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海賊



今日の夕食も満足な出来だった。メニューはウソップが釣った春島の旬の魚の香草焼きをメインに、じゃがいものポタージュ、一昨日焼いたフランスパン。それから食後にドライフルーツたっぷりのクッキーもつけた。グランドラインに入ってからというものの、読めない海に疲弊しきっていた船員たちは、それらをぺろりと平らげた。すっかり満腹を抱え、席を立つのが惜しいとばかりにダイニングに居座っている。
この船が誇る酒豪二人は、並んでワインを飲んでいた。船長たるルフィがその二人にあれこれと話しかけ、ゾロが言葉少なに、ナミが年上ぶって答えている。皿洗い当番のウソップは、はやく会話に加わりたいのかせわしなく手を動かしていた。
仕事を終えたサンジもダイニング備え付けの椅子に腰掛け、煙草を取り出して咥えた。次にライターを、と思ったところでふとルフィがぐるりとこちらを見た。
「なぁサンジ、それ、いつから吸ってんだ?」
ルフィのいつもの好奇心からの質問だ。サンジは「そうだなァ」とつぶやいて、たばこに火をつけた。
「十か十一、くらいか?」
はっきりとした年齢は覚えていない。ただ、あの忌まわしい実家から逃れ客船で過ごしていた頃は、さすがにまだ吸っていなかった。なにより幼かったし、あの船は禁煙だったので、吸っている人間はそばにいなかったし。ところが、ゼフに拾われ以後働いていたバラティエは、元々荒くれ者の料理人が多く、それに比して喫煙者も多かった。中でもいちばん若い料理人であったサンジはガキだなんだと馬鹿にされることも多く、おれだってもう大人だ、と主張するために、はじめて煙草を咥えたのだった。
「そんなに子どもの頃から?」
聞いていたナミが長いまつげを瞬かせた。ナミに興味を持たれたのが嬉しく、サンジは思わず身を乗り出す。ナミは「サンジくん、けっこうヘビースモーカーよね、一日一箱くらいは吸ってるの?」と続けた。
「大正解! さすがナミさんだ」
「節約して吸ってね、この船の財政は厳しいんだから」
「うう……厳しいナミさんもまた素敵だ……」
ぴしゃりと言ったナミの顔は航海士と言うより経理担当としてのもので、なんにせよ凛々しい表情も愛らしかった。サンジはがくりと肩を落とし、ため息をついた。
「なあなあ、煙草ってそんなに高えのか?」
「そんなこともないけど、吸えば吸うだけお金はかかるでしょ」
ルフィとナミのやりとりを聞きながら、ふとサンジはもうひとつの視線に気がついた。これまでずっと黙っていたゾロだ。彼はじっと煙草の煙を見上げている。
サンジは、この男がどうにも気に食わない。同い年で、身長もそう変わらない。出された料理には手を合わせてから残さず食べる。言葉少なだが人と関わるのが嫌いというわけではなさそうで、義理堅く、何より強い。そういうところだけ考えれば、十二分に気の合う仲間になり得るはずなのに。バラティエでやりあいながら料理をしていたせいか、喧嘩っ早いところがあることは自覚しているが、それを差し引いても、ゾロを見るとつい煽るような物言いをしてしまう。ゾロのほうもこの短い間でサンジを気に入らないやつだと認識したのか、なにかと突っかかるようになっていた。
「なんだ? 藻類も植物なりに煙草が気になるのか?」
言うと、ゾロの細く形の良い眉がぴくりと釣り上がった。皮肉げに右側だけ唇を吊り上げ、灰色の瞳が挑戦的にぎらりと光る。
「あァ、蚊取り線香の煙かと思ったら煙草かよ」
「誰の眉毛が蚊取り線香だコラァ!」
「ゾロ、今のは結構面白かった!」
「おー、ありがとうルフィ」
「黙ってろクソ共!」
サンジが噛み付くように叫ぶ。ゾロはふと改めてサンジの指先に収まったままの煙草を見た。一通りのやり取りを終えたサンジが改めて煙草を咥えようとするのを、身を乗り出して火がついてる先端側から摘み、そのまま取り上げる。咄嗟のことでゾロの行動をぽかんと見ていることしかできなかったサンジは、文句ひとつ口にすることもできなかった。
「ま、こんなモン昔吸ってすぐ飽きちまったけどな」
言って、ゾロはそれをそのまま咥えてひと呼吸し、すぐに煙を口から吐き出した。
「おま、なに勝手に吸ってんだ、返せ!」
サンジは手を伸ばしたが、次に煙草を手にしたのはナミだった。もともとスリの真似ごともしていた器用な指先は、サンジより早く、ゾロの太い指からやすやすとそれを奪った。ゾロも未練がないのか追いかけず、可哀想な紙筒はあっという間にナミのものになった。
「私もアーロンたちに無理矢理くわえさせられたこと、あったわね」
言ってナミも煙草を咥え、ゾロと同じく煙を吸った。細く吐き出された煙が天井に向けて立ち上る。堂に入った仕草は確かに吸い慣れているのだろう。いつもよりずっと大人びて、蓮っ葉な女に見えた。ナミに煙草を取られたとあってはサンジは文句も言えず、ああ、と悲しげな声を出すしかない。すると、じっと見ていたルフィが「おれもー!」とナミに向かって手を伸ばした。ナミは眉を寄せ、「あんたどうせ吸ったことないでしょ」と手を引いた。しかしそんな些細な抵抗ではゴム人間にはまったくの無駄で、あえなく持っていかれてしまう。ルフィは躊躇わずにたばこを咥え、それからサンジを見た。
「どうすんだ、これ」
「わかってねえのに咥えんなアホ!」
この船長の奔放さには全く呆れてしまう。ゾロが「ルフィ、そのまま息吸ってみろ」と煽るようなことを言い、ルフィは大袈裟なほど空気を吸い込み――、盛大に咳き込んだ。涙目のルフィはたばこを唇から離し、サンジをねめつけた。
「うぉえ、なんだサンジ、これ、ケホッ、意味わかんねえ、ゲホッ」
咳が収まらないルフィから、ようやくサンジの手に戻ってきた煙草はかなり短くなってしまい、サンジはため息をついてそれを咥えた。
「ったくルフィ、無理すんなよ」
ようやく皿を洗い終えたウソップがやってきてルフィとサンジの間に座り、まだ咳き込んでいるルフィの赤いベストの背中を撫でてやる。ルフィはまだ呼吸が落ち着かない様子だ。
「ウソップは? 吸ったことあるの?」
ナミが尋ね、ウソップは「当然、おれ様は勇敢な海の戦士だからな! って言いたいところだが、まあカヤもいたし吸ってねえよ」と応じた。カヤとは、このゴーイングメリー号を譲ってくれたウソップの故郷の病弱美人お嬢様だと聞いている。確かに、そんな人間の前では喫煙もしづらいだろう。だが、会ってみたかった。サンジは思う。
「吸ってみるか?」
サンジは残り少ない煙草を摘んでウソップに向ける。ウソップは悩む素振りをしたあと、意を決したように手にとった。全員が煙草を咥えたのだから、自分もそうするべきだと思ったのだろうか。そのまま厚い唇ではさみ、結局ルフィと同じでひたすら咳き込む羽目になった。すぐにサンジに返してしまう。
「ウウ……おれはもう煙草はいいな」
ウソップはうなりながらそう言って、ルフィも疲弊した様子で「おれもー」とテーブルに伏せた。もう煙草は吸えたものではない短さになり、サンジは携帯灰皿にそれをねじ込んだ。料理人の矜持として、火の始末だけは確実にやると決めている。
煙草を吸って咳き込む年下の男どもに、かつての同僚が自分に言ったように、「ガキだな」と笑うのは簡単だ。だが、さすがにそれは躊躇われた。サンジは新しい煙草に火をつけるのも癪で、テーブルに肘をついた。
「たく、クソ藻類のせいでおれの貴重な一本がなくなっちまった」
「ハ、悪かったな」
まるで悪びれずにゾロが肩をすくめる。酒が入っているからか、むしろ上機嫌と言っても良かった。腹が立ってテーブルの下で脚を軽く蹴飛ばしてやるが、ぴくりとも動かない。その頑強さにまた腹が立ち、聞こえるように舌打ちをしてやった。
サンジは騒々しいダイニングを見遣る。この新たな職場はかつてのキッチンに比べ、こじんまりとしてしまい、平均年齢は随分と下がった。今まで散々ガキ扱いされてきたが、ここでのサンジはゾロと並んで最年長だ。服するべき船長は年下のルフィだが、だからこそ船を引っ張っていかねばならないと密かな使命感を持っている。
一方で、酒豪ふたりは会話を再開していた。
「ゾロは煙草なんていつ頃吸ってたわけ?」
「あ? 海に出てしばらくして……十七くらいか? 飯屋で食ってたら隣の席の男に絡まれてよ」
ナミは「ああ……」と納得したような声を出した。その強さのせいか、ゾロは逆に無防備なところがあって、そういうふうに話しかけられるのはなんとなく想像がつく。聞いていたルフィはサンジの方に身を乗り出した。
「おれも十七だ! サンジ! おれやっぱりもっかい吸いてえ!」
「ばか誰が吸わせるか! 次の島で自分で買いやがれ!」
「ケチくせえなサンジ」
「てめえ、マジでオロすぞ……」
ルフィの言いたい放題、やりたい放題は知っていたつもりだったが、真に受けると本当にすべての言動に頭がかき乱されそうだ。するとウソップがサンジの背にぽんと手のひらを置いた。
「もう諦めろ、お前はこの船の料理人になっちまったんだからな」
同情あらわに微笑まれ、親指を立てられる。いや、これは面白がられているのではないか。見ていたナミが、けらけらと笑った。
「そうそう、その通り。もうグランドラインまで来ちゃったんだから、そう簡単に船は降りられないわよ」
「おれは絶対お前を手放さねえぞ、サンジ」
ルフィが高らかにそう宣言し、サンジはしばらくなにも言い返すことができなかった。一瞬の硬直が解けたのは、ゾロが「ハハ、」と笑い声を上げたからで、途端に頬が熱くなる。
「クソ野郎共め、神様ってやつを恨んでやりてェ」
こんな悪魔たち――いやナミさんだけは小悪魔的魅力ある天使だが――に出会っちまった自分の不運を嘆きたい気分だった。特にこの、モンキー・D・ルフィと、ロロノア・ゾロ。唐突にバラティエに押しかけてきて、クリークやミホークを前にギラギラと光る目で堂々と野望を口にできる男たち。こいつらのせいで、おれは恩人の店を捨て、こんな危険な海に乗り込んでしまったのだ。
「神様ねェ」
ゾロは相変わらず笑顔のままサンジを見る。
「お前、神様なんか信じてんだな」
「信じてるワケねーだろ!」
このクソマリモ野郎のこういうところが! マジで気に入らねえ! サンジは舌打ちし、とうとうもう一本煙草を抜いた。そうでもしないと頭を冷やせないことはわかっていたからだ。ウソップが「おいおい言ってること一瞬で覆ってるぞ」という至極まっとうなツッコミを入れてきたが、無視をした。
そうだよ、認めたくはねーが、こいつらはおれの運命の男たちだった。サンジは思い切り煙を吐き出す。いくら女を口説くときにこの出会いは運命だ、神様の思し召しだ、と言いまわっていても、本当の運命というやつは、もっと背筋をひりつかせるものだと、もう知ってしまったのだから。


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