短文置き場

社会人キドキラ

2023/11/19 15:24
海賊

キッド30歳キラー34歳くらい

「乾杯」
互いにワイシャツの袖をまくり上げている。ジョッキをがつん、とぶつけ合って、ビールの泡が揺れた。そのまま流れるように二人してジョッキを煽る。
「あー、」
キッドがテーブルにジョッキを置いて声を上げたとき、キラーはまだビールを胃に流し込んでいる最中だった。晒されている喉仏に視線を向け、それから逸らす。十数秒後にキラーもジョッキをテーブルに置いたので、キッドも再びキラーのほうを見た。
「昇進おめでとう」
キラーはそう言って、微笑んだ。「うちの会社史上最速係長就任とは、さすがだな、キッド」
「当然だろうが」
キッドも勝ち誇ったようにうなずく。
「次は史上最速課長昇進を目指すか?」
「は、」
キッドはキラーの言葉に唇の右側だけを引き上げる笑い方をして、突き出しの小鉢を手に取った。中にはもずく酢が入っている。口づけて一息に啜ってしまう。
「おれの目標は史上最速社長就任、だ」
「ファ、また随分と」
大きく出たなと言いかけて、キラーは口をつぐんだ。キッドは自分がその目標達成をまったく疑っていないようであったからだ。キッドには昔からそういうところがあった。
「……キッドならできるかもな」
「『かも』じゃねェよ、やるんだよ」
キラーは口の中でだけ笑う。小学校に入る前からの四つ歳下の幼馴染は、小学校、中学校のみならず、高校、大学、果ては就職先まで自分と同じ道を辿ってきた。よくもまあここまで偶然が重なる、これが腐れ縁というやつなのだろうな、と思いながら、キラーも突き出しを箸で掬って食べる。
頼んだきゅうりの一本漬けと冷やしトマト、それに焼き鳥が何本か運ばれてきて、早速ふたりで箸をつけた。今日はキラーのおごりでキッドの昇進祝いという名目のたった二人の飲み会である。
キラーはさっさとジョッキを空けてしまうと、次はジントニックを注文した。キッドもまだジョッキにビールを三分の一ほど残しながらも、レモンサワーを頼む。
「それにしても、後から入社したお前にこんなにあっという間に追いつかれるとは思わなかったな」
キラーは言いながらきゅうりを摘む。キッドの方は焼き鳥に噛み付いていた。キラーからしてみれば、キッドは昔から不思議なリーダーシップこそあるものの、気に入らないものにはすぐ噛みつく血の気の多さもあり、とてもサラリーマンがつとまるとは思えなかったのだ。それが、その目標へと突き進む上昇志向が営業という仕事とうまく噛み合ったらしい。キッドはあっという間に上層部に気に入られて、四年前に入社したキラーと同じ役職にまでさっさと登ってきたのだった。驚きこそすれ、妬む気にはならなかった。キッドも大人になったんだな、という感慨も大きい。
「そりゃ、キラーを追い越すつもりでやってたからな」
キッドは鶏肉を咀嚼しながらそう言った。
「おれを?」
「お前をだよ。ガキの頃からずーっとおれの前にいやがる。中高は同時期に通えねえし、大学だって学部が違ってさっぱり顔も見ねェ」
「そりゃおれのほうが歳上だから当然だろ」
なにを今更当たり前のことを言ってるんだ、もしかしてキッドはもう酔っているのか? キラーはジントニックも飲み干して、二杯目のビールを頼む。キッドもレモンサワーが半分残っているくせに、ハイボールを頼んでいた。
「当然じゃねェ」
いや当然だろうが。身長だってとっくにおれより十センチも高いくせに、年の差を認められないのは随分な理不尽だな、とキラーは思う。まあ、そういう子どもっぽいところも彼らしく、キラーはまた微笑んでしまう。酒が入って気分はよかった。会社では人当たりは悪くないのに笑わない、と評判のキラーが自分の前では躊躇いなく笑うのを、キッドはじっと見つめた。
「……おれは、来期には課長になるぞ」
「へェ、……お前の部下になるやつはますます大変そうだな、おれだったらキッドの性格に慣れ切っているから平気だろうが」
何しろキラーは経理部のエースである。営業畑のキッドの部下になることはないだろう――、そう見込んで肩をすくめた。ところがキッドは身を乗り出してこちらを見る。
「それはおれのチームにきてェってことか?」
「ファッ、それは楽しそうだが」
会社というものにはもっと上層部の強い意志があるはずだ。たった二人の酒の場で発した言葉が、現実になるはずがない、キラーとしてはその程度の考えだった。――「キッドの性格には慣れ切っている」はずなのに。
「来期、楽しみにしてろよ」
「そうだな、楽しみにしてるよ」
キラーは肩をすくめて、またジョッキを煽った。


キッドはキラーの部屋には数えきれないほど上がったことがある。逆も然りだが、互いに狭いワンケー住まいである。寝具が揃っていないこともあり、泊まることは少なかった。だが、今日は致し方ないだろう。キラーは二軒目でもハイペースで酒を飲み、潰れるまではいかないにせよ、かなり足取りが怪しくなっていた。一人で帰れると言うのを、キッドは無理矢理送ってきたのだ。
――いや、実際キラーはこの程度なら一人で帰って来れたのかもしれない。キッドがキラーの家に入りたかったから、肩を組んだ。キラーは当然のようにそれを受け入れて、「はやくキッドが社長になるといいな」とへらへら笑った。
キッドは本気で来期も職位を上げたいと思っている。そのためには今以上に努力をしないといけないだろうが、キラーに思い知らせてやりたいのだ。おれはもう、お前の可愛いキッドというだけではない。
そのまま地域の公立に進んだ中学はともかく、高校と大学はわざわざキラーと同じところを選んだ(キラーのほうは偶然だと思っているようだが)。キラーはそれなりに勉強が得意で、それゆえ進学先も高偏差値であった。そのせいで、キッドはかなり必死に受験勉強をしなくてはならなかった。就職先だって、当然同じところにした。キラーに追いつきたかった。隣に立ちたかった。いや、追い越したかった。
「社会人ってのも悪くねェよな」
キッドによってベッドに寝かされたキラーは、いつもよりはゆるい口調でそう言った。
「お前に思う存分奢ってやれる」
「……そうだな」
社会人ってのは悪くない。転職さえしなければ、この先三十年はキラーと同じ場所にいられるのだから。社会人になってそろそろ十年、学生時代のようなもどかしさは既に無かった。
管理職ともなれば、きっと給料も上がるだろう。もっと広い部屋に住むのも夢ではない。そうしたらキッドは、キラーに同居を持ちかけるつもりでいる。きっとキラーは家賃の節約になる、などと言いながら頷くだろう。
キラーはそのまま長いまつげを伏せてしまった。
――同居の目的はそればかりではないと、残りの人生で教え込むつもりだ。キッドはベッドから離れると、一人がけのソファに深く腰掛ける。暗いキラーの部屋で、キッドも目を閉じた。

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