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boueibu

草津錦史郎は、由布院煙のことが憎い。

あのだらしのない制服の着こなし、覇気のない目、しまりのない表情、授業をほとんど寝て過ごしてはノートや課題を人に頼るやる気のない態度、けだるい声、そのくせあの長身でこちらを見下ろしてくるようなところ。だけどなにより由布院が草津の神経を逆撫でするのは、草津の幼なじみでかつての親友である鬼怒川熱史と仲がよく、ましてや何から何まで世話を焼かせていることであった。
そもそも鬼怒川と草津が疎遠になった原因も、由布院にあると言ってもよかった。あれは四年か五年前だったか、草津は鬼怒川を家に誘ったのに、鬼怒川はそれを断って、あろうことに由布院と肩を並べてチェーン展開しているカレー店へ向かったのだ。それが不満だった草津はその後から鬼怒川を避け、逆に鬼怒川は自然と由布院との距離を詰めていった。
由布院さえいなければ、と思う。いま自分の隣にいるのはきっと鬼怒川熱史のままだった。生涯の友人として、喜びも悲しみも怒りも共有できていただろう。
由布院、さえ、いなければ。
「人を呪わば穴二つ、って言葉、知ってる?」
不意に有馬にそう言われて我に返る。振り向くと、彼はこちらを見もしないでさっき命じた書類の仕分けをしている。
「……なんだ、いきなり」
「声に出てたよ」
有馬はやはりこちらを見ない。こちらとの雑談より作業を優先しようということだろう。
「……くだらない」
草津はそう一蹴すると、自分も判を押すべき書類に向き合うことにした。有馬もそれきり黙ってしまう。
それでもやはり由布院煙などいなくなってしまえばいいと思う。









「錦史郎様、お電話です」
制服の襟元のフックをとめたところで、使用人が声をかけてくる。こんな朝早くに、なんて不躾な、いったい誰が。早くも心を波立たせながら、草津は受話器を受け取った。
「朝早くにごめんなさい、錦史郎さん」
急くような、しかし丁寧な電話越しの声は、草津も顔見知りの、有馬の母親だった。有馬自身も基本的にはおっとりした性格をしているが、母親はそれに輪をかけておっとりした、上品な女性である。その彼女が焦ったような声を出すのを、草津は初めて聞いた。嫌な予感に、草津は目配せしてこちらの使用人を下がらせ、先を促す。
「燻は、そちらにおりますか」
「……いえ」
「……そうですか、ありがとうございます、錦史郎さん」
「あの、有馬……燻くんに、なにか」
草津はそう尋ねたが、こんな質問をされて状況がつかめないようなばかではなかった。
「今朝から、あの子の姿が見当たらないのよ」





既に学校には有馬が行方を消したことは伝わっていた。草津が登校し席についたところで、教師が声をかけてくる。
「草津、ちょっといいか」
もちろん断ることはしないで立ち上がると、応接室に連れて行かれた。中に入ると、ソファには見たことのない男たちと、その向かいには、
「……錦ちゃん」
鬼怒川熱史がいた。
草津は教師に促されるまま鬼怒川の隣に座る。数年ぶりに、こんなに近くに彼がいる。不覚にもどきりとしてしまうが、顔には出てやしないだろうか。
向かいに座った男たちは、胸ポケットから黒い手帳を取り出した。警察だ。草津は自分がこの部屋に呼ばれた理由を悟った。
「××県警の者です。お二人をお呼びしたのは、今日の未明から行方がわからなくなっている、有馬燻くんと由布院煙くんにいちばん親しい友人だと聞いたからなのですが」
草津はここではじめて、有馬だけではなく、由布院までもが消えてしまったことを知った。警察は淡々と経緯を語る。有馬は昨日の夕方帰宅して部屋に戻り、それから行方が知れなくなっていること。由布院も帰宅してから忽然と姿を消している。同じ日の同じ時間帯に同じ高校の三年生が姿を消す。確かに、無関係とは思えない。
「昨日は由布院くんとは一緒に帰りました」
鬼怒川はぽつりと語った。いつもの「煙ちゃん」呼びをしなかったのは、警察が相手だからだろう。草津はそんな小さなことにさえ気づいてしまう自分に嘆息する。
「俺たちはよく、黒玉湯……あの、この階段の中腹にあるあそこです、あそこに寄ってから帰るんですが、昨日もそうして、そこで後輩たちと別れてふたりで帰りました」
警察官はそれを手帳にメモした。草津は鬼怒川の話を聞きながら、鬼怒川と由布院の仲の良さを思い知らされ、憎々しい気持ちになった。
「いつも通りだったと思います。いつも通りでした。どうでもいい話題で盛り上がって、いつもの交差点で別れました」
「なるほど」
刑事はノートになにごとかを書き込みながら頷いた。
「草津くん、だったね。有馬くんは昨日どうだったかな?」
彼は今度は草津に視線を移した。草津は昨日のことを思い出す。
「昨日は、生徒会で共に書類の整理をしていました。それが終わってから、やはりふたりで帰りました。変わったところはなかったと思います」
変わったところはなかった。しかし有馬は自分の感情をまるで表に出さない。もしなにか思い詰めることがあっても、わからなかったかもしれない。いや、そもそも彼がなにかに追い詰められるような思考回路を持っていないような気すらしてくる。有馬は苦手なかたつむりのこと以外では、ほとんど感情を揺らさない。かたつむり、以外では。
「わかりました、ありがとうございます。ところで、有馬くんと由布院くんは、最近仲がよくなったとか、そういうことはありましたか?」
「それはない」
草津は思わずいつになく鋭い声を上げ、それから我に返った。
「……と、思います」
有馬まであの堕落した男のそばに行くなんてありえない。草津はため息をつく。
「俺も、由布院くんと有馬くん、が仲良くしているところは、見たことないです」
鬼怒川も首を横に振る。警察はまたなにごとかを手帳に書き込んだ。それからまたいくつかの質問をされ、ふたりで答えていく。あれだけ由布院にべったりだったのに、鬼怒川は妙に淡々と語る。草津も似たようなものだ。まだお互い由布院や有馬が消えたということを飲み込めていないのかもしれない。
「お時間を取らせてしまいましたね」
最後に警察官はそう言って頭を下げた。鬼怒川と草津はかぶりを振る。
「由布院くんと有馬くんは戻ってくるでしょうか」
「尽力します」
鬼怒川の質問に警察官は力強く頷いた。それでこの取り調べは終わりだった。鬼怒川と草津は応接室を出され、入れ違いに担任教師が入っていく。
「……有馬くん、も、いなくなってたんだね」
鬼怒川がぽつりと話しかけてくる。草津は鬼怒川のほうを見て、それから目をそらした。彼が自分に向けた言葉を発していることが、どうしようもなく、嬉しいと思ってしまった。こんな非常事態なのに。眉難高校に、危機が迫っているというのに。
「……私も、今朝知った」
出来る限り感情は隠さなければ。草津はできるだけ平坦な声になるように心がけながら、そう言った。
「煙ちゃんと有馬って、俺の知らないところで仲良かったのかな……」
「まさか」
「煙ちゃん、なんか悩んでたのかな……」
そんなこと知ったことか。草津はそう思いながら、鬼怒川を見た。
「そのうち戻ってくるだろう」
「うん……」
昔のように会話できている。
やはり由布院は、消えるべきだったのだ。



……やはり?



「ねえ、いい加減起きてよ」
その声ははっきりと聞き取れていたけれど、由布院は頑なに目を閉じていた。せっかく心地よく寝ているのに、ここで起こされてたまるものか。
「由布院」
名前を呼ばれる。煩わしいので、そちらから逃げるように寝返りを打つ。
「起きてるだろ」
ばれてしまった。それでも目をつぶっていると、耳を掴まれて、そのまま思い切り引っ張られた。
「いっ」
思わず声がでてしまう。こんなことをしてくるのは誰だ、少なくとも家族ではない。熱史や、地球防衛部の後輩たちでもない。由布院はそれを確かめるためについに目を開けてしまった。
「あ、やっと起きた」
広がっているのは、真っ暗な世界だった。しかしどういうわけか、目の前の男の顔だけは、明るい部屋にいるときのようにしっかりと見ることができた。
「有馬」
生徒会副会長の有馬燻、だ。一年のとき同じクラスだったような気がするけれど、特に仲が良かったわけではない。やたらに草津と連れ立って歩いている、いつもにこにこしている、同じ学年の男。名前と顔と、それくらいのことしか知らない。なんでこいつがこんなところにいるんだろう。
「なに、ここ」
「僕にもわからないから君を起こしたんだけど」
「起こされても俺もさっぱりわからないんですけど」
「だよねえ」
由布院は上半身を起こしてぐるりと辺りを見渡すが、広がっているのは真っ暗な世界だけである。上も下も横もない。ここがどれくらいの広さなのかもわからない。
自分のかっこうを見下ろすと、いつも寝間着に使っているスウェット姿だった。有馬も水色のパジャマを着ている。金持ちっぽい。バスローブとかじゃなくてよかった。しかし、ますます意味がわからない。仕方なく由布院はからだを起こした。
「はあ……」
ピンクのウォンバットがやってきてからというものの、妙に非科学的なことばかり起こる。これも怪人によるなんらかの効果で、有馬はそれに巻き込まれてしまったのだろうか。それなら彼もとんだ災難だ、由布院は有馬を気楽に憐れんだ。
「落ち着いてるね」
有馬は、自分自身も妙に落ち着いた声でそう言った。
「ここならずっと寝てられそうだしな」
「夢だと思ってる?」
「まあ、現実的じゃないわな」
有馬はやんわりと微笑んだ。落ち着いているのはお前のほうだろう、と由布院は思った。
「まあ、縁あってふたりで閉じ込められちゃったわけだし、仲良くしようよ」
「は、どんな縁だよ」
思わず由布院も笑ってしまう。しかし確かに有馬の言うとおりだ。こんなところに閉じ込められて、ふたりきりになってしまった相手と、言い争いなんてするべきじゃない。なにより、面倒だ。





煙ちゃんと有馬が消えて三日が経った。初日こそ落ち着きのなかった校内も、いまはだいぶ平静に近づいている。それでも俺は落ち着かない気持ちだった。学校なんかサボって煙ちゃんを探しに行きたい。手がかりなんかなにもないけど。
なぜ、有馬と消えたんだろう。煙ちゃんは俺の知らないところで有馬と仲良くなって、……ふたりでいたところでなにか事件に巻き込まれたのか、もしくは、……示し合わせて、どこかへ行ってしまったのか。どちらにせよあまり考えたくはなかった。どうして俺じゃなくて、なんて、考えてしまう自分が嫌だ。
「熱史先輩、大丈夫っすか?」
「うん、ありがとう」
「あまり大丈夫そうには見えませんが」
「はは……」
あのあと俺と錦ちゃんは何回か警察に呼ばれて質問をされた。だけど俺はなにも知らない。首を横に振ることしかできない俺は警察と自分自身をがっかりさせるばかりだった。錦ちゃんと前みたいに話せるようになったことは嬉しいけれど、純粋にそれを喜んでいる場合じゃない。
三日ぶりに顔を出した部室で、俺は後輩たちも順番に事情聴取されていることを知った。いまは立が呼ばれているところだ。
「煙ちゃん先輩、いつも通りだったっすよね」
「私にはそう見えましたね」
「じゃあ……事件に巻き込まれたんすかね、煙ちゃん先輩」
いつも溌剌としている有基に元気がないと、部室が暗く感じる。俺もつられてため息をつきたくなった、そのとき、部室のドアがあいた。これまたため息をつきながら入ってきたのは立だ。
「お疲れ様です、立」
「お~」
立はよろよろと部室に入ってきて、いつもの席に座る。
「なに訊かれてもなんも答えられなくて参ったわ……」
疲れたから今日のデートは断った、と立は言う。立がデートを断るなんて相当だ。
「生徒会の下呂のやつも一緒だったんだけど、あいつもなんにも答えられてなかったな。副会長のこと」
「あの二人が一緒に消えるというのが不可解ですよね」
硫黄も、今日は取引は休業らしい。ノートパソコンを閉じてため息をついた。ちらりと俺のほうを見る。……俺と煙ちゃんが消えるならわかる、ってことだろうか。あんまり笑えない。
「煙ちゃん先輩、そのうち戻ってくるっすよね?」
有基のことばに、俺は頷いた。そう信じないと、どうにかなりそうだ。
「そうでないと困ります、バトルラヴァーズは五人でひとつ、欠けるわけにはいかないのてんこ盛り」
ウォンバットはバトルラヴァーズのことしか考えていなくて、俺はなんだか無性に腹が立った。でも文句を言うわけにもいかなくて、オレは唇を引き結ぶ。
そういえば、ここのところ怪人を見ていない。煙ちゃんが消えた日からか。もしかしてこれも、怪人の仕業かもしれない。オレがそう考えていると、どうやら硫黄も同じことを考えていたらしい。
「この間の由布院先輩と鬼怒川先輩が喧嘩したときのように、これが怪人のしわざだとしたら……」
「怪人を倒せば煙ちゃん先輩も戻ってくるっすか?」
「その可能性はあります」
「そうだよなあ、警察がこれだけ探してるのになんの手がかりも得られてねえわけだし、怪人のしわざってのはアリかも」
立が頷く。しかし、ウォンバッドが首をかしげた。
「しかし、ラブアラートは来ていないのでは?」
「だからあのコンビニにいた怪人みたいにさあ」
「どのみちこれまで怪人は私達の行動範囲内にあらわれてきました。この町を探してみる価値はあるのでは?」
「そうと決まったらさっそく行くっす!」
有基が張り切ったアクションで立ち上がる。スマホに来ていた錦ちゃんからの「一緒に帰らないか」というメッセージに、「クラス委員の活動があるから今日はごめん」とだけ返信して、オレも立ち上がった。そうだ、きっと、怪人のせいだ。そう思わないと、居ても立ってもいられない。
この手で煙ちゃんを元に戻せるのなら、それがいちばんいい。





「有馬さん、本当にどうしたんでしょうかね」
ぽつんと下呂が呟く。草津は顔を上げた。有馬がいなくなってからというもの、紅茶は自分で淹れなければならないし、茶菓子も自分で出さなければならなくなってしまった。さすがに校内に家の使用人を入れるわけにはいかない。
「僕まで取り調べを受ける羽目になるなんて……疑われているみたいで気分が悪いです」
「そうだな」
下呂は少しだけ首を傾げた。ももいろの髪がさらりと揺れる。
「ねえ、会長は有馬さんが消えちゃった理由、本当に知らないんですか?」
「ああ」
知らない。知るわけがない。有馬はいつも自分の後ろにいた。望むものをすべて差し出してくれた。生徒会の仕事も、そうでない場面でも、有馬は微笑んでいた。草津が言い知れない苛立ちを感じて、それをやたらめったらにぶつけたときでさえ。草津は有馬がなにを求めていたかも知らない。なにを考えていたのかも知らない。
「身代金の要求とかも来てないんですよね」
「ああ」
「そもそもあの三年生の……由布院先輩、でしたっけ。彼も消えているんじゃ、身代金目的の誘拐……とかじゃないですよね」
「心配、しているんだな」
「……そりゃあ」
会長はどうなんですか、と下呂はこちらを見た。草津は俯く。三日経って、ようやくじわじわと有馬が消えたことを実感できるようになっていた。
――また由布院か。鬼怒川を奪ったかと思えば、今度は有馬と消える。由布院煙め。なにもかもが、あの男のせいだ。そのときふとスマートフォンが着信を知らせてLEDを瞬かせた。そちらに顔を向けると、さっき鬼怒川に送ったメッセージの返信のようだった。
「クラス委員の活動があるから今日はごめん」
短い一文に、思わず眉を寄せる。急いでいるのだろうか、句読点のひとつもない。しかし今日、クラス委員が集合するような会議があっただろうか。草津は眉を寄せる。
「どうしたんですか、会長」
「いや……」
かぶりを振る。――まだ鬼怒川のなかには由布院がいる。当然だ。自分だってまだ、有馬が消えたことは受け入れられていない。





「ここいいよな、寒くも暑くもねーし、腹減らねーし、ガッコいかなくていーし、ゴロゴロしてられっし」
「うーん、飽きない?」
「お前には悪いけど、寝れればオレはそれで」
「逆にすごいね」
とうとう有馬もその場にごろりと横になった。由布院が横になっているのに、自分だけが座っているのもなんだか割りに合わない気がしてきたのだ。由布院が「副会長もついにゴロゴロか」と言ってくく、と小さく笑う。妙に近い距離感だが、由布院とそうしていても違和感はなかった。上を見上げるが、やはり真っ暗だ。せめて星でも見えればましなのに、と有馬は思った。
「これ、外はどうなってるんだろうなあ」
由布院はのんびりとした口調でつぶやいた。有馬はうーん、と唸って寝転がったまま脚を組む。大の男ふたりが並んで転がっている様子は傍から見ればずいぶんと奇妙かもしれないけれど、どうせ他には誰もいない。
「僕たちを探して大騒ぎかも」
「はは、オレたち別に仲いいわけじゃなかったし、何事だって思われてんだろうな」
「確かに」
「……、あー……、考えるのはやめとくか、めんどくせえ」
「由布院は、元に戻りたい?」
「そりゃあ、まあ。オレはこう見えてまあまあ自分の生活好きだったんでね」
「えっと、鬼怒川に面倒見てもらって?」
「なに、副会長までオレが熱史に面倒見てもらってんの知られてんの?」
「まあ、有名だよ」
錦史郎が気にしていなければ、興味も持たなかったよ、有馬はその言葉を飲み込んだ。どういうわけか、有馬は、この状況を理解し始めていた。
「お前は?戻りたくないの」
由布院が少しだけこちらに顔を向けて尋ねてくる。有馬は由布院のほうを見て、視線をかち合わせる。
「……ごめんね」
「え?」
「僕のせいで、戻れないかも」







防衛部全員で町中を探せども探せども、ラブアラートの反応はなかった。由布院が消えたのは怪人のせいではないのかもしれない。鳴子は蔵王と並んで歩きながらため息をつく。
「鬼怒川先輩はやりきれないでしょうね」
「怪人のせいならオレたちでなんとかできるけど、そうじゃないとどうしようもないもんな……」
それにしても、と鳴子は呟いた。
「由布院先輩が消えてから、そもそも怪人じたいが一度も現れてないことが気になります」
「あー、それな」
最後にバトルラヴァーズに変身したのはもうずいぶんと前のような気がする。勿論ラブレスレットにくちづけさえすれば変身は自由にできるのだが、今のところその必要がある事態には陥っていない。蔵王はため息をついて、頭の後ろで手を組んだ。空はすっかり暗くなっている。由布院は怪人のせいで消えたわけではないから探すのを辞めよう、などと言い出せる空気でないことはわかっている。もし言ったとして、鬼怒川と有基に猛反対されることはわかっている。
「由布院先輩……と有馬先輩が妙な変態に捕まってりしていないといいんですが」
「硫黄ってときどき考えることエグいよな……」
鳴子と蔵王は同時にため息をついて顔を見合わせる。さすがに爆笑する気にはならず、お互いに作った笑顔は中途半端なものになってしまった。頼むから、はやく戻ってきてくれ、という気持ちは一緒だろう。





これまでカエルラ・アダマスとしてズンダーニードルを放ち眉難高校の生徒たちを怪人化させていたが、それをするためにはカエルラ・アダマス全員の呪文が必要で、有馬が消えてしまった今、それをすることができなくなってしまっていた。地球征服計画は完全に停滞してしまっている。有馬が、有馬がいなくなってしまったせいで。
「人を呪わば穴二つ、って言葉、知ってる?」
ふと、有馬が消えるまえに言っていたことを思い出す。そういえば、そんなことを言っていた。
まさに、今の状況がそれなのかもしれない。由布院に消えてほしいと願っていたら、有馬も消えてしまった。それに気がついた途端、ぞわぞわと背中に寒気が走る。すでにふたりが消えてから十日が経っていて、有馬が戻ってこないがゆえに草津は、両親に過剰な心配をされ、その結果学校まで車で送迎されるようになっている。折角鬼怒川と帰れるチャンスなのに、と少々不満に思ってしまったが、それを父親や母親に言うつもりはなかった。
――もし、本当に有馬が言ったとおりになっているのだとしたら、この状況は自分が創りだしたものだ。
世界征服を願ってはいるものの、だからといって由布院はともかく有馬を消すつもりなどなかった。
背中のあたりにぞくぞくと冷たいものが広がっていく。
冗談ではない。そんなことがありえるはずがない。





「それ、どういう意味よ」
由布院は不可解な顔をして有馬のほうを見る。有馬はこの状況がどういうことか理解しているのだろうか。なぜ有馬が謝ってきたのかが、さっぱりわからない。
「たぶん、君は戻ってきてほしいと願ってくれている人がいるだろうけれど」
「そんなのお前にだって」
「……どうかな」
有馬のことばは淋しいそれであるはずなのに、彼の声にはまるで深刻さがないように思えた。由布院ははじめて有馬に小さく畏れを感じた。
「お前の親だって……草津、だってお前のこと」
そうだ、オレたちはまだ高校生で、親の庇護下にある。親は確実に息子の帰還を望むはずだし、それに、あの会長。有馬はいつもあの気難しそうな会長の後ろにいた。確実にあいつに受け入れられていた。由布院は中学のころからどうも草津に嫌われている自覚はあるが、それくらいのことは見ていればわかる。
「錦史郎が?」
心底意外そうな顔をして、有馬は草津の名前を呼んだ。
「……そんなはずないよ」



人を呪わば穴二つ。昔のひとが言ったとおりだ。人を呪えば、必ず自分に返ってくる。錦史郎は求める人の隣にいる人間を消したいと思った挙句、自分の隣――斜め後ろのほうが正しいけど――にいる僕をも消してしまった。それで、僕と由布院はこのわけのわからない世界に閉じ込められてしまったのだ。
たぶん、だけど、僕と由布院が消えたこの外の世界では、錦史郎は鬼怒川熱史となかよくやっているはずだ。なにしろいちばんの障害であった由布院は、ここに閉じ込められている。お互い親しい人間が消えてしまった同士、手を取り合うのは簡単なはずだ。その世界で、錦史郎は自分を求めるだろうか。
それは否だと思う。由布院はきっと「熱史はオレを探しているだろうなあ」と思っているだろう。だけど僕は同じことを言えない。「錦史郎は僕を探しているだろうなあ」そんはずがない。そりゃあ、お茶を淹れるひとも菓子を出す人もいなくなってしまって、不便はしているかもしれないけれど、たったそれだけだ。
「なんで、そんなこと言えるんだ」
由布院は水色の瞳でこちらをじっと見ながらそう尋ねてきた。いい加減寝るのにも飽きたのか、起きている僕に気を遣っているのか、最近は結構目を開けていてくれる。やる気のない男なのに、瞳だけはきれいな色をしている。なるほど、魅力的な人間だと思う。面倒くさがりのくせにこうやって、僕の心配をしてくれるあたりとか。
「錦史郎と僕は決して『友達』ではないからね」
「じゃあなんだったんだ」
「生徒会長と副会長」
「…………、おまえ」
ほんとうにそう思ってんの。由布院は心底驚いたような声を出す。こちらからしてみれば、由布院が意外そうな声をだすほうが意外だ。
「新しい副会長が見つかれば、それで十分だよ、きっと」
もう八つ当たりを向ける人間も必要ないはずなのだ。鬼怒川と仲良くやれているのなら。由布院はついに黙ってしまった。どうして君がそんな顔をするのか、僕にはちょっとわからないんだけれど。





有馬がハーブを育てていた中庭の小さな花壇に水やりをしながら、下呂はため息をつく。それが有馬が消えてからの下呂の日課だった。どうしてこんなことを僕が、と思わなくもないが、有馬が淹れてくれるハーブティーは下呂の気に入りだった。なにしろ最初から自分の意思でやっている。有馬が戻ってきたら、たくさん淹れてもらわなくちゃいけない。
「阿古哉」
後ろから声をかけられて、下呂はじょうろを片手に振り向いた。誰の声かはわかっている。
「会長」
「いつも水やりをしていたのか」
「……はい」
なんだか有馬のためにやっているようで少し照れくさい。弁解するように「枯らすのは美しくないでしょう」と言うと、草津は頷いた。
下呂から見て、草津は意外なほどに落ち着いている。あれだけ自分の近くにいたひとが消えても感情を乱さないなんて、冷静にもほどがあるだろう。でも、一緒に由布院が消えてしまったおかげであの幼馴染と交流ができるようになっているから、それは嬉しいのかもしれない。
「どうして有馬さんは消えてしまったんですかね」
「……」
「僕、最近思うんですけど。……怒らないでくださいね」
「なんだ?」
草津が先を促す。下呂はじょうろを置いた。有馬の育て方がいいのか、ミントはみずみずしく水滴を乗せて光っている。
「有馬さんは会長のこと、ずっと見ていたから。……由布院さんを消すために、自分も消えちゃったのかも」
ああ、そんな顔初めて見た。下呂は切れ長の目を大きく見開いた草津を見ながらそう思った。彼の感情の揺れは決して汚らわしくはなかった。
「そう見えるか」
「はい。……僕には」
草津はかぶりを振った。そして小さく呟く。
「……そんなつもりはなかったんだ」
下呂は首を傾げた。草津が言っている意味がわからない。有馬がいればもっとうまくフォローできたのかもしれないのに。





はじめてこの空間に閉じ込められてから、もう随分と長い時間が経っているような気がする。実際には一日も経っていないのかもしれないけれど。何度も由布院はうとうとしては覚醒を繰り返し、有馬の様子を伺って、お互い起きていることがわかればぽつぽつと会話する。そんな時間を延々と過ごしていた。
「逆に聞きたいんだけれど」
不意に有馬が言った。由布院はたまたま起きていたけれど、なんの確認もなく発された言葉は、由布院が起きていなければただのひとりごとにしかならなかっただろう。
「君が誰かに……鬼怒川に戻ってきてほしいと思われていると確信しているほうが、僕には不思議だよ」
「そうか?」
「君がいなければ、鬼怒川は君の世話をやかなくて済む。せいせいしてるかもしれないよ」
有馬はこちらを怒らせたくてこんなことを言っているのだろうか、と由布院は思った。しかし、残念ながらそれはあてが外れている。由布院は寝返りを打って有馬のほうを見ると、有馬と目があった。
「そうかもしれねえけど」
確かに鬼怒川は、案外淡白なところがある。たとえば草津に避けられるようになってもその理由を訊いたりしたかった。怪人に操られた自分と喧嘩したときも、距離を置こうとした。でも、鬼怒川が草津と疎遠になってからもずっと、機会さえあればまた草津と会話したいと願っていたことを、由布院は知っている。友人を失ったからと言って、決してそれを綺麗さっぱり忘れて水に流すようなやつではないはずだ。
「そうじゃないって、オレは思ってるから」
「真っ直ぐだね」
有馬はそう言って、またいつもの笑い方をした。由布院は眉を寄せる。お綺麗な顔をしているのに、その笑みにはなんの意味もない。
「有馬」
「なに?」
「お前はあの会長さんのこと、信用してないのか?」
「……信用」
「違うか」
由布院はここで一旦言葉を区切った。
「お前は自分自身を信用してないんだ」





煙ちゃんと有馬が消えて、そのことで警察に話を訊かれてから、錦ちゃんとまた話すようになった。中学生の頃突然疎遠になって以来だから、三年、いやそれ以上ぶり。錦ちゃんとまた前のように話すことをずっと望んでいたはずだけど、どうしても話題は消えてしまったふたりのことになってしまう。錦ちゃんとは笑って話したいのにそれができなくて、なんだかそれも悲しい。
俺たちが防衛部として煙ちゃんを探している間に、錦ちゃんも有馬を探しているらしい。
放課後の廊下で落ち合って、俺たちはいつもの確認を繰り返す。
「有馬のこと、なにか、わかった?」
「…………いや」
「こっちも、やっぱりさっぱりだよ」
錦ちゃんはなんだかいつもより元気がない。俺も同じくらい元気がない。あれからもう二週間近くだ。今日はクラスメイトたちが「由布院生きてんのかなあ」と話しているのを聞いてしまい、泣きそうになってしまった。ため息をつくと、なぜか錦ちゃんがますます悲しい顔になってしまう。
諦めたくはなかった。煙ちゃんを失うなんて考えられない。からだの半分がどこかに行ってしまったみたいに心許なくて、立っていることすら恐ろしくなる。
「ぼくが」
錦ちゃんはいつも「私」という一人称を使う。仲が良かったころはそうじゃなかったから、正直違和感があったのだけど、今日は「ぼく」だ。
「有馬が消えてしまったのは、ぼくのせいかもしれない」
こどものような話し方だった。錦ちゃんの目からぼろりと涙が溢れる。
「どうしたの錦ちゃん、そんなわけないだろ、なんでいきなり」
「ぼくのせいだ……」
どうしよう。俺まで泣きたい気分になってきたから、なんとか泣きやませたい。錦ちゃんの肩をゆるゆると撫でると、ますます錦ちゃんは泣いた。泣きながら俺のほうを見る。
「あっちゃんは、由布院に戻ってきてほしい?」
「う、ん」
「……、」
また錦ちゃんの目からは大粒の涙がこぼれ落ちる。とにかく廊下でこれはまずい。俺は錦ちゃんの手を引いて、生徒会室に向かった。人気の少ない廊下だけれど、すれ違う生徒たちはみんなこちらをちらちらうかがってくる。
「錦ちゃんは、有馬に戻ってきてほしくない?」
錦ちゃんは答えなかった。その代わり、後ろからぐず、と鼻をすするような音がした。俺は有馬のことをよく知らないけれど、有馬は確かに錦ちゃんの隣にいた。そんな有馬が消えてしまって、泣いている。戻ってきて欲しくないはずがない。だから泣いているのだろうし。
「……あっちゃん」
「うん」

「ぼくも、有馬に、戻ってきて、ほしい……ッ」





「もうすぐ戻れるんじゃねーかな、俺たち」
ふと由布院がつぶやいた。有馬がのどの奥で苦笑する。
「希望的観測だね」
「や、なんか、そんな感じするんだよな」
有馬は由布院が言っていることを理解しきれず、眉を寄せて彼のほうを見た。彼は気楽な様子で笑う。有馬がまだ信用していないと察したらしい由布院は、そっとこちらに手を伸ばしてくる。
「な、少し寝ようぜ」
言いながら、由布院の右手が有馬の左手に触れた。あまりパーソナルスペースの広くない男だと思っていたが、こういうふれあいもためらいなくできてしまうらしい。有馬は振り払うこともできないまま、由布院に触れられた自分の手をじっと見た。由布院の手は乾いていて、眠くなりかけているからかあたたかい。
「寝るって……」
「起きたらきっと、全部元通りだ」
「本気で言ってる?」
「おー」
由布院はあいている左手もこちらに伸ばしてくる。なにかと思えば、それで有馬は目を塞がれてしまった。
「な」
「はいはい」
こどもみたいな言い分だ、と思いながら、有馬は仕方なく頷いた。









待ち合わせの時間の五分前に向かうと、驚いたことに煙ちゃんがすでに立っていた。びっくりしておはよう、も言えない俺に、煙ちゃんがにやりと笑う。
「おはよ」
昨日だって一緒に黒玉湯まで寄って帰ったはずなのに、なんだかとてつもなく久しぶりに煙ちゃんの声を聞いた気がして、俺はなんだか胸の置くがぶわりと熱くなった。ああ、煙ちゃんだ、煙ちゃんだ、小走りで近づくと、煙ちゃんが驚いたような顔をしてこちらを見てくる。
「なに、どーしたの」
「や、なんか煙ちゃん久しぶりのような気がしてさ」
「そう?」
「そう」
煙ちゃんはなぜかくるりときびすを返して俺に背中を向けて、学校まで続く階段を登り始める。俺もそれを追いかけた。久しぶり、なんて、そんなに気になる言葉だったろうか。煙ちゃんの隣に並ぼうと足をはやめるけど、なぜかどうしても追いつかない。いつもこの階段を登るのは、めんどくさいめんどくさいってうるさいくらいなのに。
「煙ちゃん?どうしたの」
「……や、」
なんでもないんだけど。煙ちゃんはそう呟いてから、ようやくこちらを振り向いた。
「十二時間ぶり、だもんな。久しぶりだ」
そう言った煙ちゃんの声がなぜか少し震えていた。逆光で、煙ちゃんの顔がよく見えない。だけどなぜか煙ちゃんは水色の瞳をきらきら光らせていることだけがわかって、まるで泣いているように見えた。ここが通学路じゃなければ、間違いなく煙ちゃんを抱きしめてたのに。俺は他の生徒から見えないように煙ちゃんの手を取った。煙ちゃんの手は乾いていて、冷たかった。





草津錦史郎は、由布院煙のことが憎い。

あのだらしのない制服の着こなし、覇気のない目、しまりのない表情、授業をほとんど寝て過ごしてはノートや課題を人に頼るやる気のない態度、けだるい声、そのくせあの長身でこちらを見下ろしてくるようなところ。だけどなにより由布院が草津の神経を逆撫でするのは、草津の幼なじみでかつての親友である鬼怒川熱史と仲がよく、ましてや何から何まで世話を焼かせていることであった。
生徒会室の窓は大きく開けていて、外がよく見える。視界の端に、鬼怒川と由布院が見える。歩くことすら煩わしそうな由布院を、鬼怒川が手を引いて歩いている。あの男は堕落しきっている。憎々しく思いながら振り返ると、すぐそこに有馬がいた。
「人を呪わば穴二つ、って言葉、知ってる?」
「……ああ」
よく知っている、と答えて、草津は唇を引き結んだ。有馬はいつも通り穏やかに笑っている。
「……そういう夢を、見たばかりだ」
有馬は草津のことばに驚かなかった。草津はじっと有馬を見つめる。そう、そういう夢を見た。由布院がいなくなることを願うあまりに、有馬までもを失ってしまう夢だった。かわりに鬼怒川との友情を取り戻すことができたけれど、たとえその長年の願いが叶っても、有馬が消えてしまった穴を埋めることはできなかった。
「私は」
有馬の目をまっすぐに見る。
「君を……信用している、つもりだ。副会長として。誰よりも」
らしくもなく大きく目を見開いた有馬に、もう一歩だけ近づく。彼のほうがだいぶ背が高いので、草津は彼の肩に手を乗せた。そのままするりと手のひらを彼の背中に下ろしてしまう。抱きしめてしまいたい、と思うけれど、それにはためらいがあった。
「錦史郎」
「……」
「ありがとう」
有馬の声が震えていたので、草津は唇を噛み、彼をこちらに引き寄せた。制服越しに、確かに体温がある。有馬はここにいた。

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