短文置き場

キドキラ(デニム)

2022/07/20 10:43
海賊
※着想はウィッチウォッチ50話からです※
※ウィッチウォッチ面白いよね……※



キッドとしては、別に大したことを訊いたつもりはなかった。
「お前、いつもデニムだよな」
キッチンで今日の夕飯の付け合せにするらしいじゃがいもの山を前に、その皮を巧みな包丁さばきでむきまくっていた我が相棒は手を止め、「ああ」とさらに視線を落として自らの群青色のデニムに向ける。新世界には珍しく海が凪いでいるせいですっかり暇になってしまったキッドは、時間を潰すためにキッチンでキラーの作業を眺めていた、そういう中での気軽な雑談のつもりだった。キッドとキラーはしばしばそうしてふたりきりの時間を作る。海に出て数年、仲間が増えてからも、何度目かもわからない行為だった。
「これもそろそろ洗わねェとな」
「次の洗濯のときに出せばいい」
キッドの返答はごくごく当然のものだったはずだ。なんなら皮肉屋の自分にしては捻りがなさすぎるとも言える。だがキラーは「いや」と否定した。それからキッドに顔を向ける。
「洗うのは来月だ」
「来月?」
キッドは思わず聞き返した。いつも履いているデニムをそろそろ洗う、という話が来月になるのはおかしいだろう。
「ああ」
キラーは頷いた。
「来月でようやくこのデニムを履き始めてから半年だ」
半年。
キッドは最初、聞き間違えかと思った。キッド海賊団はそう特別清潔に気を配った集団ではない。女性クルーも数人いるので、海賊団の平均値よりは少し清潔に気を配っているが、海軍や金持ち向けの客船などと比べると、格段に落ちるだろう。それでも、服は一週間も着れば洗濯に出すし、夏島を通過する場合はもっと頻繁に服を洗う。それにキラーはどちらかといえば船員たちに身だしなみに気を配るよう言って回る側である気がしていたのだが――。
「半年、ずっと履いてたのか……?」
恐る恐る尋ねてみると、キラーは「まさか」と返ってきた。
「もう一本と、交代で履いていたぞ」
「…………不潔」
まさかこの単語を自分が相棒に使うなどとは、ほんの五分前まで思っていなかったのだが。キッドの言葉に、キラーはじゃがいもの皮をひとつむき終わったところで、水を張ったボールの中に沈める。
「キッドはデニムを履かないからわからねェんだろうが」
キラーは「やれやれ」とばかりにため息をついた。それはこちらのセリフだと言いたいところを、キッドは飲み込んで黙っていた。割にファッションにこだわりの強い船員が揃うキッド海賊団のなかで、キラーは最近は常にTシャツにデニムというカジュアルな服装を貫いていたが――それが逆に強いこだわりゆえだと、なぜ気が付かなかったのか。
「デニムというのは、買ってきて最初に一度糊を落とすために洗ったあとは、五十回から百回履きこんで皺をつけるのが常識だ。知らねェのか」
「知らねェ」
なんだか話が長くなりそうだ。これは以前キラーにパスタの茹で方のこだわりについて長々語られたときと似たシチュエーションのような気がしてくる。キッドのわずかに浮いた腰を目ざとく察知したキラーは「聞け」といつになく低い声で言った。「あァ」、逃げ場はないらしい、とキッドは悟る。
「デニムは履き込めば履き込むだけ良い色落ちをするんだ。そして二度目に洗った時点で、その色落ちが固定される。本当はもう少し穿き込みたいくらいだが……、天気のいい日には干しているから、そんなに不潔ではないぞ」
「だとしても半年も履いていれば臭うだろ」
「それは……自分じゃあまりわからねェな」
キラーは自らの下肢に視線を向ける。それから、腿のあたりの生地を引っ張って、キッドのほうを見た。
「確かめるか?」
「……よく臭ェだろうモンを、てめェの船長に嗅がせようと思えるな」
「この五ヶ月、さんざ密着しておきながらお前に臭ェと言われたことがねェからな」
仮面の下で、おそらくしてやったりと口角を上げているであろうキラーに、キッドは赤い唇を引き結ぶ。年上の幼馴染に言いくるめられるのはしょっちゅうなので、今更凹んだり拗ねたりしようとも思わない。ただ息を吐いて、キッドは腰掛けていたスツールから立ち上がった。キラーがテーブルに包丁を置き、またじゃがいもを水につける。キッドはキラーの前で身をかがめると、先にキラーの首に鼻を近づけて、思い切り空気を吸い込んだ。嗅ぎ慣れた体臭が肺を満たす。昨日は忙しくしていたし、風呂に入っていないのだろう。だが、それを不快とも思わなかった。それからそのまま膝を折り、キラーの脚の間、股間部分に鼻を寄せた。
「ファ、」
キラーが驚いた声を上げる。鼻先をデニムの合わせ目に擦り付けるようにすると、キラーの手が頭に伸びてきて、キッドを遠ざけようとしてくる。気にせず思い切り息を吸い込むと、首筋よりもっと濃い臭いが鼻腔に入ってくる。これがキラーのものでなければ不快だったのかもしれないが。
「エロい匂いがする」
キラーの股間で言うと、とうとうキラーの手が本気を出してきて、無理やり頭を離されてしまった。キッドがキラーの顔を見上げると、相変わらずの仮面が視界に入るが、その下の表情がどうなっているのか、想像ができないほど短い付き合いではない。
「どこ嗅いでんだ、クソガキ」
「いちばん臭そうなところ嗅いでやったんだよ」
「…………、とにかく立て」
お前が膝ついてるのは、慣れない。キラーの声は小さかったがキッドにはきちんと聞こえていたし、それで一旦は満足することにした。立ち上がりがてら、キッドはキラーの耳元に唇を寄せる。
「あと一ヶ月の間は存分に嗅がせてもらうか」
「……、次の洗濯で洗う」
「いいのか? 『デニムは履き込めば履き込むだけ良い色落ちをする』んだろ」
キッドが笑うのを見上げたキラーは、できるだけ大きく響くように舌打ちすると、包丁を手に取った。キッドの相手をしていると、いつまでも夕食の下ごしらえが終わらない。
「次の島は、宿にそれ、履いて来いよ」
キラーはわざと返事をしなかったが、自分が数日後にキッドの指示通りこのジーンズを履いて船を降りるであろうことを、きちんと自覚していた。

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