかったんだ。それってつまり……僕の能力、なんだけどね」
 白蘭様の視線は真っ直ぐその男──もう一人の自分に注がれている。
 失望はなかった。我々真6弔花でさえ、この方からそれ程期待されていないということに。
 そんなことは初めから解っていた。少なくとも私は、あの部屋と共に「桔梗」という名を賜ったときにすべてを悟った。
 白の中でぽつねんと咲くあの紫に生きる価値がない様に、我々もいずれ完璧に喰われて終わるのだ。
 そう遠い話ではないだろう。
 白蘭様の手をとった瞬間──いや。もしかすると私が生まれ落ちる遥か昔から決まっていたのかもしれない。これは定めだ。覆しようがない事実なのだ。
「ききょー! ちょっとちょっと、大変大変! 大変なんだってば!」
 少女は無邪気に駆ける。
 静寂に支配された城の中で、冷えた大理石の上を蹴る軽快な音楽だけがこだましている。
「またザクロと喧嘩でも?」
「何よあんなすっとこどっこい、ブルーベルの相手じゃないもんねーだ! そんなことより、大ニュースよ! 大ニュース! 一大事なんだから!」
 ブルーベルは大仰な身振り手振りで以って、事の重大さを伝えようと躍起になっている。「一体何事か」という科白を待っているのだ。
 お望み通り切っ掛けを与えると、彼女はまるでびっくり箱が開いた様な勢いでこう言った。
「枯れちゃったの! 桔梗の花!」
 私は彼女に促されるまま私室に戻った。
 そこには、なるほど確かに無残な姿の花が頭を垂れている。
「昨日までは元気百倍ってカンジだったのに」
「ハハン。気にすることはありませんよ」
 ようやく、世界に再び完璧が訪れたような気がした。
「永遠に咲き続けることなど、絶対にあり得ないのですから」
 結局のところ、行き着く場所はここなのだと思い知る。
 あの忌々しいまでに存在感を主張していた紫が白に喰われて死んだ様に、我々は等しく、白蘭様が築く世界の癌なのだから。

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