駅チカでバカンス(同人誌再録)









「お邪魔しますっす」
「おーよく来たな」
 しばらく会わない間に、有基はすっかり背が伸びてしまった気がする。とはいえ明るい声は変わっていない。有基のあとに入ってきた強羅さんもこちらに会釈して「お邪魔します」と笑った。手土産は地元の温泉まんじゅうで、俺はちょっとテンションが上がってしまう。これを食べるのも久しぶりだ。
 有基と強羅さんが俺たちのマンションにやってきたのは、ふたりで上京する予定ができたからだった。なんでも、VEPPerの初めてのアリーナライブがこっちで開催されるとかで、招待券をもらったふたりは黒玉湯を休んで観に来たのだという。ついでに東京に進学した先輩たちにも会いたいっす、とは、随分殊勝じゃないか。……VEPPerのついでだけど、まあ、それはそれで。
「いらっしゃい」
「有馬先輩!」
 ひょこっと顔を出した有馬にわあっと声を上げた有基は、小走りでそちらに駆け寄る。子どもみたいだ。っていうか、子どもか、有基は。有馬は微笑んでソファの方に箱根兄弟を案内する。
 しかし俺にはわかるぞ、有馬の唇は、少々ひきつっている。
 有基を部屋に呼びたいと言ったとき、有馬は言葉で拒絶はしなかったけれど、ちょっとだけ戸惑ったような顔をした。
 いやまあ、改めて訊くまでもない。たぶん有馬は有基が苦手だ。もともと有馬は自分のペースを掻き乱されるのに強い抵抗があるタイプだ。そして、有基は邪気もなく周囲を掻き乱す。俺は有基のこれにはとっくに慣れっこだが、なんだかんだおぼっちゃま育ちの有馬が有基に苦手意識を持つのは当然といえば当然だった。
「ようこそ」
 しかし有馬は箱根兄弟に向かってしっかりとそう言った。余計なことを言わないのは、有馬の美点だなあと思う。
 もっともこちらとしては有基は大事な後輩であるので、有馬がはっきり嫌がったところで呼んでたと思うけどな。
 予め用意しておいたらしい茶菓子と紅茶を箱根兄弟に出した有馬は、「それじゃあごゆっくり」と言ってキッチンに戻って行った。部屋をキョロキョロ見渡していた有基は、「はー」と感嘆っぽい息を吐く。
「広い部屋だな」
 通訳のように強羅さんが言って、俺は「そうっすよね」と頷いた。誰を招いても高確率でこれを言われる気がする。まあ、その通りとしか言いようがないんだけど。
「で、どーだった、VEPPerのライブ」
 未だに部屋を見回して「へー」とか「おー」とか言ってる有基に声をかけると、ようやくこっちに戻ってきた。
「すごかったっす! ブラザーズ先輩がこう、キラキラーっていうか、メラメラーっていうか、すごかったっす!」
「おお……」
 俺も今までの人生のなかでアイドルのコンサートに行ったことはなくて、それにしたってこいつの勢い任せの説明じゃ何一つわからない。
 救いを求めて強羅さんのほうを見ると、有基の言にうんうん頷きながら「確かにすごかった」と言うだけで、俺の理解度はまるきり上がらなかった。そういやこの兄弟はこんな感じだった。超絶ブラコンと超絶ブラコン同士、ふたりには言葉がなくても通じ合うものがあるのだろう。俺にはまったくなんにもわかんねーけどな!
「えーっと、会場どこだったんだっけ?」
 とりあえず質問でなんとかしようと尋ねると、有基は都内のコンサート会場の名前を上げた。結構なキャパがあるところだ。VEPPerは過去ギャラクシーアイドルなんて名乗っていたとはいえ、現状では関東マイナー県に劇場を持つご当地アイドルだ。それにしては随分と頑張ったんじゃなかろうか。
「何曲ぐらい歌ったんだ?」
「十五曲くらいっす」
「席は関係者席だったのか?」
「いや、最前列のチケットをもらってな」
 最前列かあ……。いいんだろうか。ギャラクシーアイドル時代がどうだったかは知らないが、現代日本で活躍する男性アイドルのファンの大半は女だ。そんな女たちに混じってこのふたりが最前列でペンライトを振っていたのかと思うと、なんとも言えない気分になってくる。周囲のファンはどう思ったのだろう。そして箱根兄弟大好き人間たるVEPPerは、そこにだけやたらにファンサービス、なんて真似しなかったのだろうか。少々不安になってしまう。
「でも、あのふたりも大きな後ろ盾もないのにすごいよねえ」
 キッチンを片付け終えたらしい有馬がこちらに戻ってくる。確かにやつらは大きな事務所に所属しているわけでもないし、有名な人間がバックについてるわけでもない。現代日本において「宇宙で人気アイドルだった」と名乗ったところで鼻で笑われるかそういう天然キャラにされてしまうのが関の山で、だからあいつらは自分たちふたりだけであそこまでのし上がってきた。
 とはいえ一度敵として戦って和解したとはいえその後俺たちはすぐ卒業しちまったしそれ以降ろくに絡みもないし、なんだか遠い世界の話だなっていうのが正直なところだけどな。大学の友達には、VEPPerは高校の後輩なのだと自慢しちまったこともあるけど、それだけだ。
 まあ、VEPPerのコンサートについてばかり話していても埒が明かない。俺は話題を変えることにした。
「それでお前、もう三年だよな。進路どーすんの」
「俺は高校出たらあんちゃんと一緒に黒玉湯やりたいんすけど……」
「だめだ」
 強羅さんが案外きっぱりとした声でそれを否定する。弟に大して尋常じゃない愛情を注いでいる強羅さんらしくもない。俺はちょっとばかり驚いてしまった。
「じゃあ強羅さんは有基を進学……させたいとかですか」
「そうだ」
 強羅あんは大仰に腕を組んだ。薪割りで鍛えた強羅さんの腕にはたっぷりと筋肉がついていて、こういうポーズを取られると結構な迫力がある。
「俺は大学なんて必要ないと思うんすけど」
 そういうわけで、このハイパー仲良し兄弟も、どうやら有基の進路については、まさかの意見割れが起こっているらしい。
「由布院くんからも説得してくれ。有馬くんも」
「え、俺らっすか」
 なんともまあこれは、強羅さんの無茶振りである。俺たちが顔を見合わせると、強羅さんが深く頷く。
「由布院くんの百点満点のテストはうちの家宝になっているからな」
「え、アレまじで家宝になってんの……」
「家宝って」
 有馬がクスクス笑い始めて、少々恥ずかしい。別に俺が家宝にしろって言ったわけじゃねえからな。有基が勝手に言いだして勝手に家宝認定しただけだからな。
 俺は話題を変えるために強羅さんの方を見た。どうせ有基が大学に行きたくないのは勉強が好きじゃないからとかそういうのだろうし、
「強羅さんはどうして有基に大学に行って欲しいんすか」
 確かに眉難高校はあのへんじゃまあまあ偏差値が高いいわゆる名門校扱いだ。生徒の大半が大学に進学する。俺の知っている限り有基は現代文はからきしだが数学に関してはもう、殆ど天才レベルの成績を持っている。まあ、大学に進学するのは難しくはないだろう。大学を選ばなければ。
「……俺は大学には行かなかったから、では理由にならんだろうか」
 強羅さんも眉難高校のOBだ。だけどたぶん、あの家は親がいないので、強羅さんは幼い有基を育てるために進学を諦めた。
「理由になるとは……思います」
 有馬が答える。俺もそう思うので、とりあえず横で頷いた。俺は不服そうに唇をひん曲げている有基のほうを見た。
「黒玉湯のためになるようなこと勉強すりゃいいじゃねえか、経営とか? マーケティング、とか? デザインとかも面白いかもしれねえぞ」
「煙ちゃん先輩たちはあんちゃんの味方っすか」
「味方っつーか……」
「俺たちもいま大学生やってるからね。つい自分と同じところに誘っちゃうのかも」
 有馬は穏やかな声でそう言った。有基は有馬のほうをじっと見つめた。それから腕を組んで目をつぶる。そういえば腕を組む方向が兄弟一緒なのだな、とどうでもいいことに気がついてしまう。
「……考えてみるっす」
 かちょっとは納得したらしい。強羅さんがほっと息を吐く。大学行くにせよ行かないにせよ、どのみち就活しなくても就職先が決まってるのは、俺としてはちょっと……いやすごく羨ましいけどな。



久しぶりに会ったからか、由布院と箱根くんの話は随分と弾んでいる。VEPPerと進路の話はすでに終わって、今は箱根くんの高校での友達が話題に上がっていた。由布院は箱根兄弟が来る前に「防衛部みんな卒業しちまって、あいつ友達いんのか?」と随分過保護なことを言っていたけれど、彼は友達の有無とか、気にしないんじゃないか。
 とはいえ僕が彼らの会話に割り込めるわけもなく、とりあえず適当に相槌を打っている。そもそも、やっぱり、箱根くんのこのまっすぐのてらいない視線は少し苦手だし。
「でも俺、煙ちゃん先輩が有馬先輩と一緒に暮らし始めたーって聞いたときはびっくりしたっすよ」
 なので、友達の話題が一段落ついたところで、いきなりこちらに話題を振られたのには少々びっくりしてしまう。僕が何かを言う前に、由布院が眉を寄せた。
「そうか? 立には意外なようで意外じゃねえって言われたけどな」
 そう言って、由布院はずずっと日本茶を啜る。俺はなんとなく嫌な予感がしていた。もしかしたら由布院もそうだったのかもしれない。一口紅茶を啜っている。
「俺は」
 たとえばこの前、阿古哉たちがあからさまにあの話題を避けていたのを、彼なら――。
「煙ちゃん先輩は、熱史先輩とずーっと仲いいと思ってたっす」
 言いかねない、だろう、こうやって、ほら。由布院はしばらくぽかんとして、それからふうっと息を吐いた。
「や、別に仲いいぞ、いまでも。たまに飲んでるし」
「そうなんすか? じゃあ熱史先輩も草津先輩も、ここに来たことあるんすか」
 いやもう、わかっちゃいたけど箱根有基は相変わらずどこまでも素直にダイレクトアタックしてくる。由布院はこちらを見た。俺はどうするべきかと思ったけど、首を横に振った。そうするしかないだろう。
 由布院ははあ、とため息をつく。
「ないけどそれは別に、予定が合わなかったってだけだから」
 はっきりと言ってしまえばこれは嘘だ。俺たちは鬼怒川や錦史郎のことをこの家に誘ったりはしていない。だけど箱根くんは由布院の言うことをすんなりと信じた。
「……そうなんすか」
 ちょっと、釈然としてないようだったけど。由布院は少しだけ罪悪感に駆られたのか、ふーっと長く生きを吐き出す。
「お前、熱史と草津が付き合ってんのは知ってんだよな?」
「っす」
 箱根くんはこくんと勢い良く頷いてた。横で強羅さんもうんうん、と頷いている。どうやら彼らにもすっかり周知されているらしい。男同士だからといってどうこうと言わないところが愛を標榜する彼ららしい。
 由布院は続けて質問をする。
「じゃあ草津が俺と熱史が仲良くしてたのを嫌がってたのは?」
「……みたいっすね」
 あのときの話も、箱根くんはしっかり聞いていた。由布院は頷いて、いかにも自分は当然のことをしていますって顔をした。
「だからまあ、あのふたりの円滑なお付き合いのために俺は」
「それはおかしくないっすか?」
 由布院はまだ喋ってる途中だったのに、箱根くんにきっぱりと遮られてしまう。その目がいつものあの、怪人を倒すときのような有無を言わさないって感じのそれで、由布院は口をつぐんでしまった。
「煙ちゃん先輩が熱史先輩と親友なのも含めて熱史先輩じゃないっすか。どーして煙ちゃん先輩が草津会長のために熱史先輩と会わなくなる必要があるんすか」
「どーしてって、そりゃ……」
 由布院は頭をかいた。すっかり反論に困ってしまっている。おまけにチラチラこっちを伺ってきているけれど、これは俺にも助け舟は出せない問題だった。
 俺たちが錦史郎や鬼怒川をこの部屋を呼んだらどうなるのだろう。たぶん、実際のところ、どうにもならないとは思う。きっと俺たちの関係も暮らし方もなにも変わらないはずだ。だけど俺の――俺たちのテリトリーにあの二人を入れることを躊躇ってしまうのは、俺たちのなかにまだあの二人に入ってほしくない場所があるからだった。まだ、そこまでの余裕を持てていないのだ。
 あの寒い日に、狭い部屋でふたりでインスタントラーメンを食べたあのときの寒さを俺たちはまだ、忘れられていない。
 錦史郎は俺の親友だし、鬼怒川は由布院の親友のはずなのに、怖い。あの二人をここに入れて、俺たちの気持ちがどう変わってしまうのかが、怖い。
「怖くないっすよ」
 ふと箱根くんは、俺が考えていたことを汲み取るように声を上げた。
「煙ちゃん先輩たちがどうして熱史先輩たちをどうして呼ばないのかは俺わかんないすけど、熱史先輩たちは怖くないっすよ、怖いわけないじゃないっすか」
「わかってるよ」
 由布院がそれに返事をする。
「んなこと、わかってんだよ……」



 箱根兄弟は十二分に俺たちの頭のなかをかき回して群馬に帰っていった。VEPPerのコンサートの感想から熱史たちを家に呼ばないことまで、もちろん有基は可愛い後輩のひとりではあるけれど、今日の会話はいつも以上に頭を使わされた気がする。
 熱史たちは怖くない。そりゃそうだ。当たり前だ。熱史も草津も生真面目で頭のいい気のいい奴らだ。いや気のいい、っていうのは言い過ぎかもしれねーけど(特に草津は俺に当たりが強いし)、悪いやつらじゃない。そんなこと、俺たちが世界でいちばんよく知っている。
「寝ないの」
 ベッドの上に座ってスマホをいじっていると、風呂から出てきた有馬が髪をタオルで拭きながら尋ねてくる。ときどき有馬を待たずに寝ちまうから、それについては悪いと思ってるんだけどな。
「寝るよ」
 明日も普通に授業はあるし、俺は夜更かしするくらいなら寝たいほうだ。別に長々起きているつもりはない。
 有馬は俺の隣に腰を下ろしてスマホの画面を覗き込んでくる。パズルゲームをしていただけなので見られるのを嫌がるのもめんどくさくて、そのままにしておく。
「よく飽きないね」
「暇つぶしにちょうどいいだろ」
 有馬はすぐに興味を失って、髪だって濡れたまんまごろんとベッドに寝転がる。髪の量が多いから乾かすのに時間がかかって嫌いなんだ、と有馬が言い出したとき、俺はちょっとだけ笑ってしまった。有馬のちょっとしたダメなところを見るのがすっかり楽しくなっている。
 俺はその提案をするべきか、有馬が風呂に入っているあいだずっと迷っていた。だけど、いずれしなければいけないことだという自覚もあった。息を吸って吐いて吸って、それからようやく口に出す。
「――いい加減熱史と草津も呼んでみるか?」
「そうだね」
 俺の提案に、有馬がすぐに頷く。その即答っぷりに、これはたぶん俺が言い出さなければ有馬が言い出したのだろうなと思った。
 それは俺たちの間で、長いこと消えない小さな引っかき傷のようなものだった。俺はため息をつく。
「まあ、熱史にせよ草津にせよ、呼ぶまで押しかけてきたりしねーのは、あいつららしかったな」
「……うん」
 熱史と草津。あいつらもこの東京の大学に進学して、それぞれひとり暮らしをしている。にも関わらず、俺たちは高校を卒業してたった一年で、親友たちと会う頻度をすっかり減らしてしまっていた。
 あんなことは気にしないで、普通に友達として接していればよかったのかもしれない。だけど俺は老け顔だなんだと言われてるくせに結局ガキで、それがうまくできなかった。たぶん有馬も。違う大学に進学したのをきっかけに……いや、言い訳に、俺は熱史と、有馬は草津と距離を取るようになってしまった。
「まあ」
 俺も有馬の横にごろんと横になる。有馬のベッドは俺が持ってた通販サイトの底値のベッドの何倍も寝心地がいい。おかげで寝転がると一瞬で睡魔がやってくる。
「……あいつらはたぶん仲良くやってるんだろうけどさ」
 俺の声は自分でもわかるほどぼんやりとしていた。有馬がそうだね、と相槌を打つ。俺はそれきり有馬がなにを言っているのか全然聞いていられなかったけど、有馬の指先が自分の手をするりと撫でたのだけは理解していた。


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