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「ロナルドくんって、半田くんのこと友達だと思えてるのがすごいよね」
依頼人にアポをドタキャンされて、やることもなく事務所でだらだらしていると、ドラルクのやつにそんなことを言われた。なんとなく心外だ。
「友達じゃねーよあんなやつ」
「友達じゃなければ飲みに誘われても行かないだろう。しかも毎回騙されておもしろ企画に参加させられてるのに」
めちゃくちゃ悔しいけど、これに関してはドラルクの野郎が正しかった。
「確かに半田くんは根は悪くないかもしれないけど、それでも限度ってものがあるじゃない」
確かに出会ったその日から五年以上、半田からは多種多様の嫌がらせとそれに伴う嘲笑を受けている。高校一年生、入学式直後、半田が吸対志望だと聞いて俺が挨拶をしたその瞬間からだ。
「ま、私には関係ないけどね、半田くんのおかげでロナルドくんがひどい目に合うのを見てるのは楽しウワー!」
享楽主義の吸血鬼を一発殴ると死んだ。
こうしていても時間がなくなるだけだ。今晩は時間もあるし、原稿でもするか。俺はソファから立ち上がって、デスクのほうに移動した。手袋を外して、ノートパソコンを立ち上げる。すでに依頼ページ数の四分の一ほどを書いた原稿ファイルを開いて、ざっくり読み返す。三週間くらい前にギルドのみんなや吸対と協力して倒した吸血鬼の話だ。
「私はゲームしてくるよ」
「おー」
復活したドラルクがジョンを抱えて居住スペースのほうに戻っていく。今日は原稿の邪魔をしないという最低限の気遣いをしてくれるらしい。いつもしろ。
俺はパソコンの液晶画面を見た。あと四分の三かぁ。そんで、締切まで一週間かぁ。……三日あれば、書けるんじゃね? 今書かなくても、いいんじゃね? ……とか考えちまったせいで後々大変なことになることくらい、さすがに学習している。だけど、十五分くらい、ちょっとした調べものくらい構わないだろう。ブラウザを開いて、SNSをチェックする。それにしても、オレもツイッターとかで宣伝したほうがいいのかな。ギルドのメンバーには、そういうことをしている奴がいる。でも、ツイッターなんかやってウッカリ炎上なんかしようもんなら、吸血鬼退治も作家業も廃業しかねない。余計なことはしないほうがまだマシな気がする。
ようやく原稿に戻る。俺は画面になんとか一文追加した。続けてもう一文。やっぱり今日は書く気出ねーな、辞めよっかな。そういやこの前、サテツやショットに、自分たちの活躍をもっと書いてほしいって言われたんだよな……。
サテツやショットは、同じギルドの中でも特に仲がいいメンバーだった。歳も近いしほとんど同期みたいなモンだし、退治だけじゃなくてプライベートでもよく会う。同僚というよりは、もはや友達だ。俺の小説に名前が出れば、人気が出て仕事が増えるかもしれない、だから書いてくれ、なんて打算的なことを言われても、まあ友達のよしみだし、って頷けるし。
「ロナルドくんって、半田くんのこと友達だと思えてるのがすごいよね」
友達、という単語に触れたせいでさっきドラルクに言われたことを思い出す。半田。つい昨日も、セロリパウダー入りのチョコレートを口にねじ込まれたばかりだ。あいつには友達、というにはあまりにも悪意を持って接されている気はする。でもまあ、自分の母親が高校の同級生のファンだなんて、腹が立って当然かもしれねーし。俺にはよくわかんねーけど。
サテツが敵の腹を殴ったところまで書いて、俺はかぶりを振った。





仕事帰りに書店で四冊予約しておいた文芸誌を受け取ると、それを抱えて家に帰る。一冊はお母さんのぶん、残りは自分のぶんだ。ロナルドの最新作の短編40ページが載っていると聞けば、予約も当然だ。近所の書店は俺が顔を出すと、「ロナルドさんの新作が載る雑誌四冊ね」とすぐに対応してくれるようになった。ワハハ。
この街は退治人・ロナルドのお膝元とあって、俺が予約した雑誌は棚にも山積みになっていた。ロナルドはそれだけ人気のある退治人だ。まったく、あの情けない男にこれだけのファンがいるなんて、世の中は総じて見る目がない――と、言いたいところだが、聡明で心優しいお母さんがロナルドのファンをしているということは、ロナルドにも雀の涙程度には魅力というものがあることは認めざるを得なかった。母さんはどんな相手でも美点を見つけられる名人だからな。
さて、家につくと、お母さんは起きていた。買ってきた文芸誌を渡して、勧められるまま風呂に入るともう、吸血鬼のお母さんにはともかく、俺はそろそろ寝る時間だ。しかし、ロナルドの新作も読んでおきたい。幸い明日の勤務は午後からだし、短編ならばすぐに読めるだろう。俺は部屋に入りベッドに腰掛けると、さっそく文芸誌の表紙を開いた。
今回の話は、どうやら先日吸対も協力して倒した吸血鬼との戦いの話らしい。あいも変わらず格好つけた文体だ。俺はふんと鼻を鳴らして読み進める。新横浜に住む吸血鬼は、どうも妙な生態や能力を持っているものが多く、ロナルドが書く格好つけた世界観には似合わない。だからロナルドが書く小説は、いつも事実をうわべだけなぞったようなものになっている。
だが――今回に限らず、ロナルドはあまり吸血鬼対策課について描写しない。退治人と俺たちの共闘は決して珍しくもないのに、だ。
それを不満に思ったことはない。ロナルドウォー戦記に俺が出ようものなら、お母さんにロナルドが実は高校の同級生で、二日に一回はやつの阿呆面を嘲笑しに行っていることがバレてしまう。ロナルド曰く「わかんねーけど公務員の仕事とか、勝手に書くのはよくなさそうだし」とのことだが。
だが、それにしても、だ。今回は妙に“鉄の左手”サテツと“鉤爪の蜘蛛”ショットの描写が多い。いや、退治人ギルドの面々はこれまでもたびたびロナ戦に登場していたが、ここまでではなかった。今回はむしろロナルドより前に出ているほどで、なんだか違和感があった。
「フン……」
俺は雑誌を閉じた。また明日ゆっくり読んで、あらを探してやろう。




カメ谷からまた飲みの誘いが来た。「学習しないねえ」と笑うドラルクを殺してから出かける。今日こそは普通の飲み会に決まってる。
俺がドラルクに「あんなに嫌がらせされてよく友達でいられるよね」とからかわれてからも、半田は退治の現場で、あるいは事務所にやってきて、セロリを使った嫌がらせを次々と俺にしかけていた。毎回ぶん殴って窓からふっ飛ばしているが、最近は嫌がらせを受けるたびに、半田がなぜ俺にこんなことばかりしてくるのかがわからなくなる。
俺はあいつのことを友達だと思っているとして、あいつは俺のことをなんだと思っているんだ。
そして今回は――というと、なんと、本当に、今日こそは普通の飲み会だった。ざまあみろドラ公。……たまにこういう飲み会を挟めば、また俺が騙されるだろう、みたいなことを半田とカメ谷が考えていても、不思議じゃないけど。
初っ端半田にセロリサラダを頼まれたこと以外、つつがなく飲み会は進んだ。セロリを使ったメニューはどうやらサラダだけのようだから、テーブルの上がセロリだらけになることはない。こういう安い居酒屋は酒が薄くて俺でも何杯かは飲めるから、実を言うと嫌いじゃなかった。
たまごやきと焼鳥と唐揚げと浅漬、それにほっけの干物が並んだテーブルに、レモンサワーが入ったコップを置いて、ふぅと息を吐く。
「あ、俺ちょっと席外す」
カメ谷がそう言ってスマホを持って立ち上がる。電話でもかかってきたんだろう。半田の後ろを通って通路に出ていってしまった。半田とふたりで向き合うことになってしまう。またやいやいうるさくいろいろ言われるんだろうなあ、と思いながらたまごやきを咀嚼していると、半田はビールのジョッキを置いた。
「そういえばこの前の短編読んだぞ」
「ああ、ご愛読どーも」
「愛はない」
「はぁ……」
薄い酒なりに少し回ってきてるのかもしれない、と自覚したのはこのときだった。自分があまり酒に強くないことは自覚していたけれど、コレ以上はやめたほうがいいかもなぁ、そんなことを考えていたせいで、半田の言っていることがちゃんと頭に入ってこなかった。ちょっと適当に返事をすると、半田はつまらなさそうに口をへの字にした。
「今回は随分とギルドのお仲間贔屓の文章だったな」
「え? ああ、まあ? あいつらにもさ、人気出てほしいじゃん、やっぱ」
正直ドラルクのたまごやきのほうがうまいんだよな、と思いながら唐揚げをつまむ。唐揚げも、ドラルクのがうまい。そりゃそうか。この手の居酒屋に手作り作りたてほやほやの味を求めるべきじゃない。
「ロナ戦に出してやれば人気が出るだろうとは、大した思い上がりだなロナルド!」
「そうじゃねーよ、サテツとショットに頼まれたんだよ」
「フン、プライドのない退治人同士の馴れ合いか。くだらんな」
半田は笑う。サテツやショットをバカにされたような気がして腹が立つ。
「うるせーな、あいつらは俺の友達だし、」
俺はそこまで言ってから、ふとまたドラルクのことばを思い出す。目の前のコイツについて。友達なのか、友達じゃないのか。だとしたら一体なんなのか。
「なあ半田、お前って俺のことなんだと思ってんの」
「なんだ、とはなんだ」
「友達だと思ってる?」
「フン」
半田はバカにしたように鼻を鳴らした。
「そんなわけないだろう、俺は出会った頃からいつか潰してやろうと思っていた!」
「おっと、おふたりさん、喧嘩?」
ヒートアップする半田に水をかけるようなタイミングで、カメ谷がやってくる。俺はぼんやりと半田の顔を見たまま答える。
「喧嘩っつーか、なんだろな」
俺はカメ谷に向かって肩をすくめた。なんだか妙に冷静だった。冷静なつもりだった。
「こいつがサテツやショットと俺が馴れ合っててどうのってさぁ」
「あー、もしかしてこの前のロナ戦番外編のこと? そうなんだよ、半田のやつ、今日の待ち合わせでロナルド待ってる間もグチグチ言ってたよ」
カメ谷はにんまりと笑う。
「半田、妬いてるんじゃない? サテツさんやショットさんに」
「カメ谷ッ……!」
半田の顔が面白いほど真っ赤になる。酒のせいじゃないだろう。だけど、妬いてるってどういうことだ。半田が? なんでサテツとショットに? いや、ああ、そういうことか。
「お前もロナ戦に出たいのか?」
「なんだと?」
「だけどお前の名前だしたらお前のお母さんにぜんぶバレちまうだろ」
「ぬぅ……」
俺たちのやりとりを聞いていたカメ谷が吹き出した。なにがそんなに面白いのかわかんねーけど一通り笑った後、カメ谷はスマホを掲げながら「俺、仕事で急用できたから帰るわ」と言った。
「ええ、半田と二人かよ」
「まあまあ」
カメ谷はそう言って財布からちょっと多いくらいの金を出すと、さっさと出ていってしまった。残された俺達は顔を見合わせる。カメ谷がいないならここでお開きでもいいような気がした。ここに居続けて、またセロリサラダを頼まれても困るしな。
「これ食ったら俺らも出るか」
返事がない。半田がなにを拗ねているのかさっぱりなので放っておくことにして、俺は浅漬けをつまんだ。なすうまい。きゅうりもうまい。
「……ロナルド」
「なに」
「嫉妬などしていない」
「おう……」
よくわかんねーな、コイツ。俺はテーブルに肘をついて半田の顔を見た。顔は悪くないのに、コイツはどうして俺なんかにここまで固執するんだろう。さっぱりわからない。ドラルク曰く、それを許容している俺もどうかということらしいけど、それはまあ別に、普通だろう。コイツの嫌がらせは死ぬってほどじゃないし、まあ一応、悪いやつじゃないし。躾が悪いめちゃくちゃデカい犬にめちゃくちゃにじゃれつかれている、みたいな。いや、ちょっと違うか……。
「半田さあ、俺と飲むときとか、お母さんになんて言って出てきてんの。『ちょっと出かけてくる』だけで済ませてるとか?」
「カメ谷とお前の本名を言って出てきているが」
「あー……なるほどね」
久しぶりにその名前で呼ばれたな。俺の本名なんて、俺の周りにいるやつでも、知ってるやつのほうが少ないだろう。それこそ、兄妹と半田とカメ谷くらいか。
そろそろテーブルの上の料理も減ってきていた。宴もたけなわ、ってやつ? 俺は最後の唐揚げを口の中に放り込んで、「そろそろ帰るか」と言う。正直まだ食える気はしたけど、落ち着かない気分だし。半田は相変わらず返事をしない。まあ、嫌がらないならオッケーってことだろう。





カメ谷が置いていった金の残りを割り勘してロナルドと支払い、雑居ビルにの古びたエレベーターに乗って一階に降りる。歩道に出て歩き出すと、俺より一歩先を歩くロナルドの髪にネオンが透けて見える。
「ロナルド」
「なに」
ロナルドは振り返らない。それが無性に腹が立つ。それで、自然と強い物言いになった。
「次の店には行かないのか!」
「えー? なにお前、俺と二次会してえの?」
今度こそ、ロナルドは振り返った。そうだ、と肯定するのは癪だったので、黙る。ロナルドは変なの、と呟いた。
「お前が店選んだらセロリ専門店とかにされそうだから無理だわ」
「そんなもの、この近辺にはない」
「調査済みかよ」
苦笑して、ロナルドはまた前を向く。隣に並んで歩いてやろうと歩調を早めると、ロナルドも足早になる。なんなんだ。腹が立ってほとんど走るようにしてロナルドに追いつく。ロナルドは諦めたようにため息をついて、しぶしぶ隣に並んで歩くようになる。
「なに、そんなに二次会したいの?」
「そういうわけではない」
「なんかさ」
ロナルドがため息をつく。
「俺はおまえの考えてることがわかんねーよ」
「別にわからなくていい」
「そりゃそうだけど……いやよくねーよ、下らないイタズラばっかしやがって」
下らない、イタズラ。俺がしてきたことをそう言われて、カッと頬が熱くなる。
いや、薄々わかっていた。ロナルドが俺の嫌がらせを受けながら誘いには乗ってくる、それはこちらのことをまるきり脅威だと思っていないからできることだ。実際、俺が血液錠剤でブーストをかけてロナルドと戦ったとしても、それでもなお、勝つのはロナルドだ。実力差を正しく把握できない俺ではない。
「半田?」
「…………」
「今度はだんまりか、なんなんだよ、さっきから」
ならば、俺はどうしたらいいんだ。不快な思いをさせ、それでもなおこちらを受け入れるロナルドの、隣に立つ。それは至極当然のことだと思っていた。だが、もしもロナルドが――。
「俺、こっちだから」
気が付くと、あと二回ほど角を曲がればロナルドの事務所兼住居というところまで来ていた。この年齢でひとりで事務所を立ち上げて、古いビルとはいえ駅前の一等地に暮らすロナルドと、ここからまた少し歩いた住宅街の実家で暮らす俺の、距離がそこにある。
「待て」
思わず、本当になにも考えず、ロナルドの腕を掴む。ロナルドは怪訝そうにこちらを見下ろした。眉間のしわが深く、青い瞳にきらめきはない。
「い、」
このままでは確実に「いやだ」と言われる。それをロナルドの唇のかたちから読み取って、俺はそれを阻止したかった。ロナルド。俺は、お前に。拒絶されたく、ない。
「ん、ぶ」
反射的にロナルドの口を手で塞いでいた。無様な声を出したロナルドは一瞬眉を寄せ、それから俺の手をぐいと剥がして「なんなんだよ!」と声を上げた。青い瞳がこちらをねめつける。実際のところ、俺達のうちわずかとはいえロナルドのほうが背が高い。見下され、本気の不快を示されて、しかしロナルドが俺だけを見ていることに、そっと快感を得てしまう。
「お前がわけわかんねーのは昔からだけど、今日はそれ以上だな」
「フン、俺はお前の無様な顔が見たいだけだ」
「なんでンなモン見てーのかがわかんねーつってんだよ!」
ロナルドはそう言い捨てて、今度こそ逃げるように立ち去っていく。情けないやつだ。
なぜ、と問われても、ロナルドに答える必要はなかったはずだ。だから俺はそもそも理由を用意していなかったのかもしれなかった。ロナルドが泣いたり憤ったり焦ったり困ったりする顔が見たい理由なんてない。理由なんて、考えたくも、ない。





さっき半田のてのひらに触られた唇を、パーカーの袖でぐいと拭う。半田がいきなり口を塞いできた理由もわからないまま、俺は足早に家に向かっていた。あのときの半田の金色の瞳が、未だに頭から離れない。半田にあんな目で見られたのは初めてだった。真剣だった。威嚇された気がした。そして、なんだか不安げにも見えた。あいつはダンピールだ。昼間活動できるし、にんにく料理も食うし、十字架だって平気だけど、耳は尖っているし、牙はある。ああ、あれは退治するために追い詰めた吸血鬼が、最後のあがきにこちらに向かってくるときの顔に似ていた。
半田が怖いわけじゃない。だけど逃げ出したかった。カメ谷が先に帰らなければ、こんなことにならなかったのに。自分でもありありとわかるほど見当違いな逆恨みをしながら、俺は事務所の階段をのぼる。少なくとも、まだドラルクは起きているだろう。あいつの顔を見れば、少しは気が紛れるはずだ。事務所の明かりが妙に恋しくて、俺は急いでドアを開いた。


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