短文置き場

ホーキンスにのろけるキラー

2023/11/19 15:17
海賊

地下牢は、踵の高いホーキンスの靴音をよく反響させた。この国の人間の履物ではこの音はしないので、恐らく目的の男は自分の来訪を察しているだろう。
カイドウは趣味の悪い男だった。ルーキーが集っていたそのただ中に唐突に現れ、ホーキンスの心を折り、膝をつかせ、従わせた。一方で、屈しなかったキッドとその仲間たちを、それぞれ別の牢にぶち込んで、自分の側に寝返るようにあれやこれやとちょっかいをかける。ホーキンスが彼のもとに向かうのは数度目だった。つまり男にこちら側に阿るよう唆すのが、彼の役割である。
ため息をつくと、運勢が下がる。だから飲み込んだ。カイドウはなんて無駄なことをさせるのだろうか。鉄格子の前に脚を肩幅に拡げて立ち、ホーキンスは石でできた床に這いつくばる男を見下ろした。
青いシャツもデニムも何もかもが薄汚れている。トレードマークの仮面すらも傷んでいるようだった。
「キラー」
男の名を呼ぶ。返事は無かった。
「おい」
眠っているのだろうか。如何せん仮面のせいで表情は見えず、呼吸音すらはっきり聞こえない。もう一度出かかったため息を飲み込み、ホーキンスは牢の錠前を外した。それでもキラーは身じろぎすらしない。それでホーキンスはそのブーツの爪先で、キラーの脇腹を蹴り上げた。
「ぐ……」
流石にうめき声が上がる。横臥の体勢になったキラーは、こちらを見上げた。いや、仮面でどこを見ているのかはわからないが――、少なくとも、顔はこちらを向いた。キラーはハ、と息を吐く。
「また来たのか、御苦労なこ、ッ」
返事代わりに今度は露わになった腹を蹴る。手錠をかけられているキラーはそれを庇うこともできず、床を転り、仰向けになる。
「黙れ」
無性に苛立って、ホーキンスはキラーのへその上に靴の踵を乗せた。後少し体重をかければ、キラーの腹筋、そのなかの内臓ごと踏み潰すことができるだろう。
しかしキラーはそれに臆さない。
「無駄だとわかってよくやるな、そんなにカイドウはいい上司、ぐ、ッ、オ……」
「お前こそ、どうなんだ?」
ホーキンスは踵にごくゆっくりと体重をかける。
「お前の上司は赤髪には負け腕を失い、カイドウ様に負け捕らわれるような弱い男だろう」
「ハ、……キッドは、……おれの上司じゃねェ」
「ああ、そうらしいな」
ホーキンスはキラーの声が苦しげなことに安心していた。
「アプーがお前らのことを調べた。お前らは海賊になる前からの知己らしいな」
「……“相棒”だ」
「“相棒”」
そのまま繰り返して、ホーキンスは笑う。
ホーキンスにも部下はいる。彼らを信頼しているし、彼らも自分のことを信頼している。はずだ。少なくとも自分は占いによって選択をし、彼らの命を守ることで信用を得ている。だから彼らはカイドウに従うという判断にも文句ひとつつけることはなかった。
それらの信頼、信用は、キッドとキラーが抱えるものと同じ色を、形を、重さをしているだろうか?
恐らく違う、とホーキンスは思い、キラーの腹に踵を更にめり込ませる。
「おれには“相棒”というものがいないのだが――、一般に“相棒”というものは、寝所を共にするものなのか?」
その質問にキラーが口をつぐんだので、ホーキンスは溜飲が下がる思いだった。さっきまで余裕ぶっていたキラーが動揺している。性交渉などといういちばんのプライベートを暴かれ、仮面の下ではきっと視線を惑わせているだろう。
「他の船員たちはどう思っているのだろうな? いっそニュース・クーに情報を渡してやろうか」
らしくもなく饒舌になる。キラーが舌打ちをした。それから長く息を吐く。
「……は、おれたちがセックスしてるからって、お前になんの関係が、ある」
「なんだと、」
「ニュース・クーに流したところで、おれたちはなにも変わらねェ」
ホーキンスはとっさにキラーの仮面の顎の部分を蹴り飛ばした。キラーはうめき声を上げ、牢の床に仮面が転がる。それでもキラーの唇は、笑みのかたちになっていた。
「そんなに興味があるなら、いちばん最近のセックスの話でもしてやろうか?」
「いらん!」
腹立たしさに、思わず声を上げてしまう。地下牢に響いた声にどきりとしたのは、自分の方だった。キラーの青い瞳が、乱れた金髪の向こうでまだまるで光を失っていないことに、ホーキンスは気付いてしまう。
やはりこいつは、こいつらを翻意させることは不可能なのだ。少なくとも、自分には。いや、その方法がないわけではない。それだけの能力は持っている。うまくやれば、この男に命乞いさせることだって、可能なはずなのだ。
ホーキンスはなんとか自分の昂ぶった感情を収める。キラーが小さく笑った。
「北の海出身はお固いんだな」
「は、……言っていろ」
今に、お前の膝をつかせ、懇願させる。ホーキンスはもう一度キラーを蹴飛ばして、牢を後にした。廊下でオロチとすれ違った。ニヤニヤと笑う様は薄気味が悪い。――あの男もまた、キラーのもとに向かうのだろう。キラーがどのような仕打ちを受けるのか、ホーキンスは考えないことにした。どのみち、最後にあの男を屈服させるのはきっとおれなのだから。

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