海賊



パンクハザードを出港した船は、同盟相手たるローの希望通りドレスローザへと針路を向ける。捕らわれた子どもたちを救うことができた航海士・ナミの表情は晴れ晴れとして声は明るく、島で起きた事件の疲れを感じさせない。ブルックの預かり知らぬところで行き先が決まっていたが、だからといってそれに異を唱えるつもりはなかった。ブルックがこの船に乗ったのは、ルフィに何十年もの孤独から救い上げられた恩義に報いるため、そして“偉大なる航路”のスタート地点に残した鯨、ラブーンに再び会うためである。その途中にある障害を斬り伏せる覚悟はあれど避けたいという意識は薄かった。だから、船長のルフィが同じく最悪の世代であるトラファルガー・ローと海賊同盟を結び四皇を倒すと発言したときも、声高に反対を訴えるナミとウソップ、チョッパーに挟まれながらも黙っていたのだ。そも、反対したらどうにかなるものでもない。サンジの言う通り、ルフィが「面白そう」と言って決めたことを覆すはずがない。そりゃあ、それくらいのことは自分より付き合いが長いナミたちだって重々わかっていて、それでも反対を声に出さずにはいられないのだろうけど。
ブルックは目玉のない目でそばに座っているゾロを見る。彼はルフィがブルックを発見してサウザンド・サニー号に連れてきたときは明確に文句を言っていたし、ロビンの話では、彼女が最初に船に乗ったときも唯一敵意を顕にしていたという。だが、今回はゾロも黙っている。七武海、四皇。戦うのもやぶさかではないという態度だ。ロー相手にも、警戒心は薄い。結局、ドレスローザですべきことを確認しあうと、話は終わってしまった。サンジは夕食の準備のためにキッチンに引き上げ、チョッパーはシーザーの怪我の治療に戻り、ウソップとフランキーは船の補修を始めた。航海を続けるため、それぞれやるべきことがあるのだ。
「ところでお主、その腰にあるものを見せてもらえぬか」
「そういやなんか言ってたな、断る」
錦えもんに話しかけられたゾロは、眉間のしわを深くした。侍――錦えもんの要求については警戒しているようだ。ゾロは旅立ちのときより三刀流を使っていたという。ただ、その刀は決して聖域とはしておらず、妖刀である鬼徹を除けば人に貸すのもそう厭わない印象だった。だが、錦えもんに刀を渡すのには、躊躇いがあるらしい。錦えもんはむっとした顔で続ける。
「では質問させてもらおう。その腰にあるのは“秋水”ではござらぬか」
「……あァ、こいつは秋水だ。そう聞いてる」
ゾロはごまかさずに、きっぱりとそう言った。すると今度は錦えもんのほうが険しい顔になる。
「それはワノ国より賊に奪われた代物。返してもらおう」
「おれだって盗んだわけじゃねェ。ブルック、お前から話せよ」
突然話を振られたブルックは、まぶたがあれば二、三瞬いていただろうが、生憎それはできなかった。
「でもあの話、するの難しくないですか?」
ブルックも確かに、ゾロが秋水を手に入れたときに立ち会っている。だが、あの死体と影が跋扈する船の話からするのは随分と難しいように思えた。ブルックの言葉にゾロも「そうなんだよな」と腕を組む。錦えもんは訝しげにゾロとブルックをねめつけた。
「ルフィ殿には随分と助けられたし、お主の強さはさきの島で十分に理解した。が、いずれ秋水は我がワノ国へ返してもらう」
「返す筋合いがねェ」
「いいや、ある」
「お前なあ、」
「それより錦えもんさん、さっきの炎を斬る技、すごかったですねぇ」
ゾロが言い返そうとするのを、ブルックは話題を変えて止めた。なんだか埒が明かない気がしたからだ。パンクハザードでの錦えもんの言動からして相当に頑なな人間であることが知れていたし、ゾロも若い割に柔軟さに欠けているのは事実だ。おそらくこの話はいつまでも平行線になる。当面一緒に行動するのだから、不仲は避けたいところだ。
「そうであろう、あの技はワノ国でも会得できるものは少なく……」
高らかに語りだした錦えもんにほっとしてゾロのほうを伺うと、なんだかんだであの技が気になるのか、大人しく聞く体勢になっている。それに、ブルックだって一剣士として錦えもんの話に興味はある。一方、同じく太刀を携えるローは全身に緊張を張り巡らせ、少し離れた場所に座って俯いている。何か思いつめた様子だ。もしかしたらこの船の呑気さに辟易しているのかもしれないので、そっとしておいたほうが良いだろう。
さっきまで毒にまみれた島で巨大化した子どもやドラゴン、海軍たちと大騒ぎしていたのに、船はいたって平和だった。ブルックは再び視線を錦えもんのほうに戻した。途端だった。
「なあなあお前ら、なんの話してるんだ?」
皆がそれぞれの職務につき、暇になった我らが船長が腕を伸ばしてゾロのからだに飛び付いた。そのゾロも微動だにせず、文句ひとつも言わない。
「錦えもんさんに、剣に炎を宿したり炎を斬ったりする技について教わっているんです」
ブルックが答えると、ルフィはゾロに向き合って抱きついた体勢のまま、「へェ!」と声を上げた。
「よかったなゾロ、お前炎分ソード欲しいって言ってたもんな!」
「拙者の刀はその塩分濃度? ではござらん! そもそも狐火流は刀ではなく拙者の気迫によって成るものであってだな」
炎分ソードが最終的にもとの言葉に戻っている。ルフィは錦えもんの言葉は大して意に介していないようで、ニコニコとゾロのほうを見ている。ゾロは至近距離のルフィの顔を見上げて、少しばかり口はしを持ち上げた。
「そうだな、あの技はおれでも難儀しそうだが」
「難儀どころではござらん、そう簡単に習得されてたまるか」
言ってから、錦えもんは一息ついた。それから再び口を開く。
「……ルフィ殿」
「なんだ?」
「いや、随分とゾロ殿に近いと思ってな」
「こいつは誰にでもそうだぞ。おうルフィ、錦えもんにもくっついてやったらどうだ」
ブルックもいつものことなのでなんとも思っていなかったが、確かに一味以外の人間――ましてや鎖国国家であるワノ国の侍からしてみれば、異様に見えるのかもしれない。ルフィはししし、と笑ってゾロの胸板に頬を擦りつけた。
「いいのか?」
「別にいいぞ」
そもそもパンクハザードでは錦えもんの下半身をからだにくっつけていたルフィである。ゾロはひとつも動じず、ルフィはゴムの首を百八十度をぐるりと回して錦えもんのほうを見た。一味には見慣れた光景だが、錦えもんからしてみれば人体の構造としてありえない動きだ。一瞬怯えたような顔をする。
「まあまあゾロさん、錦えもんさんもまだこの船に乗ったばかりですし」
何もすぐにこの船の洗礼を受けさせる必要もないだろう。ブルックのフォローに、ルフィはまた首を元に戻し、「それもそうだな!」とあっけらかんと言った。
「そういえば、お侍さんには武士道というものがありますよね」
「お、おお……」
まだルフィの破天荒な仕草に戸惑いがちな錦えもんは、平然と話を続けるブルックのほうを見た。ルフィはさきほどゾロが錦えもんに渡すのを避けた例の秋水の鞘を持ち、「これが炎分ソードになるのかぁ」などと言っている。
「私も海賊になる前は王国の護衛を務めていまして。騎士道を叩き込まれたものです」
「ふむ、海外には騎士道なるものがあるのか」
「そういやゾロもビビに『ミスターブシドー』って呼ばれてたよな、あれ今考えるとおっかしいよな」
「ゾロ殿は武士道を嗜んでおられるのか」
「村のジジィどもは武士道武士道言ってたが、少なくともおれはお前と同じ武士道とやらを身につけた覚えはねェ」
ゾロは機嫌悪げな声だ。パンクハザードで見た侍ときたら、空腹や疲れがあるにも関わらずそれを声高に隠し、頼み事ひとつ素直に発しないくせにナミにはでれでれしていて、ゾロからしてみれば一緒にしてほしくないといったところだろう。
「なー、キシドーとブシドーって違うのか?」
ルフィの無邪気な質問に、錦えもんが背筋を正す。長身の男の声がしゃんと響くのを、三人は聞いた。
「拙者は騎士道なんたるかを知らぬが、武士道と云うは死ぬことと見つけたり、と申す」
「どういう意味だ?」
「武士は主のために死ぬことも覚悟せよ、ということだ」
「…………」
ルフィは黒い瞳で錦えもんをじっと見て、それからゾロの膝から降りる。ブルックも唇――はないので代わりに奥歯を噛み締めた。主君に捧げる死。錦えもんがそれを認め覚悟していることは、その口ぶりでわかった。ブルックはないはずの心臓がきゅっと痛むような感覚に陥る。だが、飲まれるわけにはいかず、口を開く。
「騎士道も主君への忠誠を誓うことが求められます。それから弱きものを守り、貴婦人を愛することも」
そう、騎士道は主君への死までは求めない。その代わりというわけではないが、女性を尊ぶことを誓うことになっている。ルフィは「なるほどなー」と言いながら頷いていられる。
「わかってんのか、お前」
「おう、よーくわかった!」
ほんとかよ、とゾロが苦笑する。それから「やっぱどっちもおれにはねェな」と言ってのけた。
「こいつがだらしねェ真似しやがったら、おれはここをイチ抜けだ」
「それ言うのウォーターセブン以来だなー」
だいたいお前、船降りたら迷子になって一生新世界からでられねェぞ、たぶん。ルフィが呑気にゾロの方向音痴をからかい、ゾロがうるせェ、とつぶやく。
いやいや。ブルックは思う。ゾロのなかには、確かに十二分に武士道が根付いている。そういう場面を、確かに見ている。ゾロの言っていることは口だけだ。彼は二年でますます逞しくなっていたけれど、その性根は変わっていないはずだ。しかし、ブルックはそれを指摘しなかった。
「時に己のために剣を振るうより、主のために振るうほうが力を発揮できることもあるぞ、ゾロ殿」
「そうかもしれねェな」
ゾロは鷹揚に頷いた。妙に飄々とした態度なので、錦えもんは少しだけ訝しげだ。ルフィは面白そうに笑った。たぶん、ルフィもゾロのことをよくよく理解しているだろう。彼がこの船を降りることなど、ありえないことくらい。それで十分、十二分ということだ。ブルックはルフィを海賊王にして、ラブーンに再会する。その後のことは考えていないが、ゾロはきっとルフィと自分の夢を叶えたあとも、ルフィの近くにいようとするのではないか、と思うのだ。
「してゾロ殿、秋水のことだが――」
「結局話が戻ってるじゃねェかよ!」
錦えもんの諦めの悪さに、ブルックは笑ってしまう。呆れた声を出すゾロと、ルフィは刀の話にはあまり興味なさげだ。ゾロは刀を抱え直し、「それよりあの……トラ男の刀のほうがデカくていいんじゃねェか、お前の身長だと」と無理に錦えもんの意識を逸らそうとする。ローが敏感に反応して顔を上げた。彼がなんの話だ、と問う前に錦えもんとゾロ、それにルフィがぞろぞろと近づいていく。これはトラ男さん、とばっちりですね、とブルックは密かに手を合わせた。

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