短文置き場

ワノ国後ゾロとキラー

2022/07/20 10:23
海賊


ーーワノ国からカイドウとシャーロット・リンリンというこの海の怪物ふたりを退けた戦いが終わって、丸三日が経っていた。大きな傷を受けたものたちの回復を待って、カイドウが開催していた大宴会のための酒や食料はそのまま勝利の宴に持ち込まれ、飲めや歌えやの大騒ぎだ。その中心で同じく戦の功労者である他船の船長と諍いを起こしている自らの船長を視界のはしに入れながら、キラーはひとりストローで酒を啜っていた。
なにしろ、自分はこの国で自らの表情をひとつ残してすべて失ってしまったのだ。仲間たちはてらいなくそれを受け入れてくれたし、自分の中でもそろそろ折り合いもつけている。だが、この状態で他人と会話するのは以前より気疲れしてしまうのも事実で、とにかくおとなしくしていたい気分だったのだ。少なくとも船員たちはそれを理解しているらしく、無理に話しかけてこようとはしなかった。まったく、粗暴で知られる船らしかぬ気遣いができる船員ばかりで助かるな、キラーはつまみのイカそうめんを啜った。これもまた、弾力があってうまい。
「よォ」
ところが正面から声をかけられて、キラーは顔を上げざるを得なかった。目の前には、今回の戦いでともに肩を並べて戦った男が立っている。左目には傷が走り閉じたまま、残った右目のほうも決して人当たりが良さそうとは言えない目つきをしている。片方の口はしを吊り上げるさまは、まったく海賊狩りの異名に相応しい物騒な笑みだった。おまけに片手にはいくつも酒入りの瓢箪を持っている。
「ファ、なんだロロノア、お前が声を掛けてくるとは思わなかった」
「随分と不味そうな飲み方をしてると思ってよ」
不躾にも隣に座ってくる。さほど不快ではないが、そういう他人との距離の詰め方をしてくるタイプだとは思っていなかったので、少々驚いてしまう。キラーは直接の関わりはほとんどないが、あの麦わらの船員であるからには、そう不思議でもない態度なのかもしれないが。
「お前こそ、そう鯨飲して酒の味はわかってるのか?」
売り言葉に買い言葉と応じてやると、ゾロは「ケ」と決まりが悪そうな声を出して瓢箪を煽る。しかしすでに中身はなかったらしい。そこらに放ると、新しい瓢箪の栓を開け、喉を湿らせる。それから、改まったように口を開いた。
「訊きたいことがある」
「なんだ」
「なんであンときーーてめェは女子供を追いかけてやがったんだ」
あのときとは、と問うまでもない。この戦いに赴く以前の、「人斬り鎌ぞう」としてゾロと一戦交えたときの話だろう。キラーはストローを咥えた。なぜ。この若くまっすぐな性根の男は、なぜおれが戦闘能力のない花魁や禿を追いかけ回して殺すなどというーー卑劣な真似をしようとしていたのかと訊きたいのだろう。
「命じられたからだ」
「誰に」
「ファファ、将軍、黒炭オロチにだ」
ゾロははっと片目を見開き、それから思案しているようだった。おそらくこの男にも、自分がSMILEを口にしたことは悟られている。キラーには、ゾロが次に問いかけてくることがすべてわかるような気がした。いっそのこと先に話してしまおうと思い、口を開く。
「お前らがトラファルガーと同盟を結んでいたころ、おれたちもホーキンスやアプーと同盟を結ぶことにした。それは知ってるか?」
「あー、新聞で見た」
「その直後だな、ファファファ、カイドウがおれたちの前に現れた。アプーのやつが手引きしてやがったんだ」
ホーキンスはその場でカイドウへ服従したが、キッドとキラー、そしてキッド海賊団の船員たちはカイドウと戦った。結果あえなく敗北し、全員が捕らえられ、キッドは兎丼送り(ゾロは「あァ、ルフィが捕まってたところか」と頷いた)、キラーはオロチのもとへと引き渡された。
カイドウは後ろ手に手錠をかけられたキラーをオロチの前に蹴り飛ばし、「こいつの船長はこっちの手にある、それなりの手練だ好きにしろ」と言い放った。オロチはキラーを見下ろし、にやにやと笑った。あのときの光景は未だ思い出すだけで忸怩たる気分になる。
「『これを食えば船長を救うチャンスをやる』と言われて実を差し出され、『おれに逆らえば船長がどうなると思う』と言われて人を斬るよう命じられた」
ゾロは片目を見開いたまま、酒も飲まず、なにも言わなかった。キラーはゾロの素直な反応を一笑すると、「まァ、もともとおれたちのところは女子供に手加減するたちでもねェしな」と言い添えた。ゾロはようやく我に返ったかのように数度瞬きした。鎌ぞうとして相手をしたときから気がついてはいたが、この男は、どうも物騒な目つきのわりに性根は優しいーーいや、甘い。若い、と言ってもいいのかもしれなかった。そしてキラーがそういう相手をからかいたくなるのは、もしかしたら性分なのかもしれない。
「ファファファ、なぁロロノア、お前ならどうした?」
キラーは今度はローまで加わって大騒ぎをしている我らが船長たちのほうに視線を向けて、ゾロに問うた。質問に質問を返すのはたちの悪い人間のすることであることはわかっていたが、ずっと誰かに答えて欲しかったのも事実だ。それもーー自分とおなじ立場の人間に。
「おれは」
ゾロも自らの船長のほうに目を向けた。それから、大きく息を吐く。
「……、おれがオロチに従わなくたって、ルフィはカイドウなんかに殺されねェ」
まったく真っ直ぐな、教科書通りの回答だとキラーは思った。
反論するのは簡単だ。事実ルフィにせよキッドにせよ、海楼石の手錠に繋がれて、兎丼から脱獄するのすら苦労していた。今回こそ辛くも勝利したが、基本的にルフィやキッドの強さはその悪魔の実の能力ありきのものだ。例えばそれが封じられていたら? それでもお前の船長は、カイドウに殺されなかっただろうか。
だがキラーはゾロにそれを言わなかった。あまりにも無粋だろうと結論づけ、そして長く息を吐く。
「そうだな」
船長たちの言い争いは、赤鞘の侍たちの乱入によって、さらなる混迷を極めている。
「ファファファ、おれもそうすればよかった」
キラーはひときわ明るい声で笑った。
なにがあろうと笑うことしかできなくなったのも、海賊なのに泳げなくなったのも、そして卑劣な真似すら厭わなかったのも、キッドの強さを信じきれなかった、自分の弱さが原因だ。
「……最後に目的は達成できたんだ、それでいいじゃねェか」
ゾロがフォローのような発言をするので、いよいよキラーは笑ってしまう。この男がこんな気遣いをしてくるとは思っていなかった。SMILEの副作用について、随分と同情されている気はしていたが。
「ファ、そうだな、まァ――最後にキッドがワンピースを手に入れればなんだって構わねェか」
「待て待て、海賊王になるのはうちの船長だ」
「できるものならやってみればいい」
「ア?」
ゾロの目がぎらりと光る。そこに覇王色の覇気を持つ男の威圧が含まれていることに気づき、キラーは肩をすくめた。キッドのもので慣れているが――、いや、慣れているからこそ少々決まりが悪い。
「ファファ、ここでおれたちが争ったところでお互いワンピースには一ミリも近づかねェぞ」
「うるせェ、先に仕掛けてきたのはてめェだろうが」
覇王色の覇気持ちの男に絆されやすいなどという、妙な癖はできれば持ちたくないところだ。
「いまは宴の最中だろう、飲み比べくらいにしておかねェか」
「……、受けて立つ」
キラーはほっと安堵した。見たところゾロはここまでで既にかなりの量飲んでいるようだ。対して自分はストローで少しずつしか飲んでいない。既にアドバンテージはこちらにあるはずだった。
ふたりは立ち上がると、酒瓶が並ぶカウンターまで向かうことにした。

――残念ながらこの勝負は、キラーの目論見通りには進まなかったのだが。




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