選ばれる男、選ばれた男
「じゃぁ、土門さん。後で」
「ん。連絡しろよ?」
土門はマリコの柔らかな手を惜しみつつ解放する。
去り際に小さく頷くと、マリコは土門とは反対の方向、科捜研へと戻って行った。
土門は一課へと足を向ける。
室内はどことなく落ち着きのない空気に包まれていた。
「何かあったのか?」
土門は隣のデスクの蒲原に声をかける。
蒲原は少し困ったような表情で『実は……』と言う。
「何だ?」
「大阪府警から、倉橋警務部長がお見えになっているんです」
「何?……何の用か聞いてるか?」
「いえ、わかりません。ですが、先ほど日野所長が藤倉刑事部長の部屋に入っていくのを見たんです。もしかしたら……」
「もしかしたら……なんだ?」
土門の凍てつく声と表情にようやく気づいた蒲原が青ざめる。
「いえ。単なる自分の想像です。忘れてください」
「……………」
土門の眉間にシワがよる。
大阪府警の倉橋が京都府警に一体何の用があるのか?
もちろん仕事だろうが……。
だが、それはわざわざ警務部長本人が足を運ぶほどのことなのか?
今、京都では大阪府警と関わるような事件は起きていない。
そう考えると、倉橋が直接来ることが望ましく、日野所長とも関連性があるかもしれないこと……。
「あいつに……ということか?」
抑揚の感じられない声が、ぽつりと漏れた。
一方、科捜研では。
「戻りました……?」
マリコが足を踏み入れると、全員が一斉に振り返った。
「どうかしたの?」
不思議そうに小さく首を傾げるマリコ。
「マリコくん、あの……」
「よお!マリコ!元気だったか?」
歯切れの悪い日野の背後から、被せるように声が響く。
と、同時にひょっこり顔が現れた。
「……倉橋さん!?」
マリコは目を丸くする。
そして……。
「何でいるの?」
「おい……ご挨拶だな。これでも君よりうんと立場は上だぞ。それだけじゃ、ない。僕は君の……」
「倉橋さん、それ以上は必要のないことだと思いますけど?」
つーんと思わぬ反応を受けて、倉橋はしゅんと項垂れる。
腐っても元旦那である。
マリコも少し意地悪すぎたかしら?と表情を和らげる。
「それで、本当にどうしたの?仕事でしょう?」
「ああ。ちょっとな。その件で……マリコ。少し…話、いいか?」
倉橋はマリコを促し、二人で研究室へ入っていく。
うずうず……。
日野は、興味津々の呂太の様子に嘆息する。
「亜美くん、説明してあげて。宇佐見くん、僕たちは鑑定を続けよう」
「はい……」
残された亜美と呂太は、始めこそ声を潜めて話していたが、最後には『もしかして、マリコさんを連れ戻しに来たの!?』と呂太は大声をあげ、亜美にぺしっと頭を叩かれることとなった。
その夜、マリコと約束していた時刻を一時間ほど過ぎてから、ようやく土門は体が空いた。
すぐにスマホをチェックすると、マリコから連絡が入っていた。
『今夜はどうしても都合が悪くなった』とだけ。
理由は何も添えられてはいない。
それでも、いや、それだからこそ、土門は燻り、苛つく気持ちを押さえることができなかった。
そして、そんな土門に追い討ちをかけるような出来事が起きたのは、それからさらに一時間後。
さっきのメールに、どうにも気持ちの収まらない土門は無意識にマリコのマンションへと車を走らせていた。
向かいの道路に車を停め、見上げると、マリコの部屋はまだ暗いままだ。
どうするか…、暫し思案している土門の車の横をタクシーが通りすぎ、マンションの前で停車した。
車中から降り立ったのは、一組の男女。
女の方はシルエットだけでも間違えるはずがない……マリコだ。
そして男は。
対向車のライトに一瞬、横顔が照らされた。
「倉橋……」
土門は自分の声が予想以上に固いことに驚いた。
そして、並んでマンションへと入っていく二人を見送ると、土門は静かに車をスタートさせた……。
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