短文置き場

タイミングが噛み合わないキドキラ

2022/11/13 09:43
海賊
それぞれに船という狭い空間での立場があるなかで、ふたりには取り決めた合図があった。「今日の夜セックスしたい」と思ったら、相手の背中を指先で三回叩く。叩かれた側はOKなら振り返る、NGなら振り返らない。
そして今朝、キッドは振り返らなかった。そもそも、朝食直後から誘ってくるのはどうかと思った。確かに今のところ海は凪いでいるし、まだ世界政府非加盟国付近の海なので、海軍が攻めてくる可能性も低い。だからいいってモンじゃないだろう。
するとキラーは、昼食後も夕食後もキッドの背中をつついてきたのである。そしてキッドは応じなかった。そりゃあキラーとはさんざんしてきているし、おまけに何年経っても魅力的な男だとは思っているが――、どうにもする気が起きない、そういう日もある。ところが、キラーのほうはそれで収まらなかったらしい。普段、組織としての方向性だとか、あるいは食事のメニューだとかは、キッドの方に甘んじてくれるのに。
「キッド、やろう」
わざわざ船長室に来てシンプルにそう言われ、キッドはそれでもハイとは頷けなかった。珍しくキラーが例の仮面を外し、こちらに媚びているのがあからさまであるにも関わらずだ。いや、三回も誘われて全てに乗らなかった、それを軽々に覆すのがいやだった、というのもあるけれど。
「悪ィが、パスだつってんだろ」
するとキラーは、はァ、と当てつけのようにため息をついた。
「この前逆だったときは素股までは許してやっただろうが」
そう言われ、キッドは思わず口をつぐんだ。二ヶ月ほど前、同じようにふたりのタイミングが合わず、キッドはムラついているのにキラーはどうにもやる気が出ない夜があった。それでもキッドの性器を脚に挟んで擦るところまではさせてくれたのだったが。
「そうは言っても今日はやりたくねェ、勃たねェモンは入られねェだろうが」
「タチ側はいいよなァ、とりあえずチンポ擦ればいけるんだ、こっちはケツにチンポつっこまれねェと駄目なのに」
あけすけな物言いに、キッドは少しばかり口元を引きつらせた。海賊に品性だとか慎ましさだとかを求めるほうが間違っていることはわかっているが、キラーの発言は明らかに自分を煽るためのものである。乗っかろうものならキラーに丸め込まれてセックスに持ち込まれ、からかわれながらやる羽目になるのだ。それがどんなに気持ちのいいことであっても自分の意志を曲げるのは、キッドにはあまり面白いことではない。元来負けず嫌いなのである。そして、それは時に相棒にだって発揮される。
「じゃあテメェでケツいじればいいじゃねェか、とにかく、やんのは今度でいいだろ」
「……そうか」
キラーはふたたびため息をついた。これは折れてくれたらしい。なんだかんだ、キラーはキッドに甘いことはわかっていて、だからキッドは安堵したのであるが。
「お前の寝てる横でする。せめてお前の体臭くらいは嗅がせろ」
続いたキラーの発言に、キッドはまた口元をひきつらせる羽目になったのだった。


キラーは横向きに寝たキッドの背中にからだを擦り寄せると、キッドの項に鼻を寄せた。息を吸い込むと、鉄臭い馴染んだ匂いが胸に広がるような心地がして、思わずからだが熱くなる。
朝から妙にキッドの指先の動きが気になって、どうやら自分はあれに触れられたいらしい、と気付いたのが朝食後だった。その後欲望は一向に収まらずに、無碍にされても部屋まで来てしまった。年甲斐もない、と思わないでもないが、押せばなんとかなるのではないか、と楽観視していたところもある。
ところが、キッドはその負けん気の強さを発揮して、決して頷かなかった。なるほど、そっちがその気なら――、とキラーは共寝を提案したのだった。キッドは忘れているかもしれないが、キラーだって元来負けることなど好きではないのだ。
デニムはベッドに入る前に脱いでしまった。下着を下ろして、右手を尻の方に回す。穴に触れると、元々仕込んでおいたローションのぬめりが少し虚しい気分にさせる。いや、勝負はむしろここからのはずだ。キラーはできる限り熱っぽい息をキッドの耳元で吐き出し――、
数分後、キッドの呼吸が完全に寝息になっていることに気が付いたのだった。これは屈辱である。キラーは愕然として、強く唇を噛んだ。


キッドが目覚めると、一緒に布団に入ったはずのキラーは隣にいなかった。体温も残っていないので、とっくに起きたのだろう。しばしばあることだったので、大あくびをしながら起き上がる。
昨日は背中のキラーの体温のせいで、一瞬で寝落ちをしてしまった。後ろでキラーがオナニーすると言い出したときはどうしようかと思ったが、やってることはさておき、ちょっと昔を思い出すな……などと考えているうちに眠くなってしまった。頭をかいて、ひとまずシャツを直し、ブーツを履くのが面倒で、サンダルを引っ掛けて部屋を出た。寝ている間に汗をかいたのか、のどが乾いている。
キッチンに向かうと、いつもの仮面をつけたキラーが山のようなキャベツの千切りを刻んでいた。なるほど今日の朝食はキャベツのサラダか……、と思いながら冷蔵庫を開けてラムの瓶を取り出す。
「……おはようキッド」
「おう」
「昨日はよく眠れたか」
「あァ、お前にあんなに安眠効果があるとは思わなかった」
「…………」
キラーがひとつため息をつく。グラスから酒をあおりつつ、ふとキッドは、ボウルの中の山盛りキャベツが、糸のように細いことに気がついた。料理はキラーのストレス解消法のひとつである。つまりキラーは、相当に怒っていた?……おれに相手にされなくて?
「それなら、まァ、良かった、が」
ところがキラーの言葉は妙にぎこちない。少なくとも今は怒っていないようだ、とキッドは判断した。そのままキラーに近付くと、キラーはまたキャベツのほうに視線を向ける。キッドはそれを見て、のどを鳴らした。そのまま、なにも考えずにキラーの背中、髪が覆ううなじを、三回タップした。キラーはたっぷり三十秒手を止めて、それからキッドを振り向いた。
「後ろでおれがオナニーしてンのにそのまま寝ちまうから、インポになったのかと思ったが」
「ア?」
相変わらずあけすけな口ぶりに、キッドは顔を引きつらせた。そんなわけがあるか。キッドはキラーの腰を引き寄せてキスのひとつでもお見舞いしてやろうかと思ったが、彼の手に包丁が握られているのを見て一応踏みとどまる。
「キッド」
「なんだ?」
「お前に放置プレイを決め込まれて今のおれのケツはなかなかガバガバなんだが」
「…………言い方」
「おれは今日夜まで予定が詰まっている。それまで何があっても待てるな?」
「ハ、待ってやろうじゃねェか」
キッドは自信満々に頷いた。この日一日、キラーが船員の目を盗んでなにかとキッドを誘うような真似をしてくるとは、一切考えなかったのである。


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