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短文置き場

ゾロとナミ

2023/11/19 15:29
海賊
展望室の扉を開けて顔をのぞかせ、ナミは思わず顔をしかめた。もちろん予想していたことだが、汗臭くじっとりした空気が籠もっている。ため息をついて中に入ると、「交代よ」と声をかける。そのまま部屋を囲む窓を順番に開けていく。ぐるりと一周して、ようやく彼に向き合った。――ゾロは、無言のまま上裸で巨大なダンベルを振り続けている。
「『交代』って言ったんだけど。聞こえなかった?」
「勝手にしてろ、おれはまだやる」
 ゾロは一切手を止めない。ダンベルは本人の身長ほどもある重りがついているが、それが何キロ、いや何トンあるのか、ナミは知らない。尋ねようとも思わなかった。
「なんでもいいけどね」
仕方なし、ナミはソファに腰掛けた。暑苦しい鍛錬バカの存在を差し引いても、窓から入る夜風が気持ちいい。今日の新聞を広げて、それから窓の外を見た。夜の海は暗く、明かり一つない。
ワノ国から出た麦わらの一味は、今のところ概ね平穏に船を進めている。もっとも、世界は大きく動いていて、実際ルフィは新しい四皇に位置づけられたばかりだ。だが船ではナミはルフィの無茶を叱り、相変わらずゾロとサンジは喧嘩して、ウソップとフランキーは発明品を爆発させ、ロビンとブルックはそれを見て微笑み、チョッパーは自分よりずっと歳上の後輩船員であるジンベエにあれこれを教えたりして、久しぶりの日常を過ごしている。
ゾロがダンベルを振る音は、メトロノームを使っているわけでもないのに、やけに規則正しい。ずっと聞いていると眠くなりそうだ。意外とリズム感あるのかしら、ナミは新聞をめくる。あちこちの島で、革命が起こっている。暴力、略奪、きっとそれらの島では子どもたちが傷ついているのだろう。ナミは息を吐いた。
「あんたは、ルフィが……真っ白になったの、見てないのよね」
「あァ、見てねェ」
鬼ヶ島での戦いも佳境に差し掛かった頃、ナミはそのルフィの姿を見た。髪と服が真っ白になり、変幻自在に体格を変える。異様だった。怖れすら抱きたくなるような姿だった。そのときゾロは、気を失っていたという。
ジンベエがワノ国で知ったというゴムゴムの実の正体を聞いて、やっと納得がいったのだった。――納得しても、まだ見慣れてはいないけれど。今のルフィは元通りの姿だが、手配書にもあの姿の写真が載ったのも驚きだった。
「そのうち現物を見る機会もあるだろ」
「無関心ね、ルフィのことなのに」
「そうかもな」
それきり会話は途切れてしまう。もとよりゾロは多弁なほうではないので、仕方がなかった。
ナミからはゾロの横顔が見えた。ランプの灯りに照らされて、どこもかしこも汗で光っている。小作りな頭の下から伸びる首も肩も腕も胸も腹も、鍛え抜かれた分厚い筋肉で覆われていて、ゾロが動くたびにそれらが伸びたり縮んだりしている。
二年前に出会ったときには、ここまでではなかった。ゾロは確かに東の海では強者だったが、もっと痩せていて、声だってここまでドスがきいていなかった。それを、他の皆が遊んでいる間にもトレーニングを積み重ねてここまできたのだ。
――本来はあんただって、こちら側なのに。ナミはぼんやりと思う。ゾロはナミやウソップたちと同じ、“ただの人間”だ。悪魔の実を食べたわけでもなく、強化された人間でもなく、サイボーグでも魚人でもない。ゾロの生まれや育ちをはっきりと聞いたことはないけれど、彼が東の海の辺境で生まれ育った、剣道が得意な少年でしかなかったのは事実だろう。それが、からだ一つと夢ひとつ、そして三振りの刀だけでここまで登りつめたということが、ルフィとは違う種類の怖れを抱かせる。
「あんたももう少し休んだら?」
ワノ国の戦いの後、ルフィもゾロも七日は眠り続けていた。その後も宴だ出港の準備だと慌ただしく、こうしてまとまった鍛錬の時間を取ることができなったので、ゾロはいま必死にダンベルを振っている。だけど、実際彼は死にかけたばかりなのだ。もうしばらく休暇を長引かせるのも悪くはないはず。ゾロは腕の動きを止めた。それからナミを見る。
「それもそうか」
そう言って、ゾロはダンベルを下ろした。ナミは驚いて目を見開いた。まさかこの鍛錬バカに、休暇が受け入れられるとは思わなかったのだ。ゾロは床に落ちていたタオルを拾って汗を拭うと、長く息を吐いた。それから、ボトルに口をつけて水を飲む。喉仏が豪快に上下し、口許から溢れた水が首を伝っていく。それをもう一度拭って息を吐いた。
「よし」
そしてまたダンベルを握ろうとするので、ナミは「待ちなさい」と言わざるを得なかった。
「私はもう少し休めって言ったわよね」
「おう、だから休んだろ」
ナミの提案は休暇のつもりだったが、ゾロはそれを休憩のことだと思っただけのことだ。ナミにも理解はできたが、それにしたって短時間過ぎるだろう。
「ずっと筋肉いじめてたって効率悪いわよ」
「効率なんざ知らねえ」
言うと思った、とナミはため息をついた。一味の古株同士だ、互いが言いそうなことはわかっている。ゾロは強くなるためにこうして鍛練を続けている。裏を返せば、これを続けなければ、あの強さを保つことすらできないのだ。それが、少しだけ物悲しい。
「いいから休みなさい、こっち来て眠気覚ましに付き合ってよ」
だからナミはゾロに妹のように我儘を言ってやる。顔をしかめながらもゾロがそれを受け入れてくれることを、知っているからだ。

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