短文置き場
学パロルゾロ
2023/11/19 15:26海賊
高校に入学して同じクラスになったその男は、「剣道バカ」として有名、らしい。隣の席になって初日に友だちになったコビーに教えてもらったのだ。緑色の短髪、いつもしかめられている眉、むっつりと引き結ばれた唇、そして誰も寄せ付けない鋭い眼光は、中二の課外活動で連れて行かれた博物館で見かけた日本刀の刀身を思わせた。そう、鞘どころか柄も鍔もない、刃そのものだ。彼には同じ中学からの友達などもいないようで、進学して二週間、誰かと話しているのを殆ど見たことがない。
ルフィが彼を気にするようになったのは、どうもここで初めて会ったような気がしないからだ。つい無意識に視線で追ってしまう。彼は毎日昼休みになるとするりと教室を出ていく。いつもその手には深緑色の竹刀袋が握られていた。きっと剣道場で練習しているのだろう。
その日ルフィは昼休みに屋上へ行くことにした。新しくできた友達と騒がしく弁当を食べるのはルフィが愛する時間であったが、春の陽気は暖かそうで、つい外に出たくなってしまったのだ。そしてルフィは、そこで竹刀を振るう同級生――ロロノア・ゾロを見付けたのだった。
「お前ゾロだろ」
ルフィが話しかけるとゾロは煩わしそうに眉間の皺を深くした。それでもめげずに話しかけると、ため息をついて竹刀を振る手を止めた。
聞けばゾロはこの学校の剣道部に所属しているわけではないらしい。子どもの頃から通っている道場で毎日稽古をしつつ、学校でも素振りを欠かさないようにしているのだと、言葉少なに語る。
「へー、じゃあ今度駅前でボーリングしねェか?」
「しねェ」
ルフィが言い終えるよりも前に、ゾロはそう答えた。
「じゃあカラオケ」
「しねェ」
「ゲーセン」
「いかねェ」
「マック」
「……、場所が嫌で言ってるんじゃねェ、遊んでる時間はねェつってるんだ」
「なんでだよ」
「おれは、」
ゾロはここで一度すっと息を吸って、それから吐いた。
「“世界一の大剣豪”になるんだ」
「“世界一の大剣豪”?」
思ってもみないような言葉がその唇から出てきて、ルフィは思わず鸚鵡返ししてぱちぱちと瞬きをした。ゾロはこちらを真っ直ぐに見ていた。その顔に照れのひとつも見えないことに、ルフィは自分の心臓がひとつ大きく拍動したのを感じた。その胸の昂ぶりだけを根拠に、「こいつだ」と思う。
「ゾロ!」
ルフィはゾロの名前だけを呼んだ。ゾロが訝しげに眉をひそめるが、ルフィは気にせず彼の目の前に手を差し出した。
「おれの仲間になってくれ!」
ゾロはルフィの手と顔を交互に見て、「はァ?」と声を跳ね上げたのだった。
それからルフィは何かとゾロに声をかけるようになった。ウソップやコビーにはあんな怖そうなやつに絡むのはやめておけと止めたけれど、そんなことは知ったことではない。だってルフィはすっかりゾロのことが気に入ったのだ。
さすがに昼休みの練習を邪魔するのは良くないと思ったので、授業の間の休み時間や、放課後に声をかける。ところが、ゾロは一度だって放課後の遊びに付き合おうとはしなかった。そういう意志が強いところが、好きだと思う。本人は顔をしかめるだろうけど。
その日、昼休みが終わっても、ゾロは教室に帰ってこなかった。それどころか、放課後まで席が空だった。鞄は教室に置いたままで、一体どこに行ったのだろう。ゾロがあれだけ大事にしている道場での稽古に行かないはずがない。なんだか妙な予感がして、ルフィはホームルームが終わるとすぐに教室を飛び出した。
まず向かったのは屋上である。ルフィがその扉を開けると、ゾロはいなかった。ただ、彼の竹刀袋が落ちているのを見つけて、ルフィは喉を鳴らした。それを丸めて制服のポケットにねじ込む。屋上から部活がはじまった校庭を眺めても、ゾロの緑頭は見つからなかった。
ルフィは踵を返すと、校舎をずんずんと歩き回った。ゾロはどこにもいなかった。ならば体育館か、いや、それよりも、もっとゾロがいそうな場所がある。
真っ直ぐに向かったのは、剣道場だった。ルフィは両手でその扉を開いて中を覗く。ゾロはそこにいた。制服姿で竹刀を握り、剣道部員と思わしき相手をねめつけている。しかしゾロは疲れ切っているのは明白であった。息は荒く、額には打たれた跡があり、なにより竹刀の先がぶれている。素振りをするゾロがそんな無様な構えをしているのは、見たことがなかった。そこには他に十人ほど剣道着姿の男がいて、ニヤニヤと笑いながらゾロを見ている。ルフィはかっと頭に血が上るのを感じた。その衝動に逆らわずに、扉を大きく開く。こもった空気がルフィの顔に直撃したが、大きく息を吸い込んでやる。
「ゾロ!」
名前を呼ぶと、その場にいた全員がルフィの顔を見た。しかしルフィはそんな視線なんてまったく気にならなかった。ゾロの方に真っ直ぐに突き進む。
「なにやってんだお前」
「は、」
ゾロは汗だくの顔でにやりと笑った。「こいつらに稽古つけてやってんだよ」
「なにが稽古だ!」
ゾロの前に立っていた男がそう喚いた。ゾロは彼を興味なさげに見た。そして、ようやく竹刀を下ろす。
「おれのほうがずっと強ェ、稽古じゃなきゃなんなんだよ」
「この学校で竹刀振るならどういう態度でいるべきか、おれらのほうが稽古つけてやってんだよ」
つまりゾロはこの長時間、十人を一人で相手してたのか。ルフィはゾロの疲労の理由を悟る。ルフィがここに来なければ、ゾロはきっと十人全員が倒れるか、自分ひとりが倒れるまでこれを続けていたのだろう。ルフィはぞっとしつつ――自分でも同じことをしただろうと思う。
「だいたいお前はなんなんだよ」
「おれはゾロの仲間だ」
「仲間?お前も剣道やるのか」
ゾロは低く「仲間になった覚えはねェ」と言ったが、ルフィはそれを一旦無視した。その件については後で話せばいい。いまは早くゾロがくだらない悪意にばかり晒されているこの場所から離れたいと思った。
「おれは剣道はやらねェ」
ルフィはゾロより一歩前に進む。ゾロの相手をしようとしていた剣道部員は、「じゃあ関係ねェだろうがどけ!」と叫ぶ。ルフィはその程度で引き下がらなかった。
「お前も一発打ってやろうか?」
「それ普通に剣道のルール違反じゃねェのか?」
「相手が竹刀持ってねェんじゃ剣道じゃねェだろ」
言いながら突進してくる男の竹刀を避け、襟を掴む。そのままからだを反転させて背を丸めると、相手のからだが持ち上がる。竹刀を取り落としたのを確認して、そのまま床に男を叩きつけた。
「うっ!」
受け身に失敗した男が呻く。ルフィが顔を上げると、ゾロが呆気に取られたような顔をしていた。
「一本背負い……」
「おう! あのなゾロ、おれもお前と同じだ!」
ルフィは腰に手をあてがって胸を張った。
「おれは柔道で世界一になる!」
ゾロが大きく目を見開く。ねめつけるような視線がなくなると、同い年の少年らしさが現れることに気付いて、ルフィはすっかり嬉しくなった。
「は、馬鹿じゃねェのか」
ルフィの背後で他の剣道部員が馬鹿にしたように笑う。ルフィは振り返って彼らを見た。煽った割に、彼らはルフィの視線に口をつぐむ。ゾロはふーっ、と長く息を吐き出した。
「確かにこんな奴らに付き合ってる方が時間の無駄だ」
「だろ」
ルフィはゾロに向かって笑いかける。ゾロは小さく肩をすくめた。
「あァ、お前とボーリングかゲーセンかマックに行ったほうがまだマシだ」
「カラオケは?」
「……カラオケは行かねェ」
呆気にとられる剣道部員たちを置いて、ふたりは剣道場を出る。放課後の時間はまだはじまったばかりであり、ゾロはルフィに肩を組まれても振り払いはしなかった。