海賊
二日ぶりの凪いだ海の上を進むヴィクトリア・パンク号は、この隙に大洗濯会が行われていた。甲板のうえでは紐に袖を通したシャツが何十枚とはためいている。この船の気質としていくらでも同じシャツを着続けることを厭わないクルーが多いが、数少ない女性陣と結託した船医、一部正しい衛生観念を持つ男クルーが不潔な輩どもの尻を蹴飛ばして、溜め込んだシャツにズボン、下着、タオルからシーツまでを洗わせた。実際、船の上だからこそ清潔は重要なのだ。
さて、自らの青いシャツを数枚干し終えたキラーも腰を上げる。不意に強い風が吹いたので長い金髪を抑えると、不躾な視線を感じて振り向いた。そこには鴎が一羽、柵に留まってこちらをじっと見つめている。頭には白い水平帽、首には赤い鞄。新聞配達のニュース・クーだ。キラーは彼の求めに従い、ジーンズの後ろのポケットから小銭を出しながら近付いた。船首に恐竜の頭蓋を据えたこの船で、新聞を買うような人間がどれなのか、鴎にも既にわかっているらしい。
満足げに飛び立った鴎を背に、キラーは受け取った新聞の一面に目をやる。聖地・マリージョアで開催された世界会議の話題。これは少し前から続けて掲載されているものだ。王下七武海制度の撤廃、その他の事件の続報。
受け取った紙の束は、いつもより分厚く感じたが、その原因はすぐに知れた。新聞を広げると、大量の手配書が落ちてきたのだ。
「うわ」
近くでその奇抜な服を紐にひっかけていたワイヤーが声を上げて散らばった紙を拾ってくれる。
「なんだ、ワノ国のことも新聞に載るんだ」
キラーに手渡そうとしながら、ワイヤーは一面の反対側――裏表紙にあたる面を覗き込んだ。今回の新聞は両方が一面という構成らしい。キラーもつられるようにして新聞を閉じ、そちらの面を見て、仮面の下で瞬きをした。
「鎖国国家とは名ばかりだな」
思わず感想を述べてしまう。そこには、「“最強生物”カイドウと、“ビッグマム”シャーロット・リンリン敗北」の文字がでかでかと印刷されていた。ワノ国は海外からの人間は受け付けないというわりには、随分と詳細な記事が書かれているように見える。角の生えた頭蓋のかたちをしたカイドウの城の写真も、やけに鮮明に印刷されていた。
ということは、とキラーはワイヤーが手にしている紙の束を見遣った。裏側に印刷された「MARINE」の文字と鴎を模したマーク。この中には。
「キッドの手配書があるんじゃないか?」
キラーの問いに応えるように、ワイヤーは早速その束をめくり始めた。
侍たちとの別れを惜しんであと数日はワノ国に残るという麦わらの一味やハートの海賊団たちを尻目に、キッド海賊団は真っ先に海に飛び出した。海賊王になるためには、スピードも重要だ。何より我らが船長は、忸怩たる思いばかりさせられたこの国に長居する気がなかったのだ。
すぐに新世界らしい荒天にまみれ、しかしそれも慣れた事態で、ヴィクトリア・パンク号は軽やかに海を進んだ。だが、嵐の中にニュース・クーはやってこない。だから戦争集結から日が経って、ようやく手に入った。これが最新の手配書だ。こうして政府が手配書を新聞に挟むのは、新たな賞金首が認定されたときか、その賞金額が改まったときに限る。ワノ国では、若い“最悪の世代”がこれまで海に君臨し続けた“四皇”のうちふたりをついに落とした。であれば“最悪の世代”、それにその船員たちの賞金額が上がるのは必然だった。おまけについ最近はマリージョアでの事件もあって、これだけの量の手配書が発行されたのだろう。
洗濯が一段落し、新聞に興味のない船員たちも、キラーとワイヤーの周囲に集まってくる。自分も賞金首になったのか――なにより、我らが船長、ユースタス・“キャプテン”キッドとその相棒、“殺戮武人”キラーの賞金額がどれほど上がったのか、気にならないはずがなかった。キッドはトラファルガー・ローと共闘とはいえシャーロット・リンリンに対峙したし、キラーは同世代の船長格をたったひとりで下したことは、船員たちには周知の事実だ。
手元を覗き込む船員たちの前でワイヤーはこれ見よがしにゆっくりと手配書をめくった。そして見つけた二枚を船員たちの前に掲げる。船員たちがどよめき、口笛を吹き、手を叩く。わざと「ファッファッファ!」と声を上げる者もいた。キラーは「ファッ! やめろ!」とたしなめたが、そんなことで収まるはずもない。
「てめェら、うるせェぞ!」
洗濯から逃げてひとり船長室で音楽を聞いていたキッドが、甲板に飛び出してきて叫ぶ。若い船員のひとりがワイヤーからキッドの手配書を取り上げ、彼のもとに走った。
さて、順当に懸賞金額を上げたキッドはたいそうご満悦だった。
「次にニュース・クーが来たらあるだけ買っておけ」
「次のニュース・クーが今回と同じ号を配達するとは限らんぞ」
満面の笑みを浮かべているキッドに、キラーは肩を竦める。そしてキッドの手から手配書を取り上げると、他の手配書や新聞とまとめて、そこらにいたクルーに「船長室に持っていけ」と告げた。船員の賞金額が上がるたびに船長室の壁に手配書を貼るのが、この船の恒例なのだ。
懸賞金額は、そのまま海賊の強さを示す。実際には物理的な戦闘力だけではなく、組織力や犯した罪の大きさも加味されるが、たっぷりと上がった船長の懸賞金額を肴に、その日無人島に停泊しての夕食はそのままワノ国以来の宴になった。とはいえ、食料庫の中身は豊かとは言えない。ワノ国で百獣海賊団から奪おうとしたものの、あの忌々しい麦わらの一味が「これはおこぼれ町に配るんだ!」などと言いはったせいで、取り分は少なかった。ワノ国の上質な米の酒はすぐに無くなり、いつものように安いラムが交わされる。しかし、次の島につくまでの食料は残さねばならないため、宴は短時間でお開きにならざるを得なかった。
船員たちに囲まれ鷹揚に酒を飲んでいたキッドも料理人にジョッキを取り上げられ、さっさと部屋に戻るよう促される。キッドは元来大ぐらいはあるが、長い船上での生活で、食料が足りずに飢えかけた経験もある。これ以上を強請るのは得策ではないことを悟り、ようやく立ち上がった。持ち回りで夜警を務める船員を残し、みな各々部屋に戻っていく。
料理人を手伝い皿を集めて回ったキラーは、皿洗い当番の船員にキッチンを任せ、自分も船室に戻ることにした。なにより、新聞が読みたい。昼間は買ったそばから手配書目当てに他の船員たちが集まって、本体をろくに読めなかったのだ。ワノ国に限らず明らかに世界は動いていて、自分たちもその只中にある。いくら新聞に載るのが世界政府のプロパガンダ記事ばかりとはいえ――いや、だからこそ目を通して情勢を把握しておきたかった。悲しいかな、そういう思考を持っている人間はこの船には自分のほか、ほとんどいないのだが。
キラーはランプの灯る廊下を進み、突き当りにあるドアをノックした。誰だ、と問われることもない。どうせ足音で察されている。躊躇もせずドアノブを回した。
「キッド、今日の新聞……」
言いながら中に入る。入ってすぐに、キッドが不機嫌であることに気づいた。そしてもちろん、不機嫌の原因もすぐに理解した。ソファに大仰に脚を開いて腰掛けたその足元には、何枚もの手配書が散らばっている。さっきキッドの目に触れないようにさっさと船長室に持って行かせた、モンキー・D・ルフィ、トラファルガー・ロー、及びその配下の面々のものだ。何より、トラファルガーはともかく、キッドが「バカ猿」と呼ぶ麦わらの男の賞金額は破格だった。手配書の写真は幼さを隠さない満面の笑みではあるものの、世界経済新聞に「五皇」とまで書かれた男であるし、そもそもワノ国に入る前から十五億もの金額がついていたのだから、四皇を落としたとはいえキッドが一発でそれを超えることはできなかったのだ。
「ンでバカ猿のが賞金高ェんだよ」
「まァ、あいつらはエニエス・ロビーやインペルダウンまで荒らしてるからなァ……」
いくら荒くれ者として有名なキッドとはいえ、世界政府の中枢で暴れたことはない。ルフィの懸賞金額は、その物理的な強さのみならず、政府からして反逆的な思想を持っていると考えられても仕方のない戦績ゆえだ。もっとも、キラーはワノ国で僅かとはいえ彼に接して、そういう政治的な思想とはかけ離れた男であることも察していた。彼が自分の気に入らないことをぶっ飛ばしたらたまたま相手が権力の側だった、せいぜいそんなところだろう、とキラーは分析している。
キッドはまだ不機嫌であったが、キラーは構わずソファの肘掛けに放置されていた新聞を開いた。世界会議での決定事項、そこで起きた事件、それに伴う革命軍の動向。元王下七武海の討伐の進捗。西の海での戦争に、北の海での異常気象。新聞を覆う文字は、そのすべてが広い世界で起こる変革を予感させた。
早々に相棒が自分の不機嫌から興味を失ったことに、キッドはますますつまらない気分になる。傍らに立っているキラーの腰に能力で作った巨大な義手で腕を回すと、そのまま彼を自分の隣に引き寄せた。
仕方無しにキラーはいったん新聞を閉じる。まったくままならないものだ、と小さく息を吐くと、キッドのほうに顔を向けた。
「こんなに甘えたじゃ、上がる懸賞金も上がらねェんじゃねェか?」
からかうように言うと、キッドの頬に朱が差した。キッドは海の男という割には肌が白く、それゆえ顔色の変化がわかりやすい(そして本人は少々コンプレックスにしている)。仮面をかぶって顔を隠す自分とは正反対だ。指摘されたキッドは慌てて腕を引いて、顔を反らす。
「うるせェ、欲しいモンを欲しがらずに海賊なんかやってられっか」
「そうだな、“キャプテン”キッド」
キラーはキッドの赤い髪に顔面を寄せた。仮面越しとはいえ、キッドに染み付いた海と機械油の臭いがして、思わず口元を緩める。まったく――昔からまるで変わらない。万が一こんなところをあの他船の船長たちに見られたら、どんな反応をされるのだろうか。考えるだにおかしく、キラーは「ファッファッ、」と小さく笑った。
「……今のはどういう笑いだ」
「キッドもまだまだガキだな、という笑いだ」
「あァ?」
キッドが声を上げる。キラーはまた肩を揺らした。
「安心しろ、ファッ、これは本当に笑いたくて笑ってるからな」
「余計に悪いわ」
カイドウに捕らえられ、連れてこられたワノ国で、キッドとキラーは引き離された。そしてキッドは兎丼の採掘場で強制労働に従事させられた。そしてキラーは、人工悪魔の実――通称SMILEを口にして、以降高く笑いながら殺しをする人斬りになった。SMILEは、その名の通り食った殆どの人間の顔から笑顔以外の表情を奪う。悪魔の実を食して得る力とそのリスクは不可逆だと聞いている。キラーは、今後一生笑うことしかできなくなってしまった。
だが、それでもキッド海賊団はキラーをすんなりと受け入れた。ばかりか、皆でキラーの特異な笑い声を真似る始末だ。最近はキラーもそういう状況にすっかり慣れて、いちいち悲観もしていない。笑い声の絶えない明るいご家庭、もとい船なんて、まるで結婚式で発される言葉みたいだ。
「キッドも新聞、読んだらどうだ」
キラーは今度は裏表紙側の紙面を示した。キッドは新聞をちらりと見やった。キッドは実際のところあまり文字を読むのが得意ではないが、キラーはいつも新聞を読むよう勧めてくる。情報が海賊王への距離を縮めることくらいは、頭ではわかっているので無理して目を通し、結局主に写真を眺めている。――記事の内容はキラーが要約してくれるし、わからないこともキラーが解説してくれるので、それで読んだことにしているのだ。
だが、今回は、自分たちも一枚噛んだ、ワノ国で起こった一連の戦争についての記事だ。その重要性くらいはキッドだって理解している。キラーが「ほら」と言いながらカイドウの城の写真を指差すので、キッドは思わず顔をしかめてしまった。周囲に印刷された細かい文字にうんざりして、思わず歯をむいてしまう。
「……お前が読んであとで内容を教えろ」
「なら、今読み聞かせしてやろうか? ファッファ、」
「キラーお前な、」
さっきから不服を訴えているキッドに反比例するように、キラーは機嫌が良かった。もちろん、SMILEの副作用を差し引いても、だ。そして、あけすけにキッドをガキ扱いし、からかっている。キラーはキッドの戸惑いにも平気な顔をして新聞をめくった。
「お、二面は戦争に参加したやつらの紹介まで載ってやがる」
手配書の写真を使い、表形式で一覧になっている。
「おれも載ってンのか」
「そうだな」
言いながらキラーは一番上のカイドウの紹介に目を通すが、既知の情報しか載っていない。新聞社の――政府の取材力がこの程度なら、まったくがっかりだ。そしてカイドウの下の欄にはシャーロット・リンリン、その次は。
「それにしても、“麦わら”はまだ十九なのか」
若いな、とキラーは呟いた。リンリンの下に名前が出ていたのは、モンキー・D・ルフィである。
「アァ? なんでまたそこにバカ猿が出てくる!」
「順番に読んでるからだな」
言ってキラーは紙面を指差した。キッドが嫌々紙面を覗き込むと、確かにリンリンの下に手配書と同じルフィの笑顔の写真が掲載されていて、思わずまた顔をしかめしまう。その次がローなのも、なお悪い。彼もまた、元七武海として世間によく知られた存在であった。キッドの写真はその下だ。これでもシャボンディで初めて顔を合わせたときは、キッドが最も懸賞金額が高かったのだが。
あからさまに更に機嫌を損ねているキッドを見て、キラーはふぅ、と息を吐いた。
「キッド、そもそも、四つも下の麦わらに対して大人気ないんじゃないか」
「なんだと」
「おれとお前だって四歳違いだろう。もう少し大人の対応をしてやれ」
「お前それ、本気で言ってんのか?」
キラーはファファ、と一笑して肩をすくめた。キッドは唇をへの字に曲げてみせる。あのやることなすこと神経を逆撫でしてくるバカ猿を、いなしてやれというのか。歳下だろうが関係がない。あいつだけには絶対に負けたくなかった。そもそも、とキッドは考える。
「じゃあトラファルガー、あいつはいくつなんだ」
「……二十六と書いてあるな」
それを聞いて、キッドは思わず声を上げた。
「ハ! 麦わらと七も違うじゃねェか! あいつがいちばんのガキだな」
「否定できねェな」
キッドとキラーはくすくすと笑い合い、キラーは「まァ、おれからすれば全員ガキだな」と言った。キッドは、トラファルガーまでガキ扱いされていることに少々憐れみを覚えた。なにしろトラファルガーは、キラーからひとつ歳下であるだけなのだ。とはいえ、ざまあみろという気持ちのほうが強いのだが。もしかしたら今頃あの黄色い潜水艦の中でクシャミのひとつやふたつ、しているかもしれない。
「まァ、お前はそのガキに良いようにされてンだから世話ねェよな、キラー」
「ファ、今日はやんねェぞ」
キッドが僅かながらそういう雰囲気を出してくるのに、キラーは首を横に振った。何よりまだ新聞を読み終えていない。キッドは不満げに舌打ちをしたが、やはりキラーはそんなことで動じない。なにせ二十年近い付き合いだ。彼の性根は知り尽くしていて、この程度の掛け合いは毎度のことだった。キラーは新聞を読みながら、自分の名前も下部に掲載されていることに気付く。正式に同盟関係であったはずの“魔術師”ホーキンスを倒したことが書かれているが、新聞側はどこでこのような戦績を手に入れたのだろうか。まったく得体がしれない。もっとも、海軍もとい政府側がこの情報を手に入れたからこそ、キッドだけでなくキラーの懸賞金額も上がっていたのだろうが。
「年齢といえば、カイドウとビッグマムは案外差があったんだな」
キラーはふと、気が付いたことを口にした。今回こそ同盟を組んでいたが以前は犬猿の仲であったと聞いている。てっきりまったく同世代のライバル同士だと考えていた。
「両方老人だろ」
旧時代の、と言い添えて、キッドは応じた。キラーの示す指先を見ると、カイドウの年齢が書いてある。ついでに、リンリンの年齢も確認し、キッドは思わず突拍子のない声を出した。
「ア? 十くらい違うじゃねェか」
「だから言ったろ」
しかもカイドウのほうが下なのかよ、とキッドは呟く。得てして人間、年を取れば取るほど変化は少なくなっていき、年齢差が埋まっていく。この海では経験がものを言うことが多く、海軍でも未だ随分と年配の軍人たちが活躍していると聞く。だからこそ、この海の状況は長い間膠着していたのだ。それも過去の話ではあるが。
「確かに妙なもんだよな、一歳と五歳じゃその差は大きい。二十三と二十七でも随分違うように思える。だが、五十九と六十八は、大差ないように感じる」
キッドは瞬きをした。そしてキラーの言い分を理解し、ない眉を寄せる。
「……おれはもう随分違うつもりはねェ」
「そうか?」
「そうだ」
キッドは唸るような声を出した。ところがキラーはまたファファファと笑い声を上げ、からかうようにキッドの顎をくすぐった。まるで猫にやるような仕草だ。キッドは義手を動かしキラーの手を取って、お望み通り人差し指を甘噛みしてやる。
懸賞金額だけではない。身長も体重も、キラーを超えてもう随分と経っている。だが、年齢だけはどう足掻こうとも差が縮まらない。海賊王になると決めたのは自分自身の意思だが、その道を導いてくれたのは、この男だった。決して先に行くことはせず、手をとりあって、道ならぬ道をともに歩いてきた。彼が自分と並ぶための努力を絶やさないようにしていることくらい、キッドはもう随分前から気づいている。そして、自分もキラーに手を離されないよう、努力を続けているのだ。キラーだって、それはわかっているだろう。
「……そうだな」
キラーはついに同意し、キッドはにやりと笑った。意図を持ってキラーの腰のあたりに手のひらを伸ばすと、キラーはそれを避けるようにからだを捩った。
「おいキラー」
「それにしても、年齢差ってやつは何歳のころから感じなくなるんだろうな。キッドはいつからおれとそう変わらないように思うようになった?」
振り払われてはいないが、話題を続けるのは明確な拒否だ。キッドは下唇を突き出し不満をあらわにする。キラーは息を吐いた。どこが「違うつもりはもうねェ」、だ。まだまだガキじゃねェか。もっとも、それを口には出さないが。キラーは一笑すると、キッドのほうに顔を向けた。今日はする気などなかった。それは本当だ。だがキッドは懸賞金額が上がった喜びと、ライバルへの対抗心に高揚している。少しくらいは収めてやるのもまた、自分の役割だろう。
まったく、おれはキッドに甘い。キラーはキッドの頭をひと撫でしてやると、仮面の下で目を細めた。
「……新聞読み終えてからな」
「本当にお前はよ」
キッドはため息をついた。だが、キラーがこうして新聞を読むことが、未来につながることを知っている。仕方なく手を引いて、仮面の額部分に唇をつけた。ひやりと硬い感触、顔を離すと、赤い跡がそこに残る。ちょっと間抜けなキスマークに思わず笑って、溜飲を下げておくことにした。
おわり
さて、自らの青いシャツを数枚干し終えたキラーも腰を上げる。不意に強い風が吹いたので長い金髪を抑えると、不躾な視線を感じて振り向いた。そこには鴎が一羽、柵に留まってこちらをじっと見つめている。頭には白い水平帽、首には赤い鞄。新聞配達のニュース・クーだ。キラーは彼の求めに従い、ジーンズの後ろのポケットから小銭を出しながら近付いた。船首に恐竜の頭蓋を据えたこの船で、新聞を買うような人間がどれなのか、鴎にも既にわかっているらしい。
満足げに飛び立った鴎を背に、キラーは受け取った新聞の一面に目をやる。聖地・マリージョアで開催された世界会議の話題。これは少し前から続けて掲載されているものだ。王下七武海制度の撤廃、その他の事件の続報。
受け取った紙の束は、いつもより分厚く感じたが、その原因はすぐに知れた。新聞を広げると、大量の手配書が落ちてきたのだ。
「うわ」
近くでその奇抜な服を紐にひっかけていたワイヤーが声を上げて散らばった紙を拾ってくれる。
「なんだ、ワノ国のことも新聞に載るんだ」
キラーに手渡そうとしながら、ワイヤーは一面の反対側――裏表紙にあたる面を覗き込んだ。今回の新聞は両方が一面という構成らしい。キラーもつられるようにして新聞を閉じ、そちらの面を見て、仮面の下で瞬きをした。
「鎖国国家とは名ばかりだな」
思わず感想を述べてしまう。そこには、「“最強生物”カイドウと、“ビッグマム”シャーロット・リンリン敗北」の文字がでかでかと印刷されていた。ワノ国は海外からの人間は受け付けないというわりには、随分と詳細な記事が書かれているように見える。角の生えた頭蓋のかたちをしたカイドウの城の写真も、やけに鮮明に印刷されていた。
ということは、とキラーはワイヤーが手にしている紙の束を見遣った。裏側に印刷された「MARINE」の文字と鴎を模したマーク。この中には。
「キッドの手配書があるんじゃないか?」
キラーの問いに応えるように、ワイヤーは早速その束をめくり始めた。
侍たちとの別れを惜しんであと数日はワノ国に残るという麦わらの一味やハートの海賊団たちを尻目に、キッド海賊団は真っ先に海に飛び出した。海賊王になるためには、スピードも重要だ。何より我らが船長は、忸怩たる思いばかりさせられたこの国に長居する気がなかったのだ。
すぐに新世界らしい荒天にまみれ、しかしそれも慣れた事態で、ヴィクトリア・パンク号は軽やかに海を進んだ。だが、嵐の中にニュース・クーはやってこない。だから戦争集結から日が経って、ようやく手に入った。これが最新の手配書だ。こうして政府が手配書を新聞に挟むのは、新たな賞金首が認定されたときか、その賞金額が改まったときに限る。ワノ国では、若い“最悪の世代”がこれまで海に君臨し続けた“四皇”のうちふたりをついに落とした。であれば“最悪の世代”、それにその船員たちの賞金額が上がるのは必然だった。おまけについ最近はマリージョアでの事件もあって、これだけの量の手配書が発行されたのだろう。
洗濯が一段落し、新聞に興味のない船員たちも、キラーとワイヤーの周囲に集まってくる。自分も賞金首になったのか――なにより、我らが船長、ユースタス・“キャプテン”キッドとその相棒、“殺戮武人”キラーの賞金額がどれほど上がったのか、気にならないはずがなかった。キッドはトラファルガー・ローと共闘とはいえシャーロット・リンリンに対峙したし、キラーは同世代の船長格をたったひとりで下したことは、船員たちには周知の事実だ。
手元を覗き込む船員たちの前でワイヤーはこれ見よがしにゆっくりと手配書をめくった。そして見つけた二枚を船員たちの前に掲げる。船員たちがどよめき、口笛を吹き、手を叩く。わざと「ファッファッファ!」と声を上げる者もいた。キラーは「ファッ! やめろ!」とたしなめたが、そんなことで収まるはずもない。
「てめェら、うるせェぞ!」
洗濯から逃げてひとり船長室で音楽を聞いていたキッドが、甲板に飛び出してきて叫ぶ。若い船員のひとりがワイヤーからキッドの手配書を取り上げ、彼のもとに走った。
さて、順当に懸賞金額を上げたキッドはたいそうご満悦だった。
「次にニュース・クーが来たらあるだけ買っておけ」
「次のニュース・クーが今回と同じ号を配達するとは限らんぞ」
満面の笑みを浮かべているキッドに、キラーは肩を竦める。そしてキッドの手から手配書を取り上げると、他の手配書や新聞とまとめて、そこらにいたクルーに「船長室に持っていけ」と告げた。船員の賞金額が上がるたびに船長室の壁に手配書を貼るのが、この船の恒例なのだ。
懸賞金額は、そのまま海賊の強さを示す。実際には物理的な戦闘力だけではなく、組織力や犯した罪の大きさも加味されるが、たっぷりと上がった船長の懸賞金額を肴に、その日無人島に停泊しての夕食はそのままワノ国以来の宴になった。とはいえ、食料庫の中身は豊かとは言えない。ワノ国で百獣海賊団から奪おうとしたものの、あの忌々しい麦わらの一味が「これはおこぼれ町に配るんだ!」などと言いはったせいで、取り分は少なかった。ワノ国の上質な米の酒はすぐに無くなり、いつものように安いラムが交わされる。しかし、次の島につくまでの食料は残さねばならないため、宴は短時間でお開きにならざるを得なかった。
船員たちに囲まれ鷹揚に酒を飲んでいたキッドも料理人にジョッキを取り上げられ、さっさと部屋に戻るよう促される。キッドは元来大ぐらいはあるが、長い船上での生活で、食料が足りずに飢えかけた経験もある。これ以上を強請るのは得策ではないことを悟り、ようやく立ち上がった。持ち回りで夜警を務める船員を残し、みな各々部屋に戻っていく。
料理人を手伝い皿を集めて回ったキラーは、皿洗い当番の船員にキッチンを任せ、自分も船室に戻ることにした。なにより、新聞が読みたい。昼間は買ったそばから手配書目当てに他の船員たちが集まって、本体をろくに読めなかったのだ。ワノ国に限らず明らかに世界は動いていて、自分たちもその只中にある。いくら新聞に載るのが世界政府のプロパガンダ記事ばかりとはいえ――いや、だからこそ目を通して情勢を把握しておきたかった。悲しいかな、そういう思考を持っている人間はこの船には自分のほか、ほとんどいないのだが。
キラーはランプの灯る廊下を進み、突き当りにあるドアをノックした。誰だ、と問われることもない。どうせ足音で察されている。躊躇もせずドアノブを回した。
「キッド、今日の新聞……」
言いながら中に入る。入ってすぐに、キッドが不機嫌であることに気づいた。そしてもちろん、不機嫌の原因もすぐに理解した。ソファに大仰に脚を開いて腰掛けたその足元には、何枚もの手配書が散らばっている。さっきキッドの目に触れないようにさっさと船長室に持って行かせた、モンキー・D・ルフィ、トラファルガー・ロー、及びその配下の面々のものだ。何より、トラファルガーはともかく、キッドが「バカ猿」と呼ぶ麦わらの男の賞金額は破格だった。手配書の写真は幼さを隠さない満面の笑みではあるものの、世界経済新聞に「五皇」とまで書かれた男であるし、そもそもワノ国に入る前から十五億もの金額がついていたのだから、四皇を落としたとはいえキッドが一発でそれを超えることはできなかったのだ。
「ンでバカ猿のが賞金高ェんだよ」
「まァ、あいつらはエニエス・ロビーやインペルダウンまで荒らしてるからなァ……」
いくら荒くれ者として有名なキッドとはいえ、世界政府の中枢で暴れたことはない。ルフィの懸賞金額は、その物理的な強さのみならず、政府からして反逆的な思想を持っていると考えられても仕方のない戦績ゆえだ。もっとも、キラーはワノ国で僅かとはいえ彼に接して、そういう政治的な思想とはかけ離れた男であることも察していた。彼が自分の気に入らないことをぶっ飛ばしたらたまたま相手が権力の側だった、せいぜいそんなところだろう、とキラーは分析している。
キッドはまだ不機嫌であったが、キラーは構わずソファの肘掛けに放置されていた新聞を開いた。世界会議での決定事項、そこで起きた事件、それに伴う革命軍の動向。元王下七武海の討伐の進捗。西の海での戦争に、北の海での異常気象。新聞を覆う文字は、そのすべてが広い世界で起こる変革を予感させた。
早々に相棒が自分の不機嫌から興味を失ったことに、キッドはますますつまらない気分になる。傍らに立っているキラーの腰に能力で作った巨大な義手で腕を回すと、そのまま彼を自分の隣に引き寄せた。
仕方無しにキラーはいったん新聞を閉じる。まったくままならないものだ、と小さく息を吐くと、キッドのほうに顔を向けた。
「こんなに甘えたじゃ、上がる懸賞金も上がらねェんじゃねェか?」
からかうように言うと、キッドの頬に朱が差した。キッドは海の男という割には肌が白く、それゆえ顔色の変化がわかりやすい(そして本人は少々コンプレックスにしている)。仮面をかぶって顔を隠す自分とは正反対だ。指摘されたキッドは慌てて腕を引いて、顔を反らす。
「うるせェ、欲しいモンを欲しがらずに海賊なんかやってられっか」
「そうだな、“キャプテン”キッド」
キラーはキッドの赤い髪に顔面を寄せた。仮面越しとはいえ、キッドに染み付いた海と機械油の臭いがして、思わず口元を緩める。まったく――昔からまるで変わらない。万が一こんなところをあの他船の船長たちに見られたら、どんな反応をされるのだろうか。考えるだにおかしく、キラーは「ファッファッ、」と小さく笑った。
「……今のはどういう笑いだ」
「キッドもまだまだガキだな、という笑いだ」
「あァ?」
キッドが声を上げる。キラーはまた肩を揺らした。
「安心しろ、ファッ、これは本当に笑いたくて笑ってるからな」
「余計に悪いわ」
カイドウに捕らえられ、連れてこられたワノ国で、キッドとキラーは引き離された。そしてキッドは兎丼の採掘場で強制労働に従事させられた。そしてキラーは、人工悪魔の実――通称SMILEを口にして、以降高く笑いながら殺しをする人斬りになった。SMILEは、その名の通り食った殆どの人間の顔から笑顔以外の表情を奪う。悪魔の実を食して得る力とそのリスクは不可逆だと聞いている。キラーは、今後一生笑うことしかできなくなってしまった。
だが、それでもキッド海賊団はキラーをすんなりと受け入れた。ばかりか、皆でキラーの特異な笑い声を真似る始末だ。最近はキラーもそういう状況にすっかり慣れて、いちいち悲観もしていない。笑い声の絶えない明るいご家庭、もとい船なんて、まるで結婚式で発される言葉みたいだ。
「キッドも新聞、読んだらどうだ」
キラーは今度は裏表紙側の紙面を示した。キッドは新聞をちらりと見やった。キッドは実際のところあまり文字を読むのが得意ではないが、キラーはいつも新聞を読むよう勧めてくる。情報が海賊王への距離を縮めることくらいは、頭ではわかっているので無理して目を通し、結局主に写真を眺めている。――記事の内容はキラーが要約してくれるし、わからないこともキラーが解説してくれるので、それで読んだことにしているのだ。
だが、今回は、自分たちも一枚噛んだ、ワノ国で起こった一連の戦争についての記事だ。その重要性くらいはキッドだって理解している。キラーが「ほら」と言いながらカイドウの城の写真を指差すので、キッドは思わず顔をしかめてしまった。周囲に印刷された細かい文字にうんざりして、思わず歯をむいてしまう。
「……お前が読んであとで内容を教えろ」
「なら、今読み聞かせしてやろうか? ファッファ、」
「キラーお前な、」
さっきから不服を訴えているキッドに反比例するように、キラーは機嫌が良かった。もちろん、SMILEの副作用を差し引いても、だ。そして、あけすけにキッドをガキ扱いし、からかっている。キラーはキッドの戸惑いにも平気な顔をして新聞をめくった。
「お、二面は戦争に参加したやつらの紹介まで載ってやがる」
手配書の写真を使い、表形式で一覧になっている。
「おれも載ってンのか」
「そうだな」
言いながらキラーは一番上のカイドウの紹介に目を通すが、既知の情報しか載っていない。新聞社の――政府の取材力がこの程度なら、まったくがっかりだ。そしてカイドウの下の欄にはシャーロット・リンリン、その次は。
「それにしても、“麦わら”はまだ十九なのか」
若いな、とキラーは呟いた。リンリンの下に名前が出ていたのは、モンキー・D・ルフィである。
「アァ? なんでまたそこにバカ猿が出てくる!」
「順番に読んでるからだな」
言ってキラーは紙面を指差した。キッドが嫌々紙面を覗き込むと、確かにリンリンの下に手配書と同じルフィの笑顔の写真が掲載されていて、思わずまた顔をしかめしまう。その次がローなのも、なお悪い。彼もまた、元七武海として世間によく知られた存在であった。キッドの写真はその下だ。これでもシャボンディで初めて顔を合わせたときは、キッドが最も懸賞金額が高かったのだが。
あからさまに更に機嫌を損ねているキッドを見て、キラーはふぅ、と息を吐いた。
「キッド、そもそも、四つも下の麦わらに対して大人気ないんじゃないか」
「なんだと」
「おれとお前だって四歳違いだろう。もう少し大人の対応をしてやれ」
「お前それ、本気で言ってんのか?」
キラーはファファ、と一笑して肩をすくめた。キッドは唇をへの字に曲げてみせる。あのやることなすこと神経を逆撫でしてくるバカ猿を、いなしてやれというのか。歳下だろうが関係がない。あいつだけには絶対に負けたくなかった。そもそも、とキッドは考える。
「じゃあトラファルガー、あいつはいくつなんだ」
「……二十六と書いてあるな」
それを聞いて、キッドは思わず声を上げた。
「ハ! 麦わらと七も違うじゃねェか! あいつがいちばんのガキだな」
「否定できねェな」
キッドとキラーはくすくすと笑い合い、キラーは「まァ、おれからすれば全員ガキだな」と言った。キッドは、トラファルガーまでガキ扱いされていることに少々憐れみを覚えた。なにしろトラファルガーは、キラーからひとつ歳下であるだけなのだ。とはいえ、ざまあみろという気持ちのほうが強いのだが。もしかしたら今頃あの黄色い潜水艦の中でクシャミのひとつやふたつ、しているかもしれない。
「まァ、お前はそのガキに良いようにされてンだから世話ねェよな、キラー」
「ファ、今日はやんねェぞ」
キッドが僅かながらそういう雰囲気を出してくるのに、キラーは首を横に振った。何よりまだ新聞を読み終えていない。キッドは不満げに舌打ちをしたが、やはりキラーはそんなことで動じない。なにせ二十年近い付き合いだ。彼の性根は知り尽くしていて、この程度の掛け合いは毎度のことだった。キラーは新聞を読みながら、自分の名前も下部に掲載されていることに気付く。正式に同盟関係であったはずの“魔術師”ホーキンスを倒したことが書かれているが、新聞側はどこでこのような戦績を手に入れたのだろうか。まったく得体がしれない。もっとも、海軍もとい政府側がこの情報を手に入れたからこそ、キッドだけでなくキラーの懸賞金額も上がっていたのだろうが。
「年齢といえば、カイドウとビッグマムは案外差があったんだな」
キラーはふと、気が付いたことを口にした。今回こそ同盟を組んでいたが以前は犬猿の仲であったと聞いている。てっきりまったく同世代のライバル同士だと考えていた。
「両方老人だろ」
旧時代の、と言い添えて、キッドは応じた。キラーの示す指先を見ると、カイドウの年齢が書いてある。ついでに、リンリンの年齢も確認し、キッドは思わず突拍子のない声を出した。
「ア? 十くらい違うじゃねェか」
「だから言ったろ」
しかもカイドウのほうが下なのかよ、とキッドは呟く。得てして人間、年を取れば取るほど変化は少なくなっていき、年齢差が埋まっていく。この海では経験がものを言うことが多く、海軍でも未だ随分と年配の軍人たちが活躍していると聞く。だからこそ、この海の状況は長い間膠着していたのだ。それも過去の話ではあるが。
「確かに妙なもんだよな、一歳と五歳じゃその差は大きい。二十三と二十七でも随分違うように思える。だが、五十九と六十八は、大差ないように感じる」
キッドは瞬きをした。そしてキラーの言い分を理解し、ない眉を寄せる。
「……おれはもう随分違うつもりはねェ」
「そうか?」
「そうだ」
キッドは唸るような声を出した。ところがキラーはまたファファファと笑い声を上げ、からかうようにキッドの顎をくすぐった。まるで猫にやるような仕草だ。キッドは義手を動かしキラーの手を取って、お望み通り人差し指を甘噛みしてやる。
懸賞金額だけではない。身長も体重も、キラーを超えてもう随分と経っている。だが、年齢だけはどう足掻こうとも差が縮まらない。海賊王になると決めたのは自分自身の意思だが、その道を導いてくれたのは、この男だった。決して先に行くことはせず、手をとりあって、道ならぬ道をともに歩いてきた。彼が自分と並ぶための努力を絶やさないようにしていることくらい、キッドはもう随分前から気づいている。そして、自分もキラーに手を離されないよう、努力を続けているのだ。キラーだって、それはわかっているだろう。
「……そうだな」
キラーはついに同意し、キッドはにやりと笑った。意図を持ってキラーの腰のあたりに手のひらを伸ばすと、キラーはそれを避けるようにからだを捩った。
「おいキラー」
「それにしても、年齢差ってやつは何歳のころから感じなくなるんだろうな。キッドはいつからおれとそう変わらないように思うようになった?」
振り払われてはいないが、話題を続けるのは明確な拒否だ。キッドは下唇を突き出し不満をあらわにする。キラーは息を吐いた。どこが「違うつもりはもうねェ」、だ。まだまだガキじゃねェか。もっとも、それを口には出さないが。キラーは一笑すると、キッドのほうに顔を向けた。今日はする気などなかった。それは本当だ。だがキッドは懸賞金額が上がった喜びと、ライバルへの対抗心に高揚している。少しくらいは収めてやるのもまた、自分の役割だろう。
まったく、おれはキッドに甘い。キラーはキッドの頭をひと撫でしてやると、仮面の下で目を細めた。
「……新聞読み終えてからな」
「本当にお前はよ」
キッドはため息をついた。だが、キラーがこうして新聞を読むことが、未来につながることを知っている。仕方なく手を引いて、仮面の額部分に唇をつけた。ひやりと硬い感触、顔を離すと、赤い跡がそこに残る。ちょっと間抜けなキスマークに思わず笑って、溜飲を下げておくことにした。
おわり