短文置き場
現パロ ルゾロ(ちょっとキラー)
2022/07/20 10:41海賊
あんた剣道ばっかりやって、進路どうすんの。同級生の女からの質問に、おれはすらすらとこう言ってのけた。
「警察とか刑務官に武道やってるやつの採用枠があるんだよ」
それはまるまる姉弟子であるたしぎからの受け売りだった。事実彼女自身、警察官になっている。それでなくても、体育会系の人間は一般企業でのウケも悪くない――だったか。だからゾロは剣道ばかりで赤点まみれの成績でも、さほど将来を悲観してはいない。ナミはふぅん、と質問してきたわりに適当な相づちを打った。
「お前はどうすンだ」
「私は大学行って保育士になるつもり」
本当はお天気お姉さんもやってみたいから、大学行きながらそっちの資格も勉強しよっかな。肩をすくめて笑った彼女の表情は随分と晴れやかだったことを、よく覚えている。
*
「残念だが、それは無理だろうな」
目深に前髪をおろした男は、首を横に振った。相当に鍛え抜かれた体躯の、がっしりと太い腕には火傷だろうか、なんらかの負傷の跡が残っている。彼はカップを持ち上げてブラックコーヒーをひとくちすすった。ゾロは不機嫌に眉を寄せる。
「なんでだよ」
「お前自身が望んだことでないにせよ、お前はいわゆる反社会的勢力と関わっちまった。そんなやつが警察だの刑務官だのになれると思ってンのか」
「好きで関わったわけじゃねェ!」
「だからそう言ったろ」
ゾロはこれでも大学では強面でならしているのだが、目の前の男――キラーはまるで動じない。彼自身もその「反社会的勢力」に片脚つっこんでいる、とは聞いている。今のところ、いや、一応今後も一般人のゾロの視線など、どうということもないということか。
「同情はする。だがお前はあの麦わらに気に入られちまったんだろう、もう諦めろ」
「諦めきれるか」
低く唸るが、キラーは首を横に振った。
「あいつらはお前が考えるより何倍も――いや、何百倍もしつこいぞ」
あいつら。その言い方にゾロは引っ掛かりを覚えた。まさかお前もおれと同じように、と問いかけるより先に、キラーは口元を緩める。
「それから、お前はお前が考えるより何倍も、この稼業に向いてると思うぜ」
「冗談じゃねェ!」
「忠告はした。ここの金は払っておく」
言ってキラーは立ち上がりながら伝票を取った。ゾロは彼を引き止めようとしたが、引き止めたところで訊きたいこともないし、何よりこれ以上あちら側の人間に関わりたくもなかった。キラーの広い背中が見えなくなるのを見送る。目の前には残りが四分の一ほどになったウーロン茶のグラスだけが取り残された。
まさかこんなことになるとは思わなかった。故郷の師であるコウシロウ、それにこちらに出てきてからの師、ミホークになんと説明すればいい! ゾロは頭を抱えかけたが、そも、それ自体は難しい話でもなかった。
去年、事故でどでかい怪我をした。全治二年とまでいわれたものの、それよりずっとはやく完治した。そしてゾロの手には、この国の保険制度で補ってなお、高額の医療費の支払いが残ってしまった。医療保険? とか、入っときゃよかった……。とにかく支払いを急かされ、慌てて金を借りたところが悪かった。しばらくするとゾロは借金取りに追われるようになり、どういうわけか、その中のひとりにいたく気に入られてしまったのである。
ゾロはウーロン茶を飲み干した。とにかく、午後からは授業だ。ふたコマ受けて、工事現場のバイトに行って、明日の午前中は大学の武道場で稽古。キラーの言うことなど、知ったことではない。
立ち上がって、薄っぺらな鞄を手にする。そのまま喫茶店を出ると、春の日差しはゾロの心情など無視してうららかだった。思わずため息をつくと、ゾロは大学のほうへと足を向けた。皆この店から大学まで徒歩三分だの五分だのと言うが、決して歩くのが遅いわけでもないゾロには十五分かかるのだ。
*
夜間のバイトが終わると、深夜の二時を回っていた。さすがに眠気が強く、ゾロは足早に自宅へ向かう。さっさと布団に包まりたい。汗をかいてはいるが、シャワーは明日でも構わないだろう、と考えアパートの外階段を登ろうとして――、踊り場に人影があることに気がついた。彼も同時にゾロの帰宅に気付いたらしい。ぱっと明るくした表情は、暗がりでもゾロにはよく見えた。
「ゾロ!」
名前を呼ばれ、ゾロは思い切り顔をしかめた。
モンキー・D・ルフィ。
まだ十代と聞いているが、それも納得のおさなげな顔立ちをしている。赤いシャツにデニムのハーフパンツ、それから季節を先どったような麦わら帽子とビーチサンダル。左目の下に走る大きな傷があってもなお、彼は天真爛漫に見えた。誰も彼が極道ものだとは思うまい。
だが、ゾロはこの男にさんざ追いかけられ、家財すべてを奪い取られ、それでも完済にはまだ遠い状態だった。だから剣道の練習の時間を削っても実入りのいい深夜バイトをしている。その元凶に微笑まれて、気分がいいはずもない。
「給料日は二週間先だ」
他の住民が寝静まっていることを考えて、ゾロは慎重に階段を上りながらルフィにそう言う。ルフィのほうもわざとらしくゆっくり階段を上った。今日はお前が持っていけるようなものはない。そう言外に伝えたつもりだが、ルフィは「そうだったっけ?」とまるで気にした様子がなく、ゾロについてくる。二階のゾロの部屋の玄関まで気軽な様子でやってくると、ゾロと一緒に入ろうとした。
「いやなんで入ってくるんだよ」
「なーゾロ、警察になるってほんとか」
なんで知ってる、と思うより先にキラーの顔(といっても彼はほとんど前髪とマスクで隠しているが)が浮かぶ。あいつ、ルフィに話したのか。いや、キラーが懇意にしているやつが、ルフィと同僚……なんだったか。キラーはそれなりに思慮深い男だと思っているが、話というやつは人から人へ伝わっていくものだ。ゾロはため息をつくと「そうだ」ときっぱりと告げた。
「だからお前らとは金輪際関わりたくねェ」
「だってお前、まだ借金残ってンだぞ。借金ってのは、返す約束をして借りるもんだ」
まったくの正論をまったくの常識の埒外の男に言われて、ゾロは押し黙る。薄い布団と最低限の着替え、あとは先輩に譲ってもらったテキストしかない四畳半の部屋は、ゾロとルフィが入ってもまだ余りある状態ではある。ゾロはルフィに構わずそのまま布団に入り込もうとした。そろそろ眠気が限界まできている。空腹もあったが、それも眠ってしまえばいっとき解放されることを、ゾロはとうに学んでいた。
「だからゾロ」
ルフィは手入れのされていない畳の上で正座をした。らしくない姿勢にギョッとして、ゾロは思わず布団の中からルフィを見上げる。
「おれのとこに来て働けば、借金は帳消しだからよ、来るしかねェだろ!」
まるで論理の破綻したセリフに、突っ込みを入れるべきだったのかもしれない。だがゾロは「いかねェ」と言うだけで目を閉じた。「あ、ゾロ、寝るのか、おい」ルフィの声が追いかけてきているのはわかっていたが、それも睡魔が遠ざけていく。どんなに眠くてもルフィがなにを言っていたのか最後まで聞いておくべきであったのだと、気づいたのは翌朝のことだった。
「警察とか刑務官に武道やってるやつの採用枠があるんだよ」
それはまるまる姉弟子であるたしぎからの受け売りだった。事実彼女自身、警察官になっている。それでなくても、体育会系の人間は一般企業でのウケも悪くない――だったか。だからゾロは剣道ばかりで赤点まみれの成績でも、さほど将来を悲観してはいない。ナミはふぅん、と質問してきたわりに適当な相づちを打った。
「お前はどうすンだ」
「私は大学行って保育士になるつもり」
本当はお天気お姉さんもやってみたいから、大学行きながらそっちの資格も勉強しよっかな。肩をすくめて笑った彼女の表情は随分と晴れやかだったことを、よく覚えている。
*
「残念だが、それは無理だろうな」
目深に前髪をおろした男は、首を横に振った。相当に鍛え抜かれた体躯の、がっしりと太い腕には火傷だろうか、なんらかの負傷の跡が残っている。彼はカップを持ち上げてブラックコーヒーをひとくちすすった。ゾロは不機嫌に眉を寄せる。
「なんでだよ」
「お前自身が望んだことでないにせよ、お前はいわゆる反社会的勢力と関わっちまった。そんなやつが警察だの刑務官だのになれると思ってンのか」
「好きで関わったわけじゃねェ!」
「だからそう言ったろ」
ゾロはこれでも大学では強面でならしているのだが、目の前の男――キラーはまるで動じない。彼自身もその「反社会的勢力」に片脚つっこんでいる、とは聞いている。今のところ、いや、一応今後も一般人のゾロの視線など、どうということもないということか。
「同情はする。だがお前はあの麦わらに気に入られちまったんだろう、もう諦めろ」
「諦めきれるか」
低く唸るが、キラーは首を横に振った。
「あいつらはお前が考えるより何倍も――いや、何百倍もしつこいぞ」
あいつら。その言い方にゾロは引っ掛かりを覚えた。まさかお前もおれと同じように、と問いかけるより先に、キラーは口元を緩める。
「それから、お前はお前が考えるより何倍も、この稼業に向いてると思うぜ」
「冗談じゃねェ!」
「忠告はした。ここの金は払っておく」
言ってキラーは立ち上がりながら伝票を取った。ゾロは彼を引き止めようとしたが、引き止めたところで訊きたいこともないし、何よりこれ以上あちら側の人間に関わりたくもなかった。キラーの広い背中が見えなくなるのを見送る。目の前には残りが四分の一ほどになったウーロン茶のグラスだけが取り残された。
まさかこんなことになるとは思わなかった。故郷の師であるコウシロウ、それにこちらに出てきてからの師、ミホークになんと説明すればいい! ゾロは頭を抱えかけたが、そも、それ自体は難しい話でもなかった。
去年、事故でどでかい怪我をした。全治二年とまでいわれたものの、それよりずっとはやく完治した。そしてゾロの手には、この国の保険制度で補ってなお、高額の医療費の支払いが残ってしまった。医療保険? とか、入っときゃよかった……。とにかく支払いを急かされ、慌てて金を借りたところが悪かった。しばらくするとゾロは借金取りに追われるようになり、どういうわけか、その中のひとりにいたく気に入られてしまったのである。
ゾロはウーロン茶を飲み干した。とにかく、午後からは授業だ。ふたコマ受けて、工事現場のバイトに行って、明日の午前中は大学の武道場で稽古。キラーの言うことなど、知ったことではない。
立ち上がって、薄っぺらな鞄を手にする。そのまま喫茶店を出ると、春の日差しはゾロの心情など無視してうららかだった。思わずため息をつくと、ゾロは大学のほうへと足を向けた。皆この店から大学まで徒歩三分だの五分だのと言うが、決して歩くのが遅いわけでもないゾロには十五分かかるのだ。
*
夜間のバイトが終わると、深夜の二時を回っていた。さすがに眠気が強く、ゾロは足早に自宅へ向かう。さっさと布団に包まりたい。汗をかいてはいるが、シャワーは明日でも構わないだろう、と考えアパートの外階段を登ろうとして――、踊り場に人影があることに気がついた。彼も同時にゾロの帰宅に気付いたらしい。ぱっと明るくした表情は、暗がりでもゾロにはよく見えた。
「ゾロ!」
名前を呼ばれ、ゾロは思い切り顔をしかめた。
モンキー・D・ルフィ。
まだ十代と聞いているが、それも納得のおさなげな顔立ちをしている。赤いシャツにデニムのハーフパンツ、それから季節を先どったような麦わら帽子とビーチサンダル。左目の下に走る大きな傷があってもなお、彼は天真爛漫に見えた。誰も彼が極道ものだとは思うまい。
だが、ゾロはこの男にさんざ追いかけられ、家財すべてを奪い取られ、それでも完済にはまだ遠い状態だった。だから剣道の練習の時間を削っても実入りのいい深夜バイトをしている。その元凶に微笑まれて、気分がいいはずもない。
「給料日は二週間先だ」
他の住民が寝静まっていることを考えて、ゾロは慎重に階段を上りながらルフィにそう言う。ルフィのほうもわざとらしくゆっくり階段を上った。今日はお前が持っていけるようなものはない。そう言外に伝えたつもりだが、ルフィは「そうだったっけ?」とまるで気にした様子がなく、ゾロについてくる。二階のゾロの部屋の玄関まで気軽な様子でやってくると、ゾロと一緒に入ろうとした。
「いやなんで入ってくるんだよ」
「なーゾロ、警察になるってほんとか」
なんで知ってる、と思うより先にキラーの顔(といっても彼はほとんど前髪とマスクで隠しているが)が浮かぶ。あいつ、ルフィに話したのか。いや、キラーが懇意にしているやつが、ルフィと同僚……なんだったか。キラーはそれなりに思慮深い男だと思っているが、話というやつは人から人へ伝わっていくものだ。ゾロはため息をつくと「そうだ」ときっぱりと告げた。
「だからお前らとは金輪際関わりたくねェ」
「だってお前、まだ借金残ってンだぞ。借金ってのは、返す約束をして借りるもんだ」
まったくの正論をまったくの常識の埒外の男に言われて、ゾロは押し黙る。薄い布団と最低限の着替え、あとは先輩に譲ってもらったテキストしかない四畳半の部屋は、ゾロとルフィが入ってもまだ余りある状態ではある。ゾロはルフィに構わずそのまま布団に入り込もうとした。そろそろ眠気が限界まできている。空腹もあったが、それも眠ってしまえばいっとき解放されることを、ゾロはとうに学んでいた。
「だからゾロ」
ルフィは手入れのされていない畳の上で正座をした。らしくない姿勢にギョッとして、ゾロは思わず布団の中からルフィを見上げる。
「おれのとこに来て働けば、借金は帳消しだからよ、来るしかねェだろ!」
まるで論理の破綻したセリフに、突っ込みを入れるべきだったのかもしれない。だがゾロは「いかねェ」と言うだけで目を閉じた。「あ、ゾロ、寝るのか、おい」ルフィの声が追いかけてきているのはわかっていたが、それも睡魔が遠ざけていく。どんなに眠くてもルフィがなにを言っていたのか最後まで聞いておくべきであったのだと、気づいたのは翌朝のことだった。