消印のない手紙【完結済】

 アイセルの言い分はこうだ。今は、自分たちケンドル王家の面々と自分の婚約者である貴族の一族とでお忍びの旅行をしている最中だということ。しかしお忍びとはいえ王族の旅行は護衛に囲まれ、とても自分で自由に町を歩けるような状況ではないこと。
 そして、そんな旅行に嫌気がさした彼は自分自身の目で等身大の市井の風俗を体感してみたい! と思い、ここを訪れたということ。

「……単刀直入に言うと、今日一日私と一緒に町を回ってくれないか?」
 せっかく旅行から抜け出せたとしても、必ず護衛隊が探しにくるだろう。せめて一日だけでも王家の呪縛から逃れて、ただの旅人として扱われてみたいというのがアイセルの望みだった。

「鬼ごっこから逃げ切るのを手伝ってくれってことか」
 ふむう、と独り言のように呟くカルメ。難しい依頼だが、できないと言えば探偵の名が泣く。
「わかりました。引き受けましょう」
「本当かい!? ありがとう、恩に着るよ!」
 それまであまり表情を動かさなかったアイセルが、ぱああっと目を開きキラキラさせる。

「報酬は後払いで結構です。イオニア、まずは服屋に行くからよろしく頼むぞ」
「はーい!」
 イオニアは準備のため自室へと戻っていく。特に用意することもないカルメとアイセルはそのままリビングで座っていた。
「あとひとついいかい?」
「どうしました?」
 ケンドル王家御用達ブレンドをひとくち喉へ通らせ、カルメが答える。

「その敬語、ここにいる間は使わなくていいよ」
「え」
 カルメはがちりと身体をこわばらせた。行き場を失ったコーヒーカップはぴたりと空中に静止する。
「私にだけ敬語を使っていたら目立ってしまうだろう? 普通にあの少年に対して接するような、砕けた口調で構わないよ」
 あの少年、とはイオニアのことだろう。今はもう住んでいないとはいえ、祖国の王子に対してタメ口などもってのほか。適当な理由を付けてまたかわそうとしたカルメだが、早くも準備を終えて帰ってきたイオニアの言葉で完全に逃げ道を塞がれてしまった。

「いーんじゃない? 俺はイオニア! よろしくね、アイセルさん!」
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