鉄血
「オルガというのは珍しい名前ですね」
クーデリアが言い出すことはときどき突拍子がない。というより、生まれも育ちも鉄華団の面々とは違いすぎて、話がくい違ってしまうことがよくあるのだ。
「そうなのか?」
確かに今まで同じ名前の人間に会ったことはない。クーデリアは「いえ、そうではなくて」と前置いて、なぜかこちらから目を逸らした。
「男性には珍しいと思って。オルガっていうのはふつう、女性の名前、ですよね」
同じ場所で端末をいじりながら話を聞いていたユージンは、思わずオルガの顔を見た。オルガはぱちんと瞬きをした。
「……知ってる」
知らなかったくせに、とその場にいた全員が内心苦笑したことを、多分、オルガもクーデリアも気付いていない。
自分は男らしいと言い聞かせているオルガにとって、自分の名前が女性名であることは知られたくないことだったのかもしれない。しかしあの話題が出たときブリッジにノルバがいたのがオルガの運の尽きだった。ちょっと面白い話題として、年少組にまであっという間に広まったそれは、だからと言ってオルガの評価を下げるものではなかったのだけれど。
「三日月さんっていうのは地球から見える月の種類らしいぜ」
「月ってなんだ?」
「地球に行ったら見えるってクーデリア先生が言ってた」
「マジかよ見てーな三日月」
そんな会話が廊下で聞かれるようになるのに、数時間もかからなかったのだから、人の口に戸は立てられぬとはこのことか。
オルガは年少組の会釈に手を挙げてから、眉を寄せた。あのお嬢様は、唐突に爆弾をぶち込んでくる。自分の名前が女のものだなんて、思ってもみなかった。
とはいえ、こんな話題はすぐに飽きがくるだろう。オルガはそう思っていた。ところが、案外それは長引いた。ビスケットは自分の名前が菓子と同じであることはもちろんわかっていたが、あらためてそれを突きつけられた気がすると苦笑していたし、昭弘はおそらく名瀬と同じ国の名前だろうと教えられて首を傾げていた。
「なんでこんなに名前ひとつで盛り上がれんだ……」
「ここは両親の顔も知らないようなメンバーが多いからね」
ため息をついたオルガにビスケットが苦笑する。ビスケットも年少組にさんざん名前のことでからかわれているので、少々うんざりしているのだ。
「名前っていうのは、最初で最後の親からのもらいものってことになるんじゃないかな」
そんなことを思いつきもしなかったオルガはビスケットの顔を見た。
「僕は食べるものに困らないように、ってこんな名前になったらしいよ」
まるい肩をすくめたビスケットの両親の願いが叶っているかいないかはともかくとして、オルガも自分にも親というものがいることを久しぶりに思い出した。
「ため息つくなよオルガちゃん」
「……ユージン」
まるでノルバのような口ぶりで声をかけてきたユージンをねめつける。クーデリアがオルガの名前に言及して以来、ときどきそれをからかってくるのだからたちが悪い。
「いーじゃねーか、女の名前でも。みんな言ってるぜ、『女の名前でも隊長はかっこいい〜』ってな」
「知ってるよ」
「知ってんのかよ」
いけすかねえだのつまんねえだの文句が飛んでくるが知ったこっちゃない。オルガは適当に聞き流す。ユージンのこういう物言いに、いちいち構ってやる気はなかった。
「じゃあなにがそんなに不満なんだ」
「不満じゃねーよ」
「お前がくだらねーことでぶちぶち悩んでんの見んの、悪くねーから俺はいいけどよ」
「悩んでねえよ」
「じゃ気にしてんだな」
「気にしてねえよ」
こんなところ、三日月やガキどもには見せたくねえんだろくなあ、とユージンは思う(ガキどもはともかく三日月はこいつの情けないところもわかってそうだけどな)。まあ、誰にも見せまいとするよりはよっぽど健康的だ。
「オルガお嬢様がムキになるなんて珍しいな」
「おいさっきより悪化してんぞ」
「じゃあオルガ姫?」
「ざけんなよ……」
あんまりにも適当なからかい方だ。オルガはため息をついた。からだの力を抜いて、椅子にもたれかかる。ユージンは少しだけからだを乗り出して、オルガの顔を覗き込む。
「だいたいお前、女をなめてっから女の名前がいやなんじゃないのか」
「……女は女だろ」
「そんなんだからメリビットさんに手も足も出ねーんだよ」
これに関してはぐうのねも出ない。オルガは唇を結んだ。
「……そういやユージンっていうのはどういう意味なんだ」
「ハァ!?知らねーよそんなの!」
ユージンが大仰な声を出す。あ、これは知ってるな、とオルガは思った。ユージンは本当にわかりやすい。オルガは少し面白くなって、少しだけ唇のはしっこを持ち上げた。