センチメンタル・ジャーニー(同人誌再録)
3
二日目は少し遠出をするつもりで、駅前でレンタカーを借りることになっていた。とはいえ、煙ちゃんと有馬はまだ免許を持っていないので、必然的に俺と錦ちゃんが運転することになる。それはもちろん、この旅行を企画したときから決めていたことだ。
レンタカーのカウンターで保険に加入して、それから車の説明を受ける。レンタカー自体は家族旅行のとき使ったことがあるから、だいたい知っていることばかりだった。
とはいえ、レンタカーを運転するのは始めてだ。車を確認したあと、店員さんからキーを受け取る。今回は俺が運転席に座り、錦ちゃんが助手席に座った。煙ちゃんと有馬は後部座席。みんなきちんとシートベルトをかけている。カーナビに目的地の神社を入力して(だいたい四十分くらいだ)、エンジンをかけて、俺はさっそくアクセルを踏んだ。
びっくりするほど空が青くて、ほんの少し眩しい。
「帰りは僕が運転するから」
「うん、よろしくね、錦ちゃん」
道はあんまり混んでいない。この秋冬にかけて免許を取ってから、この旅行のために父さんの車で運転の練習はしたものの、この車種を運転するのははじめてだ。少し、緊張する。
「由布院、助手席座らなくていいの?」
「俺が座ってもしょうがないだろ」
「俺たちも早く免許取らないとね」
「じゃあ夏休みに一緒に合宿で免許取りに行くか」
「それじゃ遅くない?」
煙ちゃんと有馬は、けっこう話が盛り上がっている。この冬はふたりで一緒に勉強してたみたいだけど、想像以上に仲が良くなっているみたいだ。ふたりとも……ネコだし、気が合うんだろうな。
適当につけておいたラジオでは、なにか手紙が読まれているところだった。DJがコメントしている。
「あっちゃん、運転うまいよね」
「そう、……かな」
運転していると口数が少なくなってしまう時点でたぶんまだ慣れてない、と思う。前方の赤信号を見て、徐々に速度を落としながら車を停める。ふう、と息を吐くと、さっきのお便りに曲のリクエストでも書かれていたのか、ラジオからは古い曲が流れ始めていた。
「運転手や使用人もなしの旅行は、はじめてなんだ」
錦ちゃんの声は、少しだけ弾んでいた。電車に乗るのに文句を言っていたのに、どうやらだんだん楽しくなっていているらしい。
いいことだな、と思う。錦ちゃんが前のように柔らかくなっていく。
「電車に乗って、車を運転して、自分たちだけで、こんなにも遠くに来ることができるんだね」
「そうだね」
もっと錦ちゃんと話したいのはやまやまだけど、信号が青になる。俺はブレーキペダルから足を離して、アクセルをゆっくりと踏んだ。
「はー、ついたついた」
煙ちゃんと有馬は車を降りるなり大きく伸びをした。煙ちゃんにいたっては、大あくびも一緒にしている。
「外の空気はいいなあ」
「あっちゃん、運転お疲れ様」
錦ちゃんに声をかけられて、うなずく。家族ならともかく、友達を乗せて車を運転するのは初めてだったので、たぶん緊張していたのだろう。少しほっとしている。
「ありがとう、鬼怒川」
「サンキューな、熱史」
有馬と煙ちゃんが声をかけてくる。へいきだよ、と応じながら、俺はなんとなく、このふたりが免許を取ったら、こういう場で運転するのは彼らになるんじゃないのかなあ、と思う。煙ちゃんや有馬がハンドルを握る姿を想像するのは、あまりにも簡単だった。
そうなるかもしれないし、そうならないかもしれない。でも俺は、折角だから、今度は助手席に煙ちゃんを座らせて運転したいなあ、と思った。
「はやく行こうぜー」
駐車場の向こうの方から、煙ちゃんと有馬が声をかけてくる。
「行こう、錦ちゃん」
「そうだね」
うなずいた錦ちゃんと一緒に歩き出す。
今回目的地にしていた海の近くの神社は、境内から鳥居のほうを見ると参道が海まで続いているように見えることが有名で、とくに海に太陽が沈んでいくように見える夕方は、たくさんの観光客がカメラやスマホを持って写真を撮ろうとするらしい。
とはいえ、今はまだ平日の上午前中で、俺達のほかにはちらほらとしか人がいない。
階段を登って鳥居の前にくると、錦ちゃんは入る前にそこで一礼した。そういう作法があることは知っていたけど、今まであまりしたことがなかった。せっかくなので錦ちゃんのあとから一礼してみる。
「神社って、二礼二拍手一礼であってる?」
「あってるよ」
鳥居をくぐって、参道を歩きながら、煙ちゃんと確認しあう。手水のやり方も、知っているつもりだけど、一応錦ちゃんのあとから真似したほうがいいかもしれないな。そんなことを考えながら、手水舎のほうへ向かう。
錦ちゃんと有馬がスムーズに手水で手を濯いでいるのを見て、やり方をきちんと思い出す。錦ちゃんから柄杓を受け取って、さっきのやり方通りにやってみる。
それからようやく、拝殿の前に行ってお賽銭を投げて、煙ちゃんと確認した通りの手順でお参りをした。そういえば、この神社のご利益ってなんなんだろう。とりあえず、来月からの大学生活が楽しく過ごせるようにお願いをして、俺は顔を上げた。
次は昼食のために移動することにした。きっと夕食は海の幸がメインになるだろうから、昼は肉を食べよう、と提案したのは有馬だった。まあ、誰も反対する理由もないので、俺は海沿いの道を走っている。
「熱史、窓開けていい?」
助手席に座っているのは煙ちゃんだった。さっき、錦ちゃんに頼んで変えてもらったのだ。俺は「どうぞ」と応える。煙ちゃんは「じゃあ開けるわ」と言ってスイッチを押しこんだ。するとすぐに海風が吹き付けてきて、煙ちゃんはぎゅっと目をつぶったあと、結局すぐに窓を閉めた。
「やべーな風」
たぶん煙ちゃんの髪はぼさぼさになってるんだろうけど、俺はハンドルから手が離せない。直してあげたいなあ、と思っているうちに煙ちゃんは自分で直してしまった。
カーナビ上で見つけたレストランまでは、海辺の道をまっすぐ、十分くらいだ。道は驚くほどすいている。
「あ、このお店ガイドブックに載ってた」
「へえ、どんな料理が出るんだ」
「ええとね、イタリアンらしいよ。海を見ながら食事が出来るんだって」
後部座席では、錦ちゃんと有馬が何やらガイドブックを覗き込んでいる。煙ちゃんは少し後ろの様子を気にしたあと、結局なにも言わずに俺のほうに向き直った。
「それにしても、熱史が運転してんの、面白いな」
「面白いってなんだよ」
「別に?」
ちょっと今はあれこれ会話をする余裕はない。でも、煙ちゃんを助手席に乗せて景色のいい道を走るのは、これまでになくいい気分だった。俺は思った以上に運転が好きらしい。地元じゃこうはいかないもんなあ。こんな道が走れるのは、旅先ならではだ。俺はカーナビの画面をちらりと見た。レストランまでは、あと少しだ。
お店には並ばず入れたけど、ここまでほとんど他の車を見なかったので、店内にたくさんのお客さんがいたことに少し驚いてしまった。
テラスの席に案内される。少しだけ寒い。錦ちゃんはカーディガンを羽織った。お冷が運ばれてきて、メニューを渡される。パスタ、リゾット、このあたりの魚を使った料理、それから豚肉のローストやソテー。
料理を決めるのは、いつもいちばん煙ちゃんが早い。今回は錦ちゃんが二番目だった。俺もそのあとすぐに決められたけど、有馬は随分と悩んでいるらしい。
「鶏のソテーと牛肉の赤ワイン煮、とステーキ、どれがいいかなと思って」
「昨日から思ってたけど、有馬ってけっこうよく食べるよな」
煙ちゃんが俺のほうに囁いてくる。とはいえすぐそこに本人はいるわけで、有馬が顔を上げる。
「そうでもないでしょ」
「いや、よく食べるな」
錦ちゃんがうなずく。有馬はそれでも「そんなことないと思うけどな」とぼやく。
「いいから早く決めろ」
錦ちゃんに言われた有馬ははい、と返事をして、またメニューを見る。そうして、結局ステーキに決めた。
「男子高校生ならこれくらい普通だろ」
口々に「やっぱりよく食べてるだろ」と言われた有馬は、少し照れたような顔をして言う。
有馬とは、錦ちゃんと三人でよく遊んでいた時期があった。小学生のとき、十年も前だ。そのあと有馬は引っ越していって、すっかり疎遠になってしまったんだけど。
再開した有馬は身長も伸びて、ピアスなんかつけるようになって、すっかり大人っぽくなっていたけど、ときどき見せる表情が、やっぱりあのときの有馬と同じ友達なんだなあと思えて、少し安心する。
昼食を食べたあと、錦ちゃんに運転を交代する。有馬が助手席に座って、俺と煙ちゃんは後部座席に座った。錦ちゃんはきちんと運転席の座席の位置や背もたれの角度を調整して、それからシートベルトを締めた。
「絵面的には有馬のほうが運転しそうだよな」
「ね」
やっぱり煙ちゃんもそう思ったらしい。有馬はきっと丁寧な運転をするだろうな、と思う。錦ちゃんが車を発進させる。
そういえば、こうやって煙ちゃんと車の後部座席に座るのははじめてかもしれない。住んでいるところはそこそこ車社会だけど、ふたりでどこかに行くときはバスや電車を使うようにしていたし、どちらかの親が運転する車に乗ったこともない。
付き合いも長いし、いろんなことを一緒にしたし、いろんなところに一緒に行ったけど、俺たちにはたぶんまだやってないこともたくさんあるし、行ってないところはもっとたくさんある。なのに、この旅行が終わったら、煙ちゃんと離れてしまう。
本当はそれがすごく嫌だった。煙ちゃんなら、都内の大学だってそれなりに選べたし、そうするものだと疑っていなかった。だから煙ちゃんとろくに進路の話しもしたことがなかった。今となっては、後悔することしかできないけど。
煙ちゃんは外を眺めている。ラジオから流れてくる昔のバンドの音楽に、耳を傾けているようにも見える。瞬きがだんだん遅くなっていくのは、眠いからだろう。
錦ちゃんの運転は、少し危なっかしい。有馬も話しかけるのはためらったようで、車内は静かだった。俺は座席の上に投げ出されている煙ちゃんの手を見る。指が一本一本長くて、四角い爪が先端に並んでいる。俺は手を伸ばして、煙ちゃんの手に触った。煙ちゃんが視線を自分の右手に向けようとするので、そのまま指と指を絡めてしまう。
「なに」
煙ちゃんが小さな声でこちらに問う。繋ぎたくなったから繋いだだけだよ。どうせ……誰も見ていない。同じ空間にいる錦ちゃんや有馬だって。煙ちゃんもおとなしく繋がれるままでいてくれる。しばらくしてから、煙ちゃんが指を握ってきたので顔を見ると、少し照れたような顔をしている。さすがにキスはやめたほうがいいかな、と思ったけど、結局してしまった。ほんのちょっと、触るだけ。
錦ちゃんの運転で高台にある公園に行った。山も海も見下ろせて、気分がいい。海のない県に育ったせいか、俺達はちょっと海に憧れがある。驚いたことに、展望台は俺たちの貸切状態で、意味もなくスマホでパノラマ写真を撮影してしまう。
「海のそばって、ほんとうにずっと風が強いんだね」
髪の量が多い有馬は、頭を抑えている。だけどこれは俺も人のことは言えない。俺も頭を抑えながら、遠くのほうを見る。水平線がまっすぐに広がっていた。さすがに対岸は見えない。海外旅行もしたことがあるけど、この先に別の国があることが、ときどき途方もないことのように感じてしまう。
ひときわ風が強くふいて、錦ちゃんが「うわ」と声を上げるのを、有馬がさり気なく支えるようにする。さすがだなあ、と思ったけど、俺が煙ちゃんに同じことはできないと思う。
「広いなあ」
煙ちゃんがつぶやいた。ただでさえ青い煙ちゃんの瞳が、いつもよりもっと鮮やかに見えたのは、空と海を見ているからだろうか。
「そういえば煙ちゃんって海外行ったことないんだっけ」
「なに? 金持ちのマウント?」
煙ちゃんがちょっとひねたようなことを言うけど、口許は笑っていた。マウントというわけではないけど。
「煙ちゃんと海外旅行してみたいな」
「初海外が熱史とか」
煙ちゃんが目を細めて海の向こうを見る。
「悪くないかもな」
「……うん」
「また熱史にはじめて奪われちゃう」
煙ちゃんが笑う。煙ちゃんのそういうところが俺はやっぱり好きだし、まだ、未練がましく、離れたくないと思ってしまう。
錦ちゃんの運転でホテルに戻り、フロントに預けていたルームキーを受け取ってから部屋に戻る。雑に畳んだ布団や荷物がそのまま朝でてきたときの状態で残っていて、なぜだかほっとした。
「あー、ただいま」
煙ちゃんが言って、自分のテリトリーたる布団のほうに真っ先に向かっていく。ただいま、か。たった一泊泊まっただけの部屋だけど、そう言いたくなる気持ちはわかる。
煙ちゃんに「ただいま」って言ってもらうの、憧れるな、と頭のすみで考える。だけど例えば、煙ちゃんが東京の俺の部屋に来たとして、「ただいま」は言ってくれないんだろうな、せいぜい「おじゃまします」だろう。
「今日は温泉行く?」
「いや、行くけど二回はいいんじゃね?」
「明日の朝にもう一度行くのはどう?」
「あんまり早起きしたくねえけどな」
「起こすから安心して寝ていていいぞ、由布院」
「寝かせて俺は置いてくっていう選択肢はないのね……」
「だって由布院、風呂が好きなんだろ」
「いやそうなんだけど……」
煙ちゃんと有馬と草津がそんなことを言いながら、一旦荷物を置く。今日も夕食は昨日と同じ食堂で、六時からだ。あと十分くらいある。
「少しはやめに行くか」
「お腹すいちゃったし、そうしようか」
「やっぱり有馬はよく食べるよな」
「じゃあ由布院はすいてないの、お腹」
煙ちゃんと錦ちゃんと有馬が、俺を介せず会話できるようになるなんて、昔ならあり得なかったけど、今はもう自然だ。
「じゃあ、食堂行っちゃおうか」
俺が三人に声をかけると、三人がほとんど同時にこちらを振り向く。
「待って俺財布だけ持ってく」
「スマホは?」
「ルームキー持っていけばいいんだっけ?」
そんなやりとりをしながら三人で部屋を出ると、廊下を歩き始める。今日もきっとおいしいご飯を食べられるだろう。
旅行が終わりに近づいていく。明日には、地元に帰らないといけない。帰ったらもう、上京まではすぐだ。大学生活は楽しいものになるだろうか。友達ができるかを心配しているわけではない。勉強だって、得意な分野ができるところを選んだし。じゃあ、この本の少しの不安はなんだろう。――煙ちゃんが、そばにいなくなることが、不安なんだ。
「なあ、酒注文してみる?」
「ふざけているのか由布院」
「ふざけてるだけです」
食堂にいるホテルの人にルームキーを見せて、案内された席に座る。もう先付がきていて、さっそくそれを口に入れる。見ればお品書きも置いてあって、食べながらそれを見る。
「あれ」
有馬が声を上げる。
「てっきり今日も魚がメインだと思ったら、黒毛和牛、だ……」
昼にも肉を食べたばかりの俺たちは顔を見合わせて笑った。肉なら肉で、もちろんおいしく食べるまでだ。
夕食のあと、少しだけ部屋で休憩して、テレビを見る。情報番組では、アミューズメントパークの新しいアトラクションの紹介をしていた。俺はまだ行ったことのないところだ。
「煙ちゃん、ここ行ったことある?」
「や、ないけど。あんまりハードな絶叫マシンはちょっとなあ」
「変身して高いところから飛び降りまくってたわりにビビりだねえ」
「お前らも随分と高いところにいるのが好きだったよな、なんだっけ、なんとかと煙は高いところが好きってやつ?」
「うるさい」
錦ちゃんが言い返す。煙ちゃんは取り合わない。有馬はまあまあ、と言いながらあまり本気で止める気もなさそうだ。眉難にも遊園地があって、そこでVEEPerと戦ったりもしたけれど、あんまり大きいものじゃないかったな。東京や大阪のテーマパークには、家族と行ったことがあるけど。
テレビがアミューズメントパークので売られているお土産の話になったあたりで、そろそろまた温泉に行こうか、という話になる。
浴衣に着替えながら、つけっぱなしのテレビを見ていた煙ちゃんが、ため息をつく。
「それにしても、もっと面白いテレビやってねえのかな」
「九時から映画やるでしょ、一昨年めちゃくちゃヒットしたやつ」
「ああ、あれ防衛部で観に行ったよな」
「行ったねえ。錦ちゃんは観た?」
「……ひとりで観に行った」
しまった、地雷踏んだ、かも。一昨年はまだ和解もなにもしていなかったし。錦ちゃんはもともと映画を観に行くのがけっこう好きなほうだった。中学生くらいのころは、よく一緒に行ってた、んだよな。煙ちゃんがなにか言おうと口を開こうとしたところで、有馬が声を上げた。
「俺は観てないんだよね。観たいとは思ってたんだけど。今日は皆で観ようよ」
有馬の限りなく適切なフォローのおかげであっという間に場は落ち着いて、俺たちはさっそく部屋を出た。
一昨年流行ったその映画は、女子高生と教師の恋愛ものだ。周囲の生徒たちの描写も含めて序盤は面白おかしく、だけど後半のどんでん返しがものすごくて、前半だけを編集した予告編を見て映画館に行った女子高生の話題に登り、そのあとそれ以外の世代でも大ヒットしたのだった。
結局俺たちは防衛部で一度観に行ったきりだったのだけど、後半の内容を知っていると明るいシーンにもきちんと伏線がはられているのがわかる。
風呂上がりに売店で買ってきた飲み物や、お菓子をテーブルの上に広げて、ちょっとだらっとしながら見ることにした。本当はけっこう本腰を入れてみたほうがいいタイプの映画なんだけど、四人中三人が見たことがある映画だから仕方がない。一方で、初見の有馬ははらはらと楽しんでいるようだけど。
「いろいろ言いてえけど全部ネタバレになりそうだな」
「確かに」
煙ちゃんとそんなことを言っていると、有馬が「絶対ネタバレしないでね」と釘を刺してきたので肩をすくめる。そうなるともう、なにも言えなくなってしまう。
「錦ちゃん、有馬とは映画行くの?」
「いや、……ふたりで行ったことはまだない」
奇しくも画面では、主役カップルが映画館でデートをしているシーンだった。「行けばいいのに」と言うと、錦ちゃんは頷いた。
「東京はたくさん映画館があるから、デートには困らなさそうだな」
煙ちゃんがそんなことを言う。羨ましいな。錦ちゃんと有馬はまだちょっと、ときどきぎこちないところがあるけれど、きっとこれから四年、同じ町で暮らして、きっともっと仲良くなっていけるだろう。俺と煙ちゃんはどうしていけばいいんだろう。
しばらく見ていると、映画がだんだん不穏な雰囲気になってきた。まさかこのあと、あんなことがあって、ああなるなんて……と口に出せないのがちょっとだけ残念だ。
「一昨年って有馬は眉難にもういたんだっけ」
「えーと、戻ってきたのが一昨年だったんだけど、この映画は公開したあとだったと思う」
「なるほどねえ」
雑談しながら見る映画は、映画館で見るのとはまた違う楽しみかたができるものだなと思う。やっぱり楽しいな。煙ちゃんがいて、錦ちゃんがいて、有馬がいて、そして俺も含めて、みんな性格はバラバラで、趣味も違って、なのにこうして話していると、とても落ち着く。
もっとはやく錦ちゃんと和解していれば、こういう時間がもっと増やせたのかもしれない。そもそも、錦ちゃんとちゃんと仲良くしていれば、俺たちはバトル・ラヴァーズにもならなかったかもしれない。そして、俺が言えば、煙ちゃんも東京の大学に進学したかもしれない。
かもしれない、ばっかりだ。
「そういえばこれ観に行ったとき、硫黄がポップコーンこぼして大変だったよな」
ふと煙ちゃんが言う。言われて、すぐに一昨年のことを思い出す。
「六百円も払って、二口しか食べてないのに、って言ってたよね」
「その後立に分けてもらってたよな」
思い出して、ちょっと笑ってしまう。
そうだ、防衛部として過ごした日々も、バトル・ラヴァーズとして地球を守っていた日々も、楽しかった。ずっと錦ちゃんといたら、あの仲間たちと出会えなかったはずだ。「かもしれない」なんて、不毛な想像だった。
そうこうしているうちに、とうとう物語が佳境に入ったらしい。有馬が真剣に見入っているのを見て、俺たちも黙る。この映画を見るのは確かに二回目だけど、一年以上経っているし、結構忘れちゃっている。真剣に見ようかな、と思いながら画面を見る。
この映画の主人公のひとり、教師が自分の過去について語る場面。これはこのあとのどんでん返しにつながる大事なシーンだ。ヒロインも俺たちも、教師が言うことを真剣に聞く。教師の語り口は穏やかだけど内容はとても衝撃的で、俳優の演技にも熱が入っていくのがわかる。有馬がほんの少し前のめりになる。そして教師が最後のひとことを言った瞬間、コマーシャルが入る。俺たちの集中は途切れて、有馬は結局もとの位置に戻った。
「はあ、なんだかコマーシャルのたびに少し冷静になっちゃうね」
有馬が肩をすくめる。テレビでは、やけに雄大な自然のなかで車が走っていく映像が流れていく。車の新しいモデルのコマーシャルだ。
とはいえコマーシャルも程なくして終わって、今度は教師の話を聞いたヒロインの反応が描かれる。教師の過去の話を聞くと、今までヒロイン、そして視聴者が見ていた彼らの思い出がまるで違ったもののように感じられる。これはそういう映画だった。
「なあ熱史」
有馬が息を詰めて画面を見つめているのを見ながら、煙ちゃんが俺の名前を呼んだ。
「俺たちもまた映画行こうな」
「……! うん」
ちょっと勢いよく頷きすぎたかもしれない。煙ちゃんが少し目を見開いた。そして苦笑する。やっぱり煙ちゃんが好きだ、と思う。離れたくない。離れられない。くそ、毎日メールしてやる。SNSだってチェックしてやるからな。そんなことを考えているとはつゆ知らず、煙ちゃんはテレビに目を向けている。
映画が終わると、もう十二時近かった。有馬はまだラストの衝撃が抜けないらしく、ときどき唸り声を上げている。煙ちゃんは大きくあくびをした。
「そろそろ歯磨いて寝るかあ」
「ああ、もうこんな時間か」
旅行に来て驚いたのは、煙ちゃんと錦ちゃんの寝る時間がだいたい同じということだった。旅行に来たから夜更かしして色々しゃべろう、みたいなことはしないらしい。確かにそれは、煙ちゃんらしいし、錦ちゃんらしくもあった。
「ええ、ふたりとももう寝るの?」
たぶんまだ映画の話をしたい有馬は不満げだが、そんなことでふたりが就寝時間を変えるはずもなく、連れ立って洗面所に行ってしまう。四人部屋に洗面所はひとつだから、順番に行ったほうがいい。俺は部屋にとどまることにした。
「鬼怒川もすぐ寝ちゃう?」
すると有馬が首を傾げた。ええと。
「いや、俺はもう少し起きてられるけど……」
「じゃあ、ちょっとだけ話そうよ」
……こうして見ると、有馬ってやっぱり、きれいな顔をしている。すっかり忘れていたけど、眉難高校美男コンテスト二位常連だけあるっていうか。
うーん、有馬って本当はすごく、人を誘うのが上手なんじゃないだろうか。別にどうこうするつもりはないけれど、錦ちゃんはこれをわかっているのかな。大学に入って、横に錦ちゃんもいない有馬って、とってもモテるんじゃないだろうか……。
「ふたりが寝ちゃったら、そっちで話そう」
俺が広縁のほうを指差すと、そうだね、と有馬が笑う。
「何時まで起きてる?」
有馬が思いの外ノリノリなので、俺は少し笑ってしまう。こうしていると、普段は大人っぽい有馬もけっこう普通の高校生みたいだ。
「鬼怒川って、普段夜更かしするほう?」
「そこまででもないけど」
「え?」
そんなことを言っていると、歯磨きを終えた煙ちゃんと錦ちゃんが部屋に戻ってくる。
「わり、次どうぞ」
「俺たちはもう少し起きてるから、まだ磨かなくていいかな」
有馬がゆったりと微笑む。煙ちゃんと錦ちゃんが顔を見合わせて、それから首を傾げる。
「いぶちゃんが、まだ寝たくないんだって」
「……いぶちゃんはやめて」