海賊




「キラー!」
昨日上陸した島は、なんとログが貯まるのに五日もかかるのだと言う。偉大なる航路では特別珍しいことでもないが、ここのところでは久しぶりの陸での長期滞在だった。二日目の今日、キラーは昨日買ってきた肉を塩漬けにしたり、果物を煮込んでジャムにしたりと船内のキッチンで保存食を作ることで時間を潰すつもりだった。今は肉を薄く削いでいたところで、これに下味をつけるために一晩置く予定だ。手間はかかるが、だからこそ楽しい作業でもある。そういう時間の最中に飛び込んできたキッドに、キラーはフルフェイスのマスクの下で目を丸くして、思わずまな板の上に包丁を置いた。キラーはキッドの料理を好んで食べるが、その仕事中に邪魔をすることはしない。今は――、だが。昔はよくお構いなしに絡んできたものだった。
「どうしたキッド」
余程のことがあったのだろうか、とキラーは考え、だからこそ以前料理中に絡んできたときのように叱りつけはしなかった。キッドの頬は紅潮し、目がきらきらと光を乱反射する。彼が海賊団の船長を名乗り、南の海を出てから久しいが、とはいえそのこどもっぽさは様々なところで発揮された。この満面喜色もそうだ。キラーは少なくともキッドや仲間たちが危険に晒されたわけではないことに安堵すると、ふたたび包丁を握った。まだ肉の塊はかなりの量が残っている。
「あ、オイ聞けよ」
「聞いてるよ」
新しく肉をスライスしながら、キラーは言った。
「美味そうな屋台でも見つけたか?」
「違う! まァそれもあったが……、キラー、この島、でけえレコード屋があるぞ!」
「なるほど、どうだった?」
「どうって、まだ入ってねェよ、看板しか見てねェ」
「なんだ、見てくればよかったのに」
キラーは肉を切るのに夢中だった。キッドが一歩踏み出す。
「キラー」
キッドは少々拗ねたような声を出した。キラーはもう一度顔を上げた。
「おれはお前も連れていきてェから帰ってきたんだ」
音楽はキッドとキラーの共通の趣味だ。もとい、四つ年上のキラーがドラムを叩いていたのをずっとそばで聞いていたキッドは、そのまま音楽鑑賞が趣味になってしまったのである。だからこそキラーと一緒に店を見たいと思い飛んで帰ってきたというのに、この連れなさときたらどうだ。こいつはこちらのほうが船長であることをわかっているのか。
「わかったわかった、もう少し待っていてくれ」
「…………、待てねえ」
「じゃあそこにあるにんにくをすりおろしておいてくれ」
ちゃっかり船長を使おうとするキラーにキッドは反発しようと思ったが、そうすることでレコード屋に行くのが早まるわけではない。文句を飲み込むと、ため息をついてにんにくの皮を剥がすことにした。



小一時間もかからず作業は終わり、にんにくの臭いが染み付いた手を洗うと、キラーは準備すると言って部屋のドアに手をかける。そのままでいいじゃねェか、とキッドが非難すると、
「お前ももう賞金首なんだから、せめてその目立つ髪くらいは隠せ」
と言い残して結局キラーは部屋に入ってしまった。取り残されたキッドはしかし、そのまま腕を組む。変装なんて馬鹿馬鹿しくてしていられない。
そもそも、この世界で赤い髪はそう珍しくない。キッドとしてはたいへん不本意なことに、「赤髪海賊団」と名乗る船もあるのだ。おまけにそちらのほうが四皇と呼ばれこの海で広く知られている。だから隠すモンでもねェだろ、というのがキッドの主張だった。だいたいバレたところでなんだ、通報されても海軍なんざぶっ飛ばしてやる。しかしキラーは毎度「隠したほうがいい」と告げてくる。どうせキッドが従わないことなどわかっているくせに。
すぐにキラーは顔を出した。例のマスクを外し、代わりに口元を覆うようにストールを巻いている。出回りはじめた手配書の写真が仮面姿であるのをいいことに、キラーは変装の必要があると判断すれば仮面を外し別のもので顔を覆った。元来顔の半分は長い前髪で隠しているが、あとはもう半分を今回のようなストールや、フェイスカバーや、タートルネックで隠す。
「行こうか」
キラーが声をかけてくる。ンなもん、必要ねェだろ。キッドは腹のうちに抱えたそのことばを、結局吐き出せなかった。きっとキラーは歳下の船長に対し、言いたいことはなんだって言うガキだと思っているだろう。だが、ごくたまにはそうしないこともある。キラーが気づいていないだけだ。
「待たせやがって」
飲み込んだことばのかわりに悪態をついてキラーを小突くと、キッドは「こら」と深刻さのかけらもない声で咎めるふりをする。つまらない気分になったキッドはキラーの腰に手を回してやり、そうすると再び「こら」が飛んできた。今度こそその声には硬さがあり、キッドは満足して手を離す。
船を降りると、そのまま大通りを歩く。キラーとて昨日は一回りした町で、前髪越しにもよくある町並みにしか見えなかった。なんの変哲もない、船乗りたちを相手に商売する港町。行き交う人々はキッドをちらちら見るが、声をかけてはこなかった。自分の方は見られてはいやしないだろうが、キラーはストールに顔を埋める。
「なあキラー、さっきのはなんになるんだ」
キッドは周りの視線なんてまるで気にせずキラーに話しかけた。
「あれは明日干して燻してジャーキーにするんだ」
「へェ、」
キッドは興味深そうに相槌を打った。ロールキャベツがいちばんだが、肉料理は全般好きだ。それに、あれだけにんにくを処理させられたのだ、きっとうまいジャーキーができるに違いない。
「それにしてもわざわざおれと行きたいだなんて、よほど大きかったのか、その店は」
キラーは話題を変えた。キッドはますます顔が見えなくなっているキラーにそれを指摘しようと思ったが、やはり詮無いことだと飲み込んだ。
「あァ、ここしばらく見てねェくらいだな」
「……おれが昨日出掛けたときは、そんな店見つけられなかったがな」
――そりゃあ、そうやって視界を覆っていれば見えるモンも見えねェだろ。
こんな軽口、言ってしまえばいいのだ。それでこそユースタス・キッドではないのか。別にキラーは傷つきやしないだろう。そのはずだ。ほかの人間ならさておき、おれはキラーの相棒なのだから。なのに、なぜか喉まで上ってきたことばを外に出すことができない。
「キッド」
キラーがこちらを見る。いや、目は見えないのだが、少なくとも顔の向きからして、こちらを見ている。キラーもキッドの方を見た。キラーは少しだけ視線を下に向け、それからストールを鼻先まで持ち上げた。
「……すまない」
キッドは聞かない振りをして「あっちだ」と指差した。
言いたいことを飲み込んでいることは、キラーには気付かれていないつもりだった。だが、すべて察されているのか。それはひどく恥ずかしいことのように思えた。


キラーがマスクをつけているのは、自身が賞金首になったからではない。彼は少なくともキッドが出会った子どもの頃から前髪を伸ばし、できる限り顔を隠そうとしていた。今となっては後ろの方の髪もかなりの長さになっているが、これも顔を隠すためなのだろう。
みっつかよっつ前の島であのマスクを見つけたキラーは、ひどく気に入り買い求めると、以降なにかと頭に装着するようになっていた。そうして海軍に撮られた写真もたまたまそれを被ったところだったので、“殺戮武人”キラーの手配書はマスク姿になってしまった。おまけにそれを見たキラーは「こりゃいいな」と言った挙げ句、さらにそれを被る頻度を上げた。
うぜえ、外しちまえ! なんでンなモンつけてんだよ! 早いうちに勢いに任せて言ってしまえばよかったのかもしれなかった。しかし、キラーは自分に比べ圧倒的に思慮深く、彼がそうすると決めたのならそれが正しいのだろう、などと思ってしまったのが悪かった。今やキラーは自船のキッチンでもあのマスクを被るようになってしまった。今更外せというのも船長としての度量がないように思えて、結局キッドは本心を吐き出せないままだ。
「確かに広いな……」
大通りから道を横に入り、二度曲がったところにその店はあった。
「よく見つけたな」
前の島にあったレコード店の三倍はあろうかという敷地に、びっしりとレコードが並べられた店内を見回して、キラーは感嘆の息を吐き出す。
「だから言っただろ」
「どうする? 一緒に見るか? それとも、」
「なんのためにお前の料理を手伝ったと思ってる」
「……そうだな」
端から見るか、とキラーは言った。我儘がすんなりと通ったのは嬉しく、キッドはさっそく入り口そばの棚へ向かう。売れ筋の人気曲ばかりが並んでいるが、キッドとキラーはあまり興味がない。さっと流し見て、どんどん奥に入っていく。互いが好きそうな曲を見つけては声をかけあう時間は、さっきまで胸につかえていたものが和らぐような感覚があった。別にいいじゃねェか、相棒が顔を隠したがるのは今に始まったことではなくて、自分はそういうキラーごと隣に置いてきたのだから。
「ほらキッド、これなんかどうだ」
不意にキラーに声をかけられ、彼が持っているレコードのジャケットを一瞥する。それからキッドはふん、と鼻を鳴らした。
「北の海の音楽は好かねェ」
「言うと思った」
おれは悪くねェと思うんだがな。キラーは言いながら持っていたレコードを棚に戻した。それから首元のストールをたくしあげ、また顔を隠す。前髪とストールで、キラーの肌はもうほとんど見えやしなかった。キッドはキラーから視線をそらし顔を上げると、店の奥に目を向ける。
「なあ、あっちにプレイヤーも売ってるぞ」
「この前お前の部屋に新しいのを買ったばかりだろう」
「ダイニングにも置きてェ」
「お前なあ……」
キラーの声に呆れが交じる。しかしキラーは遮るように言葉を続けた。
「お前がおれにドラムなんざ聞かせるからこうなっちまったんだ」
キッドは完全なる責任転嫁をした。しかしこれは大いに事実だ。幼い頃、ドラムセットのまえに座り、キラーが軽やかに振るうスティックを眺める時間が好きだった。自分で叩くことはしなかったが、それはそのままキッドの音楽好きに繋がり、今やキラー以上に重きを置いている。やはりキラーが悪い。
「お前のせいだ、責任取れよ」
「ファ、なにを言い出すのかと思えば」
ストールの中でキラーが笑うのがわかった。キラーはもう随分と長いこと声を出して大笑いすることを避けているので、この小さな笑いすら珍しい。これはいけるか、とキッドはキラーの顔を覗き込む。
「だが買わん」
ところがにべもなくそう言われ、キッドは「クソ」と悪態をついた。


それぞれ買い求めたレコードを紙袋に詰め込み、ふたりは町に戻った。さっきよりも人の少なくなった夕方の町を歩きながら、キラーがキッドの方を見る。
「キッドは今日宿を取るのか?」
「そりゃあ……まさかお前、船に戻る気か?」
ふたりで並んで船を降りたのだから、当然夜も一緒に過ごすつもりだった。恐らく船員たちもそう思っているだろう。キッドはため息をつき、「一緒に泊まればいいだろ」と低く言った。キラーはなにか言いたそうに少し間をおいて、それから「わかった」と答える。適当に見つけた宿でふたり部屋を取り、案内された部屋は当然ながらシングルのベッドがふたつ並んだものだった。まあ、そんなもんか。キッドは部屋を見回して唇を曲げた。
壁に立てかけるように紙袋を置いたキラーは、ようやくストールに手を伸ばす。キッドはすばやくその手首を掴み、「待て」と制した。
「俺が取る」
有無も言わせず、キラーに正面から向き合い、ぐるぐる巻きにされていたストールを解く。程なくしてキラーの首があらわれた。長い時間を船の上で過ごす男らしく、日に焼けた肌は、午後の間ずっと覆われていたせいで汗ばんでいた。キッドはストールを床に落とすと、その首筋に鼻先を寄せて、思い切り息を吸い込む。キラーは船の中では清潔を保ちたがるほうだが、それでも濃い体臭がする。キッドは思わず喉を鳴らした。
「おいキッド、夕飯を買いに行くなり食べに行くなりするんだろう」
ところが、キラーときたらこの発言である。興ざめしたキッドは、ため息をついて顔を上げた。
「情緒がねェなキラー」
「お前だけには言われたくない……」
キラーの反論を、キッドは気にしなかった。いつものことだ。首筋から顔を離してキラーの顔を見つめる。これだけの距離になれば、重い前髪の向こうから、青い瞳がこちらを見つめ返しているのがわかる。
「まだ夕飯には早ェだろ」
言いながら、キッドはキラーの腰を抱き寄せた。ああ、だめだ、と思う。さっきレコード店で一瞬訪れたあの、「キラーがこのままでも構わない」という安堵が、彼の匂いひとつでぐちゃぐちゃに上塗りされるのがわかる。彼がどう考えていようとも、キラーの顔が見たかった。本人が嫌がることなど、すべきではないことは重々わかっている。それがキラーのような、唯一無二の相手ならば尚更だ。だが、キッドはキラーが自らの顔をあの縞模様のマスクや、前髪や、ストールや、その他のもので覆うことが不服だった。不満だった。むしろここまで、ふたりきりになるまで我慢したのだから、褒められてもいいくらいだろう――。暴論を脳内で唱え、右手をそろりとキラーの後頭部に回す。ぱさついた髪を弄び、そのまま手のひらを額の方まで持っていくと、キッドがなにをしようとしているのか悟ったらしいキラーのからだが震えた。
「キッド、」
キラーだって、こちらが求めていることを、わかっているのだ。だから声だけで咎め、からだは微かな拒絶を示しながらも踏みとどまっている。キッドの服の裾を掴む手に、力が入る。
キッドの指がついにその前髪を掻き分けて、キラーの目を露わにさせる。薄い青い色の瞳が、こちらを見上げていた。怯えも恐れもないことは見て取れる。感じ取れるのは、少しの非難だった。
キッドは人間の――特に男の美醜にそう頓着はなかったが、そんなキッドの目からこうしても見ても、キラーの顔立ちは醜いと言えるものではないことは確かだった。それに、他の人間がなにかの弾みでキラーの顔を見たときの反応を鑑みても、恐らくその結論は間違いないだろう。
だが、それはキラーにとって、顔をあらわにしていい理由にはならないのだろう。
「……だめなのか」
「だめだ」
言いながらキラーが瞬くと、長いまつ毛が上下して、青い瞳が煌めく。実際のところ、キラーが疎んじているのは、本当に自分の顔や、少し突拍子のない笑い方だけなのだろうか。もっと別の――、例えば、自らの子に「人殺し」と名付けるような人間だとか。
いや、これはあまりに深読みがすぎるだろう。キッドには、キラーの顔面を褒め称えるような語彙ひとつない。それに、どれだけ褒めたところでキラーがマスクを取るとは思えなかった。だが、それを悔しく思うことくらいは許されるべきだろう。
キッドはキラーの前髪をもとに戻すと、その首筋に顔を寄せた。ほんの少し弛緩したキラーのからだをかき抱き、その首筋に歯を立てる。キラーは今度こそなにも言わず、キッドにされるがまま、熱っぽい息を吐き出し、キッドの背中をゆるりと撫でた。


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