その眼差しが…
翌日。
翼は京都府警にいた。
お節介だと思う。
お人好しだと思う。
この機に奪い取ることだってできるかもしれない。
それでも……。
翼は誰よりも幸せを願うその人のために、もう一度だけ土門と対峙しようと決めた。
捜査一課の入り口から中をのぞく。
土門は窓際近くの席で、若い刑事と何事か話し合っているようだった。
どう声をかけようか悩んでいると、年配の婦警に呼び掛けられた。
「何かご用ですか?」
「あ、はい。土門刑事にお会いしたいのです」
翼は怪しまれることのないように、弁護士バッジをつけたスーツの衿をぐっと突き出した。
「……お待ちください」
婦警は土門に近づくと、こちらを指差し来客を告げているようだった。
顔をこちらに向けた土門は、翼と目が合うとやや驚いたように顎を引いた。
しかしそんな表情はすぐに消え、婦警に手を挙げると立ち上がり、翼に向かってきた。
「土門さん、お久しぶりです。すみません、突然……」
「いえ。何のご用……いや、確認する必要はないか。あいつのことで、何か?」
「はい。少し二人で話せますか?」
「では、こちらへ」
土門は翼を促し、屋上へ向かった。
「どうぞ」
土門は途中で買った缶コーヒーを翼に渡す。
「ありがとうございます……」
「それで、話というのは?」
「実は昨日、マリコ先生とお見合いをしました」
「………………」
「驚かないのですか?」
「………………」
「マリコ先生はあなたには秘密だと言っていましたよ?」
多少の脚色は許してもらおうと、翼は土門を煽る。
「何が言いたい?」
土門の声が低くなる。
現職刑事の地を這うような静かな怒りの声は、翼を震え上がらせるには十分だった。
だが、翼もここで引くわけにはいかない。
足を踏ん張り、拳を握った。
「土門さん。僕は一年前、一度はマリコ先生を諦めた。それはマリコ先生があなたを求めていたからだ。僕はあなたもそれに応えているものと思った。それなのに……。何故マリコ先生は今も独身なんですか!?」
「それは……」
「仕事を言い訳にはしないでください。男として最低だ!」
「お前に何がわかる?」
「さあ?あんたの気持ちなんて僕には分からないし、分かりたくもない!僕が分かっているのはマリコ先生の気持ちだけだ!」
いつの間にか、翼は『土門さん』から『あんた』へと呼び名が変わるほど激昂していた。
「榊の気持ち?」
「あんた……知ってるか?マリコ先生が子どもを欲しいと思っていること!」
「榊……が?子ども…………?」
目から鱗だった。
確かにマリコは意外にも子ども好きの一面がある。
だが、これまで具体的に「将来、子どもがほしい」なんて話しは聞いたことがなかった。
「やっぱり……。気づいてなかったんだな」
翼は土門を睨み付ける。
「土門さん。あんたが今のままマリコ先生を放っておくなら、僕は今度こそ全力で奪う。あんたは以前『榊を無理矢理自分のもとに閉じ込めておくことはできない』、そう言っていた。でも、違うだろう?」
「どういう意味だ?」
「あのときから、マリコ先生は自分の意思であんたの所に留まっていたんだ。なあ!早く気づいてやれよ……。マリコ先生だって普通の女なんだ。仕事ができても、美人でも、特別じゃない。そんなことも分からないのか、あんたはっ!」
土門は腕組みしたまま、足元を見据えていた。
さらに翼が何か叫んでいたが、土門は反応を返さない。
もう誰の声も、何の音も、土門の耳には届いていなかった。
翼は「ふう…」とため息をつくと、自分の世界に入ってしまった土門を眺める。
これ以上自分にできることはないし、してやることも癪だった。
あとは二人の問題だ。
それでも隙あらばマリコをかっさらう気持ちは変わらない。
翼は
――――― 一方。
土門も将来について考えていない訳ではなかった。
ただ、少し前に負った怪我が土門に二の足を踏ませていたのだ。
もし、また自分の身に何かあったら……。
マリコを一人遺すことになったら……。
そう考えると、どうしてもあと一歩が踏み出せずにいたのだ。
でも、それは土門の考えだ。
マリコも同じだとは限らない。
もしかしたら、そんな土門の考えなどすでに見越しているのかもしれない。
だからマリコは自分から、土門に何も求めようとはしないのか……。
土門は自分の手を見つめる。
この手でいつもマリコに触れ、その温もりを感じていた。
それなのに……。
本当はなに一つ、自分はマリコのことを分かっていなかったのかもしれない…………。