居場所
居場所
「今ごろ、あいつは空の向こうか……」
1ヶ月前には、まさかこんなふうに空を見上げ、こんな台詞を吐くとは…土門は夢にも思っていなかった。
始まりは一本の電話からだった。
そのとき、土門とマリコは屋上にいた。
互いに持ち寄った情報をもとに、事件の真相に迫りつつあったのだ。
「土門さん、ごめんなさい。………はい、榊」
着信を告げた電話に一言二言発し、頷いたマリコは電話を切った。
「何か出たのか?」
「いいえ。藤倉刑事部長に呼ばれたわ」
「刑事部長に?」
「ええ。行ってくるわ」
「ああ」
マリコは一足先に屋上を去った。
土門も後を追うように、扉へと足を向ける。
ほどなくして、屋上から人影は消えた。
『どうぞ』の声を聞き、マリコは扉を開けた。
部屋に入ると、応接セットのソファに一人の男性が腰かけていた。
その男は背もたれに背中を預けることなく、前屈みで両手を前に組んでいた。
「……ドクター?」
マリコはその男に向かって呼びかけた。
すると、男はにっこり笑ってマリコへ顔を向けた。
縁のない眼鏡と色白の顔がインテリ特有のやや冷たい雰囲気を与える。
でも笑うと下がる目尻や、くしゃりと崩れる表情はとてもチャーミングだ。
「久しぶりだな、榊マリコ。ちなみに、二年ほど前に教授になった」
「そうでしたか!失礼いたしました。改めてお久しぶりです。清水先輩」
清水 義人 。
マリコの大学時代の先輩だ。
とてつもなく優秀な頭脳の持ち主で、当時ついた呼び名が『ドクター』だった。
恐らく今は『プロフェッサー』といったところだろう。
その頭脳を買われ、卒業と同時に渡米し、そのまま現在までアメリカの大学で研究を続けている……とマリコは以前、人づてに聞いていた。
清水とは同じゼミではあったが、重なったのは一年間のみで、まさか相手が自分を覚えているとは…マリコには意外であった。
「それにしても、よく私のことを覚えてらっしゃいましたね?」
「記憶力には自信がある。榊マリコ、好奇心、探求心が強く、頭脳明晰。しかし、芸術分野への造形はゼロ。対人関係において、少々の難あり。……と、記憶しているが?」
縁なし眼鏡の奥の瞳がうかがうようにマリコを見る。
「今でもあまり変わりませんな」
会話に参加した藤倉は、笑いを堪えてマリコを見ている。
マリコはくりっと開いた目でそんな藤倉を見返すと、改めて清水へ向き直った。
「それで、私に何のご用でしょう?個人的にではなく、府警を通してお見えになるなんて」
「察しがいいな。そういう人間は男でも女でも好感が持てる。単刀直入に聞く。暫く私の部下として研究を手伝う気はないか?」
「……………」
「清水教授はご自身の研究テーマである犯罪心理学と、科学捜査を融合させ、より精度の高いプロファイリングをデータベース化するプロジェクトを日米警察組織と合同で進めておられる。今回、新たな研究員を探すため、来日されたそうだ」
藤倉は、マリコへプロジェクトの資料を手渡した。
「機密度の高い案件なのでね。能力はもちろん、信頼性も重要になってくる。そこで、君の噂を聞いた。私自身も過去とはいえ、君を知っているというのは大きな利点だと思った。それにどうやら君は……ただの科捜研職員とは違うようだ。そこにも興味を惹かれた」
そう言うと、清水と藤倉は目配せしあう。
「お前の職域を逸脱した行為が、教授のもとでは大いに役立ちそうだろう?」
「!」
マリコはいっそう目を見開き、二人の顔を見比べる。
「榊、任期は5年だ」
「………5年」
「任期満了後は再び科捜研へ戻ってもらうつもりだ。籍は残し、表向きは出向という扱いになるな」
「出向……アメリカに、ですか?」
藤倉の言葉に、マリコは顎に手を当て考え込む。
「今すぐに決めろとは言わない。2週間は日本に滞在している。その間に返事を聞かせて欲しい」
清水はマリコに自分の名刺を渡した。
「……はい」
「榊マリコ、突然のことだ。悩むこともあるだろう。だがこの誘いは、科学者の君にはメリットが大きいはずだ。よく考えてくれ」
清水は立ち上がると、ポンとマリコの肩を叩いた。
マリコは、清水と土門は同じくらいの背丈なんだ……と脈略もなく、ぼんやりと思った。
『5年』
『アメリカ』
そのキーワードがマリコの頭の中を巡る。
そして。
……………『土門さん』
そのキーワードの持つ重みに、ようやくマリコは気づきつつあった。
「今ごろ、あいつは空の向こうか……」
1ヶ月前には、まさかこんなふうに空を見上げ、こんな台詞を吐くとは…土門は夢にも思っていなかった。
始まりは一本の電話からだった。
そのとき、土門とマリコは屋上にいた。
互いに持ち寄った情報をもとに、事件の真相に迫りつつあったのだ。
「土門さん、ごめんなさい。………はい、榊」
着信を告げた電話に一言二言発し、頷いたマリコは電話を切った。
「何か出たのか?」
「いいえ。藤倉刑事部長に呼ばれたわ」
「刑事部長に?」
「ええ。行ってくるわ」
「ああ」
マリコは一足先に屋上を去った。
土門も後を追うように、扉へと足を向ける。
ほどなくして、屋上から人影は消えた。
『どうぞ』の声を聞き、マリコは扉を開けた。
部屋に入ると、応接セットのソファに一人の男性が腰かけていた。
その男は背もたれに背中を預けることなく、前屈みで両手を前に組んでいた。
「……ドクター?」
マリコはその男に向かって呼びかけた。
すると、男はにっこり笑ってマリコへ顔を向けた。
縁のない眼鏡と色白の顔がインテリ特有のやや冷たい雰囲気を与える。
でも笑うと下がる目尻や、くしゃりと崩れる表情はとてもチャーミングだ。
「久しぶりだな、榊マリコ。ちなみに、二年ほど前に教授になった」
「そうでしたか!失礼いたしました。改めてお久しぶりです。清水先輩」
マリコの大学時代の先輩だ。
とてつもなく優秀な頭脳の持ち主で、当時ついた呼び名が『ドクター』だった。
恐らく今は『プロフェッサー』といったところだろう。
その頭脳を買われ、卒業と同時に渡米し、そのまま現在までアメリカの大学で研究を続けている……とマリコは以前、人づてに聞いていた。
清水とは同じゼミではあったが、重なったのは一年間のみで、まさか相手が自分を覚えているとは…マリコには意外であった。
「それにしても、よく私のことを覚えてらっしゃいましたね?」
「記憶力には自信がある。榊マリコ、好奇心、探求心が強く、頭脳明晰。しかし、芸術分野への造形はゼロ。対人関係において、少々の難あり。……と、記憶しているが?」
縁なし眼鏡の奥の瞳がうかがうようにマリコを見る。
「今でもあまり変わりませんな」
会話に参加した藤倉は、笑いを堪えてマリコを見ている。
マリコはくりっと開いた目でそんな藤倉を見返すと、改めて清水へ向き直った。
「それで、私に何のご用でしょう?個人的にではなく、府警を通してお見えになるなんて」
「察しがいいな。そういう人間は男でも女でも好感が持てる。単刀直入に聞く。暫く私の部下として研究を手伝う気はないか?」
「……………」
「清水教授はご自身の研究テーマである犯罪心理学と、科学捜査を融合させ、より精度の高いプロファイリングをデータベース化するプロジェクトを日米警察組織と合同で進めておられる。今回、新たな研究員を探すため、来日されたそうだ」
藤倉は、マリコへプロジェクトの資料を手渡した。
「機密度の高い案件なのでね。能力はもちろん、信頼性も重要になってくる。そこで、君の噂を聞いた。私自身も過去とはいえ、君を知っているというのは大きな利点だと思った。それにどうやら君は……ただの科捜研職員とは違うようだ。そこにも興味を惹かれた」
そう言うと、清水と藤倉は目配せしあう。
「お前の職域を逸脱した行為が、教授のもとでは大いに役立ちそうだろう?」
「!」
マリコはいっそう目を見開き、二人の顔を見比べる。
「榊、任期は5年だ」
「………5年」
「任期満了後は再び科捜研へ戻ってもらうつもりだ。籍は残し、表向きは出向という扱いになるな」
「出向……アメリカに、ですか?」
藤倉の言葉に、マリコは顎に手を当て考え込む。
「今すぐに決めろとは言わない。2週間は日本に滞在している。その間に返事を聞かせて欲しい」
清水はマリコに自分の名刺を渡した。
「……はい」
「榊マリコ、突然のことだ。悩むこともあるだろう。だがこの誘いは、科学者の君にはメリットが大きいはずだ。よく考えてくれ」
清水は立ち上がると、ポンとマリコの肩を叩いた。
マリコは、清水と土門は同じくらいの背丈なんだ……と脈略もなく、ぼんやりと思った。
『5年』
『アメリカ』
そのキーワードがマリコの頭の中を巡る。
そして。
……………『土門さん』
そのキーワードの持つ重みに、ようやくマリコは気づきつつあった。
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