boueibu

今度東京や大阪でライブをするから出てほしいのでチュバチュバ。そんな要請をピンク色のウォンバットから受けたのはひとつきほど前のことだった。なんでも、「ギャラクシー・アイドル」らしいVEEPerならともかく、一介の高校生に過ぎない防衛部や僕ら生徒会までライブをするとはどういうことだ。意味がわからない。そんなことを言っていると、ウォンバットは続けて説明をしてくれた。なんでも、知らぬ間に「地球滅亡できるかな?」に出演させられていた僕らにも、宇宙にはファンがいるらしい。特に防衛部はVEEPerとの最後の攻防で少し歌って踊ったことがあり、ライブを望む声が多かった。それならばカエルラ・アダマスも出演させたらどうだ、という話になったのだと言う。
 気が進むわけもない。おまけのような扱いでライブをさせられるなんてたまったものではなかった。防衛部だって、こんな提案願い下げだろう。と思っていたのだが、あとで話を聞くと、防衛部たちはそれに出ると言う。あの怠惰な由布院までもだ。そしてあっちゃんに「一緒に出よう」と誘われたら、もう僕には断ることが出来なくなっていた。
 さて、そういうわけで僕らも曲と振り付けをもらい、それぞれ練習がはじまった。僕たち生徒会は三人で歌う曲が二曲と、それぞれのソロ曲が一曲ずつ。防衛部、あるいはVEEPerに比べれば負担も少なく、まあ、生徒会の仕事をしながらでもこれくらいならなんとかこなせるだろう、といった練習量だった。
 さて、事件は有馬のソロ曲の練習中に起こった。有馬のソロ曲は決して激しいダンスがあるわけではないが、大きく脚を広げる箇所がある。有馬はもともとダンスが大得意というわけではなく、実際振り付けを覚えるにもかなりの苦労をしていたが、なんとかそれも乗り越えて、あとは所作を美しくしていこうという段階だった。
 そんな中で、有馬はぐい、と大きく股間を開いた。その瞬間だった。――正直に言うと、僕やあこやのほうに大きな音が聞こえたわけではない。だから僕らは最初、なにが起こったのかわからなかった。ただ、有馬がそこでぴたりと動きを止めた。顔色が悪い、といぶかしく思ったところで、有馬が脚を閉じて、そして、左手をからだの後ろのほうに持っていく。やけに厳かなメロディの有馬のソロ曲の伴奏は、もちろん流れたままだ。
「どうした」
 聞くと、有馬がゆるやかに首を振る。
「……破れた」
「なにがだ」
「制服……」
「制服?」
 そう、有馬の白いスラックスは、尻のところが避けて、外から有馬の下着が見えるような状態になっていたのである(ちなみに、有馬の下着の色は濃い緑色だった)(……いや、なにを見ているんだ僕は)(そもそも一緒に何度も温泉に行っているのだから、下着だって初見ではないのに)。僕が色々と考えているあいだにも、有馬の顔は見たこともないくらいに赤くなっていた。有馬でも恥じ入ることがあるのか……と少々感慨深く思っていると、その有馬がいつになく小さな声で「きんしろう」と僕の名前を呼んだ。
「俺の教室のロッカーにジャージ、入ってるから……取ってきて、くれないかな」
 有馬が僕に頼み事をするのは珍しかった。いつも余裕ぶった表情と口ぶりの有馬がいつになく照れているのも珍しかった。僕は思わず口元が緩んでしまうのを抑えながら、「わかった」と答える。さすが有馬の頼みを断るわけにはいかなかった。僕が生徒会室を出るためにきびすを返すと、背後で阿古哉がようやく音楽を止め、それから有馬をからかう声が聞こえてくる。
 そして有馬は、午後から帰宅までを紺色のジャージ姿で過ごすことになったのだった。

翌日僕は、いつもどおり車で登校すると、教室に向かった。今度ひさしぶりに弓道場に練習場に行きたい……などと考えながら教室に入る。
「あ、おはよう錦史郎」
 真っ先にこちらに声をかけてきたのは、有馬だった。いつものことだった。それで僕も「ああ、おはよう」と応じて、ようやく気がつく。
 有馬は、教室の他の生徒と同じ、黒いブレザーを着ていた。理由は問うまでもないだろう。有馬は昨日生徒会だけが着られるあの白い制服を破ってしまった。繕ってもらうにせよ、一晩ではできなかった、ということか。いや、そんなことより言わなければならないことがある。
「有馬、ネクタイはどうした」
 眉難高校の一般生徒の制服は、上下黒いブレザーに白いシャツ、えんじ色のネクタイ、というものだ。気温に合わせて着こなせるよう、カーディガンやベストも用意があるが、なんにせよネクタイは必ずつけなければいけない。それが今日、有馬の首元には巻かれていなかった。
 有馬はばつの悪そうな顔をして、頭を掻いた。それからこちらから視線を反らす。
「実はこっちはしばらく着てなかったからどこかにいっちゃったみたいで……」
 僕は不満を隠さなかった。言い訳じみたことを言う。まったく、だらしのないやつだ。僕の周りでネクタイをしないのは由布院か、あるいは箱根有基だけで十分だった。有馬までネクタイをしないなんて。
 ため息をついて僕は教室を見回す。有馬までこの黒いブレザーを着てしまうと、教室で白い服を着ているのは僕だけになってしまう。教室で浮いているとか浮いていないとかは心底どうでもいいつもりだが、少し落ち着かなかった。
「まあ、今日一日だけだから許してよ」
 開き直ったように、有馬が笑う。ふだんの制服からは見えない有馬の鎖骨がシャツの首元から見えて、僕はため息をついた。まったく嘆かわしいことだと思う。

クラスメイトや教員から「有馬は今日はこの制服なのか」といじられながらも、有馬はその日一日をいつもどおりにこなしていた。へらへらと「昨日汚しちゃって」「白いと汚れが目立っちゃって」などと嘘をつきながら。
 彼らの会話に割り込んで、それは嘘だ、有馬は踊りの練習で、勢い余って制服の尻の部分を破いてしまったのだ、などと言うわけにもいかず、僕は黙っている。だがいっそ、言ってみたい、とも思ってしまう。
 言ったら、クラスメイトや教員たちは、どんな反応をするだろう。そして、有馬はどんな顔をするだろう。昨日、制服を破った直後、顔を真っ赤にしていた有馬を思い出す。第三者がいるぶん、きっとあれ以上に恥じらうだろう。それを想像すると、実際に有馬の嘘を暴いてしまいたい気持ちになってくる。
 …………なにを考えているんだ、私は。有馬が嫌がるようなことはするべきではないし、あのような嘘は許容されて然るべきだろう。しかも、有馬が恥ずかしがるところを見たいから会話を中断させて彼の嘘を弾劾したい……など、あまりにたちの悪い考えではないか。僕はクラスメイトと笑い合っている有馬のほうにふたたび視線を移した。なにかを言い合って、笑っている。
 どういうことなのだろう。有馬は彼らと同じ制服を着ている。いつも有馬は白い制服を着ているおかげで教室でも廊下でも見つけやすかったが、今はどうだろう。……今も有馬はよく目立つ。身長も大きく、物腰だって他と比べれば圧倒的に上品で、それに顔立ちだって――。
 なんだか今日はらしくないことを考えてしまう。それはおそらく有馬のせいだった。有馬のことを思うと、ほんの少し胸のうちが、ふわりとあたたまるような気がするようになってしまった。これはどういうことなのだろう。次に登校して、有馬が白い制服に戻ったとして、この気持ちが変わることがあるのだろうか。
 こんな気持ちは普通じゃなかった。頭がくらくらしてくる。いったいどうして、こんなことになってしまったのだろう。
「錦史郎、どうしたの?」
 僕の視線に気づいた有馬が声をかけてくる。答えようと思うのに、うまく声がでなかった。この気持は、いったい、なんなんだ。誰か教えてくれないだろうか。有馬は、教えてくれるだろうか。
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