海賊


ルフィとゾロはふたりそろって途方に暮れていた。というのも、片方は海賊、もう片方も海賊ーー以前は海をさすらう賞金稼ぎであるはずなのに、その頭のなかには一切の航海術が入っていなかったからである。ルフィは「何年も海に出てたんなら航海くらいできるようになっとけよ」とゾロに言い、ゾロは「お前こそ海賊になる前にそれくらい勉強しておくべきだったろ」とルフィに反論した。結局のところ、言い合ったところでふたりの頭のなかに航海術に関する知識が突然湧いてくるはずもなく、ふたりは青い海のうえでただ漂流することしかできなかった。
食べ物も水もろくにない。おまけにルフィはゴム人間であるからには胃袋もゴムらしく、食欲はほとんど無限大だった。限界まで腹を空かせたルフィは小舟の底にぐたりと寝転がった。ゾロは船べりに座り三本の刀とルフィと同等かそれ以上の空腹を抱えて眩しい陽光に目を細めながら、一応は島影を探していた。こんな調子ではあるが、ゾロはルフィを船長として仰ぐことに決めてしまったので、この程度の献身はしなければいけないと思っている。
まァ、こんなことはこれまでも何度かあった、とゾロは気楽に考えている。死んだ幼馴染に世界一の剣士になると約束をした。そして、世界一の剣豪の名を知った。その男を倒せば自分は彼女との誓いを果たすことができるのだ、と考えたゾロは、すぐに故郷の村を飛び出した。ところがゾロは剣以外のことをなにひとつ知らなかったので、男の居場所の手がかりなどまるでつかめないまま、この数年を東の海をうろうろする羽目になっていた。それでもここまでは死なずに済んでいる。食べられるものはなんでも食べたし、飲めるものはなんでも飲んだ。船を適当に漕いでいれば、いつかは島にたどり着いた。だからこの自分よりおさなげな船長がいるとはいえ、今回もなんとかなるだろう、と高をくくっている。
「なァゾロ」
けだるげな声でルフィがゾロの名を呼んだ。ゾロは遠くに向けていた視線をルフィのほうに向けた。舌をだらりと出して、情けない顔をしている。まったく自分を無理やり仲間に加えたときにはあんなに確信めいた目をしていたくせに。
「なんだ」
返事をしてやると、ルフィは「そのピアスさー、チラチラ眩しいから外せよぉ」とこれまた力なく訴える。ゾロは僅かばかりに目を見開き、つい左手で自らの耳につけたピアスに触れた。それから唇をへの字にする。
「いやだね」
ゾロはあからさまに不快そうな顔をした。ルフィはまぶしいと言ったわりにはまっすぐにゾロを見上げている。
「なんで」
意外にも、ルフィは食い下がってきた。ゾロは、今度はルフィを見なかった。
「はずしたら無くすだろうが」
「そしたら新しいのをやる」
「お前ピアスなんか持ってんのか」
「これからおれは海賊王になるんだ、きっとお宝にピアスもたくさんあるぞぉ」
「馬鹿言え」
いずれは海賊王と世界一の大剣豪になるにせよ、いまはたったふたりの漂流者である。ゾロはルフィの子どもじみた言い分を鼻で笑うと、また水平線のほうへ視線を向けた。





きゃあっ、とナミが歓声を上げた。ルフィたちはさきほど襲ってきた巨大な海賊船を撃退したばかりで、その船にはその図体に見合うお宝がたくさん積まれていた。相手が勝負をしかけてきてすぐ、ルフィとゾロがふたりでさっさと向こうの船に飛び乗ってしまったときには大きな声で文句を言っていたナミも、お宝さえ目の前に出せばすっかりご機嫌だ。
「よくやったわ、ルフィ、ゾロ。それにサンジくんも、残って守ってくれてありがとね」
「ああナミさん、おれにとってはナミさんの言葉こそがお宝ですっ!」
いつもどおりのやり取りを尻目に、ゾロはメリー号の甲板のすみまでのそのそと歩いていく。そもそもが、昼寝の最中に戦闘を仕掛けられたのだ。戦っていたときこそアドレナリンが出ていたのか眠気など吹っ飛んでいたが、大したことのない相手だったからか、からだの熱が引くのもはやく、睡魔はあっという間に戻ってきていた。大きなあくびをしながらいつもどおり傍らに刀を置くと腰を下ろし、そのまま目を閉じた。
金ぴかの財宝を前に目を輝かせているナミは、早速お宝の前に座り込んであれこれと宝を検分しはじめている。ナミほど金銀財宝に興味がないとはいえ審美眼に優れたロビンも横から口を出して、サンジはそのふたりの間をそわそわと行き来しながらドリンクを渡すなどしている。ウソップはメリー号が破損していないか見て回ることにして、チョッパーもそれについていく。ルフィはふとナミの目の前――さきほど自分たちが奪ってきた宝物の前に立った。サンジはナミやロビンが飲み終わったグラスを片付けにキッチンに戻る。ナミは大きな瞳でルフィを見上げて、「なあにルフィ、どうせアンタにはこのお宝の価値なんかわかんないでしょ」とからかうように笑った。
「そりゃ価値とかはわかんねェけどよ」
ルフィはその場にしゃがみ込み、金色の王冠やらコインやらネックレスをぐるりと眺めた。
「あ、そうだ、ナミ、ピアスねェか?」
「ピアス?」
ナミは素っ頓狂な声を出した。まさか食べるものと冒険にしか興味を向けない男が、装飾品の名称を口に出すだけで驚きである。よくぞ「ピアス」という単語を知っていたものだ、という程度の低い感心すらしてしまう。
「あんた、ピアスつけたいの?」
穴はあいてないわよね、とナミはルフィのつるりとした耳たぶを見た。そもそもゴム人間にピアスホールをあけることができるのかも甚だ疑問である。
「いんや、別に」
ルフィは言いながら宝物のほうに目を向けた。ナミは訝しげに眉を寄せる。
「じゃあなんでピアスなんか探してるのよ」
「この船でピアスホールをあけているのは、ひとりだけよね」
ロビンは頬に手を宛てがいながら、上品にそう言った。そんな洒落っ気のある人間がこの船にいたかしら、とナミは一瞬考えてからすぐに答えにたどり着く。なにせ普段の言動からして、最もそぐわない人間こそがピアスをつけているからだ。出会ったときからその耳に揺れる三つのピアスは、ナミの目にも眩しかった。
「おう、ゾロにやるんだ」
「ゾロねぇ」
ナミは思い切り嫌そうな顔をしたが、ルフィはさっそく宝物をガチャガチャと荒らし始めている。ナミはやめなさいとたしなめてみるが、もちろんそんな言葉がルフィの気に留まるはずもない。普段は金銀にも宝石にもなんの興味を持たないくせに。
「あら船長さん、これ、ピアスじゃないかしら」
不意にロビンがルフィに声をかける。ロビンの手の中にあるのはたくさんの小さなダイヤモンドが輝く大きなピアスだった。どうやら片方しかないらしい。宝石が埋め込まれた大振りな飾りの下に、風で揺れるような繊細なチェーンが取り付けられ、さらにその下にも宝石がついている。まるで王妃のために作られたもののようだ。ルフィは(ナミも)それを見て顔をしかめた。
「ゾロには似合わねェだろ、それ」
「まったくね」
「あら、案外似合うかもしれないわよ」
ロビンはそれを自分の耳もとに持っていく。彼女のたおやかな美しさにピアスはよく似合ったが、やはり無骨極まるゾロに似合うものとは思えない。ゾロがいましているものは、ごく単純なしずく型のピアス三つで、それとはあまりにもかけ離れているように見えた。
ロビンは「はい、船長さん」と言いながらルフィにそれを手渡した。ナミはあまりいい顔をしなかったが、そのピアスがお宝のなかでは小さなほうだったため、不満を口に出すことはなかった。
「ありがとうロビン」
言って、ルフィはさっそく腕を伸ばして甲板の向こうで昼寝しているゾロのほうへと飛んでいった。
「ルフィ! いらなければ返しなさいよ!」
ナミは声を掛けたが、ルフィに聞こえていたのは少々怪しかった。あのピアスは諦めるしかないかもしれない。そっとナミはため息をついたが、ロビンはなおも楽しそうに笑っている。


ルフィはロビンに渡されたピアスをズボンのポケットのなかに入れると、ゾロに近づいた。相変わらずのんきに眠っているゾロの左耳には、太陽光を反射してちらちらと光るピアスがみっつ並び、時折風に揺れた。
ゾロはひとつたりともこのピアスたちを外したことがない。なんでこんなもんつけてんだ、と訊いてみたこともある。しかしゾロから明確な回答をもらったことがなかった。なら、おれがやったもんをつけてくれたっていいだろ、とルフィは思っている。それでルフィはゾロの左側にしゃがみこんだ。ルフィの背中がゾロの上に影を作ったが、ゾロはまぶたすら動かさなかった。それから、そっと手を伸ばす。ルフィは右手の親指と人差し指でゾロの耳の上部をつまんだ。ナミに叱られるとき、よく引っ張られる部分だ。ゴム人間のルフィと違い、ゾロのそれは引っ張っても伸びなかった。
そのまま指先を滑らせて、耳たぶにふれる。当然、すぐにピアスに当たった。ゾロはそれでも身じろぎひとつしない。ルフィはそのままいちばん端のピアスを外してやろうと金具に指を宛がう。左手で金具の耳たぶの前がわ、右手で耳たぶの後ろがわをつまんで、ほんの少し力を入れればきっとこれは外すことができる。普段なら絶対にやらない繊細な作業に、ルフィの息は自然と詰まった。ときどき耳飾りをつけているナミやロビン、手先が器用なウソップやサンジならば、こういうとき簡単にこれを外せてしまうのだろうか、とルフィは考えたが、かと言って誰かに頼む気などさらさらない。ルフィは意を決してピアスを外そうとした。
「やめろ」
そのとき急に左の手首をぐっと掴まれた。声は不機嫌に低い。ルフィは首を少しだけ傾げてゾロの顔を見た。剣呑にこちらを見返される。毎日念入りに筋トレをしているその握力は強く、ルフィの手は簡単には動かせなくなってしまった。
「なんだよ、ここまで好きにさせといて」
唇を尖らせて、ルフィは抗議した。どうせ途中から起きてたくせに、と言うと、ゾロはそれを否定せず、首を曲げてルフィの指先から逃れてしまう。もともとそう強く耳をつまんでいたわけでもないので、それは容易いことだった。
「お前、意外とこいつが気に入ってねェよな」
ゾロは自分でピアスをひとなでした。それがまたちらちらと揺れて、太陽光が乱反射し、ルフィは眩しさに目を細めた。
「別に気に入ってないわけじゃねェ」
「ハ、どうだか」
笑われて、ルフィはますます唇を尖らせた。歳上ぶりやがって、ゾロだってアホのくせに。だいたい、おれが船長でゾロは船員なんだから、そんな態度ーーまさか許せないなどと言えるわけもなく、ルフィは口をつぐんだ。
「で、なんだって外そうとしたんだ」
ゾロはルフィの顔を覗き込む。ところが、ルフィが答えようとする前に、ゾロが「そういや」と声を上げた。
「前に『新しいやつやる』とか言ってたよな、それか?」
言い当てられて、ルフィはそれが妙に嬉しかった。あまり記憶力がたくましいとは言えないゾロが、自分の発言を覚えているとは思ってもいなかったのだ。ルフィは大きく頷くと、さっきポケットにいれたピアスを取り出した。ゾロの目の前に突きつけると、顔がしかめられる。さっきナミも似たような顔してたなァ、とルフィは思った。
「それ、ほんとうにおれにやるつもりで持ってきたのか?」
「んー、ロビンが『もしかしたら似合うかもしれない』って言ったから持ってきたんだけどよ」
ルフィはピアスの繊細な飾りごしにゾロの顔を見る。ルフィにもう少しだけ洒落っ気があれば、もしかしたらピアスの黄金が、ゾロの日に焼けた肌によく映えると感じたかもしれなかった。しかし、ルフィは結局それをまたポケットにしまった。
「やっぱゾロには似合わねェな。それにこんなもんつけてたら、ますます眩しくって仕方ねェ」
ぴかぴかのダイヤモンドが反射させて瞳を射抜いた光が、まだまぶたの上に残っているようだった。これならば、ゾロがいましているピアスの反射光のほうがまだいくらか優しい。
「んな重そうなモン、付けさせるな」
ゾロはふんと鼻を鳴らしてまた目を閉じた。どうやらそうそうに再び昼寝に入ろうとしているらしい。ルフィはゾロの横顔で揺れるピアスを見た。それでも、いつかこいつに新しいピアスを渡してみたい。ルフィはゾロの耳たぶにピアスごと噛み付いた。





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