boueibu
「ソロ曲はひとりずつ練習しない?」
そう提案してきたのは有馬だった。僕はそれに飛びつくような気分で「そのほうがいいな」と言った。……たぶん僕のソロ曲が誰へ向けての歌なのかは有馬、そしてそれ以外の皆にも察されているが、だからと言ってあれを人前で、特にあっちゃんの前で歌うのはあまりにも恥ずかしい。有馬はそれをわかっていて、言っているのだろう。
「えー、どうせ大勢の観客の前で歌って踊るんですよ。今から人前でやれなくてどうするんですか」
阿古哉ときたらどうどうとしたもので、少し不満げだ。すると有馬が小さく首を傾げて阿古哉のほうを見る。
「それなら阿古哉の練習は見に行ってあげるよ」
「…………」
阿古哉は有馬をしばらく無言で見つめて、それからため息をつく。
「好きにしたらどうですか」
まあ、そういうわけで、僕たちはソロ曲はひとりでレッスンを受けることになったのだった。
振り付けの先生からは、あのとき――あっちゃんと疎遠になって、なのにもう一度近付きたくて仕方がなかったときの気持ちを思い出せ、と再三言われていた。最近ではあっちゃん(と防衛部の面々)とは段々わだかまりのないやりとりができるようになっていたのですっかり忘れていたが、あの時の僕は思いつめるあまり地球を征服しようと考えてしまうほど、あっちゃんを僕の隣に取り戻したかった。
もっとも今も、完全に昔と同じ関係に戻れたわけではない。あっちゃんの隣には由布院がいて、しかも僕とより何倍も気安い関係になっている。僕の隣には……有馬と、阿古哉がいる。
今日はソロ曲を練習することになっていた。僕たちはレッスンスタジオのかわりに教室を借りている。先生から送られてきた振り付けのビデオをスマートフォンで何度も再生しては真似をしてみて、僕はため息をつく。
あっちゃんにライブ参加に誘われたとはいえ、これをあっちゃん本人の前で歌って踊らなければいけないというのは、かなり精神を摩耗するだろう。今はひとりだから、まだしも。
「イオのステップが」「煙ちゃんは投げキッスをする」、この前あっちゃんはおかしそうに笑ってそんなことを言っていた。防衛部はソロも皆で練習しているらしい。おそらくは、VEPPerも。
有馬や阿古哉はどのような踊りになっているのだろう。あの時の阿古哉の自信満々な表情からして、阿古哉のそれは彼が気に入る振り付けだったに違いない。有馬は――、あまり想像がつかない。三人での曲ではそれなりにそつなく踊っていたように見えたけれど。
有馬や阿古哉も同じくどこかの教室を借りて練習しているはずだ。自分のそれはともかく、見てみたいな、と思った。
しかし僕はかぶりを振る。それは自分のパフォーマンスが完璧になってからのほうがいいだろう。人のものを見るのならば、自分も人に見せられるクオリティまで仕上げなければ。
*
僕ら生徒会のグループ曲やソロ曲の振り付けを担当した先生は、順番に僕たちの教室を回って指導してくれている。しかしながら、第一声が「草津くんがそこにいるつもりで踊りなさい」だったのには閉口してしまった。それが意図されたダンスであることはわかっているのだ。歌詞の中の「あなた」が誰であるのか、誰にだって明確だろう。たぶん、本人を、除いて。
だからこそ僕はひとりで練習することを進言したのだった。どうせ錦史郎も賛同するだろうとわかっていた。二対一になれば阿古哉だって頷くだろうし、と打算して。
「恥ずかしがってもしょうがないでしょ」
先生はため息をついた。
「……はあ」
「キャパ千八百人だったっけ?草津くんに見られるどころの話じゃないんだから」
僕としては千八百人に見られるより、錦史郎ひとりに見られるほうがよほどメンタルに来る。たぶんそれは錦史郎もそうだろう。いくら鬼怒川に自分の気持ちは理解されていたとしても、それをそのままストレートに表現しなければならないなんて。
「じゃあもう一回、一番だけやってみようか」
「はい……」
本当は踊りだって得意じゃない。僕のはあまり激しいものでないけれど、それにしたって。
前奏を聞きながら僕は立ち上がる。お望みとあるならば、か。
僕はお望みとされているのだろうか。
「有馬先輩!」
歌い終わったところで声がかかった。振り向くと、防衛部の蔵王くんがドアの前に立っていた。ジャージにTシャツ姿で、彼もまた練習中だったのだろう。
「強羅さんから差し入れがきたんで皆呼んでくることになったんすけど、あと会長と下呂はどこにいますか?」
「あ、ああ、だったらふたりは僕が呼んでくるから、先生と先に行ってて。そっちは体育館だよね?」
「はい」
見られていたのだろうか。見られていたのだろう。曲が終わったタイミングで声をかけてきたのだから。まあ、それは仕方がない。いずれ誰かに見られるのだから。蔵王くんはしばらく黙っていたが、いきなり親指を突き立てた。
「愛……っすね!」
「はは」
笑ってごまかそうとすると、先生が身を乗り出してきた。
「そう、愛なんだよ!」
このふたり、たぶん気が合うんだろうなあ。というか、蔵王くんはたぶんだいたいのひとと気が合うタイプだ。僕は板挟みにされた気分でふたりの間をすり抜ける。
「じゃあ、阿古哉と錦史郎のところ行ってくるから」
「急がないと有基とVEPPerが全部食っちまいますからね!」
蔵王くんに向かって頷いて、ひとまず廊下を早歩きする。愛ってなんなんだ。なにもわかってないんだ、ほんとうは。とにかく、阿古哉や錦史郎のところにつくまでに、顔が熱いのをどうにかしたい。
*
呼びに来た有馬さんと、草津さんが練習している教室に向かって廊下を歩く。たしかに今はお昼が近くて、差し入れを食べるには絶好のタイミングだった。
「先に行っててもいいのに」
「草津さんの練習、ちょっとだけ覗いてみたいじゃないですか」
有馬さんもそう思うでしょ、と笑うと、「どうかな」とはぐらかされてしまった。有馬さんにありがちなことといえばありがちなことで、僕もそこに突っかかろうとは思わなかった。
「阿古哉のダンスも凄かったね」
「でしょう。これからもっとよくなりますから」
これについては自信がある。ど素人の防衛部は勿論、ギャラクシーアイドルVEPPer、にだって、僕の美しさは負けていない。いやむしろ、圧勝だと言ってもいいだろう。有馬さんは「羨ましいなあ」と笑う。
「有馬さん、そんなに自信ないんですか?」
「自信がないというか」
「歌詞ですか?」
「まあ」
有馬さんは珍しくきちんと肯定してくれる。
会長のソロ曲の歌詞もたいがいだけど、有馬さんのソロ曲の歌詞もなかなか大問題なのは、周知の事実だった。気がついていないのは歌詞の中の「あなた」自身、つまり会長だけ、だろう。たぶん(箱根有基あたり、気付いているかいないかちょっと微妙だけど)。
「でも、あの錦史郎がライブに出たいって、言うならね」
僕はたぶん、オファーさえあれば自分一人でだって出ていた、と思う。それが有馬さんとは違うところだった。
廊下の向こうから、かすかに草津さんの声が聞こえてくる。僕はその教室に駆け寄って、引き戸についた窓から教室の中を覗いてみる。
自分自身を抱くようにして、切実な声で、草津さんは「君」に向けて歌っている。
追いついてきた有馬さんのほうを見るけれど、案の定というかなんというか、彼はまるで表情を変えていなかった。
「終わるまで待とうか」
草津さんのソロ曲は、なんだかこちらも悲しくなるようなメロディーで、僕達はしばらくの間それに耳を澄ませる。曲が終わってからやや待って、それから有馬さんはようやくドアをあけた。
まるで草津さんが歌っていたのなんか、聞いてないってふうに(僕のときはためらいなく教室のドアをあけたのに)。
「錦史郎、強羅さんが差し入れ持ってきてくれたって」
「あ、ああ」
スマートフォンを見ていた草津さんが顔を上げる。
「早く行かないと食べられちゃうんじゃないですか」
「取っておいてくれるでしょ」
「どうだか。庶民はお腹が空いてたらすぐ食べちゃうんじゃないですか」
「錦史郎?」
「すぐ行く」
草津さんも足早に教室を出て来る。
「阿古哉のソロ、今度よく見せてよ」
「有馬さんのソロを見せてくれるなら構わないですよ」
「うーん、阿古哉だけにならいいかな」
なんてね。有馬さんはそう言ってやんわりと微笑む。僕はなんとなくそれに腹が立ったので有馬さんの脇腹を軽く小突いた。後ろを歩いていた草津さんは「仲がいいな」とぼやくように言った。
そうなんですよ僕ら仲がいいんです。
なんて、ちょっと、言ってみたい。だけど僕らはそれをしっかり肯定せずに笑って、「はやく体育館に行かないと」と答えてみる。
*
個人練習から一週間したところで、ソロ曲をお互いに見せ合おうという話になった。なんとかして断りたかったものの、防衛部がそうするのに僕らが見せないわけにもいかなかった。阿古哉は「全員ひれ伏させます!」などと張り切っていて、それを見ると少し勇気が出る。ような、気がする。
箱根有基の無邪気な演技、由布院の気だるげな声、あっちゃんのスタンドマイク、鳴子硫黄の複雑なステップと蔵王立の卒のないパフォーマンス。防衛部も短期間で見られる演技を作ってきた。
「じゃあ次は……」
由布院がこちらを見て、それからあっちゃんに目配せする。そういうお膳立てをしようとしてくるところが少し腹が立つけれど、そんなことを考えてはいけない。――いや。
あの頃はもっと由布院に苛立っていた。なにもかもが気に入らなかった。
「きんちゃん、頑張って」
あっちゃんの励ましに頷いて、僕は立ち上がった。
とにかく夢中で歌って踊ったので、最中のことはよく覚えていない。ただ、あっちゃんは少し顔を赤くしていた。
「……、当時は、こう思っていたってだけで」
言い訳じみた言葉だった。それに、あっちゃんのことを天使だ悪魔だと思っていたのが以前のことだとしても、それはそれで恥ずかしい。
「きれいな曲っすねえ」
箱根有基はウンウン、と頷いている。褒められるにせよ貶されるにせよ恥ずかしいもので、僕は逃げるようにそばにいた有馬の背中を叩いた。
「次は有馬だろう」
「そうだね」
有馬はこっちも見ないで立ち上がった。
僕の歌も僕らがカエルラ・アダマスだった頃の心情を歌ったものだったが、有馬の歌もまたそれだった。そうは見えなかったけれど、有馬はここまでズンダー(かつては様、をつけて呼んでいたな)に忠誠を誓っていたのだと思い知らされて感慨深い。
有馬が前に立つ。この中でもっとも長身の有馬は、こうして見上げるといつもは感じられないような存在感があった。
「曲流すぞ」
由布院が声をかけてくる。有馬が小さく頷く。重たいほどの前奏だ。僕たちは有馬燻の一挙一動をただ見つめている。有馬の、もう相手を失ったはずの忠誠心は、しかしこちらに迫ってくるような迫力があった。
「あなた」と語りかける有馬の瞳には、これまで見たことのない苛烈さがあった。
なぜだか胸がひりつくような感覚があった。有馬が跪き支え見守ろうとする「あなた」。ズンダー。羨ましい、とも違う気がする。その、目で。僕も。僕、を。
やっぱり愛っすねえ、と蔵王立が声をかける。「やめてよ」などと嫌がるようなことを言いながら苦笑する有馬は、さっきと同じ位置、僕の隣に座った。
「阿古哉のうた、楽しみだよね」
「そうだな」
「前にちらっと見たんだけど、難しそうなダンスだったな」
後輩が小道具の椅子を用意するのを眺める有馬の目には、さっきの色はもう残っていなかった。もう一度僕の前で、僕だけの前で歌ってやくれやしないだろうか。しかしそんなことを言い出せるはずもなく、僕は阿古哉の準備ができるまで、ぼんやりと黙ったまま待つことしかできなかった。
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