オパールと暗号
ようやく張り込みの交代を終え、土門が腕時計に目を向けるとすでに日付が変わっていた。
スマホを取り出し、コールしかけ……やはり、辞めた。
『こんな時間だ、もう寝ているかもしれない』
土門は先伸ばす口実を探る。
『また明日かければいい……』
そう自分に言い聞かせる。
だが。
そうではない。
かけたところで、マリコが電話に出ることはないだろう……。
土門は嘆息し、スマホをしまった。
三日前。
自転車を修理に出していたマリコは、ここ数日バスで通勤していた。
土門は、「修理期間中はうちから通えばいいだろう」と提案した。
張り込み中のため毎日は無理だが、送迎つきだし、何より一緒にいられる時間が増える。
けれど、マリコは頑として首を縦に振らなかった。
何度聞いても理由を答えないマリコに痺れを切らした土門は……。
「勝手にしろ!」
そう言い放ち、マリコと喧嘩別れをしたのだ。
そのまま自宅へ帰る気にもなれず、土門の足は自然とmicroscopeへ向かっていた。
「こんばんは」
「おや?いらっしゃいませ、土門さま」
マスターはくすくすと笑って土門を迎える。
「あの、何か?」
「いえ。失礼いたしました。今夜は榊さまもお見えになっていたもので……」
「榊が!?」
「はい。でも随分前にお帰りになりました」
「あいつ、何か言っていましたか?」
「いいえ。特に何もお聞きしていませんが?ただ……」
「何ですか?」
「オパールを連れて帰られましたよ」
「オパール?それはここの猫、でしたか?」
「はい、そうです。明日は非番なのでオパールと遊びたいと仰っていました」
「そうですか……」
「そう、そう。それに。『オパールをお預けして大丈夫ですか?』とお聞きしたら、『大丈夫です』とお答えになられました」
「それは……?」
「続きがあるのです。その後で、榊さまは『大丈夫じゃないのは…』と言葉を濁されていました」
「……………」
土門は沈黙する。
マリコの言葉が何を意味するのか…土門にも伝わり始めていたからだ。
「土門さま」
「はい」
「オパールは外に放していただければ、自分で帰ってきます。賢い子ですから。それに、榊さまにお貸ししたオパールのお泊まりセットは、また返していただければ結構です」
「マスター……」
「そう、榊さまにお伝えください」
「いえ、今夜は……」
土門は眉間にシワを寄せ、言葉を途切れさせる。
そんな土門の様子に漏れそうになる苦笑を堪え、マスターは感情を消した声で告げた。
「今夜逢わずにいつ逢うのですか?榊さまはどうしてもオパールに居て欲しくて連れ帰ったわけではないでしょう。それはきっとオパールにも分かっているでしょう。自分は誰かの代わりに榊さまの側に居て、慰めるのが役目なのだと」
「……………」
「あの子は本当に榊さまを気に入っているようです」
マスターは一人と一匹を思い、少しだけ口元を綻ばせた。
「土門さま。オパールは誰の代わりなのか…。まだ説明が必要ですか?」
「…………失礼します」
土門はmicroscopeを飛び出した。
「お気をつけて。次回はお二人でのお越しをお待ちしております」
マスターは深々と頭を下げた。