海賊
「好きな食べ物は?」
「白米」
「嫌いな食べ物は?」
「ねェ」
「敢えて言うなら」
「チョコレート、……いや、甘いもの全般然程好かねェな」
ゾロは視線をルフィのほうに向けた。甲板でウソップのパチンコを借りてあれこれ弾を弾いているが、的に設定している瓶に当たる様子はなさそうだ。サンジも釣られるようにそちらに視線を向けた。ゾロはひとつ呼吸をしてから、話を続ける。
「おやつだなんだはおれの分はいらねェ。あいつにでもやっとけ」
偉そうなくちぶりに、サンジは口許を引きつらせた。海の一流コックに対して随分な言い草である。ゆっくりとゾロに視線を戻す。どれだけ無礼なことを言ったのか、自覚あンのか、コイツは。
「っざけんじゃねェ、こっちは苦労して作ってンだテメェも食え!」
売られた喧嘩を忠実に買い取る。ゾロの方も形の良い眉をぐっと跳ね上げた。
「ア? なんのために嫌いな食いモン聞いて回ってンだてめェは」
「てめェについては嫌がらせのためってことにするわこのクソ剣士」
「まーたやってる……」
新聞を読んでいたナミがため息をつく。数日前に海上レストランで誘った料理人は、知り合って間もないナミとその故郷を救うために怪我をいとわず戦いに赴くような男で、そして料理の腕もすこぶる良い。問題があるとすれば、度が過ぎた女好きであることと、何より――ゾロと馬が合わないことだった。もっとも後者は、彼一人の問題では無いのだが。
「とにかく、おれが作ったモンは残さず食え」
「だからおれは甘いモンは食わねェって……」
「なにを食わねェって?」
食べ物に関しては地獄耳の船長が、ウソップを残してこっちにやってくると、ふたりに声をかけた。サンジはため息をつく。ゾロはこれ幸いとルフィに告げた。
「おれは甘いモンは食わねぇから、てめェにやるって話だ」
「本当か!? やったー!」
サンジは煙草をくわえて火をつける。どうせこんなことになるだろうと思っていた。このバカアホクソ剣士は、肉体と精神の鍛錬だけが強さを作ると思っている節がある。食べることも肉体の強さにつながるという意識がまるでなく、だから海の上で貴重な食料を船長とはいえ譲るなどという発言ができるのだ。さらに、この船長もそれを手放しに喜んでしまうのだから、仕方がない。甘味だって動くための、考えるためのエネルギーになるというのに。
「このアホどもめ」
だが、説得するのも億劫で、結局サンジは煙を吐き出しながらそう言うことしかできなかった。
今日のおやつはブラウニーだ。サンジは女性陣には白い皿に一切れずつ、フルーツと生クリームを添え紅茶と共に提供する。男どもには大皿に残りを載せただけ。それでも目を輝かせて食うものだから、作った甲斐もあるというものだ。――ただひとりを除いて。
ラウンジの外は激しい雨である。いつもなら甲板でのんびり過ごす時間帯だが、こうなると仕方がなく、全員が同じ部屋に集まっている。一通りトランプなどに興じて、午後三時になったところでおやつの時間になった。サンジが女性陣に少しでも明るい気分になってもらおうと気合を入れて作ったブラウニーは、ゾロ以外の船員たちの胃袋の中にあっという間に収まって、大皿のうえの一切れを残してきれいに無くなってしまった。
ルフィとウソップとチョッパーが顔を見合わせている。誰がこの最後の一切れを食べるのか、無言の牽制である。ゾロが大あくびをした瞬間、全員が一度に手を伸ばし――、当然ながらゴム人間のルフィが勝利した。哀れなブラウニーは、ルフィの手の中である。
「勝負の場で能力を使うのは卑怯だと思いまーす!」
「そうだそうだー!」
ウソップとチョッパーが抗議をするが、ルフィは悠々とそれを自らの口の中に運ぼうとして、突然ぴたりと手を止めた。チョッパーの瞳が期待に輝く。自分に譲る気になったのか期待しているのだろう。ウソップのほうはそうでもないらしく、テーブルに頬杖をついた。
「なァゾロ」
「あ?」
今すぐにでもテーブルに突っ伏して寝てしまいたいゾロは、不機嫌な声を出した。ルフィは手の中のブラウニーとゾロの顔を交互に見て、それから意を決したように頷くと、ぐいっと手を突き出した。
「やる!」
「はァ?」
それまでの眠気が吹っ飛んだ顔で、ゾロは大口をぽかんとあけた。
「ルフィが!」
「食いモンを!」
「人にあげた!」
「明日は嵐かしら」
「すでに大雨なのって、そういうこと?」
それはルフィ以外の全員が、多かれ少なかれ目を見開く事態であった。当事者たるゾロは瞬いて、それからルフィのほうを見た。
「……一応聞くが、なんか仕込んだワケじゃねェよな」
バラティエで水に鼻くそを入れられたことを思い出しながら、ゾロはそう尋ねた。ルフィはむっと唇をへの字にする。
「違ェ! だってゾロ、一個も食べてねェだろ!」
「甘いモンは好かねェって言ったろ」
「好かねェからなんだよ、食えよ!」
予想外の問答に、ナミとロビンは顔を見合わせた。ウソップとチョッパーも、一つも食べていない相手に食わせるつもりなら自分たちが欲しがる気にもなれず、ひとまずルフィとゾロの動向を見守ることにする。
「てめぇがいらねェなら、ウソップやチョッパーにやりゃいいだろ」
居心地悪く、ゾロはそう告げた。それしかないなら食べないでもないが、わざわざ手を伸ばして甘いものを食べる気にはさらさらなれない。いつかサンジには文句を言われたが、文句ひとつで嫌いなものが好きになるはずもなかった。そもそもブラウニーだって喜ばれる人間に食べられたほうが報われるってもんだろう。
「おれはゾロに食わせてェんだ!」
「だからおれは、」
そういうのは好きではないのだ、と言おうとして、自分の声がどうも言い訳じみていることに気付き、思わず言葉を飲み込んだ。仲間たちの視線が痛い。
「……ずっと思ってたんだけどよ」
ルフィはゾロの逡巡になど構わず続ける。
「おれが最初にゾロに食わせたの、泥おにぎりだったじゃねェか」
「それがどうした」
今更出会った頃の話をされるとは思わず、ゾロはますます眉間にしわを寄せる。
「ふたりでいた頃もおれのほうが食ってたし」
「だから、それがどうしたってんだ」
ルフィは、基本的には思っていることはそのまま口に出す男である。それが、今まで考えつつも黙っていたこと自体が異常事態である。ゾロの獣じみた勘が、嫌な予感を訴えている。感情としては苛立ちに似ているが、戸惑いが先に立つ。
「お前はクソコックが作ってる最中だろうが人のモンだろうが気にせず食う食い意地ばっかの野郎だろうが、それをさっきからなんなんだ、今更反省か?」
「反省なんかしてねェ!」
「いやしろよ」
静観していた(介入するのも面倒だった、とも言う)サンジがごく冷静な突っ込みをしたが、ルフィはもう一度「食ったのは反省しねェ!」と声を上げるばかりだった。
「でもゾロには食わせてェんだ! おれが美味いって思ったモン、ゾロに食わせてェって思っちゃ悪ィかよ!」
「あらあら」
「言うわね、ルフィ」
ロビンは手のひらで緩んだ口許を隠す。ナミのほうはにやにや笑っている。随分と熱烈である。ゾロのほうは女どもを見て、かっと頬を赤くした。ルフィとふたりであればなんとも思わなかった言葉が、他人の反応で随分と恥ずかしいことを言われた、という感想に変わってしまう。
席を立ちたいところだが、外の嵐は激しさを増すばかりである。いまこの部屋を飛び出すのは、どんな理由をつけても不自然だった。
「おれは、」
それでもなにか言おうとしたゾロの耳に、ウソップの大きなため息が聞こえてくる。思わずウソップを見ると、彼は肩をすくめて微笑んだ。ちょっとばかり憐れみが浮かんでいる。
「なァゾロ、おれらはもういいから食べちまえよ」
「そうだな、ゾロ、食べていいぞ!」
ウソップの隣では、チョッパーが腕を組んで、うんうん、と頷いている。
「クソマリモ」
サンジが煙草から唇を離してゾロを見る。
「テメェがさっさとおれが出したモン全部食わねェから、こうなってるんだぜ」
売られた喧嘩はたっぷりの高値で買い取るべきが、ゾロはそれに応じられなかった。まったく反論が浮かばなかったせいである。通常ルフィとゾロだけではなく、仲間たちは皆同じものを食べている。サンジが料理を作っているからだ。唯一、ゾロだけがおやつを抜くので、それが相違となった。だからルフィはおれにだけこんなことを言うのか。
「ゾロ!」
ルフィに名前を呼ばれる。これ以上拒絶するのは逆に男らしくないことくらいは、回らない頭で理解していた。ブラウニーが目の前につきつけられ、ゾロは覚悟を決めるしかない。ひとつ深く息を吐き出し、ブラウニーを持ったままのルフィの手首を掴んで固定すると、そのまま大口を開けて一口噛みつく。鼻にカカオの華やかな香りが抜け、さっくりした歯ごたえのなか、混ぜ込まれたクルミがうまくアクセントになっている。それに――酒が苦手なチョッパーのためにアルコールは飛ばしているだろうが、恐らくはラム酒も使っている。決して甘すぎず、はっきり言えばそれまで拒絶していたのが馬鹿らしくなる程度には、ゾロの口にも合っていた。
「うめェだろ!」
にっこりと笑うルフィに、ゾロは小さく頷き返した。
顔をあげるとサンジがニヤついていて腹が立ったが、文句を言う筋合いがないこともわかっていたので視線をそらす。ルフィは満足げにゾロが噛み付いたブラウニーの残りを自分の口の中に放り込んで、ウソップやチョッパーにまた文句を言われていた。