選ばれる男、選ばれた男
翌朝、出勤する土門を倉橋は待ち伏せた。
「土門刑事」
「倉橋部長!?」
想定外の出来事に、土門は目を丸くする。
「土門刑事。昨日は申し訳なかった。マリコと約束があったんだろう?」
「いえ」
「マリコに叱られた。強引だって、ね」
「………」
「ああ、誓って言うけど。昨夜はマリコをマンションの部屋の前まで送り届けたあとは、僕は自分のホテルへ帰ったから。何なら、レシートも取ってある……」
「いえ。結構です」
ごそごそとポケットを探りだす倉橋を、土門は阻む。
『そう?』と手を止めた倉橋は、改めて土門に向き合う。
「土門刑事、僕はこれから大阪へ戻る。乗る予定の新幹線はマリコにも伝えておいた……意味、分かるだろう?」
「……………」
「どうするかはマリコ次第だけどね。では、失礼するよ」
言いたいことだけ言うと、倉橋は待たせておいたハイヤーに乗り込む。
黒い車体は滑らかに走り出した。
土門は暫く立ち尽くしていたが、徐にマリコへ電話をかける。
しかし、呼び出し音が鳴るばかりで繋がらない。
続けて科捜研を呼び出すと、宇佐見が出た。
「マリコさんですか?いえ、まだ……あれ?休暇になっていますね?昨日は違ったはずですが……」
そこまで聞いて、土門は再び外へと飛び出した。
駐車場へ戻り、駅へと車を飛ばす。
しかし出勤するマイカーと重なった上に、観光客を乗せたタクシーも増え、思うように進めない。
土門はイライラと何度もハンドルに拳をぶつける。
何とか駅近くの空き駐車場に車を停めると、新幹線の改札へ急いだ。
あと二分で発車するひかりを見つけると、公私混同に目をつぶり、手帳を駅員に突き付け改札を通り抜ける。
エスカレーターさえもどかしく、階段を数段飛ばしで駆け上る。
途中で発車のベルが鳴り、扉の締まる様子が目に映った。
「はぁ、はぁ……くそっ!」
土門は上がった息さえそのままに、自分の足を拳で強打する。
「土門さん!?どうしたの?」
背後から聞こえたその声に、土門は心臓が止まるかと思った。
恐る恐る振り返ると、マリコが心配そうな表情で立っていた。
「土門さん、だいじょう……えっ!?」
話している最中なのに、マリコの体がぐいっと物凄い勢いで引っ張られた。
「…ちょ、ちょっと!ここホームよ!?」
急に土門に抱き込まれる形になったマリコが焦った声をあげる。
「だからなんだ?」
「だから、って……」
「お前が………」
「え?」
「お前が、大阪に行くんじゃないか…って」
「行かないわよ!まだ鑑定も途中なのに……」
そう言っても、まるで土門の力が緩む気配はない。
マリコは目を閉じると、ぽんっ!と土門の背中を叩く。
「もしかして、心配したの?私が倉橋さんを選ぶかもしれないって?」
「……………」
その沈黙が、マリコには愛しい。
「……………ばかねぇ」
マリコはぎゅっと土門を抱き締めた。
そろそろ時計の針が10時を指そうかという頃、科捜研のパブリックスペースでは宇佐見が茶器の手入れをしていた。
「あれ?宇佐見さん。マリコさんの休暇って来週ですよ?」
「ああ、本当ですね。カレンダーを一段見間違えてしまいました」
「………」
『参ったな…』などと、絶対に思ってはいないとぼけた顔の宇佐見に亜美は呆れる。
それでも、それがマリコのためだということは分かる。
だから、亜美は気づかない振りをして解析中の画面に意識を戻した。
流れる車窓に目を向けながら、倉橋は少し前のマリコとの会話を思い返していた。
「……と、藤倉君に言われたんだ」
マリコはおかしそうに声をたてて笑う。
実に楽しそうな笑顔に、倉橋は少し驚いた。
最近は自分も歳を取り、若い頃のようにはしゃぐことはめっきり減った。
マリコもそうだと思っていた。
実際、昨日会ったときには落ち着いた女性になったと目を見張ったくらいだ。
だが、今の彼女はあの頃と同じように可愛らしい表情をのぞかせていた。
それが誰のせいか、分からないほど倉橋もバカではない。
だから、彼女の返事も予想がついた。
「刑事部長の言う通りだと思うわ。倉橋さん。私……」
「分かった。やっぱり、君は『京都府警科捜研の榊マリコ』だ」
「倉橋さん……」
今回、倉橋に下心が一ミリもなかったといえば嘘になる。
土門への挑発のような台詞も倉橋の本心だ。
だが、倉橋は初めから分かっていた。
マリコにとって自分はすでに過去の人間なのだ…。
「元気で。またこっちへ来たときは、食事ぐらい付き合ってくれよ?」
倉橋は苦い気持ちを隠し、軽い調子で話を続ける。
「いいわよ」
「約束だぞ?心配しなくても、ちゃんとご馳走するから」
するとマリコは首をふった。
「それなら行かない」
「何で?」
「割り勘なら行くわ。私、奢ってもらう人は決まってるの」
「!……そりゃ、相手は災難だな」
倉橋は苦笑する。
もう、入り込もうなんて……隙間を探す気にさえならない。
そんな話をしていると、発車のベルが鳴り出した。
「マリコ、困ったことがあれば連絡しろよ?」
「ありがとう。倉橋さんも元気で……」
最後に微笑んでくれたマリコを残し、新幹線は発車した。
土門はマリコを連れ、車に戻った。
そして駐車場から少し走り、静かな道路脇に車を停車させた。
助手席に収まったマリコは、倉橋の来訪目的について話してくれた。
「大阪府警の科捜研に、新しい部署を設立することになったんですって。それであちこちから補充する人員を探していたみたいね。所長と私の名前もあがっていたから、他県の科捜研の視察も兼ねて、倉橋さんが私たちの意向を確認しに来たそうよ」
「そうか。そういう理由だったのか……」
「でも私たちに話す前に、藤倉部長に断られた、って言ってたわ」
「部長に?」
「ええ。所長を引き抜くなんて、もっての他だし、私は……」
「ん?なんだ?」
自分を見上げるマリコに気づき、土門はマリコに顔を向ける。
「私がいなくなったら、暴れだす大型犬を宥める人がいなくなるから、ですって!」
くすくす笑うマリコに、土門は眉を上げる。
「それはお互い様だろう。お前一人大阪に行ってみろ!あっちの科捜研はたちまち破産だし、バタバタと研究員が過労で倒れるに決まってる!」
「ちょっとー、それは言い過ぎよぉ!」
マリコはぷっと頬を膨らませ、口をへの字に曲げる。
「藤倉部長はよく分かってるな………」
土門はふっと真面目な顔に戻ると、マリコをじっと見つめる。
「え?」
「俺たちのことだ。俺も、お前も。一人より二人の方が……」
そういうと、土門は助手席のマリコに手を伸ばした。
ハザードランプの規則的な音が響く車内で、二つの影がいつもより少しだけ長く寄り添う。
それは、『奪われる』そう危惧した男の独占欲の表れ……かもしれない。
fin.
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