魔法の手





翌朝、土門が科捜研へやって来たとき、マリコはまだ出勤前だった。
宇佐見からそう聞かされた土門は、暫く待たせてほしい旨を伝える。
宇佐見は、もちろんと答え、自身は研究室へと戻った。
土門が壁にもたれて待つ間に、マリコより先に心美がやってきた。

「あ!どもんさーん、おはようございまーす!」
元気一杯な挨拶に土門は手を挙げて答える。
すると心美はその手をとり、自分の手のひらを重ね合わせる。

「何だ?」
「うーん、やっぱり大きいなあ~と思って。ちょっと私の頭に乗せてみてくれませんか?」
「こうか?」
ぽん、と心美の頭に手のひらを乗せる。
土門はそのままくしゃくしゃと髪をかきまぜてやった。
「ぎゃー!何すんですか、もお!」

やいやいとはしゃぐ二人の様子をマリコは科捜研の入り口で見ていた。
まるで兄弟のようなじゃれあいだ。
きっと相手が美貴だったら本当にそう感じて微笑ましく見ていられただろう。
――― でも……。
――― あの手は………。
マリコは何かを耐えるようにぎゅと目を閉じた。



「おう!榊」
土門の呼びかけに、マリコは瞑った目を開く。
「おはよう、土門さん。心美ちゃん」
「おはようございまーす!マリコさん見てくださいよ~。土門さんにヘアスタイルくしゃくしゃにされました!」
心美は土門の手を握ったまま、自分の頭を指差してマリコへアピールする。

「あらあら……。ところで土門さん、何か用?」
「ん?ああ。鑑定を頼もうと思ってな」
「急ぎ?」
「いや、そういうわけじゃないが……」
「それなら、後で蒲原さんにでも頼んでくれれば良かったのに……」
「?」
マリコは土門からファイルを受け取ると、そのまま自分の部屋へ向かった。

「お、おい!榊」
土門が慌ててマリコの後を追う。


「まだ何か用?」
土門は白衣に着替えるマリコの後ろ姿を眺める。
肩甲骨が滑らかに動く様子がシャツの上からでも見てとれた。

「土門さん?」
マリコが振り返る。

「用件はある。……今夜空いてるか?」
「……………」
マリコは返事に戸惑う。

「飯に付き合え」
「……………」
「嫌か?」
土門の眉が持ち上がる。
「……………」

「奢りでもか?」
土門はマリコの退路を絶つ。
「……分かったわ」

返事と一緒にため息を吐くマリコを、土門は壁際に追い詰めた。
「土門さん?」
わずかに死角になった隙間で、土門はマリコの頬に触れる。
「何を怒っている?」
普段とは違う視線を向けられてマリコはたじろぐ。
「榊……」
徐々に近づく声に、マリコは顔を背けた。
それきり、土門は何も言わずマリコから離れた。
そして去り際にマリコの髪を撫でていった。




仕事の一区切りついたマリコは、帰り支度を始めた。
少し前に土門から連絡が届いていたからだ。
どことなく気分は重いはずなのに、同じだけ心が弾むのは何故だろう。
今のマリコは自分の心を少し持て余していた。

待ち合わせの玄関に向かうマリコは、前方に土門の背中を見つけた。
追い付こうとマリコは小走りになる。
「土門さ………」
声をかけようといた瞬間、背後から声が響いた。

「あー!どもんさーん!」
心美がマリコの脇をすり抜け、土門に飛び付くように隣に立つ。
「土門さんも帰りですかぁ?」
「そうだ」
「ラッキー♪だったら一緒にご飯行きましょうよ!可愛い後輩に奢ってくださいよ~」
「自分で可愛いという奴は、大抵可愛くないぞ?」
「あー!ひっど!」

ははは、と笑い声をあげた土門は、自分の背後に立ち尽くすマリコに気づいた。
ぼんやりとこちらを見ているマリコは、何だか泣きそうな表情に見えた。
「榊?」
「え?あ!マリコさん!マリコさんも一緒にご飯どうですか?土門さんの奢りですよ~」
心美の屈託のない笑顔にマリコは小さく首を振った。
「私はいいわ。また今度ね……」
そう言うと、マリコは土門の横をすり抜けようとした。

「待て」
当然、マリコの手は土門に捕らえられる。
「……離して」
「俺との約束を守るなら離してやる」
マリコの腕を掴んだ土門の手はびくともしない。

「古内、今夜は先約がある」
「先約……?」
心美は土門の顔と、捕まれたままのマリコの腕を見比べる。

「もしかしてマリコさんとですか?」
「ああ」
「そう……ですか。な、なーんだ!それならそう言ってくださいよ!それじゃあ、また今度、期待してますからね~」
心美は手を降って、二人から離れた。



土門は無言でマリコの腕を掴んだまま、車まで引っ張っていく。
「乗れ」
しかしマリコは躊躇っていた。

ドン!
土門は車の屋根に拳を当てた。
「榊、俺はお前と飯が食いたいから、お前を誘ったんだ!悪いか!?」
「わ、悪くなんて……」
「だったら、乗れ!」
「……………」
マリコは渋々助手席に収まった。


それから暫く、車内は無言の時間が流れた。
土門は前方を向いたままステアリングを握ってはいるが、全神経を助手席に向けていた。
その助手席のマリコはずっと俯いたままだ。
土門は赤信号で停車する度に、隣を盗み見するがマリコが顔を上げることはなかった。
とうとう痺れを切らした土門は、ハザードを付け、車を停車させた。

「榊……」
土門は左手を伸ばし、マリコの顔をくいっと上げさせた。
「……………」
しかし、マリコは視線を反らす。
土門は運転席から身を乗り出すと、強引にマリコの唇を塞いだ。

「!!!」
マリコは土門を押し返すが、まるで微動だにしない。
それどころか、逆にその腕を引かれ、より深く土門の口づけを受け入れることになってしまった。
小さなリップ音を残して土門が離れたときには、マリコの息は上がっていた。

「機嫌直せ」
「……無理矢理、こんなことされたのに?」
マリコは土門を睨む。

「他にどうすればいいのか、分からん」
そう言って心底困った顔を見せる土門に、マリコも怒っているのが馬鹿らしくなってしまい、くすくすと笑いだした。

その様子にほっとした土門は、再びマリコの顎をとらえる。
そして、啄むところからもう一度始めた。




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