『yes』





「……き、榊!おいっ!」

土門の呼び掛けにマリコがはっと顔を上げる。
土門は心配そうにマリコを見つめ、その唇に手で触れた。

「そんなに噛みしめるな。血が滲んでるぞ……」
言われれば、マリコの口内は鉄の味が広がっていた。

「こっちもだ」
そういって土門は握りしめたままのマリコの手をゆっくりと広げさせた。
マリコの手のひらには、爪のあとが痛々しいほどにくっきりと刻まれていた。

「土門さん……」
「ん?」

「…………」
「なんだ?」
問いかける土門の顔は穏やかで、マリコを見つめる視線はいつもと変わらず優しい。
それでも、マリコの不安は拭えない。
もし、本当に土門が自分との関係の変化を望んでいるのだとしたら……。



――― どうしたら……いいの……?



マリコは自分の意思とは関係なく、ぽろぽろと涙を零した。

「おい!?」
土門は突然のマリコの涙に大いに焦り、ハンカチを取り出すことも思いつかず、手のひらでマリコの涙をぐいぐいと拭う。

「土門さん……」
「なんだ!?」
「……………………痛い」
「あ、すまん……」

マリコの頬からパッと手を離し、大丈夫か?と土門は心配そうだ。

「突然どうしたんだ?どこか痛むのか?……いや、それは俺が擦りすぎたせいだな、すまん」

狼狽える土門の姿に、悲しいのに可笑しすぎて、マリコはぷっと吹き出す。

「榊?」
土門は訳が分からないといった様子で、今度はそおっとマリコの涙を拭き取る。

「土門さん……」
マリコはその土門の手を捕まえ、押し返す。

「榊?」
「どうして…こんな話をするの?」
「こんな……?」
「土門さんは……。土門さんは、今のままでは良くないと思っているの?」
「良くない?何がだ?」
「何がって…………」
マリコは一瞬言い淀む。
それでも気持ちを奮い立たせて、続けた。

「私と土門さんの関係よ!」

ああ!とようやく得心のいった土門は、腕を組み顎に触れる。
「良くない、とは思わん。だが、変わるべきとは考えている……」

マリコは顔から血の気が引いていくのが分かった。
「そう……。分かったわ!私も土門さんの邪魔には……なりた……く…な……」

それ以上は、声にならなかった。
マリコは顔を手で覆ったまま、堪えきれずに嗚咽を漏らす。

土門はそんなマリコを優しく抱き締め、背中をぽんぽんとあやすように叩く。
しばらくそうしていると、マリコは落ち着きを取り戻したのか、嗚咽もやがて止まった。

「榊、まずはゆっくり息を吸え」
すぅーとマリコは土門に従う。
「ゆっくり吐け」
ふぅー、細い息が吐き出された。

「少しは落ち着いたか?」
「……………」

「榊。俺を見ろ」
「……………」
マリコはおずおずと顔を上げた。

「いいか、よく聞け。俺はお前を邪魔だと思ったことは一度もない。これまでも、そしてこれからだってありえない。必要だとは思っても邪魔だなんてことは絶対にない!分かったか?」

マリコはただ土門を見つめる。

「お前は誤解している。俺が望む変化はお前と離れることじゃない……というより、むしろその逆だ」
「………どういう、こと?」
「この先、万が一、お前の傍にいることができなくなったとしても……。それでも、俺はお前とは繋がっていたい。お前はどうだ?…………同じ、か?」
マリコはただコクコクと頷く。

「そうか」
土門は、ほっと詰めていた息を吐いた。

「それなら……。榊、俺はお前に誓う」
土門はマリコの頬に右手を添え、左手は、マリコの膝に置かれた手を握る。

「俺の想いは、距離も…、時間さえも超えてお前とともにある。いつも、いつも、お前の傍に。必ず……」

マリコをしっかりと見つめたまま土門は厳かに囁く。

「今はまだ、あの教会を眺めながら誓うだけだが……」
土門は自分達を見守るように静かに佇むチャペルに目をやる。
そして、視線をマリコへと戻し……。

「いつかは……」
そう口にする。

マリコは泣き笑いの顔で、土門を見つめていた。
やがて、そこから言葉の続かなくなってしまった土門を勇気づけるように、マリコはその手をぎゅっと握り返す。


『大丈夫。私も貴方と同じ想いだから……』


そんなマリコの気持ちは、繋がった手のひらから土門へと伝わる。

土門は一つ息を吸い込む。
そして、改めてマリコと視線を合わせた。

今、この瞬間も。
そして、これから未来さきも。
土門の瞳に映るのは、ただ一人だけ。


病めるときも。
健やかなるときも。
そして、ともに寄り添えないときでさえ……。

――――― お前の想いも、俺とともにあると………。



『誓ってくれ、榊』




fin.



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