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ドラルクが起きると、部屋に同居人のロナルドはいなかった。着替えを終えると、そっと事務所につながるドアを開ける。案の定ロナルドはそこにいた。今日は退治人としての仕事は休みなのだろう、ジャージ姿のロナルドが、窓を開けて外を見ている。口許に手をやっていると思ったら、どうやら煙草を吸っているらしい。風向きがいいのか、こちらまで匂いは届かないけど。
「またか」
ドラルクはため息をついた。
「最近本数増えてない?」
聞くと、ロナルドはドラルクのほうを見た。前髪が風を受けて、少し額が見えている。おかげで寄せられた眉がよく見えた。ロナルドは、その苛立ちを隠さず「うるせえな」と言う。二言目には反抗的な発言をするのはいつものことだ。はっきり言って喫煙は最も人間の血をまずくする行為なので、正直ドラルクは気に食わない。たとえこの若造の血を吸う気がないとしても、だ。
ロナルドは喫煙者だけど、もともとヘビースモーカーでもなんでもなかった。一箱消費するのに二週間かけたりすることもあったほどだ。それがここのところ、妙によく吸っている。ついこの間退治に同行させられたときも、帰りにわざわざ駅の喫煙所に寄ると言うので、ドラルクは見飽きた土産物店で時間を潰すはめになったのだった。ドラルクは太陽光で死ぬ吸血鬼なのでロナルドの昼間の様子を窺うことはできないが、きっと昼間にも同じようにスパスパ煙草を吸っているのだろう。
ロナルドは携帯灰皿に短くなった煙草を押し付けると、机の方に戻って、開きっぱなしのノートパソコンに向かう……のかと思いきや、また煙草の白い箱に手を伸ばした。ドラルクは彼なりの早足でロナルドに近づくと、「もうやめたまえ」と言ってみた。が、当然間に合うはずもなかった。さっと煙草の箱を手にしたロナルドは、慣れた手付きで一本の小さな紙筒を指先に挟んだ。それから、にやりと口角を上げる。
「お前、煙草嫌いだったっけ?」
「血がまずくなるんだよ若造」
「フーン、だったらなおさら吸っとかねえとな」
ダーッ! 逆効果! ドラルクは脳内で悪態をつく。
そうだ、ロナルドの言うとおりだ。ドラルクはロナルドが煙草を吸うことを疎んでいる。絶対にロナルドには言わないが――普段はガキだガキだとバカにしているロナルドが煙草を吸っていると、実は彼がそう子どもじみてはいないことを突きつけられるような気がするのだ。絶対に、ロナルドには言わないが。
「だいたい煙草は人間の健康に悪いんだろう、わざわざ金と時間をかけてまで短い寿命を縮めるわけがわからん」
「別にちゃんと運動してメシ食ってるんだから、煙草なんかノーカンだろ」
「……あー、ハイハイわかったよ」
ドラルクは口でそう言いながらも不満げなのを隠そうとしないので、今日三本目のつもりだった煙草を指先で持て余したロナルドは、結局吸うのをやめることにした。ギャーギャー言われるのも面倒だし、それに実際のところそろそろ締め切りがまずいのだ。要するに煙草は原稿からの逃避に過ぎなかった。
「代わりに酒飲も」
「なんでだ」
「酒飲んで原稿したらガンガン書ける気がする」
「絶対に酔って原稿なんか手につかなくなるだろ五歳児! この国じゃ五歳はお酒飲めないんでちゅよ!」
「俺は成人じゃ!」
ロナルドが煙草を箱にしまったので、なんとかいつものようにからかうことができた。ドラルクは、心底ほっとしながら、冷蔵庫のほうに向かうロナルドを止めようとした。結局非力なドラルクには、それはまったくの徒労となったが。


 ✱


ドラルクがソファに座ってゲームをしようとqsqの電源を入れると、傍らにロナルドが座った。片手にはピンク色の缶が握られている。ドラルクは煙草も吸わなければ酒も飲まないけれど、それがアルコール度数の低いいちご味の甘い酒だということは知っている。ロナルドは何も言わずにテレビの電源を入れた。気が散るなあ、と思わないでもないけれど、このドラルク様、ゲームについては高い集中力を持つ。
ロナルドはジョンを抱えて、なにやら恋愛ドラマを見始めている。一ミリも興味がもてないので、ドラルクはゲームをやめなかった。



かつん、と音がして、ドラルクは顔を上げた。それがロナルドの手からアルミ缶が落ちた音だと気付いたのはすぐだ。気付けばドラマも終わって、アナウンサーがニュースを読み上げている。どうやらジョンもうとうとしているようで、ソファの傍らで丸くなっている。ほら、言わんこっちゃない。ドラルクは言おうとしたが、次の瞬間肩に衝撃を感じて死にかけた。見れば、視界に銀色のくせ毛がすぐそこにある。
「ロナルドくん、原稿はどうしたんだね」
「あとでやる……」
人間の頭蓋はそれなりの重さがある。たとえ、頭空っぽ退治人のものだとしても。これを肩に載せながらアクションゲームをするのは難しいだろう。ドラルクはいったんqsqをスリープさせてソファの座面に置いた。
「オイ若造、どきたまえ」
「んん……」
言うとますますぐりぐり頭を押し付けてくる。ロナルドの頭からは、煙草の匂いがした。と、思った瞬間、ドラルクは自分の体がいつものように崩れ落ちるのを自覚した。
重量でか煙草の匂いでか、それとも別の要因でか。あえなくドラルクが灰になってしまったので、支えるもののなくなったロナルドのからだはそのままソファにごとんと沈んだ。そしてロナルドは上半身だけ横にしたまま、大きくまつ毛をばちばちと上下させた。
「どらるく?」
ドラルクだった灰の一部はロナルドの下敷きになってしまう。
「また砂になってんのかよぉ」
じゃりじゃりと指先でソファの座面をかき混ぜて、ロナルドがなぜか笑う。からだで遊ばれてはたまらない。砂遊びが好きとは、まったく五歳児じゃないか。ドラルクは自分の灰をかき集めてさっさと復活すると、ついでに落ちた酒の缶も拾って、ロナルドを見下ろした。
「まったく、酒を飲んで原稿するんじゃなかったのかね」
「うるさい……」
ロナルドはようやくのそのそと起き上がった。まったく、頬はすっかり上気しているし、目もとろんとしているし、喋り方はたどたどしいし、紛うことなき酔っ払いじゃないか。
「どらるくは、原稿ないのかよぉ」
目をこすりながら、ロナルドが言う。ドラルクはふん、と鼻を鳴らして、両手を腰に宛てがった。
「私には直近の締切はない」
「ずるい」
ロナルドは小さな子どものようにそう言った。とはいえ見た目は筋肉マシマシスネ毛男だ、愛らしさなんて感じようがない。
「お前もいっしょに原稿しろよ」
「する原稿がない、無茶を言うな」
「ドラ公のくせに……」
「ロナルドくん、君ねえ、」
煙草のつぎは酒、そして使い物にならなくなっている。まったく駄目な大人の見本のような行動は、本当にこの子どもにはそぐわない、気に入らない。この退治人はいつものように子どもっぽくきゃんきゃん吠えているほうがよほど似合う。
「さっさと寝たら? どうせもう原稿なんかする気ないんだろ」
「やだ」
今度は駄々っ子のようなことを言いだした。そうだ、子どもだ。これは子どもだ。いつか吸血鬼によってロナルドが幼い子どもになってしまったときのことを思い出す。せめてあの大きさなら、許せる発言だっただろうに。ドラルクはため息をついた。いったい今日は、どうしたっていうんだ。
「ドラ公が起きてるなら俺も起きてる……」
人間は酒を飲むと判断力が弱まることは知っている。そのせいで、いつもは理性に覆い隠されている本音が垣間見えるようになるということも。
では、これはなんだと言うのだろう。
「まだゲームするんだろ?」
「そりゃ、するつもりではあったけども!」
ではさっき、ロナルドの頭の重さでドラルクが死んだのは、あれは、まさか、いやいや、冗談じゃない。
「じゃあ別に俺も起きてていいだろ」
「じゃあって……」
「なあ、座れよぉ、」
ロナルドの手が伸びてきて、ドラルクのマントを掴む。手加減なく引っ張られて、ドラルクはよろめいて、そのまま塵になった。ロナルドが「こんなんで死ぬのかよぉ」と笑うので、ドラルクはむっとしながら灰のままソファに這うように復活する。
まったく、世話のかかる五歳児だ。だけど悪い気はしなかった。さっきまでの嫌な感じは、不思議と消えている。少なくとも煙草を片手に冷え冷えと外を見ているロナルドより、とろけた瞳で一緒に起きていたいと懇願するロナルドのほうが、まだいかばかりか喜ばしい。
「そんなに言うなら仕方がないなあ、存分に起きて醜態を晒し給えロナルドくん!」
そうだ、どうせならもっと甘えさせればいい。録音して、何度でも聞いてやろう! 「ドラルクさま」でも「一生仕えます」でも「好きです」でも、何とでも言うが良い! いや、「好きです」は困る、な。そもそもそんなことなぜ考えてしまったのか。まあ、どうでもいいか。享楽主義者のドラルクは、スマートフォンで録音アプリを起動して、さっそくロナルドのほうに向けた。
「さ、ロナルドくん、私にして欲しいことを言って、ご、ら……んん?」
ドラルクはとっさに録音を止めた。てっきりふわふわと笑っているだろうと思っていたロナルドはこちらにうなじを晒すように俯いている。そして、これは、どう考えても寝息ではないだろうか。
「……、……、……!」
こいつ〜〜〜!! ギリギリ大声を出さなかったことを褒めてほしい。ロナルドはすっかり眠っていた。嘘だろう、あれだけ、あれだけ「ドラルク様と一緒に夜を明かしたい」みたいなことを言っておいて!
一文字も書かないままで締切に大幅に近づいてしまったというのに、ロナルドの寝顔は安らかだった。いつも本人のテンション通りに釣り上がっている眉が下がって、長いまつげを誇示するかのように瞼を閉じて、小さな唇は閉じられている。少し笑っているようにも見えた。
くそくそ、起こしてやろうか。苛立ちはしかし、ロナルドの寝顔を見るとしぼんでいってしまう。結局煙草の量が増えた理由も、普段なら飲まない酒を口にした理由も、ドラルクにはまるでわからず終いだった。聞いたところでこの意地っ張りは答えやしないだろうし。
「ドラちゃんが優しくて気遣いができる吸血鬼であることを胸に刻みたまえよ、ロナルドくん」
明日になればどうせロナルドが全部忘れているだろうであることはわかっている。それでもいいか、と諦めにも似た気持ちでドラルクはソファから立ち上がった。座ったまま眠ってしまったロナルドをなんとか横にしてから時計を見る。まだ、夜は始まったばかりだった。


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