stay with me darling …
『今夜は眠れそうにない……』
マリコはぽっかり空いた隣に目をやる。
半分だけシーツの整ったベッドは、嫌でもその人の不在をマリコへ意識させる。
今までそんな風に誰かの不在を淋しく感じることなどなかったのに……。
「土門さん……」
『ホシが自首してきた。すまんが、たぶん今夜は帰れない。先に休んでいろ』
日付が変わる少し前に掛かってきた電話。
もちろん、そういう仕事なのだから仕方ない。
けれど、それなら明日からは自分も裏付け捜査の鑑定で忙しくなるだろう。
また暫く二人の時間は持てなくなりそうだ……。
マリコは慰みに手にしたそれを胸元に抱き締める。
そうして、一人寝の淋しさに一雫だけ枕へ零す……やがて、その瞳は静かに閉じられていった。
夜半を大部過ぎてはいたが、粗方聴取の目処がたったところで、土門は後を蒲原ら若手に任せ、帰宅の途についた。
先程の電話のマリコの声が、何とはなしに気になったからだ。
約束が反故になることなど、お互いよくあることだ。
いちいち気にしていてはこの仕事は続けられないし、そんなことは自分もマリコもよく分かっている。
――― ただ。
そうは言っても、常に割り切って考えられるわけではない。
大切な相手だからこそ、単純には割りきれない……そう土門は思っている。
そして、今日のマリコの声色は、そんな土門の琴線に触れる何かを含んでいたのだ。
真っ暗な室内に入った土門は、音を立てないようにジャケットとネクタイを外し、ソファの背に放った。
そして寝室へ向かうと、そっとドアを開いた。
マリコは眠っているようだった。
スー、スー、と規則正しい寝息が聞こえる。
『取り越し苦労だったか?』と土門はマリコの様子を覗きこむ。
それなら、それで構わない。
しかし目を凝らせば、マリコの頬には乾いた筋のようなものが見てとれた。
「榊……」
吐息だけで名前を呼び、そっと頬に触れてみる。
カサリとしたその筋は涙の筋に違いなかった。
さらに土門は、マリコが何かを握りしめていることに気づいた。
「?」
少しだけ布団をめくる。
「………!?」
マリコの様子を見て、土門は口元を手で覆い、暫く天井を見つめた。
「………」
そのいじらしさにとうとう我慢できず、土門はマリコの隣に滑り込んだ。
布団の隙間から忍び込んだ冷気と、ベッドが重みに沈む感覚にマリコが身じろぐ。
土門はマリコの手からそれを引き抜こうと、ゆっくり引っ張る。
「ん……」
土門が動きを止める。
しかし、すぐにマリコはまた深い眠りに落ちる。
今度は少し強めに引いてみた。
するとマリコは無意識に眉間にシワを寄せ、離すまいと体を丸める。
「………」
なかなか手放そうとしないマリコに痺れを切らした土門は、まず、バラけたマリコの髪を整えた。
そうして現れた小さな耳に息を吹きかける。
次に、耳の輪郭を舌でなぞっていく。
「んん………。ふっ」
小さく吐息混じりの声をあげるマリコからは徐々に力が抜けていく。
頃合いを見計らって、土門は一気にそれを引き抜いた。
「!?」
流石にマリコは目を開けた。
「え!?土門さん??」
「ただいま」
「おかえりなさい……って今日は帰れないんじゃ……?」
「後は蒲原たちに任せてきた。帰ってきて正解だったな」
「?」
「こんなもので代用されるなんて、癪に触る」
土門は眉を持ち上げ、今しがたマリコから奪い取った自分のスウェットをベッドの下に投げ捨てた。
「抱きつくならこっちにしろ」
土門はマリコの体を引き寄せる。
今日のマリコは躊躇うことなく、土門の胸の中に収まった。
「やけに素直だな……?そんなに淋しかったのか?」
土門は頬に残る涙の後をぐいと親指で拭き取った。
マリコは無言で土門の首に腕を回し、頬を合わせて顔を埋めた。
「榊?それは…………もしかして、お誘いか?」
『うん』とは言わないことは百も承知だが、土門はイタズラ心から聞いてみる。
ついでに、背筋をつつぅーと指で辿りながら。
マリコはくすぐったさに身をよじる。
そして一瞬、土門をちらりと見る。
「……………分からない」
「!?」
――― 分からない?それはどういう意味だ?
『誘っているのよ。分からない?』
なのか、
『誘っているのかどうか、自分でもわからない……』
なのか?
どちらにしても、拒否の言葉ではないと土門は受け取った。
意識すれば、包み込んだマリコの体からは土門を惹き付けてやまない、彼女の香りが色濃く立ちのぼる。
土門の体内を世話しなく血流が巡り出す。
『こんな時間から…』とか、『明日も早いが…』と躊躇はするが、土門も男である。
今夜は欲望が勝ったとしても、仕方ないだろう。
「榊……」
土門はマリコの背中に回していた手を腰の辺りに移動させ、裾から潜り込ませた。
ふっ、とマリコの腕が土門の首から滑り落ちる。
土門はそのまま、マリコの首筋に吸い付く。
しかし………。
いつもなら『んっ!』と堪えるような声を発するはずが、今、土門の耳に聞こえるのは、スー、スー、と穏やかな息づかいのみ。
「…………」
高ぶる自身を、さあどうしたものか…?と考えながらも、土門は少しだけ嬉しくもあった。
なぜなら自分の腕の中で眠るマリコの顔は穏やかで、満ち足りているように見えるからだ。
――――― 今夜は傍にいて……。
声にはならなかった電話でのマリコの願いを、自分は正しく汲み取れたようだ。
仕方ない……と小さく嘆息し、土門はマリコの右手を自身の左手で絡めとる。
「朝は少しばかり早起きしてもらうからな……」
土門の言葉が聞こえたのかどうなのか、マリコは土門に身を寄せる。
土門は繋がる手をもう一度しっかりと握り直した。
『今夜は離さない』……その気持ちが伝わるように。
fin.
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