グッドナイト
草津は目を覚ますと、自分ひとりがベッドの中にいることを確認して、ため息をついた。ドアの向こうで水を流す音や食器を置く音がするから、昨日一緒に寝た有馬は、先に起きて朝食を作っているのだろう。
しまった。またやってしまった。
頭を抱えたい気分で、草津はため息をつく。
また有馬に先に起きられてしまった。
餃子が食いたい、とぼやいたのは由布院だったと思う。大概彼に甘い自分の幼馴染は、じゃあみんなで餃子を包んでホットプレートを出して、餃子パーティをしようと笑った。草津は餃子がそんなに好きではなかったけれど、他でもない鬼怒川の誘いなら断る気は起きなかった。有馬も楽しそうだねと笑っていたし。
四人で割り勘してひき肉やキャベツやニラを買い込み、皆で鬼怒川の部屋に行き、たねを作って、みんなでテーブルを囲んでそれを皮に包んだ。草津は生まれて初めて餃子を包んだ。肉の量を見誤り、ひだをうまく作れずに、他の三人に比べるとひどい出来になってしまった。由布院はそれを散々からかってきて、しかし自分が餃子を包むのが下手なのは事実なので言い返せず、ひどく悔しかった(なにしろ由布院はこのなかで一番たくさん一番きれいな餃子を作った)。
ホットプレートに油を敷いて餃子を並べ、水を入れてふたをする。焼き上がったそれは自分で作ったせいかなかなかおいしく、草津は餃子に対する認識を改めなければならなかった。
ジャンケンで負けた有馬がキッチンで後片付けをすることになり、残りの三人はリビングに残る。
「腹いっぱいになったら眠くなってきた」
由布院はそうつぶやいて、ごろりと床に転がった。いつものことながらだらしのない男だと草津は思ったが、鬼怒川は「そうだねおやすみ」などと笑っている。由布院はそのうち本当に眠ってしまった。
「まったく、よく寝るな」
「ね、幸せそうだよねえ」
皮肉のつもりの言葉をさらりと流されて、草津は返す言葉を失ってしまう。口を半開きにして眠っている由布院はいつもよりずっと無防備で、草津は眉を寄せる。
「俺、煙ちゃんの寝顔好きなんだよね」
「寝顔?」
こんな阿呆面がか。とは口に出さなかった。さすがに。
「なんかいつもよりこどもっぽく見えるからかな。いつも煙ちゃんってかっこいいし」
そう言われてみればそうなのかもしれないが、やはり草津には理解できない感情だった。
「あれ、由布院寝ちゃったんだ、確認したいことあったのに」
手を拭きながら戻ってきた有馬は、由布院を見下ろしてそう言った。草津は有馬の顔を見上げる。そういえば、有馬の寝顔とはどういうものだっただろうか。
思い出そうとして、思い出せないことに気づく。まさか自分は、有馬の寝顔を見たことがない、のか。
「どうしたの錦史郎、なんかあった?」
まじまじと有馬を見ていると、有馬は訝しげにそう言った。草津は口許だけで「なんでもない」とつぶやくと、由布院に視線を戻す。
こいつの、せいで……!
それからというものの、草津は同じ部屋で寝るときは、なんとか有馬より後に寝ようと、あるいは早く起きようとする努力をした。ある日は映画のブルーレイディスクをいくつも用意し一緒に見ようと誘ったが、選んだ映画が単調なものばかりだったせいで、結局草津は映画を見ている最中に寝てしまった。有馬はあろうことかその草津をベッドまで運んでくれたのだった。また別の日には、セックスでできるだけ疲れさせようとした。しかし、有馬はより消耗するはずの受け身側にいるにも関わらず、結局草津のほうが有馬にしっかり絞り取られ、先に力尽きてしまった。もちろん翌朝も、草津が目を覚ましたときには有馬は平気な顔をして洗濯機を回していた。本を借りるために鬼怒川の部屋に行くと由布院がやはり床で寝こけていて、ますます腹が立つ。もちろんこのふたりは同居しているわけではない。
「由布院はまた寝てるんだな」
「あはは、そうなんだよね」
鬼怒川はまったく悪びれなく笑う。
「昨日までの大きな課題があったみたいだし、バイトもしてきたところだから、許してあげてよ」
「そういえば、有馬もそんなことを言っていたな」
有馬と由布院は、どういうわけか同じ大学の同じ学部に入学した。とはいえ学科は違うから、授業が同じになることはあまりないようだが、課題の提出期限がかぶることはあるのかもしれない。
「なに、会長さん来てたの」
そんな話をしていると、由布院が起きてきた。ぼりぼりと頭をかく仕草は下品で、草津をげんなりさせるのに十分だった。
「まったく君は、そもそも私はもう会長では」
草津が文句を言っても、由布院は大あくびをするばかりで話にならない。
「てか会長さんは何しにきたの」
しかも話題を変えられてしまう。会長さん呼びを改めないことに苛立った草津は、しかしそれを飲み込んだ。いつも由布院にペースを乱される。勝てたためしがない。
「本を借りに来たんだ」
草津が本の表紙を示すと、由布院は眉を寄せた。
「あー、それあんま面白くなかった」
「煙ちゃんと俺の本の趣味が合わないのは昔からだろ」
「そう?」
「そう」
この二人の会話は、自分たちのそれとは全然違うような気がする。無防備なところも晒せるし、意見の相違も流せてしまう。草津はなんだか途方に暮れるような気分で、ため息をついた。
「なに、どーしたの」
「君の情けなさに嫌気がさしただけだ」
「それはどうも」
「ほめてないぞ」
鬼怒川はなぜかにこにことこちらを見守っている。草津はため息をついた。
「有馬も今日締め切りの課題あっただろ、あいつんとこ行って可愛がってあげたら?」
「…………からかっているのか」
「別に?一昨日ふたりで課題合宿したけど、あいつ随分参ってたし」
いつの間にそんなことをしていたんだ。自分たち三人のなかで文系は草津ひとりだけなので、なんだか疎外感がある。つまらない気分になって、草津は眉を寄せた。
「いぶちゃんが参っちゃうなんて珍しいね」
「なんか共同でやる課題なのにひとり入院しちまったらしいぜ。ぐったりしてて眠そうなのなんのって」
鬼怒川と由布院の会話に草津は胸をざわめかせた。ぐったりしてて眠そう。そんな有馬、見たことがあるだろうか。
鬼怒川の家を退去して、その場でタクシーを捕まえる。電車に乗るのはまだ得意ではないし、一刻も早く有馬の部屋に行きたかった。有馬はアルバイトをしていないので、大学でなければ部屋にいることが多い。鬼怒川のものと同じくらい大きなマンション、足早にエレベーターで七階まで向かう。
なんの連絡もしてこなかった。しかし何故かいると確信して、有馬の部屋のインターフォンのボタンを押す。
「はい」
「私だ」
食い気味で答えると、「え、あ、ちょっと待って」と慌てたような声がして、それからすぐに有馬がでてきた。
「どうしたの錦史郎」
「課題は提出できたのか?」
「うん、いきなりくるからびっくりしたよ」
有馬はなんのためらいもなくドアを大きく開けて、草津を中に入れてくれた。相変わらず物のない部屋は、シンプルと言えば聞こえはいいが、執着のなさが現れているようで来るたびに草津のなかをざわつかせる。
有馬の格好は、それでも決してだらしのないものではなかったけれど、量の多い髪は少し乱れていた。
「寝ていたのか?」
「昨日は徹夜だったから、まあ」
「悪いことをしたな」
「ううん、平気だよ、そろそろ起きなきゃいけない時間だったし」
「寝て構わないぞ」
また遠慮するようなことを言うので、草津はきっぱりとそう告げた。そうだ、今がチャンスだ。ここ最近の、自分の目標。有馬の寝顔を見ること。
「せっかく錦史郎が来てくれたのに、そういうわけにはいかないよ。なにか飲む?僕はコーヒーにしようかな」
ところが有馬はそんなことを知りもせず、そう言ってキッチンのほうに向かおうとする。コーヒーなんて飲まれたら、きっともう有馬は寝てくれない。なんとか阻止しなければ、と思うものの、うまくやめさせる言葉が浮かばない。
「ねえ錦史郎、なに飲む?」
「リラックスするためのハーブティーはあるか?」
「それなら、定番だけどカモミールがあるよ。錦史郎、なにかイライラするようなことでもあった?」
「なにがだ」
「リラックスする必要があるんだろ」
「違う」
そうじゃない。あえていうなら君が私を苛立たせている――と口にするわけにはいかず、草津は首を横に振った。
「有馬が飲むべきだと思ったんだ」
「え?」
「疲れているんだろう、コーヒーを飲んで覚醒するより、ハーブティーでリラックスしたほうが」
「リラックスなんてしちゃったら、せっかく錦史郎が来てるのに、また寝ちゃうよ」
「寝ちゃえば、いいだろう……!」
有馬がはっと目を見開き、草津は口をつぐんでくちびるを手で抑えた。なにを言っているんだ、という自覚はある。寝ちゃえば、とはなんだ。あっけにとられた有馬の顔のせいで、じわじわと恥ずかしさが立ち上ってくる。有馬はすぐに我に返ると、わかったよ、と肩をすくめた。
「すぐに入れるから、そっちでちょっと待ってて」
あんなことを言ったくせに、有馬はさっぱり寝ようとしない。ティーカップを片手ににこにこと笑いながら、とりとめのない会話を続けている。草津はその相手をしながら、むしろ自分が眠くなってくるのを感じていた。有馬の甘やかな声が、どうしようもなく意識をふわふわとさせる。
「錦史郎、眠い?今日泊まってく?」
「……、そうするかもしれない」
「あはは、ちょっとバタバタしてたから夕飯の材料がなんにもないんだ。そっちは期待しないでね」
有馬はこれっぽっちも眠そうじゃない。ずるい、と子どもじみた感情が頭の中に浮かぶ。ずるい。由布院のまえでは眠そうに、していた、らしいのに。
「有馬」
「なに?」
「そんなに私のそばは落ち着かないか」
拗ねたような言い方になってしまった。有馬はぱちんと瞬きをする。小豆色の瞳に、困惑が浮かぶ。
「どうしてそんなこと言うのさ」
「由布院の前では随分とだらけているようだが、君は私がいるところで眠らないだろう」
「なんで由布院が出てくるの?それに錦史郎とねてるよ、セックス、のあととか」
「……私より後に寝て、先に起きるだろう」
大人気のない発言であることは自分がいちばんわかっている。嫉妬しているし、つまらないことに憤っているものだと思う。有馬が自分より体力があって、しっかりしていることが悔しい。由布院が有馬の情けない姿を見たことが羨ましい。
「ええと、それは、つまり」
「有馬が寝ているところが見たい」
だけど実際のところ、たったそれだけだ。口にしてしまえば簡単な話だった。
「ええと、それは、また、随分と」
有馬は珍しく照れたような顔をする。
「突拍子のないことを、言うね……」
「有馬」
「だって、錦史郎が先に寝るし、僕が先に起きるのは、なんていうか、自分の意思でどうにかできるものでもないじゃない」
「無理して起きているわけでは、ないんだな」
「そりゃあ、錦史郎の前では、ちゃんとしてなきゃって思ってるけど、それだけだよ」
草津は目を伏せた有馬を見て、それから頷いた。
「わかった」
なにしろ草津錦史郎という男はどうしようもなく規律を好む男なので、それに好かれるためには、自分を律する必要があった。そういう男の前でだらだらした姿を晒せるわけもなく、有馬は自分に命じて背筋を伸ばしていた。
(まさかあんなことを言われるとは)
背中を駆け上ってくるこれは、たぶん、どうしようもない嬉しさだ。許されているような、気になってしまう。
だけどたぶん、明日の朝も自分の方がはやく起きるだろう。有馬は草津とのセックスの処理をするために、すっかり寝入ってしまった草津の肩をするりと撫でて、ベッドから立ち上がった。
しまった。またやってしまった。
頭を抱えたい気分で、草津はため息をつく。
また有馬に先に起きられてしまった。
餃子が食いたい、とぼやいたのは由布院だったと思う。大概彼に甘い自分の幼馴染は、じゃあみんなで餃子を包んでホットプレートを出して、餃子パーティをしようと笑った。草津は餃子がそんなに好きではなかったけれど、他でもない鬼怒川の誘いなら断る気は起きなかった。有馬も楽しそうだねと笑っていたし。
四人で割り勘してひき肉やキャベツやニラを買い込み、皆で鬼怒川の部屋に行き、たねを作って、みんなでテーブルを囲んでそれを皮に包んだ。草津は生まれて初めて餃子を包んだ。肉の量を見誤り、ひだをうまく作れずに、他の三人に比べるとひどい出来になってしまった。由布院はそれを散々からかってきて、しかし自分が餃子を包むのが下手なのは事実なので言い返せず、ひどく悔しかった(なにしろ由布院はこのなかで一番たくさん一番きれいな餃子を作った)。
ホットプレートに油を敷いて餃子を並べ、水を入れてふたをする。焼き上がったそれは自分で作ったせいかなかなかおいしく、草津は餃子に対する認識を改めなければならなかった。
ジャンケンで負けた有馬がキッチンで後片付けをすることになり、残りの三人はリビングに残る。
「腹いっぱいになったら眠くなってきた」
由布院はそうつぶやいて、ごろりと床に転がった。いつものことながらだらしのない男だと草津は思ったが、鬼怒川は「そうだねおやすみ」などと笑っている。由布院はそのうち本当に眠ってしまった。
「まったく、よく寝るな」
「ね、幸せそうだよねえ」
皮肉のつもりの言葉をさらりと流されて、草津は返す言葉を失ってしまう。口を半開きにして眠っている由布院はいつもよりずっと無防備で、草津は眉を寄せる。
「俺、煙ちゃんの寝顔好きなんだよね」
「寝顔?」
こんな阿呆面がか。とは口に出さなかった。さすがに。
「なんかいつもよりこどもっぽく見えるからかな。いつも煙ちゃんってかっこいいし」
そう言われてみればそうなのかもしれないが、やはり草津には理解できない感情だった。
「あれ、由布院寝ちゃったんだ、確認したいことあったのに」
手を拭きながら戻ってきた有馬は、由布院を見下ろしてそう言った。草津は有馬の顔を見上げる。そういえば、有馬の寝顔とはどういうものだっただろうか。
思い出そうとして、思い出せないことに気づく。まさか自分は、有馬の寝顔を見たことがない、のか。
「どうしたの錦史郎、なんかあった?」
まじまじと有馬を見ていると、有馬は訝しげにそう言った。草津は口許だけで「なんでもない」とつぶやくと、由布院に視線を戻す。
こいつの、せいで……!
それからというものの、草津は同じ部屋で寝るときは、なんとか有馬より後に寝ようと、あるいは早く起きようとする努力をした。ある日は映画のブルーレイディスクをいくつも用意し一緒に見ようと誘ったが、選んだ映画が単調なものばかりだったせいで、結局草津は映画を見ている最中に寝てしまった。有馬はあろうことかその草津をベッドまで運んでくれたのだった。また別の日には、セックスでできるだけ疲れさせようとした。しかし、有馬はより消耗するはずの受け身側にいるにも関わらず、結局草津のほうが有馬にしっかり絞り取られ、先に力尽きてしまった。もちろん翌朝も、草津が目を覚ましたときには有馬は平気な顔をして洗濯機を回していた。本を借りるために鬼怒川の部屋に行くと由布院がやはり床で寝こけていて、ますます腹が立つ。もちろんこのふたりは同居しているわけではない。
「由布院はまた寝てるんだな」
「あはは、そうなんだよね」
鬼怒川はまったく悪びれなく笑う。
「昨日までの大きな課題があったみたいだし、バイトもしてきたところだから、許してあげてよ」
「そういえば、有馬もそんなことを言っていたな」
有馬と由布院は、どういうわけか同じ大学の同じ学部に入学した。とはいえ学科は違うから、授業が同じになることはあまりないようだが、課題の提出期限がかぶることはあるのかもしれない。
「なに、会長さん来てたの」
そんな話をしていると、由布院が起きてきた。ぼりぼりと頭をかく仕草は下品で、草津をげんなりさせるのに十分だった。
「まったく君は、そもそも私はもう会長では」
草津が文句を言っても、由布院は大あくびをするばかりで話にならない。
「てか会長さんは何しにきたの」
しかも話題を変えられてしまう。会長さん呼びを改めないことに苛立った草津は、しかしそれを飲み込んだ。いつも由布院にペースを乱される。勝てたためしがない。
「本を借りに来たんだ」
草津が本の表紙を示すと、由布院は眉を寄せた。
「あー、それあんま面白くなかった」
「煙ちゃんと俺の本の趣味が合わないのは昔からだろ」
「そう?」
「そう」
この二人の会話は、自分たちのそれとは全然違うような気がする。無防備なところも晒せるし、意見の相違も流せてしまう。草津はなんだか途方に暮れるような気分で、ため息をついた。
「なに、どーしたの」
「君の情けなさに嫌気がさしただけだ」
「それはどうも」
「ほめてないぞ」
鬼怒川はなぜかにこにことこちらを見守っている。草津はため息をついた。
「有馬も今日締め切りの課題あっただろ、あいつんとこ行って可愛がってあげたら?」
「…………からかっているのか」
「別に?一昨日ふたりで課題合宿したけど、あいつ随分参ってたし」
いつの間にそんなことをしていたんだ。自分たち三人のなかで文系は草津ひとりだけなので、なんだか疎外感がある。つまらない気分になって、草津は眉を寄せた。
「いぶちゃんが参っちゃうなんて珍しいね」
「なんか共同でやる課題なのにひとり入院しちまったらしいぜ。ぐったりしてて眠そうなのなんのって」
鬼怒川と由布院の会話に草津は胸をざわめかせた。ぐったりしてて眠そう。そんな有馬、見たことがあるだろうか。
鬼怒川の家を退去して、その場でタクシーを捕まえる。電車に乗るのはまだ得意ではないし、一刻も早く有馬の部屋に行きたかった。有馬はアルバイトをしていないので、大学でなければ部屋にいることが多い。鬼怒川のものと同じくらい大きなマンション、足早にエレベーターで七階まで向かう。
なんの連絡もしてこなかった。しかし何故かいると確信して、有馬の部屋のインターフォンのボタンを押す。
「はい」
「私だ」
食い気味で答えると、「え、あ、ちょっと待って」と慌てたような声がして、それからすぐに有馬がでてきた。
「どうしたの錦史郎」
「課題は提出できたのか?」
「うん、いきなりくるからびっくりしたよ」
有馬はなんのためらいもなくドアを大きく開けて、草津を中に入れてくれた。相変わらず物のない部屋は、シンプルと言えば聞こえはいいが、執着のなさが現れているようで来るたびに草津のなかをざわつかせる。
有馬の格好は、それでも決してだらしのないものではなかったけれど、量の多い髪は少し乱れていた。
「寝ていたのか?」
「昨日は徹夜だったから、まあ」
「悪いことをしたな」
「ううん、平気だよ、そろそろ起きなきゃいけない時間だったし」
「寝て構わないぞ」
また遠慮するようなことを言うので、草津はきっぱりとそう告げた。そうだ、今がチャンスだ。ここ最近の、自分の目標。有馬の寝顔を見ること。
「せっかく錦史郎が来てくれたのに、そういうわけにはいかないよ。なにか飲む?僕はコーヒーにしようかな」
ところが有馬はそんなことを知りもせず、そう言ってキッチンのほうに向かおうとする。コーヒーなんて飲まれたら、きっともう有馬は寝てくれない。なんとか阻止しなければ、と思うものの、うまくやめさせる言葉が浮かばない。
「ねえ錦史郎、なに飲む?」
「リラックスするためのハーブティーはあるか?」
「それなら、定番だけどカモミールがあるよ。錦史郎、なにかイライラするようなことでもあった?」
「なにがだ」
「リラックスする必要があるんだろ」
「違う」
そうじゃない。あえていうなら君が私を苛立たせている――と口にするわけにはいかず、草津は首を横に振った。
「有馬が飲むべきだと思ったんだ」
「え?」
「疲れているんだろう、コーヒーを飲んで覚醒するより、ハーブティーでリラックスしたほうが」
「リラックスなんてしちゃったら、せっかく錦史郎が来てるのに、また寝ちゃうよ」
「寝ちゃえば、いいだろう……!」
有馬がはっと目を見開き、草津は口をつぐんでくちびるを手で抑えた。なにを言っているんだ、という自覚はある。寝ちゃえば、とはなんだ。あっけにとられた有馬の顔のせいで、じわじわと恥ずかしさが立ち上ってくる。有馬はすぐに我に返ると、わかったよ、と肩をすくめた。
「すぐに入れるから、そっちでちょっと待ってて」
あんなことを言ったくせに、有馬はさっぱり寝ようとしない。ティーカップを片手ににこにこと笑いながら、とりとめのない会話を続けている。草津はその相手をしながら、むしろ自分が眠くなってくるのを感じていた。有馬の甘やかな声が、どうしようもなく意識をふわふわとさせる。
「錦史郎、眠い?今日泊まってく?」
「……、そうするかもしれない」
「あはは、ちょっとバタバタしてたから夕飯の材料がなんにもないんだ。そっちは期待しないでね」
有馬はこれっぽっちも眠そうじゃない。ずるい、と子どもじみた感情が頭の中に浮かぶ。ずるい。由布院のまえでは眠そうに、していた、らしいのに。
「有馬」
「なに?」
「そんなに私のそばは落ち着かないか」
拗ねたような言い方になってしまった。有馬はぱちんと瞬きをする。小豆色の瞳に、困惑が浮かぶ。
「どうしてそんなこと言うのさ」
「由布院の前では随分とだらけているようだが、君は私がいるところで眠らないだろう」
「なんで由布院が出てくるの?それに錦史郎とねてるよ、セックス、のあととか」
「……私より後に寝て、先に起きるだろう」
大人気のない発言であることは自分がいちばんわかっている。嫉妬しているし、つまらないことに憤っているものだと思う。有馬が自分より体力があって、しっかりしていることが悔しい。由布院が有馬の情けない姿を見たことが羨ましい。
「ええと、それは、つまり」
「有馬が寝ているところが見たい」
だけど実際のところ、たったそれだけだ。口にしてしまえば簡単な話だった。
「ええと、それは、また、随分と」
有馬は珍しく照れたような顔をする。
「突拍子のないことを、言うね……」
「有馬」
「だって、錦史郎が先に寝るし、僕が先に起きるのは、なんていうか、自分の意思でどうにかできるものでもないじゃない」
「無理して起きているわけでは、ないんだな」
「そりゃあ、錦史郎の前では、ちゃんとしてなきゃって思ってるけど、それだけだよ」
草津は目を伏せた有馬を見て、それから頷いた。
「わかった」
なにしろ草津錦史郎という男はどうしようもなく規律を好む男なので、それに好かれるためには、自分を律する必要があった。そういう男の前でだらだらした姿を晒せるわけもなく、有馬は自分に命じて背筋を伸ばしていた。
(まさかあんなことを言われるとは)
背中を駆け上ってくるこれは、たぶん、どうしようもない嬉しさだ。許されているような、気になってしまう。
だけどたぶん、明日の朝も自分の方がはやく起きるだろう。有馬は草津とのセックスの処理をするために、すっかり寝入ってしまった草津の肩をするりと撫でて、ベッドから立ち上がった。
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