消印のない手紙【完結済】
「なあイオニア、この手紙をどう思う?」
「どう思うって……普通の手紙じゃないの?」
現在の時刻は午前四時。何気ない雑談に興じるには、いささか早い時間帯だ。まだ薄暗い窓を視界に捉えながら、イオニアは口を開いた。クセのない薄氷色の髪を首の根元辺りまで伸ばし、左側の髪に緑のメッシュを一房入れている少年だ。その軽そうな外見に似合わず、腰には武骨な片手剣を下げている。
彼の言葉を聞いた青年は、ちっちっち、と芝居がかった仕草をしながら手元の手紙に目をやった。
「だっておかしいだろ? この手紙には消印が押されてない。それどころか切手すらついてない。つまり、誰かが探偵所の郵便受けに直で手紙を投函したってことだ。これは事件性のありそうな仕事かもな」
「カル兄……怪しげな事件でワクワクするって人としてどうなのさ……」
カル兄と呼ばれた青年――正式な名はカルメという――は、翡翠色のショートカットに右の横髪のみを長く垂らした独特な髪型だ。中性的な顔立ちにイオニアと比べ華奢、悪く言えばひ弱な体つきの、いかにも魔法使い然とした風貌である。だが口を開けば一転。飛び出すのはガサツで大雑把な、まるで戦士のような言葉ばかり。一般的な、大人しくて理知的な魔法使いのイメージとは正反対だ。
「お前もこれをちゃんと見れば、そんなことは言えなくなるぜ。こういう謎って男のロマンじゃねーか」
ホラホラ、とカルメはイオニアへ強引に手紙を押し付け、眠気覚ましのコーヒーをぐいっと口に含んだ。イオニアがそれを見てみると、手触りの良い紙に達筆な文字で『明日の日の出ごろにお伺いします』という一文のみが書かれているのがわかった。しかし差出人の署名はどこにも見当たらない。
「えー。誰かの悪戯じゃないかなぁ……俺はカル兄が探偵所を始めたときからずっとバイトしてきたけど、手紙でアポを取ってくる依頼人なんていなかったじゃんか」
もはや週末恒例となった泊まり込みバイトのため探偵所を訪れたイオニア。ほぼ置物と化していた郵便受けを気まぐれに覗いてみたところ、なんと一通の手紙が入っていたのだ! というのが昨夜の出来事だ。その手紙によれば今日の明朝に誰かが訪ねてくるらしいが、今のところそのような気配は全くない。ふう、というため息と共にイオニアは正面のテーブルに手紙を置き、自分の分のコーヒーに手を伸ばした。
「やっぱり高級品は飲みやすさが違うなあ。苦すぎず酸っぱすぎず、丁度いい塩梅って感じ」
カルメとは対照的に、イオニアはコーヒーをじっくりちびちびと味わう。するりと喉に吸い込まれていくそれは、彼の心と胃をこれ以上なく満たしていった。
「これのどこがいいのか、僕にはさっぱりわかんねーけどな。これ一杯で三百ゴールドって言われても全然ぴんとこないし」
「なーに言ってんの、こんなに味が違うじゃん! せっかくおじいちゃんが送ってくれたんだから、もっと有難がりなよ」
「僕は最新の魔術書が良かった……」
イオニアはコーヒーバカだからそんなことが言えるんだ、と加えて返すカルメ。
「相変わらず魔術バカだなあ。魔術書なんて自分でも書いてるでしょうに」
「……自分が書いたものなんて恥ずかしくて読み返せるわけねーだろ……!」
それにすかさず反撃するイオニア。カルメはぽふ、とやり場のない感情と拳を手近なところにあったクッションに叩きつけた。
カルメは魔法の研究職を生業としており、若年にも関わらず既に何冊か魔法の研究書を執筆している。仕事の関係で図書館に入り浸っていた彼はある日、とある書物の端に小さく載っていた『探偵』という職業を知った。ロマンあふれるその職業の虜になってしまった彼は魔法研究の傍ら、副業として『探偵所』なるものを設立したのである。
しかしそんなマイナーな職業に造詣があり、あまつさえ依頼などを持ってくるような人間はそう多くはない。結局カルメは魔法研究での報奨金や自らが執筆した書物の印税など、本業の収入のみで生計を立てていた。
「どう思うって……普通の手紙じゃないの?」
現在の時刻は午前四時。何気ない雑談に興じるには、いささか早い時間帯だ。まだ薄暗い窓を視界に捉えながら、イオニアは口を開いた。クセのない薄氷色の髪を首の根元辺りまで伸ばし、左側の髪に緑のメッシュを一房入れている少年だ。その軽そうな外見に似合わず、腰には武骨な片手剣を下げている。
彼の言葉を聞いた青年は、ちっちっち、と芝居がかった仕草をしながら手元の手紙に目をやった。
「だっておかしいだろ? この手紙には消印が押されてない。それどころか切手すらついてない。つまり、誰かが探偵所の郵便受けに直で手紙を投函したってことだ。これは事件性のありそうな仕事かもな」
「カル兄……怪しげな事件でワクワクするって人としてどうなのさ……」
カル兄と呼ばれた青年――正式な名はカルメという――は、翡翠色のショートカットに右の横髪のみを長く垂らした独特な髪型だ。中性的な顔立ちにイオニアと比べ華奢、悪く言えばひ弱な体つきの、いかにも魔法使い然とした風貌である。だが口を開けば一転。飛び出すのはガサツで大雑把な、まるで戦士のような言葉ばかり。一般的な、大人しくて理知的な魔法使いのイメージとは正反対だ。
「お前もこれをちゃんと見れば、そんなことは言えなくなるぜ。こういう謎って男のロマンじゃねーか」
ホラホラ、とカルメはイオニアへ強引に手紙を押し付け、眠気覚ましのコーヒーをぐいっと口に含んだ。イオニアがそれを見てみると、手触りの良い紙に達筆な文字で『明日の日の出ごろにお伺いします』という一文のみが書かれているのがわかった。しかし差出人の署名はどこにも見当たらない。
「えー。誰かの悪戯じゃないかなぁ……俺はカル兄が探偵所を始めたときからずっとバイトしてきたけど、手紙でアポを取ってくる依頼人なんていなかったじゃんか」
もはや週末恒例となった泊まり込みバイトのため探偵所を訪れたイオニア。ほぼ置物と化していた郵便受けを気まぐれに覗いてみたところ、なんと一通の手紙が入っていたのだ! というのが昨夜の出来事だ。その手紙によれば今日の明朝に誰かが訪ねてくるらしいが、今のところそのような気配は全くない。ふう、というため息と共にイオニアは正面のテーブルに手紙を置き、自分の分のコーヒーに手を伸ばした。
「やっぱり高級品は飲みやすさが違うなあ。苦すぎず酸っぱすぎず、丁度いい塩梅って感じ」
カルメとは対照的に、イオニアはコーヒーをじっくりちびちびと味わう。するりと喉に吸い込まれていくそれは、彼の心と胃をこれ以上なく満たしていった。
「これのどこがいいのか、僕にはさっぱりわかんねーけどな。これ一杯で三百ゴールドって言われても全然ぴんとこないし」
「なーに言ってんの、こんなに味が違うじゃん! せっかくおじいちゃんが送ってくれたんだから、もっと有難がりなよ」
「僕は最新の魔術書が良かった……」
イオニアはコーヒーバカだからそんなことが言えるんだ、と加えて返すカルメ。
「相変わらず魔術バカだなあ。魔術書なんて自分でも書いてるでしょうに」
「……自分が書いたものなんて恥ずかしくて読み返せるわけねーだろ……!」
それにすかさず反撃するイオニア。カルメはぽふ、とやり場のない感情と拳を手近なところにあったクッションに叩きつけた。
カルメは魔法の研究職を生業としており、若年にも関わらず既に何冊か魔法の研究書を執筆している。仕事の関係で図書館に入り浸っていた彼はある日、とある書物の端に小さく載っていた『探偵』という職業を知った。ロマンあふれるその職業の虜になってしまった彼は魔法研究の傍ら、副業として『探偵所』なるものを設立したのである。
しかしそんなマイナーな職業に造詣があり、あまつさえ依頼などを持ってくるような人間はそう多くはない。結局カルメは魔法研究での報奨金や自らが執筆した書物の印税など、本業の収入のみで生計を立てていた。
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