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海賊



“殺戮武人”キラーは、キッド海賊団の戦闘員である。そういう肩書でもって海軍から指名手配されてから既に久しい。
南の海からグランドラインに入ってからというものの、キッド海賊団の船員は徐々に増えていた。航海士や料理人など、具体的な役割を持った面々もいる。キラーもワンピース――即ちキッドを「海賊王」にすることだ――を求めて海に出たからには、航海にせよ料理にせよ通りいっぺんの技術や知識は身につけているが、専門家がいるというのは心強い。なにより、それに煩わされずトレーニングをしたり、今後の戦略を考えたり、情報収集に努めることができることがキラーを喜ばせた。だが、それもつかの間の平穏だった。
海賊と名乗るからには、船員たちは皆揃って血気盛んだ。とはいえ船長の気風がああだ、海賊の中でもキッド海賊団の粗暴さはずば抜けてさえいるかもしれない。そして――それが海軍や他船のような敵に向かっているうちはよかった。だが長い航海のなか、船という閉鎖空間の中で互いに向かうと、これがまずかった。
「おい、お前の足くっせえよ、昨日お前の下のハンモックで寝たら臭いで眠れねェ」
「はァ? ンな肝っ玉の小ささでよく海賊になんかなれたもんだなァ」
心底くだらない小競り合いから船を降りろ、いや降りない、などという話にまで発展することすらある。その度キッドが船員をぶん殴ったり、キラーが説教するなどして諌めていたが、このままでいいはずがなかった。まず、船長が暴力で船員を支配するのは好ましくない。船員にフラストレーションが溜まれば、反旗を翻される可能性だってあるだろう。ならばどうすればいいのか――、キラーはまだその答えを見つけ出すことはできていなかった。何しろ、人生の大半をキッドとふたりだけで生きていたのだ。多くの人間を従えるやり方など知りようもなかった。今日もちまちまとした言い合いを仲裁したばかりだが、今度の島で組織論とか、リーダー論とか、そういう本を買うべきだろうか。キラーは真剣にそれを考えながら船員の雑魚寝部屋に入ろうとした。
「キラー」
その矢先、キッドに声をかけられた。キッドは船長であるので、小さいながら雑魚寝部屋の隣にベッドのある個室を持っている。
「話がある」
キラーはマスクのしたで驚きに瞬きをしたが、表面上は無反応に見えただろう。キッドが自室のドアを開け、視線を向けられて、キラーは頷いた。
「で、なんだ話って」
また船員同士のいざこざか、今後の針路についての相談か、あるいは必殺技の名付け案を求められるか、次の島について知りたいのか、それとも……海の上では遠慮したいところだが、やりたい、とかか。キラーは適当な予想を立てながら、促されるままソファに腰掛けた。向かいのベッドにキッドも座る。薄い布団がシーツの上でぐちゃぐちゃだ。
「大したこっちゃねェが、まァ、相談だ」
「随分もったいぶる」
言うとキッドは急かすなよ、と肩をすくめた。それからキラーをまっすぐに見た。どうやら真剣な相談のようだ。セックスのことなど考えてしまった自分が少々軽薄すぎたことにキラーは少しだけ面映ゆくなったが、仮面越しのキッドには気が付かれてはいないだろう。
キッドは少しだけ身を乗り出した。それからキラーをまっすぐに見つめる。金色の瞳がきらめくのがわかって、キラーは口許を引き締めた。
「なァ、キラー、副船長になれ」
「副船長」
キラーは反射的に繰り返した。キッドが深く頷いて、饒舌に語り始める。曰く、キッドとキラーが幼馴染であり、他の誰より親しいことは周知の事実で、かつキラーには副船長にふさわしい戦闘力も知識もある。この船の誰だって反対しないだろう、というものだった。
「なァ、いいだろキラー」
少し甘えたような声音はキッドがキラーにものを言うときだけ使われるものだが、この部屋の中でも外でもそれなりに多用されるため、残念ながら船員にも知られてしまっている。キッドは当然キラーが頷くものだと思っているのだろう、その目には期待に輝き、キラーは少々面食らってしまう。
「キッド」
だが、いずれは言われるのではないかという予感もあった。なんなら、新入りの船員に「キラーさんが副船長じゃないんすか?」と言われたことすらある。だが。キラーは頷かなかった。少しだけ顔を伏せて、首を横に振る。
「それは断る」
「え?」
案の定、キッドは目を見開いた。まったく信じられないといった風情なので、キラーはちょっとおかしくなってしまったが、普段から笑いを自制しているおかげで、笑うことはなかった。
「なにが嫌なんだ」
ただでさえ剣呑なキッドの目元が、ますます険しくなる。そこらの村の娘なら、怯えて後退るくらいはするだろう。だがキラーは村の娘などではなく、それどころかキッドの歳上の幼馴染であり、相棒だ。微動だにせずキッドのほうに顔を向けたまま、ふぅと息を吐いた。この男が何一つ得心していないことは、理解している。
「説明が必要か?」
「まァ聞いてやる。――どうしてお前が副船長になりたくないのか、おれを納得させてみせろ」
キッドは腕を組んだ。キラーはマスクのしたで苦笑する。この傲岸な態度は確かに船長の風格だ。そして自分は――、
「はっきり言うとな」
キラーはそう前置いた。
「お前とおれは確かにこの船のなかで圧倒的に付き合いが長くて親しい」
ほとんど兄弟か、いや、それ以上の存在であると、キラーは照れなく言い切れる自信がある。実際セックスまですることがある。恋人というよりは相棒という言い方のほうがしっくりくるけれど、実際キラーは自分の尻にキッドのどでかいキッドを突っ込んでも痛くはない――いや物理的には痛かったが――くらいには思っているのだ。キラーはキッドの尻に突っ込もうとは考えていないが、キッドだって自分の無二の存在だと言い切ってくれるだろう。それは十二分に理解している。
「だからこそお前はおれに――そうだな、甘えるような素振りをすることがあるだろう」
「アァ!?」
キッドは素っ頓狂な声を出した。たまたまなにも口に含んでいなかったからよかったものの、そうであれば思い切り吹き出していただろう。
「甘えた!? ンな、いつだ」
「そうだな、例えばさっきおれが副船長になることを提案して、『なァ、いいだろキラー』とかなんとか言ったときとか」
「おッ……れはそんな言い方してねェぞ!」
「そうか? なかなか似てると思ったんだがな」
キッドは唇を戦慄かせた。そして、昨日今日あたりで自分がキラーにそのような言い方をしたか、記憶を探る。昼食は好物のロールキャベツにしてほしいとねだったとき。酒の備蓄を少し多目に出してほしいと伝えたとき。思い当たる場面がちらほら浮かんで、キッドはそれを振り払うように首を横に振った。
「だとして、それが副船長にならねェことの理由にはならねェだろ!」
「わからねェか? 今はおれがみんなと同じハンモックで寝てるから、お前がどんなに甘えてこようと『お頭はキラーさんに甘えちゃって仕方ないなぁ』で済んでるんだよ。おれが副船長なんかになって、別の部屋で寝るようになってみろ、『お頭は幼馴染を贔屓している』と思われる」
「な……」
ナンバー2の存在が組織の結束の障害になることはままあることは事実だ。キッド海賊団にはあり得ないことだが――副船長が部下に慕われた挙げ句、徒党を組んで船長に反旗を翻されて壊滅した海賊団の話だって、キラーは耳にしたことがある。
「おれが」
キッドは反論しようと口を開いた。
「お前を贔屓してなにが悪い」
しかし口から出てきたのは拗ねたような言い草で、まったく言い返せていない。キラーは少し肩をすくめた。
「その『贔屓』がみんなに笑われてるくらいなら丁度いいが……、例えば今後、おれより強くて出来のいいやつが入ってきたらどうする。俺を副船長から降ろすか? それとも『贔屓』でそのままにするか。どちらにせよろくでもないことになるのはお前も想像がつくだろう」
贔屓で副船長の座にいるキラーに理不尽さを感じる船員もでれば、キッドの相棒であるキラーを蔑ろにすることに不満を感じる船員もでるだろう。人の機微に敏いかといえばまったくであるキッドも、その程度なら理解ができる。
「お前より、……クソ、」
とはいえ、キラーより強くて出来のいい人間などそういないはずだ、キッドはいっさい疑いなくそう思っている。だが、海は広く、グランドラインは奥に進むほど猛者が集まっているのは事実だ。キッドはキラーを高く評価しているが――キラーがすべての人間のてっぺんにいるとも思っていない。今後そうなる可能性はあるかもしれないが、少なくとも現時点で、例えば海軍大将とキラーがやりあったところでたいへんにキラーに分が悪いであろうこともわかっている。そしてもしも海軍大将並みの、キラーに勝る人間が仲間に入りたいなどと言ってきたら……
「おれより強いやつに船に乗りたいと言われたら、船のことを思って……断りやしないよな?」
先回りするように言われた言葉に、キッドはキラーをねめつけた。
「おれが……“キャプテン”がお前を副船長にしてェと言ってるんだぞ」
「確かに船長命令に従えない船員は問題だな」
しれっとキラーに頷かれ、キッドはほっと息を吐く。ようやく飲んでくれるのか、と思ったのだ。しかしそれも早計だった。次にキラーは流暢にこう吐き出したのである。
「だからおれはお前の幼馴染として忠告しているんだ。キラーを副船長にするのはやめておけ」


あんな拒絶の仕方があるだろうか、とキッドは夕食のチキンステーキを咀嚼しながら船員たちに料理を配膳しているキラーのほうを見た。舌打ちすらしたい気分だ。なにかと船員に声をかけられ、応じているキラーは、あんな仮面をつけていても周囲にはなんとも思われていないらしい。あの仮面を外さなければ食べられないものが出た場合、キラーは他の船員から時間をずらして食事を摂るので、今も給仕に回っているのだ。どうせ同じ船にいる以上風呂だ着替えだでなんだかんだと素顔を顕にしてしまうタイミングがないはずもなく、船員の大半はキラーの素顔を知っているのに、それでもキラーは仮面を極力外さなかった。
……断られるはずがないと思っていた。キッドが「海に出てワンピースを見つけて、海賊王になる」と言ったとき、キラーはすんなりと頷いて、「お前ならなれるよ」と言った。次の週には捨てられかけていた小舟をタダで手に入れて、「船長はお前だ」と言った。そういう男だった。キラーはキッドがいなければ海賊になっていないし、キッドはキラーがいなければ海賊になっていない。もちろんキッドにとって船員全員が大事であるが、キラーと他の人間はまるで違う。
キラーは、キッドが贔屓していることになるから副船長になりたくないと言う。だが、キラーを贔屓しないほうがどうかしているだろう。視線を感じたらしい、キラーがこちらを振り返る。それから一度キッチンに寄って水差しを片手にキッドに近づいてきた。
「キッド、水飲むか」
あんなことを言っておいて、平然とそんなことを言ってくる。確かに夕食をすべて平らげ、キッドの前にあるコップは空っぽだった。
「飲む」
キッドはキラーをねめつけた。仮面の下で苦笑されたのがわかり、キッドは顔をそらす。
おれがキラーを特別扱いせず、ほかのやつらと同等に扱えるのならば、キラーは副船長になるのだろうか。だが、それはどだい無理な話だった。逆に考えるなら。
「なぁオイキラー」
キッドは指先だけでキラーを呼び寄せた。素直に従ったキラーの耳元――もちろん耳は仮面に覆われているが――に口を寄せる。
「さっきの話だが」
キラーは「なんだ」と応じた。
「お前を副船長にしねェ場合、つまりいくらでもお前に甘えてもいいってことだよな」
「は、そうは言ってねェ、」
ぞ、とキラーが最後の語尾を発する前に、キッドは立ち上がった。そしてキラーの細い腰を引き寄せると、キラーの仮面を下からずらした。キッド、待て、なんのつもりだ、キラーが焦ったような声を出すのを、意に介さない。何しろこちらはキラーの副船長になりたくないという要望を呑んでいるのだ。
まだなにやら抵抗を口に出しているキラーの唇に、そのまま自分の唇を押し付ける。うるさかった船員たちの声がぷっつりと途絶え、すべての視線がこちらに突き刺さる。舌は入れなかった。そのまま離してやると、画面から口許だけを露出したキラーの唇が、こちらの口紅で汚れ、おまけに半端に開いたままだ。
「こういうわけだ、気に食わねェやつはおれに言えよ」
キッドは船員たちに、そしてキラーに向けてそう言い放つと、きびすを返した。食堂にはこれまでにないざわめきが満ちる。新入りのあのふたり出来てたんスか、という問いかけ、ぶっちゃけエッチしてるのは気づいてた、と言い放つ古参、いや気づかねェよ!と喚く隣の席。
キラーはようやく状況を把握した。なにが「気に食わねェやつはおれに言え」だ。
「キッド!」
仮面を直し、今しがた食堂から出ていこうとするキッドの背中を追うキラーを見届けた船員たちは、自分たちの会話に戻ることにした。
「まァ、あのふたりが仲良ければウチは安泰だよ、基本的に」
そう呟いた船員は、チキンステーキの最後の一切れを口に放り込んだ。





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