鉄血

ユージンが詰めていた息を吐き出す。チャドとダンテが振り返ると、ユージンはいかにもぐったりしていた。それも当然だ、徹夜で阿頼耶識システムに繋がれていたユージンのストレスはおそらく最高潮だろう。

予期せぬデブリ帯にさしかかり、イサリビの操縦を任されたのは、当然それがいちばん得意なユージンになった。しかもこれが長い。ただでさえ昼間も細々とした用事に追われていたユージンが休もうとした矢先にこれをオルガに依頼され、ぶつくさ文句を言いながら席についたのは夜の十時だった。船は24時間動かし続けなければいけない。細かなデブリが飛び交うそこを、ユージンは器用にすり抜けて、文句を言っては回避して、あれからたぶん八時間は経っている。交代で休憩に入ったチャドやダンテだってかなりの疲労がたまっているのだから、ノンストップ休みなしのユージンの疲れは想像以上に違いない。

「ユージン、すげえ」

「そろそろデブリも減ってきたし、休んでこい」

「ああ、お前はよくやったよ」

さて、イサリビのブリッジにはひとつの不文律がある。曰く、ユージンはとにかく褒めろ、だ。皮肉屋で一言多く、オルガに突っかかってばかりのユージンだが、褒められることには弱い。とにかく弱い。だからユージンをうまく扱いたければ認めてほめてやればいいのだ。

いつもならこれだけ言えばユージンも「おうよ!」くらいは返してくれるのだが、今日は様子が違った。疲れ切っているらしく、阿頼耶識の接続を切るとふらりと立ち上がり、「わりい」とだけ呟いて、上着も羽織らずブリッジを出ていこうとする。チャドとダンテはさすがに心配になり、「上着持ってけ」「ビスケットに言ってシフト調整してもらえ」「アトラになにか食わせてもらえ」と声をかけるが、ユージンは答えられないようだ。

「おわ」

さて、ここで我らがリーダーであるオルガが入ってきた。まだ朝も早いのに、様子を見に来たらしい。皆に挨拶をしようとしたところで、ユージンと激突し、驚いたように目を見開く。

「おいおいユージン、大丈夫か?」

「ん……ッ、オルガ!?」

さっきまであれほどぐったりしていたユージンは、オルガの顔を認めると、ぱっちりと目を見開いた。オルガにからだごとよりかかる体勢になっていることに気付き、慌ててからだを離そうとして、オルガを突き飛ばす。しかしその腕に力はなく、オルガはたいして離れてくれなかった。

「無理させたな」

「べ、っつに?余裕だ余裕!もうデブリ帯も抜けたから俺は休ませてもらうからな!」

「ああ、ありがとうユージン。さすがだ」

「るっせーよ!」

わかりやすい反応に、チャドとダンテはいっそ見ていることが恥ずかしくなってきて、前のモニタを見た。今のところ、平和な海が広がっている。





腹は減っているが、長いこと阿頼耶識を繋いでいたせいか頭が痛いし少し吐き気もする。ユージンは食うより先に横になろうと部屋に戻ると、同室のノルバはまだ大口を開けて眠っていた。今日の自分のシフトは、昼前からブリッジで定例のミーティングからはじまるはずだったが、免除されやしないだろうか、シフト管理をしているビスケットに言っときゃよかった……。

目を閉じると、ますます頭がいたくなってきた。からだを丸める。背中の阿頼耶識のヒゲがひりつくような感じがした。

眠れないままでいると、そのうちノルバがのそのそと起き上がる気配がした。

「ユージン朝だぜー飯行こうぜー」

呑気に声までかけてくる。ユージンは薄目をあけると「徹夜だったから寝かせろ」とだけ言った。ノルバはそれで昨日なにがあったのか了解したらしく、おうと言って部屋を出て行った。ユージンはふたたび硬く目をつぶったが、やはりうまく眠れない。神経が興奮しているのだろう。ため息をつく。それにしたって、腹がへった。




結局ほとんど寝られないまま、アトラに文句を言われながらゼリーだけを腹に入れてブリッジに向かった。入り口で自分の頬をパンと叩いて気合を入れると、深呼吸をする。

「何してんだ?」

「オルガ」

声をかけてきたのはオルガだった。格好の悪いところを見られてしまった。どうすればいいのかわかりかねてオルガにガンを飛ばすと、「無理すんなよ」と苦笑されてしまった。

「無理なんかしてねーよ」

「どうだか」

ふたりでブリッジに入ると、ビスケットやメリビットがすでに待機していた。

「あ、ふたりともおはよう」

「おう」

今日の航路の確認をして、懸念事故を挙げ、その予防策や解決策を話し合う。ユージンはぼんやりとその話を聞いていた。口出しをする余裕はない。

「ユージン?」

「…………」

「ユージン!」

「は」

「ユージンさん、少し休んだらどうですか?」

ビスケットとメリビットに声をかけられて、ユージンはそれでも首を横に振る。しかしよっぽどひどい顔をしていたのだろう、隣にいたオルガに顔を覗きこまれる。

「やっぱり無理してんじゃねーか」

「して、ねっつの」

オルガの手のひらが背中にあてがわれる。それが心地よいのが悔しくて、ユージンは眉を寄せる。オルガの前でだけは休みたくないユージンはその手をなんとか振り払おうと腕を振り上げ、バランスを崩す。言わんこっちゃないという顔のビスケットがため息をつき、ユージンはそのままそこに尻もちをついた。

ださすぎる。

我に返ると恥ずかしい。顔が赤くなるのがわかる。これがまた、自分の顔が赤くなりやすい自覚はあるから、無性に恥ずかしい。

「ユージン」

その場にいた全員がこちらを見ているのがわかる。

「お前はよくやったから少し休め。な?」

オルガにそう微笑まれて、ユージンはいっそ憤死したくなった。




明後日の非番をなくす代わりに一日の休みを手に入れたユージンは、不承不承ながら食堂に向かった。丁度昼時になっていたので、賑わっている。しかし年少組たちの騒ぐ声は痛む頭にダイレクトに響く。あからさまに眉を寄せていると、アトラに「ユージンさん、やっと食べる気になりました?」と尋ねられた。トレイの上のパンと野菜炒めとスープを見やり、ユージンはため息をつく。

「……部屋で食ってもいいか?」

「どうぞ、あとでお皿持ってきてくださいね」

アトラの許可が出たので、トレイを持って廊下に出る。ガキばかりの集団で、自分がガキ嫌いである自覚はあった。騒ぎながら走ってくる甲高い声は、頭に響くことこの上ない。恐らく相当目つきが悪くなっていたのだろう、ユージンを見ると子どもたちは口をつぐんでそそくさと行ってしまった。

部屋のドアを開けて、ベッドに腰掛けトレイを置く。行儀は悪いがそんなことを気にするようなたちではなかった。朝よりは幾分食欲が戻ってきていて、ガツガツとは行かないが、なんとか食べ終わることができた。

食べると素直に眠くなってくる。トレイをキッチンに返さなければならないことは重々わかっていたが、この睡魔に捕らわれるチャンスを逃すわけにはいかなかった。トレイを床に置くとそのままベッドに寝転がる。目を閉じると、ようやく心地よいまどろみがやってきた。ただでさえ人員の少ない鉄華団で、ユージンだって抱える仕事は多い。昼間から眠れるなんて贅沢だ。せっかくなら、たっぷり堪能したい。

ユージンはそのまま寝た。こんなに深く眠ることも滅多にないだろうというくらいには、寝た。




団長としての仕事も一段落つき、オルガは思い切り背を伸ばした。遅くなってしまったが、昼食を取りに行こう。アトラはまだ残しておいてくれているだろうか。ブリッジを出て廊下を歩いていく。

果たして食堂で洗い物をしていたアトラは、弁当箱をひとつ差し出してきた。

「ユージンさんがお皿を部屋に持って行っちゃって、まだ戻してくれてなくて」

鉄華団の備品はただでさえギリギリなのに、育ち盛りの男ばかりのここでは皿はしょっちゅう割れる。食べる時間はある程度ばらけているので、アトラは洗い物をしながら配膳して、弁当を作れるときはそうして、なんとか皿をやりくりしているのだ。

「今度皿も買い足そうな」

「本当ですか?お願いします」

アトラがぱっと笑う。歳より幼く見える少女だが、こうして笑うと十分に華があって、オルガは気付かれないよう目をそらした。

「ユージンに皿返せって言っとくわ」

「はい」

オルガは弁当を片手に食堂を出た。ユージンの部屋まで歩きながら、子どもたちとすれ違う。元気の良い挨拶に手を挙げて応じていると、ビスケットが通りかかった。

「オルガ、大変だ、また夜頃デブリ帯に差し掛かりそうだってメリビットさんが」

「うえ、マジかよ」

そういうところを通り抜けるときの操縦要員は、今日はすっかりくたばっているはずだ。いや、夜になら復活するだろうか。目線を彷徨わせ、今朝のユージンの様子を思い出す。

「最悪俺がやるか……」

「一応ユージンにも訊いてみたら?疲れてるとは思うけど……」

「一応な」

「とりあえず、デブリ帯を避けられないかもう一回航路を考え直してみるよ」

「頼む。食ったらそっちに行く」

「うん、よろしくね」

ビスケットは腹を揺らして駆けていった。もともとイレギュラーな道のりを取っているため、こういうことは覚悟しておいたつもりだが、ひとりに負担をかけるのはまずいだろう。最悪自分が操縦しようか……と考えているうちに、ユージンとノルバの部屋の前についていた。ドアが無防備に開けっ放しで、なかでユージンが横になっているのが見える。トレイは床に放置だ。

さすがに起こすのは酷だろうか。しかしさっきビスケットに言われたことを伝えておきたい気もする。オルガは部屋の中に入り、ベッドの上に腰掛けた。鉄華団の面々は基本的に気配に敏いが、気づかれないほどよく寝ているようだ。

オルガは弁当箱を開けた。行儀よくサンドイッチと野菜炒めが入っているが、スプーンがついていない。どうしたものかと考えて、床に置いてあるトレイが目に入った。ユージンが使ったものだがまあ構わないだろう。からだを伏せてスプーンを取ると、さっそくサンドイッチにかぶりついた。

二つ目のサンドイッチを食べ終えた頃、ユージンが身じろいだ。

「……起きたか?」

「……、……オルガ……なんでここに!」

眠そうにしていたユージンは、オルガの顔を認めるとすぐに飛び起きた。オルガは3つ目のサンドイッチを取り上げ、「アトラが皿がなくて困ってたからよ」と言った。ユージンはため息をついて唸るような声を上げた。

「昨日はお疲れだったな」

「全くだぜ」

オルガはユージンの目元に手のひらをかざした。寝ていろ、という意図は正しく受け取られて、ユージンはまたベッドにからだを倒した。

「もうあんなにぶっ続けで阿頼耶識使うのは勘弁な」

「…………」

なぜこのタイミングでそんなことを言うのか。オルガは口をつぐんだ。口をつぐむと、またもユージンはそれを正しく受け取った。

「……まさかまたデブリ帯が近づいてるとか言うんじゃねーだろうな」

「…………」

「マジかよ……」

ユージンの口ぶりはすっかりぐったりしたものになっていた。

「もう少し人員が増やせればいいんだけどな」

オルガがそう口にすると、ユージンは目を閉じたまま「はっ」と声を上げた。

「そしたら俺はお払い箱だな」

「なんでそうなるんだ」

「俺より操縦うまいやつなんか、その辺にいくらでもいるだろ」

「いないからお前に任せてるのにか?」

「…………」

ユージンはしばらく黙っていた。オルガはとうとうサンドイッチを食べ終えた。

「お前らってそうやって俺を口先だけで乗せようとするけどよ」

「え?」

「わかってっからな」

「なんの話だ?」

いまいち話が掴めず、オルガは瞬いた。ユージンは目を閉じて顔を伏せているので、表情を読み取ることができない。

「チャドやダンテだって……わざとらしく褒めるようなこと言ってんの、わかってんだからな……」

語尾が睡魔によって蕩けている。オルガはそれでようやくユージンの言わんとしていることがわかった。船をうまく操縦するユージンをうまく操縦するには、とにかくおだてるのがいちばん。ふたりがそんな話をしているのは耳にしたことがあるし、ユージンは実際、褒められると良い方向に調子に乗る。

「わざとじゃねえよ」

オルガはユージンの肩に手をかけた。

「まったく思ってもみないことを騒ぎ立てられるほど器用なやつらじゃないだろ、……俺だってお前のこと」

ここまで言ってから、ユージンが眠ってしまったことに気付く。夜からまた働かせる可能性があるのだから、いくらなんでもここでまた起こすわけにはいかなかった。いつも憎まれ口や屁理屈ばかり言う口はあどけなく半開き状態で、無防備なことこの上ない。

それにしたって、お互い虚勢を張るのが好きだ。たぶんこいつよりはうまくやれていると思っているが、実際のところどうなのかはわからない。オルガはユージンの肩に宛てがっていた手でするりと彼の肩を撫でた。インナーの生地はなめらかで、ユージンのからだはしっかりとした、頼りがいのある男のものだった。なぜかそれに安心して、その手を何往復かさせてから、自分はなにをしているのかと我に返る。

オルガはため息をつくと、残りの食事をすべてのどに流し入れ、トレイを持って部屋を出た。





協議の結果、結局デブリ帯は避けられないということになった。夕方になってようやく起き出したユージンは、翌日の非番を申し入れ、ビスケットに承認されると、いかにも仕方なくといった風情で椅子に座る。

「いいぞユージン!」

「また超絶テクを見せてくれ!」

「るっせえ後で殺す!」

いつものようにチャドやダンテがやんやと声をかけてくるのに、怒鳴り声で返す。チャドとダンテは顔を見合わせて笑った。賑やかになったブリッジを見下ろして、オルガはユージンの肩を叩く。

「今日はちゃんとアトラに弁当もらってきてやるから頑張ってくれ」

「言われなくてもちゃんとやるっつの」

「そうだな」

ユージンはオルガの笑った顔を見上げる。さっき部屋にこいつが来る夢を見た、ような気がするのだが、よく覚えていない。ただ、随分と都合のよいことを言われる夢だったように思う。

「なあオルガ」

ユージンはユージンの目をまっすぐに見る。金色の目が、どういうわけか優しげに細められていて、さっきの夢の続きのような気がする。

「その気にさせろよ、俺を」

「我儘かよ」

「我儘だよ」

言うと、オルガはくくく、と喉を震わせた。それから屈んで、ユージンの耳元に唇を寄せる。思った以上の近さにユージンがからだを離そうとするが、その前にオルガが口を開いた。

「お前を頼りにしてるよ」

チャドにもダンテにも聞こえないよう、声を潜める。

「ユージン・セブンスターク」

名前を呼ばれただけだ。たったそれだけだ。なのにオルガの声に込められた信頼と期待と友情がユージンの頭のなかに染み入っていく。背中を駆け上がってくる充足感に、ユージンは肩を震わせた。涙すら出そうだと、思った。





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