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「阿古哉が好きかなあと思って取り寄せたんだ」
そう言いながら一つ年上の先輩が差し出してきたのは色とりどりのマカロンと焼き菓子で、見た目にせよ香りにせよ、最高の品だとすぐにわかった。下呂ははあっと期待のため息をつき、その瞬間唐突に、ぽんと白い花が目の前に落ちてきた。
「……?」
目の前の先輩、有馬もこちらを見て目を丸くしている。
「どこから落ちてきたの、それ」
「さあ……?」
不可解な状況に、ひとり生徒会長机についていた草津が顔を上げる。
「どうした」
「突然これが落ちてきたんです」
下呂が花を示すと、草津もこちらにやってくる。生徒会室にはいま三人しかいないし、この建物の最上階だ。何かが突然落ちてくるなんて原因がわからない。
「あ、錦史郎も食べる?錦史郎も気にいると思うんだ、この抹茶味のマカロンとか。これはほうじ茶の茶葉が入ったフィナンシェでね」
まあ、そんなことを気にしていても仕方がない。有馬は草津に休憩を促した。草津はテーブルの上の菓子を見やり、それから唐突にまた、今度は草津の前に小さな花が落ちてきたのだった。
「……?」
屈んでその花を取り上げた草津は、思わず天井を見上げる。それから有馬と下呂を見るが、ふたりともきょとんとするばかりだ。
草津は首を傾げながら席につく。待っていたらしい下呂が桃色のマカロンにようやく口をつける。かじって、咀嚼して、飲み込む。
好物だけにマカロンには随分とうるさい下呂だったが、有馬の取り寄せたそれはフランボワーズの香り高く、クッキー部分とクリームの甘さのバランスも完璧だった。一口食べただけで、ぱあっと花が咲くかのような気分になった。実際、咲いた。
さっきよりも大きな花がいくつも下呂のまわりの空間から浮かび上がり、彼の背景を彩る。次の瞬間それはソファの周りに散らばって落ちた。
「えーと」
有馬は瞬きをしながら口元を引きつらせる。
「もしかしてこれ、嬉しいと咲いちゃうとか、そんな感じ?」
「そんな」
非科学的なこと、と草津は反論したかったけれど、自分たちはつい最近まで圧倒的に非科学的な、いや超科学的なちからに巻き込まれていたのだった。
「錦史郎も食べてみてよ」
有馬に促されて、緑色のマカロンをそのまま口に運ぶ。濃厚な、しかし上品な抹茶の味に目を見開いた瞬間、草津の周囲に花が咲く。
「……掃除が大変だ」
妙に現実的なことをつぶやいてから、有馬は肩をすくめた。
気分の高揚によって花が咲く、というのは随分と厄介な事象だった。草津は最近和解した幼馴染との話をするだけでぽんぽんと花を咲かせ、下呂はマカロンを食べては花をこぼした。
顔に気持ちを出さないようにしても、どうあがいても、花で機嫌がわかってしまう。それがどうしようもなくはしたないことのように思えて、草津ははやく解決策を見つけなければならない、と思った。
「阿古哉」
「はい」
マカロンであれこれ花を咲かせた後輩は、機嫌良くこちらを見た。
「他の生徒にもこんな事象が現れているのか、少し校内を見回ってきてくれないか。この原因が知りたい」
「……はあ」
悪い力ではないと思うんですけど、と下呂はつぶやいて、しかしすらりと立ち上がった。生徒会室には草津と有馬が残る。有馬は残っていたマドレーヌをぱくりと食べた。
「君はこの菓子で花を咲かせはしないんだな」
「君たちに出す前に試食済みだからね。この味は知ってるんだ。もちろんとてもおいしいと思っているけど」
有馬はいつものように微笑んだ。
「そうか」
草津は頷く。果たして下呂は解決策を見つけてきてくれるだろうか。
「そういえば錦史郎、きんつばもあるんだけど、どう?」
有馬はのんきにそんなことを言って、こちらを振り向く。
廊下で出会った鳴子や蔵王のおかげで、だいたいの状況が理解できた。宇宙に帰ってしまったズンダーと違いこちらに残ったウォンバットが風邪を引いたせいで、どうやら向こう側でもなかなかの奇怪な減少が起こっているらしい。
そうそうに草津と有馬のスマートフォンに向けて状況を報告する。さて、生徒会室に戻ろうか、と思ったところでふと気が付く。生徒会室にいて、花を咲かせたのは草津と自分だけだ。有馬は一度も花を咲かさなかった。あんなにおいしいお菓子が目の前にあって。
「……、」
そんなのずるい、と思う。有馬だって花を咲かせるべきだ。自分だけ感情を見せないみたいで気分が悪い。自分たちといて、おいしいお菓子があって、幸せじゃないなんて、そんなの絶対におかしい。彼だってそういう気持ちになるべきだろう。下呂は彼のにこやかな顔を思い出しながら、ふう、とため息をつく。その瞬間だった。どぉんと大きな音がした。思わず廊下の窓に駆け寄り音がしたほうを見ると、生徒会室、それに防衛部の部室のほうで煙が上がっている。
「ええ……」
もう地球征服がどうとか、そういうあれこれは終わったはずなのに。下呂はきびすを返すと、長い髪を翻して生徒会室に向かった。
ようやく生徒会室にたどり着くと、赤い薔薇が大量に積もっていて、まるで中の様子が見えやしない。しかし防衛部部室とつながるドアの方向から、なにか騒がしい声がする。薔薇をかき分けてそちらに向かおうとしたところで、すっかり埋もれてしまっている有馬を見つけた。さっき有馬について考えたことを思い出し、下呂はなんとかそちらに向かう。
「どういうことですか、これ」
薔薇の花のなかから有馬の手を引いて引っ張り出すと、有馬は髪についた花びらを払いながら肩をすくめた。
「えーと、錦史郎が……」
曰く、メッセージアプリで鬼怒川に黒玉湯に誘われた喜びで生徒会室中を薔薇の鼻で埋め尽くした草津が直接返事をしようとして防衛部部室につながるドアをあけたところ、モザイクまみれ(この事象の原因については下呂ももちろん知っている)になった由布院が鬼怒川と言い合いをしていて、鬼怒川が不審者に襲われていると勘違いした草津がダークオーアイト化、防衛部部室を爆発させ、箱根――バトラヴァ・スカーレットが必殺技を放ち、草津が我に返って今に至る、ということらしい。
もっとも、爆発した部室の修復は、あの桃色ウォンバットの力を借りればそう難しくはなさそうだ(なんてご都合主義なんだろう)。
「ほんと、厄介な会長を上に持っちゃったよね」
言いながら苦笑する有馬は、やっぱり花を咲かせない。この大量の薔薇の中に、有馬が咲かせた花は一輪もないに違いない。下呂は有馬の顔をじっと見つめて、それから「有馬さん」と名前を呼ぶ。
「どうしたの」
「今日会長が鬼怒川さんと帰るなら、僕と有馬さんふたりで帰りませんか」
「え?うん、いいけど。いいの、俺とで」
驚いた顔をした有馬は、やっぱり花を咲かせない。これではだめだ。
有馬だけ花を咲かせないなんてずるい。下呂は畳み掛けるようにして次のことばを継ぐ。
「有馬さんとがいいです」
「どうしたの、珍しい。なにか企んでない?」
「企んでません!」
なんて言い草だ。下呂はむっとして、唇を尖らせた。
この人は、笑っていても嬉しいとか、楽しいとか、幸せだとか、そう思ってないんだろうか。今だって彼はこちらをからかうように笑っている。それなら、笑ってくれないほうがましだ。お前と一緒に帰りたくない、と言われてしまったほうが、よほど。
向こうから、草津が鬼怒川(と由布院)に謝罪する声が聞こえてくる。草津はこちらなど気にしていないだろう。
「有馬さんは花、咲かないですね」
「やっぱり俺に花を咲かせたくてそんなこと言ったんだ」
「違います」
「そうだろ」
反論できなかった。それを最初から疑っていたから有馬は花を咲かせなかったのだろうか。下呂は喉を鳴らして有馬を見る。細められた赤い瞳はいつものとおり優しいのに。下呂はくちびるを噛んだ。
「うまく思い通りになれなくてごめんね」
「思ってもみないことで謝らないでください」
下呂は有馬をねめつける。有馬はやっぱり笑った顔をしていて、悔しいと思った。
「……有馬さんに花を咲かせてほしいって、嬉しいとか、楽しいとか、幸せとか、そういう気持ちにさせたいって、思ったらだめなんですか」
「……阿古哉」
もしかしたら、どんな口説き文句も、彼には届かないのかもしれない。下呂が認める美しい顔立ちと、人を気遣えるこころを持っているのに、彼の心はいつだって平坦だ。そんなことってあるだろうか。
「有馬さんのばか」
泣きたい気持ちになって、顔を伏せる。すん、と鼻を鳴らす。気がつくとさっきから繋いだままの手はじわりと暖かい。
「ごめんね」
謝ってほしいわけじゃないのだ。有馬の左手がうつむいた下呂の頭を撫でる。思わず顔を上げると有馬が少しだけ目を見開いた。
「……そんな顔させたかったわけじゃなかったんだ」
そう言った有馬の横の空間から、不意打ちでぽろりと水色の小さな花が落ちた。下呂はそれを見て、ぱちぱちとまばたきをする。
「ぼ、くが泣きそうなのを見てお花です、か、」
いくらなんでもそれはない、と下呂は有馬の肩を拳でたたいた。有馬が慌てたように首を横に振る。
「あ、こやが、そんな顔するほど、俺のこと、考えたんだって、思ったら、うれ、しくて」
「……、ッ!」
下呂の顔の横から、赤い花がぽろぽろとこぼれ落ちる。どうしようもなく恥ずかしかった。だけど有馬は、確かに「嬉しい」と言ったのだ。実際に花は落ちた。これが本心であることは裏付けられていて、下呂は有馬の手を握る。さっきより熱いような気がした。
「有馬さん」
すきです。口をついて出た言葉に、有馬がまた花を落とす。彼がこんなにも顔を赤くして、あからさまに照れているのは初めて見た。有馬が、あの有馬燻が、自分のことばひとつでこんなふうに感情を零している。それを見ているだけで満たされた気になって、下呂は空いているほうの手で胸を押さえる。自分がはしたなくも際限なく花をこぼしているのも、今はもう、構わなかった。
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