boueibu
ううん、と耳のすぐそばで唸り声を上げる有馬の腰に回した腕を持ち直して、由布院はジーンズのポケットを探りアパートの鍵を取り出した。ため息をついてドアをあける。まったく、有馬らしくもない。
今日は同じ学部でなんとなく仲良くなったメンバーで飲み会で、なんとなく由布院と有馬も参加した。そこで有馬はベロベロに酔ってしまい、いちばん家が近くて有馬と仲の良い由布院は、彼を連れ帰るはめになってしまったのだった。
有馬はいかんせん体格がいい。いや、身長はこちらとそう変わらないはずなのだ。だけどなんというか、彼は肉付きがよかった。ずっしりと重たいからだを引きずるようにしてきたので、こちらの酔いはさっぱり覚めてしまったし、むしろ披露困憊だ。スイッチをいれて狭い玄関を明るくすると、有馬のからだを床におろし、足だけで靴を脱ぎ、有馬の靴も脱がせる。高そうな紐靴は、なかなか脱がせるのに苦労した。
「おい有馬、立てってめんどくせえ」
「由布院、おしっこ」
おしっこじゃねえよ!そりゃああれだけ飲んだらトイレにも行きたくなるってもんだろうけどな!なんなんだよ!
由布院は内心でそれなりにキレながら、もう一度有馬のからだを引き上げ、ユニットバスのなかに放り込む。
「自分でできるよな?」
「うん……」
なんだか煮え切らない返事だが、さすがにそこまで面倒はみたくない。由布院は有馬を残し、部屋を出る。じょぼじょぼ音がしたので、どうやらちゃんとできたらしい。
何度でも言おう、こんなの有馬らしくない。有馬燻といえば、高校時代から誰より大人っぽかった。人の手を煩わせないで、誰か――要するに草津だ――のために手を煩わせるような男だ。
しばらくすると有馬がでてきた。由布院はまた有馬と肩を組むようにして、なんとかワンルームの部屋に向かう。
「由布院ちトイレ広いね」
それはバス・トイレが同じ部屋だからだよ!なんなんだよお前!大丈夫か!
ベッドの上に置きっぱなしだった服ごと布団を投げ出して、由布院はそこに有馬を転がした。有馬は素直に横になる。それからコートを脱がせ、それも向こうに放り投げる。自分で力が入らない人間は本当に重たい。ため息をついて、有馬が着ているベストを脱がせ、シャツのボタンを上から三つ外して、ベルトを緩める。まったく、俺に世話を焼かれるなんて、誇りに思ってこれからの人生を生きていけるぜ。有馬はなんだか幸せそうに笑っていて、それを見ていると文句を言う気もおきない。なんてわけはもちろんなく、由布院は有馬の頭をぱしんとはたいた。
「なに笑ってんだよ」
「由布院に世話されてるから」
「二度とやんねーよ」
「ふふ」
なーにがふふ、だ。由布院は立ち上がって、有馬の上に布団をかけてやると、自分のコートも脱ぐ。ポケットに突っ込んだままの財布や鍵をそこのローテーブルに置くと、「由布院」と呼ばれてしまった。
「なんだよ」
振り向くと、虚ろな目をした有馬がこちらを見上げている。
「寝よう」
「寝ようじゃねーよ」
なにしろまだ、風呂にも入ってない。しかし、酒は入ってるし有馬の世話を焼いてつかれてるし、何より由布院は寝るのが大好きだった。まあ、夏じゃねーしいっか。いつも通りゆるく考えて、由布院は布団にもぐりこんだ。するとどうしたことか、有馬がからだを寄せてくる。
「どーしたの、今日のいぶちゃん甘えたですねえ」
「だって由布院にしか甘えられないし」
「錦ちゃんに甘えなさいよ」
「錦史郎には甘えません」
こいつほんとに大丈夫か。由布院は眉を寄せる。酔っ払ったときこそ本音が出るとは言うけれど、それにしたってだだ漏れが過ぎるだろう。有馬が肩に額を押し付けてくるので、由布院はため息をついてその頭を抱きしめる。
「有馬」
「うん」
「お前もう禁酒したほうがいいよ」
「うーん」
有馬が顔を上げる。さすがに高校時代校内美男コンテスト常時二位の男だ。こんなになってもまだきれいな顔をしている。なので由布院は酒くさいキスを受け入れてしまった。
「こんなことしたら草津に怒られちゃうんじゃないの」
「バレないよ」
「俺が草津に有馬にちゅーされたって言ったら?」
「錦史郎は由布院のこと言うこと信じないでしょ」
「ひっで」
べたべたと抱き合いながら、由布院は有馬の背中をゆるやかなテンポでたたいてやる。赤ん坊を寝かしつけるみたいに。いやべつに、そんなことしたことないけれど。
「それにね」
「ん?」
「誰となにしたって、おれが錦史郎のものだってことはかわらないよ」
「すごいこと言うねぇ……」
そんなことをしているうちに、だんだん眠くなってくる。由布院は大あくびをすると、そのまま眠ってしまった。たぶん、有馬もとっくに寝ているだろう。
ううん、と耳のすぐそばで唸り声を上げる草津の腰に回した腕を持ち直して、鬼怒川はチノパンのポケットを探りアパートの合鍵を取り出した。ため息をついてドアをあける。まったく、錦ちゃんらしくもない。
今日は丁度予定があったので、前から草津が気になっていたという日本酒と塩辛のうまい居酒屋へ行った。そこで草津はベロベロに酔ってしまい、鬼怒川はそこからいちばん家が近い、由布院の部屋へ行くことにした。自分の部屋も草津の部屋も由布院の部屋よりずっと広いが、電車を乗り換えなければ辿りつけない。由布院ならまあ、連絡しなくてもゆるく受け入れてくれるだろうと言う算段だった。
いざ由布院の部屋にたどり着くと、インターホンを押しても由布院は出てこない。寝ているのだろうか。十分ありえる話だった。それで鬼怒川は合鍵を使って中に入った。暗い玄関には靴がいくつか転がっている。それを蹴散らすようにきて、草津を中にひきずりこんだ。
「錦ちゃん、靴脱げる?」
「ああ……」
草津はのろのろと床に腰を下ろし、靴を脱いだ。鬼怒川も立ったまま靴を脱ぎ、ドアに鍵をかけ、それからまた草津を支えながら中に入った。
果たして、そのワンルームのベッドの上の布団はしっかりと膨らんでいた。鬼怒川は瞬きをして、首を傾げる。由布院一人で、ああなるだろうか。電灯のスイッチを入れて、ベッドに近づく。
「あれ」
鬼怒川が声を上げたので、草津も茫洋としながら顔を上げた。そしてベッドの中身を見やり、ぽかんと口を開いた。朦朧とした頭で状況を把握する。自分は酒を飲んだ。飲み過ぎた。あっちゃんにここまで連れてきてもらった。ここは由布院の部屋だ。由布院はベッドで寝ている。その隣で有馬も寝ている。有馬のシャツのボタンは緩んでいる。ふたりは妙にべったりとくっついている。
「ふたりとも酒、飲んだみたいだね」
「……う、」
草津は鬼怒川のようににこやかにそれを見ることは出来なかった。
「浮気現場だ!」
「錦ちゃん?」
「見ろあっちゃん、ふたりでベッドで寝ている!これが浮気でなくてなんなんだ、由布院め、有馬をたぶらかしたのか、ええい起きろ、由布院!」
「ちょっと錦ちゃん、落ち着いて、ね?」
「落ち着けない!」
酒の入った草津の感情のふり幅の大きさを知らなかったわけではないが、鬼怒川は戦いた。草津は由布院の肩をつかんで揺らす。
「……うるせえ」
一瞬意識を浮上させた由布院はそうつぶやいて、しかし目を閉じたまま起き上がらなかった。あろうことか暖かさを求めてか、有馬に擦り寄るような真似をするものだから、草津はますますヒートアップする。
「由布院!」
「ん……」
結果として、先に起き上がったのは有馬だった。いつもよりずっと幼い仕草で目をこすり、そして草津を見上げる。
「どうして錦史郎がここにいるの」
その格好ときたらベルトもズボンのホックも外されたものだったので、草津は口をぱくぱくと開閉することしかできなかったのだ。
「なんで酔っ払いの世話してやった俺が叩き起こされて怒られなきゃいけないんですかー」
由布院の機嫌はさすがに悪かった。学部の飲みで有馬がつぶれたので連れ帰ってふたりでベットで寝た。たったそれだけの話だ。由布院と並んでベッドに座った有馬はなぜか手のひらで顔を覆ってうつむいている。吐き気でもするのだろうか。
「まったく、有馬、そんなになるまで飲むなんてだらしがないぞ」
「いや、錦ちゃんも今日はなかなかすごかったよ」
「あっちゃんは黙っててくれないか」
鬼怒川は鬼怒川で、でもなんか、ふたりでくっついてるの、微笑ましかったよね、などと呑気に笑っている。
「なーもう寝ていい?」
「話はまだ終わっていない」
「だって、お前んとこのいぶちゃんもうおねむだし。俺も眠いし。てかこの部屋四人も寝るとこねーから帰ってよ、草津は歩けそうじゃん」
「まあまあ煙ちゃん」
「ベッドはこれしかないし、うちにはソファーもありません」
子どもっぽく由布院はそっぽを向いた。少なからず由布院だって酒が入っているのだ。
「あっちゃんは由布院が有馬と寝ていてもいいのか!?」
「あっ、今度は俺か」
「あっちゃん!」
草津に噛みつかれて、鬼怒川は肩をすくめた。酔っ払っていると思えば全然怖くなんかない。由布院が大あくびして、草津が怒れば怒るほどに場は緊張感をなくしていくようだった。けれど草津ひとりそれに気付いていない。
まったくどうしたことかと鬼怒川は考える。確かに由布院の部屋のベッドはごくごく一般的なシングルベッドで、大柄な由布院と有馬ふたりで寝ればいっぱいだ。有馬は相変わらず顔を上げないし、今から外に連れ出すのは難しいだろう。
「うーん、錦ちゃん、どうしよう」
「どうもしない、有馬立て、帰るぞ」
「うん……」
ようやく有馬が顔を上げた。
「え、有馬大丈夫なの」
「さっきに比べたらね……」
どうやら甘えた有馬はなんとか回復したらしい。それならまあそれでいいか。由布院は立ち上がる有馬を見上げながら勝手にうなずき、それから息を吐いた。
「酔っ払いふたりで帰れんのか?」
「君たちのせいですっかり覚めてしまった!」
草津はどうやらまだ怒っているようだ。由布院はやっぱりこれは理不尽ではないかと思う。なので素直に復讐をすることにした。ベッドに腰掛けたまま、ふたりの背中に向かって声をかける。
「いぶちゃん、また寝ような」
「う……」
「ふざけるな由布院!」
有馬のほうはどうやら迷惑をかけた自覚があるらしく口ごもり、草津はまた眉を吊り上げた。これできっと帰りがてら草津と有馬はそれなりにふたりでやいやいやり取りをするだろう。すっきりした気分で今度は鬼怒川を見上げる。
「煙ちゃん」
「ん?」
「俺とはいつ寝てくれる?」
「じゃあ今から?」
由布院はにやりと笑って腕を広げる。鬼怒川はしばらくそれを見ていたが、唐突に「ドアの鍵しめなきゃ」と行ってきびすを返した。草津と有馬が出ていったのだから当たり前だが、由布院は戻ってくるその足音を聞きながら、もしかしたら鬼怒川は怒っているのかもしれない、と今更のようにのどを鳴らした。
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