魔法の手
翌朝、マリコが出勤すると、心美が『マリコさん……』と声をかけてきた。
マリコは心美を部屋へ招き入れた。
「あの、昨日はごめんなさい」
ペコリと心美は体を半分に折り曲げる勢いで頭を下げた。
「心美ちゃんのせいじゃないわ。私のほうこそ、みっともないところを見せてごめんなさい」
心美は首をふると、マリコをまっすぐ見つめた。
「マリコさん、私、土門さんのことが好きです。前に神奈川県警で一緒に捜査したときから……」
「……………」
「マリコさんに敵うとは思わないけど、でも諦めたくないんです。だからごめんなさい」
それだけ言うと、心美は部屋を出ていった。
マリコは何も答えられなかった。
年下の子でさえ、あんなにはっきり自分の気持ちを伝えてくれたのに。
マリコは彼女の真っ直ぐさと、キラキラとした若さを羨ましく思った。
定時少し前、マリコのスマホには土門からのメッセージが届いていた。
けれどマリコはどうしてもそれを開くことはできず、ただ自分の部屋に籠り続けた。
さらに数時間後、マリコが帰宅しようと府警の玄関に姿を現すと、前方から土門と蒲原と心美が歩いてくるのが見えた。
「土門さん、ごちそうさまでした」
蒲原が律儀に会釈する。
「いや」
「今度はもう少しいいお店にしましょうよー」
立ち食いじゃなくて、などと唇を尖らせる心美に、土門は眉を持ち上げる。
「お前は勝手に付いてきたんだろうが!文句言うな!」
土門は心美の額をつつくと、ぽすんと頭に手を乗せる。
「えへへ。ごちです」
心美は嬉しそうに、土門の手に触れる。
立ち止まってその光景を見ていたマリコは、くるりと踵を返すと、もと来た道を戻りだした。
「あれ?マリコさんじゃないですか?」
蒲原が、指差す方を見ると、ちょうどエレベーターにマリコの後ろ姿が消えるところだった。
土門が慌てて走り出すが、エレベーターは無情にも閉じ、低い音を立てて上昇していった。
次のエレベーターを待つのももどかしく、土門は階段へ向かった。
マリコが向かう先は考えるまでもない。
息が切れるのも構わず、土門は一気に最上階を目指した。
心美は、そんななりふり構わない土門の様子を初めて見た。
容疑者を追跡するときでさえ、もう少し冷静に先回りすることなどを考えているはずだ。
そして、そんな土門にここまでさせるのは、きっとマリコだけだ。
認めたくない、諦めたくないと思い、ずっと目を背けてきたことを、ここまでまざまざと見せつけられてしまっては……。
「完敗だぁ……」
いつもはハイトーンなキャラボイスも、今日ばかりはなりを潜めるのだった。