短文置き場
キドキラ
2022/07/20 10:31海賊
「キラーさんの寝方ってそのうち窒息しそうで怖くね?」
「わかる」
ユースタス・キッドが自らの部下たちのそんな会話を耳にしたのは、凪いだ海を航行中の昼下がり、航海士や料理人ら職分がある連中以外は甲板でだらだらと釣りをしたり寝転んだり、自由にやっている最中だった。キッドも風に当たりに外へ出たところで、特にやることもないので、煙草をふかしている彼らに近づいた。
キッド海賊団は、そう大規模な海賊団ではない。船はひとつきりだし、船首こそ恐竜の骨を備えた特殊なものだが、その大きさもまあ、ごく平均的なものだった。それゆえ船長たるキッド以外の船員に、個室は与えられていない。戦闘員とは名乗っているものの、ほとんど副船長という立ち位置のキラーも同様で、彼はいつも船の一階にある船室で他の船員たちとハンモックに揺られて眠る。
キッドはわざわざその部屋に立ち入ることはさほど多くなかった。まあ、船長の目が届かない場所があっても悪くはねェだろ、と鷹揚に構えていたのである。だからキッドは、たった今話題に挙がっている相棒たる「キラーさんの寝方」を見たことがない。
「窒息ってどういうことだ」
突然会話に割って入ってきた船長に、船員たちは肩を跳ね上げた。そしてキッドのほうを見て苦笑する。
「いや、キラーさんって寝るときも顔隠したいみたいで」
それはそうだろう。キラーといえば、常にフルフェイスのマスクをつけていることがトレードマークだ。とうに順調に検証金額を上げている賞金首であるのに、手配書にはその素顔が載っていないのだから、まったく意味がない。海軍の怠惰だ、と笑ったものだった。もはや数年はその状態であるし、本人は本人で顔を隠しているほうが落ち着く、とまで公言している。
「横向きになって毛布ここまで(言いながら彼は自らの鼻の上を指差した)上げて、さらに顔をクッションに埋めるんです」
「へェ」
「結構ガッツリクッションに顔埋めるから、その……」
「窒息しそうに見えるっつーワケか」
彼らは頷き、そしてキッドも得心した。キラーは自分と寝るときも横向きで寝るが、そこまであからさまに顔を隠そうとはしない。そうでなくてもあのやたらに量の多い金髪で隠れがちではあるが。
船員たちは、他のメンバーの寝相についても話し始める。ハンモックはベッドなどで寝るのに比べると寝返りが少なくなるのでわかりづらいが、この間の宴のとき途中で寝ちまったあいつの寝相がひどかったとか、いや、ハンモックでもあいつはやばいとか。
毎日顔を突き合わせている船員たちでも、船長のキッドが知らないことなんていくらでもある。キッドは興味深く彼らの話を聞いていた。
*
キッドが船員たちの寝室に足を向けたのは、それからすぐだった。普段見ないところを見回るのも船長の務めだ。ひとりうなずきながら階段を降りると、そこが男部屋だ。窓のない部屋は空気が籠もっていて、キッドは思わず顔をしかめた。船員たちが陸に上がるとよくはしゃぐのは、この部屋の空気のせいか。今度船大工に換気ができるような仕掛けを頼んだほうがいいかもしれない。キッドは薄暗い部屋に立ち入りながら密かな決意をした。
昼間だというのに数人が横になっている。昨晩夜警を担当していた船員たちだろう。だが、彼らに構わず部屋を見回した。キラーのハンモックはどれだ。
「……いや、これか」
いちばん入り口に近いところにキラーのものと思われるハンモックがあった。他の船員がカピカピになったエロ本だの湿気た煙草だの脱ぎっぱなしの下着だのをハンモックに置きっぱなしにしているのに対して、キラーのハンモックは寝具以外になにも置かれていない。フルフェイスマスクをしていることと、人の四肢やらなにやらの切断に躊躇いがないことを除けば、キラーはこの船でもっとも常識人であり、海賊らしくないと評されることすらあった。まあ、人の四肢を平然と切断できる精神を持っているので、殺戮武人などという二つ名をつけられるような海賊をやっているのだが。
キッドは噂のクッションを取り上げる。百ベリー均一とか、三百ベリー均一的な雑貨屋で買ったのであろう柄もない生成りのカバーがかかったなんの変哲もないクッションは、少しばかり中の綿がへたっていて、うっすら汚れている。キラーは普段これに顔を埋めて眠るのだという。顔を隠すだけなら毛布に潜ってしまえばいいし、そもそも風呂だの食事だの、やむを得ないタイミングでマスクを外すことだって多々あるのだから、船員たちは皆キラーの素顔を見たことがないわけではないのだ。それでも執拗と言えるほどに顔を隠そうとするのがキラーという男だった。クッションを見分していたキッドは、ふとそのクッションの中央あたりに、赤っぽい汚れがついていることに気がついた。
血ではない、口紅だ、とキッドはすぐに思い当たった。顔を洗い忘れたか、そもそも洗う余裕すらなかったキラーが口紅をつけたまま眠ってしまい、残してしまったキスマークだ。途端背中にぶわっと熱いものが広がった。このクッション、おれよりよほどキラーとキスしてやがる。
嫉妬というほどのことではない、とキッドは思い直した。だが、気に食わない。気に食わないということは、やはり嫉妬しているのか。
キッドはクッションをできる限り強く握りしめ、それからぐっと奥歯を噛み締めた。そのまま部屋を出て、一段飛ばしで階段を登る。上の階にある自室へ向かおうとしたところで、「おい」と声をかけられた。船長たる自分にこんな声の掛け方をしてくるのは、この船ではせいぜいひとりしかいない。
「キッドお前、なに持ってんだ」
キラーであった。先程まで夕食の仕込みの手伝いをしていたキラーは、一段落ついたところで休憩でもしようと男部屋に戻るところだった。キッドが階段を登ってくるところが見えたので珍しいと思ったが、その手にあるものに驚いてしまう。
「見てわかんねェか?」
「いやわかるが、なぜそれをお前が持ってンのかを訊いている」
改めて真正面からそう言われると、キッドも少々答えがたい。「別に」と言うと「今更反抗期か」と煽られて、ますます返事がしづらくなった。基本的にはキラーのほうが口が回るので、口喧嘩は分が悪い。
それでキッドはクッションを抱えたまま、さっさと自室に向かった。当然キラーも「待て」と言いながらついてくる。そう広くない船内なので、数歩も歩けば船長室である。キッドはクッションを自分のベッドのうえに放ると、そのすぐ傍らに腰掛け足を組んだ。
「なんだ、クッションが欲しいのか?」
キラーはキッドの前に立ったままだ。腰でも痛めたか、などと舐めたことまで言ってくるキラーに、キッドは適当に「まあそういうところだ」と告げた。キラーは訝しげな空気を醸したが、あえてそこに踏み込んではこなかった。それからふう、と息を吐く。昔からキッドが悪戯なことをしたときに、言い聞かせる前の癖のようなものだった。
「お前がお下がりのクッションがいいってならやってもいいが……、クッションなら次の島で新しいのを買えばいいじゃねェか」
「お前本気でソレ言ってンのか?」
「なんのことだ」
どうにも話のピントがずれているような気がする。キラーは心底不思議そうな態度なので、キッドはため息をついた。まったく、クッションに腹を立てていたほんの十分前の自分がバカバカしくなってきた。あーあ、と呆れた声を出してやる。キラーの顔は見えないが、確実に怪訝そうな顔をしていることだろう。
「なんにもわかっちゃいねェな、キラー」
キッドはそう言って、傍らにあったクッションを取り上げた。真ん中にある口紅のあとを親指でなぞって、それからひょいと顔の前に持ってくる。
キラーはキッドが自分の愛用のクッションにキッドが顔を埋めようとしているのを一瞬呆然と眺め、それから我に返った。
「汚れるからやめろ!」
だがキッドも止まらない。キラーはキッドに駆け寄り、それからふたりしてベッドに倒れ込んだ。キッドはケラケラと笑い、それから上半身を少し起こしてキラーのマスクにキスをする。
「クッションよりはこっちのがマシだな」
「お前にしては謙虚じゃないか、こっちにはしなくていいのか?」
手ずからマスクをずらして露出した唇は、笑みの形を作っている。キッドはキラーの背中に腕を回して引き寄せると、噛み付くようにその唇と自分の唇を合わせてやった。
「わかる」
ユースタス・キッドが自らの部下たちのそんな会話を耳にしたのは、凪いだ海を航行中の昼下がり、航海士や料理人ら職分がある連中以外は甲板でだらだらと釣りをしたり寝転んだり、自由にやっている最中だった。キッドも風に当たりに外へ出たところで、特にやることもないので、煙草をふかしている彼らに近づいた。
キッド海賊団は、そう大規模な海賊団ではない。船はひとつきりだし、船首こそ恐竜の骨を備えた特殊なものだが、その大きさもまあ、ごく平均的なものだった。それゆえ船長たるキッド以外の船員に、個室は与えられていない。戦闘員とは名乗っているものの、ほとんど副船長という立ち位置のキラーも同様で、彼はいつも船の一階にある船室で他の船員たちとハンモックに揺られて眠る。
キッドはわざわざその部屋に立ち入ることはさほど多くなかった。まあ、船長の目が届かない場所があっても悪くはねェだろ、と鷹揚に構えていたのである。だからキッドは、たった今話題に挙がっている相棒たる「キラーさんの寝方」を見たことがない。
「窒息ってどういうことだ」
突然会話に割って入ってきた船長に、船員たちは肩を跳ね上げた。そしてキッドのほうを見て苦笑する。
「いや、キラーさんって寝るときも顔隠したいみたいで」
それはそうだろう。キラーといえば、常にフルフェイスのマスクをつけていることがトレードマークだ。とうに順調に検証金額を上げている賞金首であるのに、手配書にはその素顔が載っていないのだから、まったく意味がない。海軍の怠惰だ、と笑ったものだった。もはや数年はその状態であるし、本人は本人で顔を隠しているほうが落ち着く、とまで公言している。
「横向きになって毛布ここまで(言いながら彼は自らの鼻の上を指差した)上げて、さらに顔をクッションに埋めるんです」
「へェ」
「結構ガッツリクッションに顔埋めるから、その……」
「窒息しそうに見えるっつーワケか」
彼らは頷き、そしてキッドも得心した。キラーは自分と寝るときも横向きで寝るが、そこまであからさまに顔を隠そうとはしない。そうでなくてもあのやたらに量の多い金髪で隠れがちではあるが。
船員たちは、他のメンバーの寝相についても話し始める。ハンモックはベッドなどで寝るのに比べると寝返りが少なくなるのでわかりづらいが、この間の宴のとき途中で寝ちまったあいつの寝相がひどかったとか、いや、ハンモックでもあいつはやばいとか。
毎日顔を突き合わせている船員たちでも、船長のキッドが知らないことなんていくらでもある。キッドは興味深く彼らの話を聞いていた。
*
キッドが船員たちの寝室に足を向けたのは、それからすぐだった。普段見ないところを見回るのも船長の務めだ。ひとりうなずきながら階段を降りると、そこが男部屋だ。窓のない部屋は空気が籠もっていて、キッドは思わず顔をしかめた。船員たちが陸に上がるとよくはしゃぐのは、この部屋の空気のせいか。今度船大工に換気ができるような仕掛けを頼んだほうがいいかもしれない。キッドは薄暗い部屋に立ち入りながら密かな決意をした。
昼間だというのに数人が横になっている。昨晩夜警を担当していた船員たちだろう。だが、彼らに構わず部屋を見回した。キラーのハンモックはどれだ。
「……いや、これか」
いちばん入り口に近いところにキラーのものと思われるハンモックがあった。他の船員がカピカピになったエロ本だの湿気た煙草だの脱ぎっぱなしの下着だのをハンモックに置きっぱなしにしているのに対して、キラーのハンモックは寝具以外になにも置かれていない。フルフェイスマスクをしていることと、人の四肢やらなにやらの切断に躊躇いがないことを除けば、キラーはこの船でもっとも常識人であり、海賊らしくないと評されることすらあった。まあ、人の四肢を平然と切断できる精神を持っているので、殺戮武人などという二つ名をつけられるような海賊をやっているのだが。
キッドは噂のクッションを取り上げる。百ベリー均一とか、三百ベリー均一的な雑貨屋で買ったのであろう柄もない生成りのカバーがかかったなんの変哲もないクッションは、少しばかり中の綿がへたっていて、うっすら汚れている。キラーは普段これに顔を埋めて眠るのだという。顔を隠すだけなら毛布に潜ってしまえばいいし、そもそも風呂だの食事だの、やむを得ないタイミングでマスクを外すことだって多々あるのだから、船員たちは皆キラーの素顔を見たことがないわけではないのだ。それでも執拗と言えるほどに顔を隠そうとするのがキラーという男だった。クッションを見分していたキッドは、ふとそのクッションの中央あたりに、赤っぽい汚れがついていることに気がついた。
血ではない、口紅だ、とキッドはすぐに思い当たった。顔を洗い忘れたか、そもそも洗う余裕すらなかったキラーが口紅をつけたまま眠ってしまい、残してしまったキスマークだ。途端背中にぶわっと熱いものが広がった。このクッション、おれよりよほどキラーとキスしてやがる。
嫉妬というほどのことではない、とキッドは思い直した。だが、気に食わない。気に食わないということは、やはり嫉妬しているのか。
キッドはクッションをできる限り強く握りしめ、それからぐっと奥歯を噛み締めた。そのまま部屋を出て、一段飛ばしで階段を登る。上の階にある自室へ向かおうとしたところで、「おい」と声をかけられた。船長たる自分にこんな声の掛け方をしてくるのは、この船ではせいぜいひとりしかいない。
「キッドお前、なに持ってんだ」
キラーであった。先程まで夕食の仕込みの手伝いをしていたキラーは、一段落ついたところで休憩でもしようと男部屋に戻るところだった。キッドが階段を登ってくるところが見えたので珍しいと思ったが、その手にあるものに驚いてしまう。
「見てわかんねェか?」
「いやわかるが、なぜそれをお前が持ってンのかを訊いている」
改めて真正面からそう言われると、キッドも少々答えがたい。「別に」と言うと「今更反抗期か」と煽られて、ますます返事がしづらくなった。基本的にはキラーのほうが口が回るので、口喧嘩は分が悪い。
それでキッドはクッションを抱えたまま、さっさと自室に向かった。当然キラーも「待て」と言いながらついてくる。そう広くない船内なので、数歩も歩けば船長室である。キッドはクッションを自分のベッドのうえに放ると、そのすぐ傍らに腰掛け足を組んだ。
「なんだ、クッションが欲しいのか?」
キラーはキッドの前に立ったままだ。腰でも痛めたか、などと舐めたことまで言ってくるキラーに、キッドは適当に「まあそういうところだ」と告げた。キラーは訝しげな空気を醸したが、あえてそこに踏み込んではこなかった。それからふう、と息を吐く。昔からキッドが悪戯なことをしたときに、言い聞かせる前の癖のようなものだった。
「お前がお下がりのクッションがいいってならやってもいいが……、クッションなら次の島で新しいのを買えばいいじゃねェか」
「お前本気でソレ言ってンのか?」
「なんのことだ」
どうにも話のピントがずれているような気がする。キラーは心底不思議そうな態度なので、キッドはため息をついた。まったく、クッションに腹を立てていたほんの十分前の自分がバカバカしくなってきた。あーあ、と呆れた声を出してやる。キラーの顔は見えないが、確実に怪訝そうな顔をしていることだろう。
「なんにもわかっちゃいねェな、キラー」
キッドはそう言って、傍らにあったクッションを取り上げた。真ん中にある口紅のあとを親指でなぞって、それからひょいと顔の前に持ってくる。
キラーはキッドが自分の愛用のクッションにキッドが顔を埋めようとしているのを一瞬呆然と眺め、それから我に返った。
「汚れるからやめろ!」
だがキッドも止まらない。キラーはキッドに駆け寄り、それからふたりしてベッドに倒れ込んだ。キッドはケラケラと笑い、それから上半身を少し起こしてキラーのマスクにキスをする。
「クッションよりはこっちのがマシだな」
「お前にしては謙虚じゃないか、こっちにはしなくていいのか?」
手ずからマスクをずらして露出した唇は、笑みの形を作っている。キッドはキラーの背中に腕を回して引き寄せると、噛み付くようにその唇と自分の唇を合わせてやった。