その眼差しが…
「いらっしゃいませ。お一人様でしょうか?」
「いえ。あの、待ち合わせで……」
マリコはキョロキョロと周囲に視線を巡らせる。
「お名前を伺えますか?」
「榊です」
マリコが名乗ると、ウェイターは納得したように頷く。
「榊さま。承っております。こちらへどうぞ」
先導するウェイターに続いて、マリコは進む。
案内された奥まったボックスシートには……。
「マリコ先生!?」
「
「「どういうこと!?」」
「なんでマリコ先生が?」
「翼くんこそ!」
二人して「何で?」、「どうして?」を繰り返す。
そのうち、ぷぷっと同時に吹き出した。
「とりあえず、お久しぶりです。昨年以来ですね…。お元気そうで何よりです」
「翼くんも。活躍、新聞や雑誌で拝見してるわ」
マリコの対面に座る男性 ―――――
彼の叔父はマリコの大学時代の恩師である。
その繋がりから、マリコは翼の大学受験時、家庭教師を引き受けていたことがある。
そのころの名残から、未だに翼はマリコに先生の敬称をつけて呼ぶ。
「ありがとうございます。さて……」
翼は落ち着くために、水を一口含んだ。
「マリコ先生がここに呼ばれた経緯、教えてもらえますか?」
「ええ。実は……」
マリコは四日前のことを思い返した。
「お見合いの練習、ですか?」
久しぶりにマリコの携帯に掛かってきたのは、恩師からの電話だった。
『そうなんだよ。こんなことを頼むのは実に失礼だと悩んだんだが…。既婚者には頼めんし、かといって本気で結婚を考えている女性では、相手が尻込みしてしまいそうでね……』
なんとも歯切れの悪い恩師によれば、知人の男性にお見合いを薦めているのだが、まるで興味を示さないのだと言う。
では、結婚願望がないのかといえば、そういう訳でもない。
話を聞いてみれば、結婚に前のめりで、積極的すぎる女性は嫌なのだと言う。
初めから結婚を前提にセッティングされた席が苦手らしい。
そこで、独身、結婚歴あり、しかし結婚願望はそれほど強くない…という理由でマリコが第一候補に挙がったらしい。
『お見合いというより、友人になる感覚で構わない。引き受けてはもらえないだろうか?』
恩師の頼み事を無下に断ることも出来ず、「一度会うだけなら…」とマリコは了承した。
そんな理由だったため、土門にも伝えず、マリコは一人ここにやって来たのだ。
「そうですか……」
翼は腕を組み、不機嫌そうだ。
「翼くんは?」
「マリコ先生、多分僕たち……嵌められましたね」
「どういうこと?」
「叔父に言われたんです。このお見合いは知人に頼まれてどうしても断れない。会うだけで構わないから、ぜったいにすっぽかすな!って」
「ええ!?話が全然違うわね」
マリコは目を大きく開き、口ともに手を当てる。
「すみません、マリコ先生……」
翼は叔父のしたり顔を想像して、眉間にシワをよせた。
「でも、どうして私なのかしら?」
マリコは不審げに首を傾げる。
これに対しては、翼は苦笑するしかない。
叔父は自分のマリコに対する気持ちが一年前から変わらずにいることを気づいていたのだろう。
悟られてしまうあたり、自分もまだまだだが…それにしても、と翼は老獪な叔父に舌を巻いた。
「ところで、お見合いなのに、よく土門さんが黙って送り出してくれましたね?」
「土門さん?特に話してないわ」
「え?大丈夫なんですか?」
「どうして?」
土門の名前を出した途端、視線が定まらないマリコに、翼は小さく笑う。
「マリコ先生は隠し事が下手だな。知ってますよ、土門さんとのこと」
「えっ……?」
「一年前、一緒に食事をしたこと、覚えていますか?」
「え?ええ。もちろん」
「あの日、マリコ先生は酔いつぶれてしまって。僕が家まで送ろうとしたら、すでに店の外には土門さんがいました。そして、マリコ先生は自分が送ると言って、あなたを僕の手から奪った。その時、気づきました。お二人はそういう仲なんだと…。違いますか?」
「もう!年上をからかわないで……!」
マリコは羞恥に顔を赤くする。
「からかってなんていませんよ。僕はてっきりもう土門さんと……」
「なに?」
「いえ……」
「あー、うー!」
話の途中で、ぽすんとマリコの足元に何かがぶつかった。
視線を向けると、まだ足取りの覚束ない小さな子どもがペタリと座り込んでいた。
「あら?ごめんね。気づかなかった…。怪我はなぁい?」
マリコはしゃがみこむと、その子を抱き上げ、肘や膝を擦りむいていないか確認する。
「すみません!」
母親が慌てて走りよってきた。
「お会計しているうちに何処かへ行ってしまって…」
「私とぶつかって転んでしまったんです。怪我はないようですが……すみません」
「いいえ!とんでもない。こちらこそご迷惑をおかけしました」
ペコペコと頭を下げる若い女性は、よちよち歩く子どもの手を引いていく。
振り返った子どもはマリコと翼に、「ばー」と声を上げ、手を振る。
「バイバイ」
振り返すマリコは嬉しそうだった。
目もとに柔和なシワを刻み、自然と緩んだ口角が優しげに微笑む。
「可愛いわねぇ。一歳になるかどうかぐらいかしら……」
「マリコ先生……」
「なに?」
「子ども欲しいと思わないんですか?」
聞いてから、思わず「しまった!」と翼は失言に気づいた。
「すみません、セクハラですね。忘れてください」
「いいわよ、別に。翼くんだもの。そうねえ。できれば……ね」
マリコは先程とは違って、淡く微笑む。
その顔が、どことなく寂しげに見えたのは翼の思い過ごしだろうか?
「母さんなんて、母の日の度に孫をプレゼントしろって煩いのよー」
おどけるようにマリコは肩をすくめる。
「でもね………………」
小さな囁きはそこから続くことなく、消えていった。
結局この日は「久しぶりに会ったのだから」、とマリコの提案で場所を移し、小料理屋で食事と軽く酒を飲んだ。
そして翼はマリコを家の近くまで送り届け、二人は別れたのだった。
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